第18話 信念か大義か
「全くもって使えない悪魔どもだ。たかだか、重りを外したくらいでこうもあっさりとやられるとは」
ガスパーが吐き捨てた言葉に、ボルクスの目がこれまでにないくらい吊り上がる。ボルクスの背後から立ち上がる黒い煙を見て、ガスパーの肩がわなわなと震えだした。一度、ボルクスの方を射殺さんばかりに強く睨むとせきを切ったように怒涛の勢いで怒鳴りちらす。
「私の許可もなく勝手に死にやがって! お前らゴミどもを神の役に立てるために一体どれだけの金と時間をかけたと思っている!? いいか!? 神に仇なす悪魔は、この私の従順なる下僕になることによって初めてこの世に生きる価値が生まれ、死んで当然の屑から多少はマシなゴミになるのだ! 貴様ら魔女もそうだ! 主以外を信じぬ邪教徒に生きる価値はない! すべからく死ぬべきだ!」
「神聖書。ヨシュア記にて主は言われた。『邪教徒を皆殺しにせよ』と! 邪教徒を老若男女の区別なく殺しどぶに捨てることは正義であり、神の愛なのだ! 神と神の子を信じぬ者は打ち! 殺し! 蹂躙しても構わない! 即ち、この処刑は、神の信仰を揺るがした魔女を、神の雷によって跡形もなく葬り去る、という神聖な行為なのだ! それを邪魔した貴様ら二人も、この私が必ず磔刑台に縛り付けて! この世から消し去ってやる! 神の反逆者なんぞに生きる価値はない! 主を信じる者のみが人間であるのだ!」
眼鏡越しでも容易に分かるくらい目を剥き、一通り狂信を吐き出したガスパーはハアハアと肩で息をしながら、三人を睨みまわし、最後にレアを睨めつけた。ガスパーの意識が向けられていると感じ取ったレアの肩がビクンと跳ね上がる。あの狂信がレアの冒険者人生を台無しにして、処刑へと追いやったのだろう。
悪魔となった昔の仲間を罵倒され頭に血が上ったが、それより遥かに速く怒りを爆発させ、切れ散らかすガスパーを見て、呆れたような、哀れみのような感情を抱き、逆に冷静でいられた。怒りという感情は持つべきだが、冷たい怒りでなくてはならない。表に出してはいけない。内に秘め、原動力とすることに留めなければならない。
肩を抱いて身を震わせるレアの背中をボルクスは今度は優しくそっと叩いた。そのまま数度身の震えが治まるまでポンポンと叩く。全ての動作が無言でレアの方を見ることなく行われた。怯えながらもレアはボルクスの横顔を見る。
その眼差しにには憎悪も憤怒もなかった。ただレアを助けるために目の前の敵二人を倒さなければならないという純粋な闘志に満ちていた。何かしらのわかりやすい表情を浮かべているわけではない。ただ力強く眼前の敵を見据えている。
それだけだが、頼もしかった。優しく触れるように叩かれた背中に温かいものを感じた。ひどく心地良い、絶望を拭い去るような温もりがあった。その熱はボルクスが背中から手を放しても残り続けた。ボルクスが倒れない限り、もう大丈夫だ。
レアの震えが治まったことを確認したボルクスが、フゥーと大きく溜め息をつき、呆れるような、冷笑する様な口調で言い放つ。
「なわけねーだろチンカス。脳みそエデンかてめぇは」
「なっ!? なっ、おまっ、何をっ!?」
ボルクスの分かりやすい挑発に、ガスパーは怒りのあまり言葉が詰まり、意味をなさない声を上げ、目を白黒させながら、口をパクパクさせ、信じられないものを見たかのようにボルクスを指差している。ボルクスには何の言葉も耳に届くことはなかったが、ガスパーはまだ、何か言いたそうにしていた。
聞く必要もないと、ボルクスは判断した。
ボルクスが消える。瞬間移動。この場で唯一、自らの意思を持って、人間の味方をする悪魔が風を切って、アタランテとアキレウスが反応すらできなかった速度で、稲妻のようにガスパーへの距離を詰める。
助走もつけて、突き出された拳はガスパーが大声を張り上げようと力を入れていた腹に、深く深くめり込んだ。
「ぐべえぇぇぇーーッッッ!!」
吐き出そうとしていた罵声の代わりに、みっともない断末魔を上げて、ガスパーは地面と平行に吹っ飛んだ。その勢いのまま地面に着いても転がり続け、最終的には潰れたカエルのように四肢を放り出し、地面に突っ伏した。その状態から動くことなく、他のほとんどの騎士と同様、気を失った。
ガスパーは倒した。残りは一人。油断はせず、横にいるはずのモードレッドに構えなおした。が……
「滅殺一条・ラミエル」
決して大きくはないが、はっきりと聞こえ、存在感のある声がボルクスの耳に入る。兜越しに声がこもってはいても、それが殺気を含んだ声であると、本能的に理解した。モードレッドは持っていた武器をやり投げの姿勢で構え、切っ先をボルクス向けている。初めて見るはずの技に何故か死を直感した。避けようとしても足がすくんだその時だった。
ボルクスの横から火の玉が飛んでくる。モードレッドに完全に意識を集中させていボルクスの脇腹に当たり、命中して爆発する。リズがラミエルを強引に避けさせるために、魔術を放ったのだ。故にこの爆発には一切の殺傷力がなかった。
爆発の衝撃で吹っ飛ぶ中、迅速に体勢を立て直して受け身を取る。反撃に転ずるため、拳を握りしめてモードレッドに矢のように飛び掛かる。
つもりだった。目の前に広がる光景を、破壊の権化のようなラミエルの力、天導騎士団の最高戦力という言葉の意味、国一つ滅ぼすという表現に何ら噓偽りを感じさせない純粋な破壊力。それらがボルクスの目の前で炸裂する。
太陽が目の前まで降りてきたかのような鮮烈な光とともに、当たり一面にけたたましい雷鳴が響き渡る。視覚と聴覚を完全に潰そうとするかのような音と光に、リズとレアは瞼を固く閉じ、耳をふさいで、しゃがみ込んだ。一方でボルクスは、その威力に魅せられたかのように、音も光も気に留めず、瞬きすらすることなく、見つめていた。
嫌な記憶を思い出したからだ。目の前で明らかな自然現象で起こる以上の規模の轟雷にはなぜか見覚えがある。視界全てが雷で包まれた生前の最期の光景、人間のように簡単には死なない神の血を引くボルクスを一撃で葬り去ったゼウスの雷霆。
兄とともに自ら死ぬために、天を仰ぎ、浴びるように受けた神の力を思い出した。根拠はないが、モードレッドがラミエルと呼んだ雷の力は、ゼウスの権能であった雷霆に似ているというより、全く同じものだと感覚的に思った。
恐らくラミエルは、生前の神の力にあふれていた頃のボルクスでも、直撃すれば死ぬ。理屈や論理をすっ飛ばした死の直感をラミエルに叩き付けられた。
ゼウスの雷霆を知らないリズとレアも、ラミエルを直視することはできなかったが、死の直感をラミエルが残した破壊の残滓を見て叩き付けられた。景色の一部が存在しない。
モードレッドの前から広がっているのは、景色の一部が栓抜きでもされたかのようにえぐり取れらている、まるでその部分だけ白く塗りつぶされた風景画のように、欠けている。モードレッドの前方の石床から、神殿の柱、さらにその奥にあった岩とか木にいたるまで、ラミエルの経路上にあった全てのものが、例外なく、この世から完全に消滅した。
叩きつけられた死の悪寒に全身が硬直する。心臓が思い切り鷲掴みにされたように収縮する。リズとレアは重圧のあまり、立ち上がれない。頭が、本能が震える体に逃げろ逃げろ、と何回も命令していた。モードレッドが解き放った圧倒的破壊力に不安と恐怖で心がぐちゃぐちゃになり、意識すら手放しそうになる。
ボルクスはすぐにでも反撃に転じたかったが、足が鉛のように重かった。見れば、僅かに震えている。頭では食らわなければいいと理解しつつも、直撃した時のことを考えると、体が委縮し、足が竦む。……許せなかった。ラミエルの威力に恐怖を感じたことではない。
恐怖も不安も、戦場では死が身近にある生物としては持ってて当たり前の感情だ。許せないのはそれを表に出したことだ。表に出してしまった自分自身だ。
リズとレアの目の前で……、恐怖を克服できなかったら、あの二人はどうなる? 守らねばならない者たちの前で闘う以前に、敵に植え付けられた恐怖心に負けることが、どれほどの絶望を与える? ……英雄の姿か? これが……。兄を守り切れなかった悔恨を繰り返すのはもうたくさんだ。
「ハァッ!!」
重い空気を割くように、裂帛の声とともに、拳を握った両腕を震える膝に振り下ろす。渇いた音が大きく鳴り、ボルクスの足元の石床がひび割れが広がる。
身体の震えは治まった。モードレッドはボルクスを見ている。好都合だ。ここはあえて、大胆不敵に行く。ボルクスが被っていた頭巾の一部が、リズの放った火球で焦げていた。
片手で一気に破り捨て、面頬も外して無造作に地面に投げ捨てる。その下から現れた表情は口元だけの笑みだが、ふてぶてしい、不遜な笑みだ。僅かに上下に動いていたモードレッドの肩が一瞬硬直する。
「地味ぃーにカチャカチャ鳴ってんなアおい、そんな鎧着込んでるから肩で息してんの、隠してもバレバレなんだわ。フルフェイスの兜だから息がこもって苦しいんじゃない? ラミエルってのは確かにヤバい力だが、アンタにとってもノーリスクってわけないんだろ? じゃなきゃもう一発ラミエルを撃って終わりにしてたはずだ。そう簡単に、ポンポン撃てるもんじゃないな?」
ボルクスが白い歯を見せて不敵に笑い、人差し指を立てる。モードレッドに返事はない。ただ武器を正面に構えなおす。
「不意打ちのようにラミエルを撃ったところを見ると、最上級騎士様はどうも真正面からまともに当てる自信がないらしい。それらを全て考えに入れても、俺の計算じゃ……」
それまで人差し指を立てていた手の親指で、勢いよく自分の顔を指す。口角をさらに釣り上げて、さらに大胆不敵に、場の空気を支配するがごとく、デカい声を張り上げる。ハッタリ、ブラフ、虚勢、辻褄なんてどうでもいい。とにかく自分を奮い立たせる。
「余裕で俺が勝つ! ラミエルとかいうずるっこみたいな馬鹿みたいな力のハンディがあってようやく俺とお前は五分五分なんだよ! 俺とアンタじゃ……」
ドスンと、大きな音と短い地響きと共に、片足を大地に勢いよく叩きつけて戦闘の構えを取る。いつものように軽くステップを踏むのではなく、腰を大きく落とす。下半身に力をためてバネのように解放し、一気に接近するためである。
「格が違う。ラミエルなしのアンタが地力でどこまで闘えるのか、俺は疑問だね」
ボルクスはさらに足腰に力を溜めたが、不意に、溜めた力が抜けてしまう。目の前のモードレッドが先ほどよりわかりやすく、肩を上下に動かしている。疲れからではない。その挙動からして声は聞こえないが、笑っているらしい。
「やはり面白い奴だ、お前は……俺は最上級騎士、雷天士のモードレッド」
モードレッドが地面に武器を突き立て、その柄頭に両手を置く。殺意も敵意も一旦、引っ込めたように見える。どうやら返事を待つつもりらしい。ボルクスも警戒は解かないが構えを解いて、足を肩幅に開いて、腕を組み、仁王立ちする。
「俺はボルクス。冒険者だ。アンタみたいな大層な肩書はない」
「ボルクス! そちらが素顔を晒してくれたというのに、こちらがこんな無粋な恰好なのは、失礼だな」
ボルクスの名を嬉しそうな感情を込めて呼ぶモードレッドが、ゆっくりと兜を脱いだ。完全に兜が頭から離れると、全身を覆っていた黄金の鎧も、何らかの魔法で消えた。その下にはシンプルな赤い布鎧を着こんでいる。
兜の下から出てきた顔を見て、ボルクスの頭に雷が落ちたような衝撃が走り、カッと目が見開かれる。初めに目に入ったのは金髪、そして碧眼。この数奇な運命を芸術品のように楽しみ、薄く笑っている男は、ボルクスがこの時代に召喚されてから間もない頃に会った男である。脳裏にお互いの技を褒めたたえ合った光景が走る。
ボルクスは目をつむり、深呼吸をする。驚きはしたが、それだけだ。仲良く喋ってはいたが、別に生死のやり取りを躊躇するほどの仲ではないし、ボルクスのやることは変わらない。レアを助けるのを阻むなら、これまで同様、叩き伏せるだけだ。名前もお互いさっき初めて知った。モードレッドが兜を脇に抱え、手をボルクスに差し出す。
「もう一度聞こうボルクス、俺の部下になる気はないか?」
モードレッドが笑う。裏には、だまし討ちをしようなどという敵意や悪意などはなく、ただの純粋な勧誘。ボルクスはチラリとリズとレアの方を見る。
ラミエルの威力に完全に腰を抜かしていたが、ボルクスが素顔を晒してまで、勢いよく言い放った口上に二人は勇気づけられ、立ち上がるまでにいたった。ボルクスは顔には出さず安心し、リズとレアの方を指差して、まんざらでもないように答える。
「俺が天導騎士団に入ったら、二人を見逃してくれるのか?」
「駄目だ。見逃さない。少なくとも金髪の方は魔女の裁定を受けた。これは俺個人の権力でも覆せん。だから騎士としては絶対に見逃すことはできない。ここで殺す」
「なら入らない。前に言ったろ、俺にはやんなきゃいけないことがあるって、これがそうだ」
ボルクスが両腕を広げ、モードレッドに自らの、変わらない意思を訴える。モードレッドは顔をしかめながら、脇に抱えていた兜を大事に足元に置く。
「残念だ。騎士団に入らないのなら殺す」
「残念なのは俺の方だ。最上級という階級だろうが、騎士という連中はただひたすらに、哀れだ」
殺すという言葉を最後に、闘おうとしていたモードレッドの殺意が引っ込む。ボルクスは言葉の通り、本当に哀れむような目でモードレッドを見ている。
「どういう意味だ?」
眉根を寄せるモードレッドが持っている武器、ラミエルの上に置いた両手を強く握りしめる。
「己の暴力を振るう先を己の意志で決められない。それが哀れだ」
「……」
「さっき聞いた言葉が本当なら最上級騎士だろうがやはり、聖十字教上層部の命令には逆らえないらしい。俺が騎士団に入ることを拒んだ理由の一つがそれだ。リズとレアのことだけで断ったんじゃない」
「騎士団に入り騎士となれば、剣を振るい、命を奪うのには必ず上の命令が必要になる。必死で鍛え上げた力の向かう先を自分では決められず、他人の命令で暴力の対象を決め、言われるがままに命を奪う。俺はそんなのまっぴらごめんだね」
「そういう生き方はなあ、命を奪うという行為に対する責任がない。天導騎士団、もしくは聖十字教という組織を維持するための歯車として動くために、人間性が無い」
「それに比べて冒険者はいいぞモードレッド! 何より自由だ。騎士とは違って自らの意思で殺したい者を殺し、生かしたい者を生かすことができる。今の俺のように」
「だからモードレッド、冒険者になれ! そうすれば他人の命令なんぞとは無縁でいられる! 己が心のままに守りたい者を決められる! 生きる理由も死ぬ理由も自分で見つけられるんだ! これ以上の自由はない! 騎士団なんぞ止めちまえ!」
ボルクスがバンザイをするように、勢いよく両腕を振り上げ、虚空をゆっくりと掴む動作をモードレッドに見せる。リズとレアは呆気にとられていた。まさか逆に、最上級騎士を冒険者に勧誘するとは思わなかった。確かに闘う理由がないならそれに越したことはない。今か今かと返事を待つボルクスが、嬉しそうに見つめるモードレッドは顎に手を当てていた。
「それがお前の冒険者として生きる理由か……確かに冒険者になれば己の望むままに生き、騎士団では得られなかった刺激があるのだろうな……」
「正直言って騎士団のことは耳が痛かったし、お前の崇拝する自由も魅力的だった。勧誘してくれたことにも礼を言おう。だが冒険者としての生き方は俺にはひどく刹那的なものに聞こえた。そこに意志はあっても大義は存在しない。天導騎士団には一応、人々の平穏な生活と国の安寧秩序を守るという大義名分が、歯車の大小を問わず存在する」
「……」
「俺とお前では生き方が違う。俺にも騎士としてやらなければならないことがある。それは今の地位を捨てて冒険者になれば決してできないことだ。故に俺は、如何なる理由があろうとも冒険者にはならない」
感情的にはならず、淡々と冒険者にはならない理由を告げる。ボルクスも難しい顔をしていたが、モードレッドの真剣な顔に、聞かざるをえない。
「大義……大義ねえ、その大義はレアが平穏な生活を送ることは許しちゃくれねえのか? ここで殺すことが大義なのか? レアには聖十字教の信仰をどうこうしようなんて悪意は皆無だ。ただの冒険者として色んな土地を駆けまわる日々を生きていただけの娘だ。それが突然、警告もなしに本の内容に難癖つけられて処刑が決まる。理不尽だと、どこかおかしいとは思わないのか?」
「俺はなあ、レアが可愛い女の子で、わっかりやすい被害者だから言ってんじゃねえぞ。これは人間としての、意思の問題だ。騎士とは国と人間を守る役割を持つ歯車だ。上からそういう生き方を与えられるんだろうが、意思はあるはずだ。お前は、お前個人はどう思うんだ? この処刑について。例えレアを殺すつもりであっても、答えてもらうからな」
眉根を寄せるボルクスの指先がモードレッドの方を向く。モードレッドがレアの方を一瞥すると、ゆっくりと瞬きをして、ため息をするように声を落とした。
「哀れだ」
だがその言葉には何の感情も込められていていない。モードレッドの顔もそれと同じく無表情である。人が人に向ける言葉というよりは無機質で、血の通っていない、ただ文字を読み上げただけ。そんな印象をモードレッド以外の三人は抱いた。
「だが俺個人にそういう意思があっても、この場には必要ない。俺の魔女を処刑するという役割も変わらない。もし任務に失敗して魔女が逃がせば、その事実はそのまま人々の安眠を脅かす毒となるだろう」
「だが実体のない恐怖だ。レアを殺せなかったという不都合を庶民に押し付けているだけにすぎない。ただ偶然、禁忌に触れてしまっただけの冒険者じゃ処刑判決を下せないから、魔女にして、殺していい人間に仕立て上げましょうってことだろ。だから逃せば恐怖を煽る、恐怖を与える存在は殺されるべきだという認識を庶民に植え付ける。俺からすれば醜いことこの上ないね」
「ああ、確かに醜い。俺が背負う国というものは時にあまりにも醜い。この醜さは国が人間の集まりである以上抱えざるを得ない歪みだ。俺たち騎士は信念や正義感などではなく、愚にも付かない国民の感情や欲求、政治屋宗教屋どもの私利私欲によって戦場に向かわねばならん。俺たちが全うしなければならない責務は、それを課す者の都合でいくらでも汚くなる」
「人の命と尊厳を奪う行為を歪みだとか責務だとかいう文字列で片付けるんじゃねェよ。自覚がありながらよくそんな不自由な仕事を続けていられるな。動機はガスパーと同じ狂信か?」
「違う。確かに騎士は不自由だが、一欠片の救いはある。……誇りだ。国を守るという誇りこそがこのモードレッドという騎士を形作っている」
冒険者とて誇りはある。だがモードレッドの力強い言葉から、騎士はそれ以上に誇り高いと頭に叩き込まれた。孤児院で出会った子供たちを思い出す。何よりも誇り高いからこそ、国を守りたいという意志が、想いが、後の世代に脈々と受け継がれるのだろう。だが今はその誇りを踏み躙らねばならない。モードレッドに騎士としての責務を全うさせるということは、レアを死なせることだ。
ボルクスはモードレッドとの話し合いの中、最初に処刑の是非について聞いた騎士を思い出した。自分も騎士に変装していたというのもあるが、やはり国の歪みには疑問を持っている人間がいるということがわかった。モードレッドにも似たようなことを期待したが、最上級騎士というだけあって、その意志は固い。説得の余地があるようにも思えたが、闘わざるをえない。
「お前個人が誇りを貫いても、国自体がこんなに簡単に人を裁いて殺してを繰り返して、その凶行から目を背け続ければ、いずれ背負うもんすらなくなるぞ。俺は俺自らが決めた意志で動くからな。お前は倒す。レアとリズを連れてこの場所から出て、騎士団の追跡を振り切る。それでめでたしめでたしだ」
「お前の言い分ももっともだが、俺は俺のやり方で国と向き合う。……やはりどこまで行っても平行線か。至極残念だが、お前のような闘士と闘えることを誇りに思う」
「さっきの鎧を外したままで俺と闘うつもりなのか? 手加減はしないぞ?」
「要らん世話だ。あの鎧は頑丈だが、着けたまま闘うと莫大なマナを消費する。故に俺はそのマナを……こっちに回す」
モードレッドが構え、身体中に闘気を漲らせる。まるでモードレッドの体が爆発したように、周囲に衝撃波をまき散らし、突風が砂埃を巻き上げる。モードレッドの体が、炎の様な半透明の闘気を纏う。場の空気が一気に張り詰めた。
ボルクスも構え、闘気を開放する。同じ様な現象がボルクスにも起こり、可視化された闘気を纏う。リズとレアの眼前には多大な質量を持つ、巨大な二つの空気がぶつかり合うかのような光景が広がっている。
そこから向かってくる突風から腕を上げて身を守る。今にも押しつぶされてしまいそうな威圧に、リズとレアの体中がビリビリとした感覚が駆け巡る。だが、固唾を見守るだけという考えは毛ほども浮かばなかった。両者の力が拮抗しているのなら、自分たちの動きが形勢を大きく左右する。
この状態になれば、お互いいつ攻撃を仕掛けてもおかしくない。相手の次の挙動を、感覚を総動員して掴みにかかる。ボルクスが全く隙のないモードレッドを目を凝らして見張る。
こいつだ。この男だ。この男がレア救出の最大の壁だ。この男が処刑場にいる騎士の中で一番強い。ラミエルではなく、この男、モードレッドという騎士が、ラミエルを使うに相応しい力を身に着けている。立ち上る闘気と自分の戦闘経験がそう告げている。
かの大英雄、ヘラクレスに匹敵するくらいまでに練り上げられた闘気を見て、額に嫌な汗さえ滲み出る。この地力の上にさらにラミエルという強力極まりない手札がある。ラミエルの分の優位を感じたのか、モードレッドは薄く笑い、低く地を這うような声で宣戦布告をする。
「来いよ」
「ああ……」
全く同じ声の調子でボルクスが返事をする。極限まで高まった緊張感の中、ボルクスがモードレッドの言葉通りに地を蹴った。




