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Myth&Dark  作者: 志亜
悪魔転生編
17/54

第16話 和解

 眼前の敵がかつての仲間であろうが、例え身内であろうが、心情とは別に体が敵を倒すための行動を機械的にとる。ケイローンには何度もカストルとも闘わされ、ケイローン自身とも何度も闘い、そう訓練された。


 アキレウス、アガリアレプトといつ魔名をもつ、かつての英雄が槍を持って突きの連打を放ってくる。


 闘いになっているというのに、やはりその目には闘志さえ見られない。虚な目のまま生前に鍛え上げた技を使う。悪魔使いの命ずるままに動く戦闘人形。今のアキレウスとアタランテにはそんな印象を抱いた。


 突きの連打を最小限の動きでかわしながらアタランテの方を注意を向ける。アキレウス同様神速で距離をとりつつながら旋回し、ボルクスの横から矢を三本連続して放ってくる。


 恐らく毒矢。アキレウスの刺突の攻撃をいなしつつ、もう一方の刺突は、矢を指で挟んで受け止めた。


「オラァ!!」


 青筋を立てつつ、受け止めた矢をそのまま、アキレウスの槍による攻撃の合間を縫い、ガスパーに投げつける。


 力の限り矢を投げたが、やはり弓を使わないと勢いよく飛ばないもので、アタランテが放つよりも遅く、ガスパーの方に向かう。


「おっとっと」


 ガスパーは矢をわざとらしい動作で必要以上に距離をとってかわした。いちいち癇に障る野郎だ。あいつもぶちのめせば二人は正気に戻るのだろうか。思考の中に僅かな可能性を見出しつつ、、二人の英雄の攻撃を捌く。


 この後に悪魔使い本体とモードレッドが控えているというのに、二人がかりとはいえやはり強い。アキレウスはボルクスの手の届く範囲の外から槍を持って一方的に攻撃し続けて、距離を詰めようとすれば、絶妙なタイミングで横から矢が飛んでくる。毒矢のためにかするわけにもいかない。膠着状態だ。


 槍と拳がぶつかり合う音がこの空間を支配する。


「その魔女を置いて去れ。娘。そうすれば命までは取らん」


 モードレッドがいつの間にかリズとレアの前に立ち、腕組みをしながら厳かな声を落とす。


 リズはその気迫に体全体が震えたがモードレッドは「考えておけ」と言い残すと、それっきり踵を返し、ボルクスと二体の悪魔、ヴァプラとアガリアレプトとの戦闘を見物に戻った。


「そうだよリズ。なんで私なんか、こんな危険を犯してまで助けに来たの? こんなところに来なければ、私が一人で死ねばリズは平穏に暮らせたのに」


 目隠しと猿轡を取られたレアが弱々しく、か細い、消え入ってしまうような声で、初めてリズに口を開いた。目隠しの上からでも声だけで何となく状況を察していたのだ。そして、リズは一応、身元が割れないように顔を隠す装いをしていたが、レアは分かっていたかのようにリズの名を口に出した。


 突き放すような言い方にリズは目を丸くして動揺した。マスクを首にずり下げて露出した口が困惑して歪んだ。


「何を言っているんですかレア? 私はレアだからこそ助けに来たんですよ」


「昔っから泣き虫で、私がいないと何もできなかったくせに、冒険者にもなれなかったくせに。私がリズに何かと世話を焼いていたのも、リズに優しい自分に酔って、優越感に浸るためだったの! 同じ冒険者の道に誘ったのも、体のいい使い走りが欲しかったから! 今の私もう冒険者じゃなくなったから、リズなんていらない!」


 肩を貸してもらっていたリズを突き放し、磔刑台の方にもたれながら座る。レアの瞳孔が震えながら、絶句しているリズを見る。


「私はもう全部何もかもどうでもよくなっちゃった。私の憧れた未知の、大昔にこの世界に存在した物語を知るために、それに繋がりそうなものを見つけるために、危険な土地も必死で歩き回って、ようやっと古代の文献を見つけて、内容を調べるためにクソ高価で分厚い本を買って、その本とずっとにらめっこして古代の言葉を翻訳し、ようやっと本が一冊出来るまでに内容がまとまって、さあ出版しようと思ったら神への信仰がどうのこうので出版停止になって、挙句の果て死刑! あの本を皮切りにもっと色んな場所に行って色んな本をだすはずだったのに、もうそれもできない! 私の今までの努力が、今までの冒険者としての人生全てが否定されたの! もう全部どうでもいい! 私のことはほっといて、死なせて! この国で魔女と呼ばれる意味を、知らないはずないでしょ!?」



 泣きじゃくる駄々っ子のようにレアは自分の心情をぶちまけて、顔をそむけた。リズの顔からは表情が消え、固まっている。レアは一気に長く喋ったためか肩で息をしている。


「レア……」


 リズの体からいろいろな感情が湧き出るように、ふるふると震えだした。その手も震えながら、手を握ったり開いたりを繰り返して、最終的に握り拳を作る。


「フンッ!!」


 リズはその震える拳を腰を入れて、レアの腹に叩き込んだ。レアは絞められる時のニワトリのような声を上げ、腹を抱えて崩れ落ちる。


「だとしてもですよ! 例えレアに死ぬつもりがあっても、私が殺します! レアが私の知らない人間の手によって、知らない場所で死ぬのは我慢も納得もできません。魔女ならなおさら、身内の私が責任を持って引導を渡します! 冒険者が魔女を殺してはならないという法律はありません」

「大体悔しくないんですか! 何年も冒険者人生をかけて追い求めたものが、それまで私達冒険者に何の援助もしてこなかった、何の苦労もしてこなかった連中に、世に出る一歩手前で検閲という二文字で踏みにじられて! 私は悔しい! 胸糞悪い! 腸が煮えくり返る!」

「私だってどうでもいいんですよ! この処刑が不当なのか正しいのか、私が間違っているのかなんて! ……でもレアは、私のたった一人の友人だから、生かすにせよ、殺すにせよ、最後まで友達でいるために、私はここまで来ました!」


 リズが涙ながらに、今まで使ったことのない言葉遣いと怒号で吠えた。レアの腹にめり込んだ拳を自分の顔の前に持ってきて、レアに固い意志を示している。二人はそれからフーフー言いながらにらみ合っていたがレアが急速に吐き気を覚え、顔色がみるみる悪くなり、ついには吐き出した。リズの腹パンが効いたのである。


 吐き出すと言ってもレアはここ最近、処刑が近づいて来るにつれて、水くらいしか喉を通らなくなってきだので、口の中からは液体の身がびちゃびちゃと吐き出される。自分の靴にかかったゲロを気にも留めず、レアを見下し、息をつく。


「フン、大体昔から、食い意地の張ったレアがそんなに自暴自棄になって、やけ食いしないのはおかしいですね。このゲロからしてもう何日も何も食べてませんね? レアなら牢屋で出された食べ物がどんなに不味くても、全て平らげるはずです」


 リズがしゃがみ込み、懐からハンカチを取り出し、レアの口の周りのゲロを拭い去る。レアは顔を背けようとしたが、髪の毛を掴まれ、「シッ!」と出来の悪いペットを躾けるような声を放たれ、やがてなすがままになった。それが終わると、リズはゲロまみれのハンカチを懐にしまうと、魔術でどこからか清水の入った杯を二杯取り出した。一杯は自分で飲み、もう一杯はレアに飲ませようと口元に押し付けたが、鬱陶しがったレアが自分で杯を持ち、一気に飲み干した。


「……落ち着きましたか」

「……うん。リズも落ち着いた?」

「……まあ」


 まだお互い不貞腐れたような声でやり取りする。リズはレアの顔をじっと見ていたが、レアは叱られた子供のように顔を背けている。


「なんでそんなに死にたがるんですか」

「だってもう、生きてたってしょうがないもん。ここから逃げてもどうせ安全な場所なんてこの国にないし」

「嘘つき。嘘でもそんなこと言わないで」


 敬語を捨て、まるで子供の頃に戻ったかのような口調で短く言葉を漏らしたリズにレアはハッとした顔をする。冒険者生活を続けていく内にリズは余計な敵を作らないようにいつからか、敬語が身についていった。さっきよりましだが、やはりどこか声に怒っているような響きを覚える。いや、これは怒るというより叱る時の口調に近いと、レアは昔の記憶を掘り起こして思った。


「知ってましたよ。あなたがそんなにも意固地になって一人で死のうとする理由はとっくに」


 すぐに敬語に戻ったが、レアは無言で、驚いた表情をしたままだ。噓つきという言葉の通り、処刑場で再会してからの、リズに対する態度には嘘があったからだ。


「確かに私たちの書いた本が出版停止になって、自暴自棄になったのは本当でしょう。でもそれだけじゃない」

「……」


 罪滅ぼし。そう言葉を続けたリズの顔は嘘を咎めるようなものではなく、どことなく切なそうだった。その顔を直視できなくなったレアがゆっくりと、首を差し出す様に顔を下に向ける。


「なんで……」


 顔を下に向けたまま、ピクリとも動かず声だけを地面に這わせる。遠くでボルクスが出している戦闘の音に負けそうなくらい小さな声だったが、リズにははっきりと聞こえていた。というより、二人だけの世界に入っていた。リズはレアの言葉以外の音が、レアはリズの言葉以外の音が、既にこの世からなくなったように遠ざかっていた。


「レアが処刑になった理由に納得いかず、もしかして聖十字教は何かを隠しているのではないかと思い、レアを助ける方法も模索しつつ、色々と調べました。結局納得のいく理由は見つかりませんでしたが、私はもしかしたらレアの血統に理由があるのではないかと思い至り、……その……ご両親のことを調べました」

「だったらなおさら、知っていたなら私なんて見捨てればよかったのに……全部私のせいなのに……リズが一人になったのも……冒険者に誘ったのも……本を出そうって言いだしたのも私なのに……私なんかが生きてたって……」

「全てを知ったうえでなお、助けに来ました。私とレアと、二人で書いたはずの本なのに、出版に関する全ての罪をレアが一人で被った理由も、色々と理解できました。が、納得はこれっぽっちもしていません」


 リズが何かを指でつまむような動作をするが、レアは三角座りで膝に顔をうずめている。レアの頭の上から、はっきりと聞こえるように底抜けに聖母のように優しい声を落とす。


「確かに私の父親はあなたを助けるために死にました。でも同じ冒険者になって生きていく内に自ずと分かりました。冒険者が冒険や以来の途中で死ぬことは、悲しいですが当たり前のことなのです。私もそれを覚悟した上で冒険者になりました。ギルドマスターも同じことを何回も口を酸っぱくして言ってましたね」

「父さんの顔は覚えていませんが、レアを助けられたのなら、きっと本望なのでしょう」

「レアが子供の頃から私にずっと優しくしてくれたのは、ずっと負い目を感じていたからですね。事実を知った時はショックでしたが、やはり私はレアに何回も救われました。負い目があろうと私がそう感じたのも事実です。私の友人は父親の死因を作った人間なんかじゃなく、レア、ローレンシアなんです。だから……一方的な償いなんて……しないでください……」


 レアという愛称ではなく、友人の正式な名前を口に出すリズ。レアがゆっくりと、くしゃくしゃになった顔でリズを見上げる。


「今までありがとうございました。そして、父に代わり、あなたを許します。ここから逃げることができたら、レアは、レアの人生を生きてください」






 リズの父親は冒険者であった。母親は体が弱く、リズを生んだ時にこの世を去った。冒険者という職業柄、付きっ切りでリズの面倒を見れない父親はリズを聖十字教の教会に預けた。依頼をこなしつつ、教会にリズの養育費を払い、リズの将来の役に立つように、コツコツと財産を積み上げいった。


 数年後のある日、父親は一つの依頼を受ける。自分と同じ年頃の娘が奇妙な病に倒れ、治療には希少な薬草が必要らしい。依頼人はその娘の両親で、二人とも冒険者だ。薬草が生息している地域は危険な魔物が多いことで有名だったが、リズの父親は何の躊躇もなく依頼を受けた。依頼人の娘と自分の娘を重ねたのもあるだろう。三人で薬草を取りに向かった。


 依頼は成功したが、リズの父親が報酬を受け取ることはなかった。受け取ったのは成人後のリズだったが、真実を知るのはまだ先であった。リズの父親は帰ることはなく、レアの両親も大怪我を負う。この時の傷が原因でしばらく後に二人ともこの世を去ってしまった。元気になったレアを見れたのがせめてもの救いであった。


 リズとレアは同じ教会で他の孤児たちと育った。内気なリズは周囲に中々馴染めず、他の子供に何人か囲まれて、からかわれたりしたことがあったが、その度にレアに助けられた。教会の大人たちはレアの両親とリズの父親についての不幸な事故を二人に話すことはなかったが、二人はそれを知る前に、深い仲になっていた。その事実をリズは知らない。レアがいつどのようにして、事故の内容を知ったのかをリズはまだ知らないからだ。


 しかし、ある日レアだけが、偶然にも、隠れんで遊んでいる最中、教会の大人の立ち話で例の事件の真相を知ってしまう。それ以降レアの心の中に罪悪感と呼ぶべきか、負い目と呼ぶべきか、黒い染みのようなものができた。その染みを拭い去るためにこれまで以上にリズに献身的に、友人としてありとあらゆる手助けをしたが、何をしても、いつまで経っても、その染みは依然として変わらず、黒いままだった。むしろ隠し事をしているために染みがさらに黒くなったようにさえ感じた。


 やがて、転機が訪れる。ボルクスの文献の物語を本として出版しようとした際に、魔女の嫌疑はレアとリズ、二人にかけられた。浅はかだったし、舞い上がっていたとも思う。すでに失われた信仰を客観的に記し、何の主義主張も挟まなかった故に、まさか魔女の嫌疑をかけられるとは思いもしなかった。


 リズを冒険者の道に引き込んだのはレアだ。決して巻き添えで処刑されるようなことがあってはならない。リズには何も話さず一人で全ては自分のせいだと告発した。リズは何も知らない、命令を忠実に遂行する、ただの便利な道具だと、異端審問官に、それこそ魔女のように言った。リズを守るためとはいえ、嘘をついた。嘘といえ、リズを悪し様に言った。この二つの出来事がさらにレアの心を苛んだ。


 かつてリズの父親が自分にそうしてくれたように、その娘のリズのために死ぬ。そう思えば心の中の黒い染みも薄れていくような気がした。牢屋に入って以降は一度もリズと会っていない。最後にはどんな顔をしていたのだろうか、どんな会話を交わしたのだろうか、磔刑台に縛られ、刻一刻と自らの最期を待つ中、そんなことを考えていたが、できればリズには自分のことを忘れて、愚かな自分が何も干渉することのない新しい人生を歩んで欲しかった。


 しかし、今リズはレアの目の前にいる。他でもないレアを助けるという動機のためにここにいる。薄れた染みが再び黒くなった。捨てたはずの未練が再び湧いてくる前に、とにかくリズを遠ざけたかった。幸い、何故か知らないがモードレッドはリズの命までは取らないと、慈悲のようなものをくれた。だから、再会してすぐに、ありったけの罵倒をぶつけた。そうでもないと、リズの顔をまともに見れなかったらだ。心の中が全てどす黒い染みで塗りつぶされそうになったからだ。


 リズは全てを知ってなお、助けに来てくれた。罵倒しても怒鳴り返され、腹を殴られたりしたものの、リズは全てを許してくれた。思えば、リズに調べさせる形ではなく、自分からもっと早く父親のことを話していればよかった。リズはショックを受けるだろうが、今のリズを見れば分かる。真実を打ち上げても、きっと受け入れていたはずだ。罪滅ぼしという名目だったが、結局は自分の身が可愛かった。二人の関係が壊れることを恐れた。リズに失望されるのが何よりも恐かった。


 今は、そんな思いとは無縁だ。リズに面と向かって許すと言われて初めて、リズの父親の死を知ってから抱いていた後ろめたさが、無くなった。心の中の黒い染みは薄れていくというより、跡形もなく燃やされた。リズのために死ぬと決心しつつも、結局は許すという一言が何よりも欲しかったのかもしれない。聖十字教の神の子よりも、聖人よりも、爆発するかのような救済された感覚があった。





 

 リズに許すと言われてから、レアが立ち上がるまで長い間があった。そして、どちらともなくリズとレアは無言で抱き合う。子供の頃から人生の大部分において抱えていた心のつかえが取れて、上手く言い表せないような感情がごちゃ混ぜになり、今にもその全てをぶちまけて赤子のように、泣きわめきそうになった。しかし、今はそれを許されない。ここは戦場だ。横を向けばすぐにボルクスが必死で二体の悪魔と闘っているのが容易に目に入る。さらにその間には悪魔使いと最上級天士がいる。


 しばらく抱き合った後、レアは溢れ出てくる感情に蓋をするように、気付けも兼ねて自分の頬を両手でパシンと叩く。心情的に一段落したので、世界に二人以外の音が戻ってくる。


「リズ、今やっと、本当に踏ん切りがついた。魔女って呼ばれても、二人で逃げよう。どこまでも一緒に」

「これで、仲直りです。もう二度と私に黙って、私の前から消えたりしないでください。ここから逃げることができたら、もっと色々話しましょう。私は話したいことがいっぱいあります」

「うん……分かった……」



 震えながら頷くレア。リズからもらったティッシュでズビーっと、思いっきり鼻をかみ、それを魔術で燃やしながら捨てる。リズが次に魔術で取り出したのは何らかの液体で満たされた太い瓶だった。ラベルのような中身が分かるものは何もない。


 酒瓶のように見えるが、首から下の部分はレアの両手でつかんでも余るくらい太い。力自慢の荒くれ者の二の腕のようだ。ずっしりと重量感のあるその瓶をリズが華奢な手に血管を浮かべながら、首の部分を掴んでレアに差し出す。


「何これ?」

「濃縮された果糖水をベースに、さらに栄養が付きそうなものを諸々、濃縮してぶち込んだ私の特製ポーションです」


 リズが栓を抜く。甘ったるい匂いが、レアの鼻孔をくすぐる。普段のリズなら絶対作らない悪ふざけの産物のような飲み物だが、レアは本当にここ数日何も食べておらず、体内の水分もさっきのゲロによって失われたので、身体は正直に目の前の得体の知れない飲み物を求めた。ゴクリとつばを飲み込む。


「飲んで」


 無言で固まるレアのふくよかな胸に、リズが瓶を押し付ける。鼻に入ってくる匂いがさらに強くなった。レアは瓶を受け取り、目をつむって大きく深呼吸すると一気に飲み干す姿勢になった。


 瓶の底を高く上げ、ゴクゴクと喉を鳴らして、一気にリズ特製ポーションを流し込む。そう、一気だ。一気飲みだ。息継ぎなんぞ考えられない。渇いていた身体の細胞の隅々まで、一気に栄養が駆け巡り、染み渡っていくような感覚があった。瓶の中身が徐々に減っていき、レアは全てを飲み干した。


「ア゛ァァーッ」


 レアがデカい仕事を終わらせた荒くれ者のような、野太い息を出す。カッとレアの目が開かれ、身体全体が熱を帯びる。


「それでリズ、この国に魔女は生きられないけど、どうやって逃げるの?」


 レアのいつもの口振りが帰ってきた。先ほどまでとは違う、明るく朗らかで、聞くものに溌剌とした印象を与える口振り。久しぶりに聞いた懐かしさと安心感で、リズは鼻を嬉しそうにこする。


「だから亡命します。私と一緒に邪馬斗まで行って、そこで平穏に暮らしてもらいます。ベルガさんの協力も取り付けました」

「ベルガってあの黄金級の冒険者の?」


「そうです。本来なら転移魔法を使って一気にベルガさんの船まで飛ぶ手筈でしたが、この時空間魔法のせいで失敗してしまいました。だからまずはこの魔法を解除させましょう。先ほどの口振りからして、あのモードレッドのガスパーを倒せば出られます。私と二人で彼に協力して倒しましょう」

「彼って……?」


 リズは無言で二人の悪魔と化した英雄と闘っている、最も信頼を置いている協力者を指した。リズがレアと何も気にすることなく話し合えたのも、ボルクスに全幅の信頼を寄せていたからである。ボルクスの姿を捉えた瞬間、レアの心の中にドクンと何か温かいものが脈打った。レアが無意識に体ごとボルクスの方を向き、数歩、ゆっくりと前に出る。


 闘っている、伝説そのものが。数年に渡り探し求めた文献の中の英雄が、まるで物語のように、他でもない自分のために、闘っている。異端審問会に存在を丸ごと否定された物語の中の本物の英雄が、レアの本の内容を裏付けるように今まさに鎬を削っている。


 嘘ではなかった。間違いではなかった。武器も持たず、素手で闘う姿が、記憶の片隅にある文献の記述と一致する。それと同時に感覚的に、本能的に、雷のような衝撃で直感した。追い求めていた物語の英雄が目の前で闘っている。実在している。その事実に目頭が熱くなった。


「いたんだ……本当にいたんだ! アベルとカインじゃない双子座の! 片割れの弟の方! 神の拳(ゴッドハンド)・ボルクス! 作り話なんかじゃなかった! 無駄じゃなかった! 私は……私は見つけたんだ! 彼の活躍した物語とそれを記した文献を!」


 リズと話し合った時とはまた別種の感慨がレアの心の内を満たす。身体から湧き出る情動を抑えきれずに、レアはいつの間にか横に並んでいたリズと肩を組み、憧れの英雄を目の前にしてピョンピョンと飛び跳ねる。完全にいつもの調子を取り戻したレアの姿に、リズも顔をほころばせそうになったが、グッと表情を引き締める。


「レア、嬉しいのは分かります。しかし、今彼は私たちのために戦っています。私たちもこれから加勢しましょう。ですから、その喜びはまだとっておきましょう。ここを脱出したら、レアと、ボルクスさんと、私の三人でいっぱい、色んなことをたくさん話しましょう」


 リズの真剣な言葉にレアも気と表情を引き締める。レアは組んでいた肩を離すともう一度、パシンと自分の頬を両手で強く叩いた。


「そうだね、ごめんリズ。まずは二人……いや三人で無事になってからだよね」


 リズとレアが、ボルクスの闘っている方を向いて、二人で並ぶ。


「それでリズ、どっちから倒すの?」

「ボルクスさんが今闘っている相手二人は右の、白いローブのガスパーという騎士が操っています。そっちからにしましょう」

「オーケー、じゃあ久し振りに共闘と行きますか!」


 二人が合図もなしに一斉に走り出した。向かう先はボルクスが闘っている場所。膠着していた闘いの時局が二人の躍動と共に、大きく動き出そうとしていた。

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