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Myth&Dark  作者: 志亜
悪魔転生編
16/54

第15話 処刑執行

「では、罪状を述べる。冒険者に扮していたこの魔女レアはあろうことか、古代の遺跡から発見された文献を大昔に存在した神の血を引く英雄の物語だと偽り、あまつさえ本として出版しようと、多くの人々にその偽りを信じ込ませようとした。到底許されることではない。太古の神も、その血を引く英雄なども、存在などしない。それら全てはまごうことなく神に弓引く悪魔、悪霊の類である。この世に神とはただ一人だ。我々の信奉する聖十字教の全知全能の神のみで、かの御方こそが唯一絶対にして永遠不変たる正しさを持ち、神と称される正当性を有している。この世界に我らが主以外の神など存在しない。この女はその正当性を、薄汚れた悪魔の伝説なんぞで汚し、信仰を地に落とそうとした。故に今日、処刑する。神の雷によって忌まわしい偽りの文献を残すこの廃墟ごと、塵一つ残さず消し飛ばし、せめてその身を清めよう」


 長々と喋っていた白いローブ姿の男が、乾いた唇をなめ、金色に光を反射する色眼鏡越しに、目の前の磔にされた少女を見る。その目には何の感情もこもっていない。目の前のいるのが、魔女ならば、可哀そうだとかいう憐憫の類の感情は一欠けらもわいてこない。神の背いた者の相応の末路だとさえ思った。


 少女の長い金髪は長期間手入れがされておらず、ボサボサである。肌の色も不健康に見えるほどに血色が失せている、手首と足首を丸い錠で拘束され、鎖が×字状の磔刑台の四隅に伸びている。目隠しをされ、口の中に布を詰め込んでその上からさらに顔の下半分を布で巻かれている。


 目も見えず、喋ることすら許されない娘に白いローブの男の述べた罪状が、無慈悲に、死神の足音のようにただ、耳から入ってくる。


 ローブの男はフン、と鼻を鳴らして脇に歩き、磔刑台の前からどく。歩いた先には黄金の甲冑を着た騎士がいる。頭全てを覆う兜を装着しており、その表情はその場にいる誰にも分からない。


 処刑場に選ばれたのはリズとレアがボルクスの文献を発見した遺跡だった。元々は神殿の形を成していた遺跡は今はもう白骨化した死体のように朽ち果てている。


 ボロボロになった石の床の四方に、支えるべき天井と屋根を失った柱が立ち並んでいる。その並びこそ規則的ではあるが、長さはバラバラである。


 この遺跡はリズとレアが初めて発見した前人未踏のものではなく、危険な地域にあるわけでもないし、立ち入り禁止でもない。


 聖都から少し離れた草原にポツンと位置する太古の建造物は、多少腕の立つ冒険者なら誰でも訪れることのできる場所であった。


 故に学者なども何人かがこの遺跡を護衛を伴って訪ね、あらかた研究や考証などをしつくし、取り立てて学術的な価値はないと結論付けた。この遺跡はたまに物好きの冒険者が来るような無人の石造の残骸に戻った。


 はずだった。レアが何かの拍子に石の床を踏み抜け、隠し部屋と思わしき地下室を見つけるまでは。


 レアが逮捕されて以降、この遺跡は天導騎士団に封鎖され、立ち入り禁止となった。それまで、大して深く調べる価値のない神殿の遺跡は、一夜にして、悪魔の砦として扱われるようになった。


 この悪魔の砦を魔女ごと吹き飛ばすというのが、天導騎士団がこれからなそうとしている処刑だった。


 処刑場となった遺跡は広い。中央に少女、レアを縛る磔刑台と、その近くに白いローブの男と黄金の甲冑姿の騎士がいる。その後ろには下級から中級までの騎士たちが五十人くらいずらっと、規則正しく並んでいた。


 それでもなお、神殿の空間には余裕がある。ボルクスとベルガと闘った闘技場までとはいかないが、闘技場の舞台と同じくらい広かった。形こそ円形と長方形で違いがあるが。石の床は所々欠けているが、闘うのにはこれといった不自由はない。


「なあ、どう思うよ」


 騎士たちが居並ぶ最後尾の列の端っこの方で一人の騎士が、納得いかないような、不満げな声を漏らす。処刑に関しては大きい声で言えないが、否定的な意見を持ってはいそうだと、声を掛けられた隣の騎士は思った。


「どうって?」


 隣の騎士はやや面倒くさそうに聞き返した。他の騎士は会話については何も言おうとはしなかった。


 距離的には黄金の甲冑姿の騎士や白いローブの男に聞こえそうもないが、もしこのやり取りが聞こえたらたまったものではない。任務中に私語はやめろと会話を一方的に打ち切ることはできたが、それでも子の処刑に思うところがあった。


「あの女の子が魔女に見えるか? 元々は冒険者だったんだろ? 俺は新入りだからよく分からない」


 二人して背伸びしたりして、頭を動かし、磔刑台の方を見る。その後に再び顔を合わせると、話しかけられた方は息をつき、愚痴を吐くような口調で話す。


「俺の知っている魔女とはずいぶん違う。本来の魔女ってのは、真実はどうあれ、本を出版して神の権威を貶めるなんて回りくどいやり方はしない。同じ目的だとしてもやるなら、高位の聖職者を殺害するとか、聖十字教由来の建造物をぶっ壊すとか、もっと分かりやすくて、直接的な方法をとる。あの娘の罪状も魔女が得意とする黒魔術を使ったようには聞こえん」


 居並ぶ騎士は全員きっちりと気を付けの姿勢を取っているわけではない。ある程度は楽な態勢で立っている者もいるが、この場で一番地位の高そうな黄金の甲冑姿の騎士はそれを咎める様子はない。 


 質問をした方の騎士が手足を軽くぶらぶらさせ、手首と足首をほぐす動作をする。


「大昔に存在したかもしれない、信仰も廃れた神話を客観的に記述した本を出版しようとしたくらいで処刑ってのはやりすぎだと思うか?」

「確かにやりすぎだね。精々、出版停止と厳重注意くらいが関の山だろう。大体あんな小娘一人に貴重な最高戦力を使うのもおかしな話だぜ。聖十字教の上層部の意向は俺たち下っ端には理解できん」

「あんなに若えのに、本当に聖十字教の神を貶めようとしかのかどうか分からねえのに、その上層部の意向とやらで処刑だなんてな」


 体を軽く左右に揺らしたり、踵を地面につけて足首をぐりぐりしたりして、再び魔女と呼ばれた方を見る。今度は背伸びをしたりはせずに、背中越しに視線をやる。


「俺も可哀そうだとは思うが、あまり下手なことを言うなよ。上層部の意向も、この処刑も建前上は全て、神の子の名の下に行われる」

「神の子ねえ、本当にいたのか?」

「今重要なのは神の子も、神もは本当にこの処刑を望んでおられるかどうかだ。その意志の有無も、神と神の子の実在も、確かめる方法は存在しない」

「確かに、社会的弱者のために死んでいった神の子が今のこの状況を見ればどう思うか、この場に召喚して問いただしてみたいもんだね」

 

 ハンと苦々しく息を吐く隣の騎士を凝視する。質問された方がさっきから落ち着きのない動きをする隣の騎士の耳元に顔を寄せ、口元にも手を寄せて、二人だけで聞こえるように小声で囁く。落ち着きのない騎士も一旦動きを止める。


「……俺はときどき思うのさ。今の聖十字教ってのは神の子の名前をダシに、神の子に全部の責任を押し付けて、聖十字教にとって目障りで、気に入らねえ存在を殺すことを正当化してるだけなんじゃねえかって」


 まるで懺悔をするような口調だった。話し終わるとその騎士は内緒の話をする姿勢から、元の姿勢にゆっくりと戻り、再び前をを見た。


「だから、俺たちにできることは精々、祈ることくらいだ。……一緒に祈ろう。せめてあの娘が次に生まれてくる時は聖十字教に一切関わることのない、健やかで平穏な生が送れることをな」


 その言葉に大して返事をすることもなく、最初に話しかけた方の騎士は再び、手首と足首をぐりぐりし始めた。甲冑のせいで、一挙手一投足がガチャガチャと音がする。


 流石に長くその動作を繰り返したいたので、聖十字教に疑いを示した方の騎士は怪訝に思った。気になったのか、近くの何人かの騎士がチラチラ見てくる。


「ところでさっきから、なんだそれは? 緊張しているのか?」

「ああこれか? これはな……」


 わざとらしく言葉を途切れさせ、大きく息を吸い、大きく吐く。日常会話の延長線のような、何の不穏さもないような、なんともないような声音でポツリと次の言葉を落とした。  







「準備運動」


 瞬間、さっきまで会話を交わし、その言葉を聞いた騎士の目の前に火花が散り、視界に黒い幕が下りる。それ以降、その騎士は処刑場で目覚めることはなかった。









 殴ったのだ。準備運動と答えた騎士が、何をしているのかと聞いた方を。さっきまでこの処刑についてお互いに思うところがあるような会話を続けていた二人だが、一瞬にして片方が気絶して地に伏せた。


 そのまま周りにいる騎士を次々と一撃で昏倒させていく。何人かは事態の急変に気付く前に、不意打ちに近い形で倒すことができた。


 しかし、やがて暴力の気配が騎士の列に波及していくと、明確な敵意を持って腰の剣を抜き、降りかかってくる者が現れた。そんな騎士ですら、次々となぎ倒していく。


 乱心したような騎士は今のところ一人だけだ。数の利を活かして四、五人くらいで囲い込むように、一斉に剣を振るおうとするが、囲まれた騎士の拳の方が遥かに速い。その場から一歩も動かず、周りを囲む騎士をほぼ同時に昏倒させる。


 その内、騎士の列の後方の部分に剣を振るう気合の掛け声や、暴れている騎士の正気を問いただすような怒声が織りなす、喧騒が生まれ始めた。


 黄金の騎士はそれに気づくと一瞬で磔刑台に近寄り、手を伸ばせば少女に触れられる距離までの位置につく。


「ガスパー。警戒しろ」


 短くはっきりと、隣にいた最小限の指示を白いローブ姿の男に言い放つ。その男、ガスパーは返事こそしなかったものの前に出て、指示通りに警戒を強める。


 合掌して何らかの呪文を唱えた後、目をつむり、視覚以外の手段で周りの気配を探った。しばらくすると、ガスパーは目を開けて、黄金の騎士の方を振り向き、頷く。


 黄金の騎士も頷き返すと、二人とも騒ぎが起こっている騎士の列の方を見た。並ぶ騎士たちの背中に隠され、目に見えない列の後ろの方から何人かの騎士が紙切れのように吹っ飛んでいる。


「天導騎士団の中にモードレッド様に逆らう愚か者がいるとは思えませんねえ。やはりどこぞの魔女の手先が、お仲間を助けるために紛れ込んだのでしょうかな?」

「そうだとしても今は魔女を守るのが最優先だ。素性の不明な第三者にこの娘の身柄を引き渡すわけにはいかん。引き続き警戒を怠るな。俺は向こうの様子を見てくる」

「お気を付けて」


 ガスパーが軽く会釈する。暴れている男が五十人ほどいた騎士を半分くらいにまで減らした頃、攻撃を仕掛ける騎士がいなくなった。


 周りを見れば、素手で何人もの騎士を殴りつけ、気絶させる男の異常な力強さに、騎士たちは攻めあぐねている。扇状に男を取り囲み、剣先と殺気だけを向けている。中には何人か剣を持つ手が震えていた。


 最初に話しかけた騎士と、長く話すつもりはなかったが今の聖十字教について随分と建設的かつ有意義な話し合いができた思う。


 故に敵ではあるが、自分を取り囲みながらも震える騎士にボルクスは僅かながら、同情や憐憫のような感情を持ち始めた。


 横並びになった列の中央から、黄金の騎士、モードレッドが部下の騎士をかき分けて出てくる。何人かのモードレッドの方を見て、騎士の震えていた手が止まる。


 暴れていた男は左右を見回し、自分を囲む騎士団の出方を伺った。お互いに膠着状態にあり、モードレッドも様子見でまだかかってくることがないことを確認すると、おもむろに、足の幅を肩幅以上に広げ、膝を曲げて腰を落とし、両手の拳を握りしめ、力を溜める動作をした。


 今から何が起こるのか、モードレッドを除く周りの騎士が動揺し、互いに顔を見合わせた後、再び力を溜めている男を見る。周囲の空間が歪んで見えるほどの闘気に満ちている。


「フンッッ!!」

「「「「「!?!?!?」」」」」


 男の気合いの声と共に甲冑が四方八方に弾け飛んだ。目を向く騎士たちの元に男が着けていた甲冑の前面部のパーツが凄まじい速度で飛来してくる。


 列の端っこの方の騎士には固い甲冑の装甲の欠片が命中し、呻き声を上げて甲冑の欠片と同じ方向に吹っ飛ぶ。まるで大砲のような威力があった。


 モードレッドの方に飛んできたいくつかの欠片は一瞬にして全てが弾き飛ばされる。


 その手にはどこから取り出したのか武器が握られている。一見すると槍のように見えるがその全長は剣に近く、穂先の刃の両側には斧のように刃があり、黄金の鎧と同じように黄金の光を放つ。


 武器を出したが、やはりまだ様子見をする。仁王立ちのままゆっくりと、武器を地面に垂直に立てて、柄頭に両手を置く。石床は脆く、武器を立てた時にガシュっという音が鳴り、欠けてしまう。


 甲冑の下から現れた男はこの場にいる誰もが見たことのない、奇抜な装いをしていた。


 黒に近い灰色と真っ黒な色を基調とした衣で、全身をつま先から手の指先まで覆い、頭は赤黒い頭巾を被り、顔には鼻からあごまでを覆うマスクに似た仮面、面頬を着けていた。顔の下半分にぴったりと張り付いている。騎士たちから見えるのは目の部分だけだが、鋭い眼光が覗いている。


 男はゆっくりと構えた。半身になり、右手を前に下げて腰の当たりに、左手を胸の辺りに持ってきて、足裏が完全に地面から離れない程度に軽くステップを踏む。


 かつての闘技大会の決勝で黄金級の冒険者、ベルガを素手で打ち倒した者の構えと同じ、拳闘の構えだった。幸いそれに気付く者はこの場にいなかった。その視線は周りの騎士を一瞥することもなく、モードレッドただ一人に注がれている。



 ガスパーがあちこちに倒れている。吹っ飛ばされた騎士を見回し、ボルクスを囲む騎士の背中越しに声を張り上げる。


「我々と同じ甲冑を着てはいたしたが、我々の仲間にあのような、素手で騎士を何十人も倒すような者はいません。恐らくどこかで中身がすり替わっていたのでしょう。だから遠慮なく倒しましょう。魔女のお仲間が死んで困るのは魔女くらいのものです。その魔女もこの後、どうせ死にます」


 ガスパーがカツカツと石床を靴底で音を鳴らしながら、ボルクスを取り囲む列に歩み寄ってくる。



「また、あの者は洗脳でも催眠でも幻覚でも、身体の強制操作でもなく、自らの意思を持って我々と対峙しています。こちらを睨みつけているあの目を見ればわかるでしょう。奇妙な構えですが、明確な敵意のこもった目ですよ。あれは」


 まるで珍獣を解説するかのような口調で話しながら、騎士の後ろを、列に沿って横に歩く。


「ですが恐れることはありません。あなた方にはこの私と、モードレッド様と、何より天におられる神がついているのです。神の名のもとに存分に剣を振るい、その肉を切り刻みなさい」


 ガスパーが列の後ろを歩き回る。飄々とした態度ではあるが、騎士の背中越しにもボルクスから一切目を離さない。


「本来ならば捕縛して色々と情報を聞き出したりしたいのですが、今見た通り彼はとても強そうですね。皆さん、殺す気で行きなさい。彼は自分の身一つであそこまで闘えるのですから恐ろしく頑丈でしょう。あなた方下っ端が殺す気で、何人でかかろうとも、ひょっとしたら生きてるかも。ですので何の躊躇も要りません。数の利を存分に活かして囲い込んで追い詰め、袋叩きにしましょう。神に逆らう愚か者に、惨死という相応しい末路を与えてあげましょう。……それが我々の正義です」


 長々と演説するように喋り、ようやっと立ち止まる。身体ごとボルクスの方に向き直り、フンと鼻で笑う。


 モードレッドが音もなく手を上げた。ボルクスはその手に視線をやったが、騎士たちは相変わらずボルクスの方を向いたままである。場の緊張感が一気に張り詰め、ボルクスが息を呑んだ。


「行け」


 短く、低く、力強く、モードレッドが言葉を発した。その号令を言うが早いか、周りにいた騎士たちが気合いの声と共に、雪崩れのようにボルクスに襲い掛かる。


 そんなつもりはなかったが、最初に隣いた騎士とは意外と長く話し込んでしまった。当事者の声を聞けたし向こうもこちらの言い分を否定することはなく、有意義かつ建設的な対話ができた。


 こいつらにも同じことができるだろうか。そんな疑問を浮かべつつ、ボルクスは襲い掛かる騎士をちぎっては投げちぎっては投げ、ジリジリとモードレッドの方へと向かって行く。


 雑魚。雑魚。雑魚。今襲い掛かかってくる騎士を容赦なく心の中でそう形容する。数分前の出来事について考える余裕すらある。


 やはり天導騎士団の階級については、最上級騎士とそれ以外という分類でいい。気をつけるべき騎士も最上級騎士だけでいい。階級によって甲冑に多少の違いが見られたような気がしたが、実力的には目くそ鼻くそである。


 もはやこの場は戦場だというのにあまりにも敵に張り合いが無さすぎて、途中からモードレッドの方を見続けながら、敵を捌くようになった。


 いつまで高みの見物を決め込むつもりだろうか。悪魔使いの方にも大して動きはない。子供に蹴飛ばされた石ころのように、吹っ飛ばされていく騎士をがらくたを見るような冷ややかな目で見ている。


 身体も十分に温まってきた。いつまでもウォーミングアップばかりはしていられない。悪魔使いとモードレッドを倒すことが最終目的である。


 ボルクスは回し蹴りをして近くの騎士を数人なぎ倒し、自分と、自分を取り囲む騎士の間に強引に空間を作る。


 回し蹴りでなぎ倒された騎士の身体を飛び越えて、次の騎士たちの攻撃が一斉に襲いかかるにはまだ数秒かかる。その隙にボルクスは力を溜める。


 足の幅を大きく開いて、腰を落とし、腕を胸の前で交差させる。グッと両手の拳に力を込め、闘気を集中させる。騎士たちの剣がボルクスの眼前に迫る。


「ずあっ!!!!!」


 ボルクスが掛け声と共に、両膝を伸ばし、両腕も目一杯広げる。周りにいた騎士は全て、高い所から地面に落としたガラスのコップが砕け散るように、吹き飛ばされた。


「ほーう……」


 ガスパーが顎を撫でながらニヤニヤとボルクスを品定めするような視線で全身を舐め回す。モードレッドは微動だにしない。


「ガスパー」


 短く、漏らすように名前を呼ぶモードレッドに、ガスパーは返事をすることなく、膝をついて両手を組み、聖十字教における祈りのような所作をする。動作は流麗でまるで多くの信徒に祈りの手本とされるような聖人のようだ。


「……神よ、このガスパーが願い奉らん。天災にも等しき力を振るう大天士が、これよりあなたのためにその力を使います」


 よくわからないが、あれはなんらかの儀式だ。莫大とまずい予感がして、詠唱を中断させようと、ガスパーに飛びかかる。



 派手な金属音が辺りに響き渡る。モードレッドがボルクスとガスパーの間に入り、ボルクスの拳を武器で受け止めている。ガスパーはそれに驚くこともなく、詠唱を続ける。


 ボルクスの拳が武器に押し返される。後ろに飛び退いたが、モードレッドは距離を詰めてきた。その手に持つ武器が雷光を纏いながら、ボルクスに向かって振るわれる。


 ベルガと闘った時のように両腕に闘気を集中させて弾いてもよかったが、武器と雷光がボルクスの身に近づいてくる瞬間、本能に訴えかけるような嫌な予感がした。


 この攻撃を素手で防御してはならない。根拠はないが戦闘における勘がそう訴えかけてくる。


 故に防御ではなく回避という手段をとった。数回かわした後、地面と水平に武器が振るわれる。


 上体をブリッジのように反らし、これもかわす。と見せかけて、バク転の要領で下から蹴り上げを放つ。ベルガとの闘いの時に見せた、器用な足技である。


 武器を手放させるために腕に蹴りを命中させる。腕自体は弾かれたが、モードレッドは武器を手放さなかった。ボルクスはそのまま逆立ちの状態になり、身体をコマのように回転させて、蹴りを放つ。


 受け止められた。闘気を纏った蹴りを、同じく闘気を纏わせた足を曲げ、膝のあたりで受け止めらている。


 心の中でモードレッドが足技に対応できたことに驚きつつも、逆立ちの姿勢から起き上がりながら、踵を落とし、さらに回し蹴りを二発叩き込む。


 攻撃は全て防御された。最後の蹴りでモードレッドは防御の姿勢のまま、衝撃で後ろにズザザザと滑っていく。この一連の攻防は時間としては数秒ほどである。


「どうか、あなたより授かった強大な力の余波が、周りの景色を、あなたが作りたもうた世界を壊さぬように、我ら二人と、我らに相対する敵二人を新たな戦場に招きたまへ」


 ガスパーが何らかの詠唱を恭しく読み上げ、完了させると同時に、目の前の景色が全てブレたように見えた。次の瞬間には、空の色が灰色に変わっている。


 灰色といっても雲に覆われているような天気ではなく、空の色自体が灰色のような奇怪な空模様だ。


 周りを見渡すと、さっきまで倒れていた騎士が一人もいない。ここにいるのはボルクスとその前にいるモードレッド、その後ろには詠唱を終えて立ち上がり、得意気な顔をしているガスパー。


 そのさらに後ろにはレアとリズが居た。ボルクスがそれを見て、眉間に皺を刻み、奥歯でギリギリと音を鳴らす。


 リズはバンダナと顔の下半分を覆うマスクで目元だけ露出させている。だが目元だけでも、ボルクスのいる位置からもはっきりとわかるとように、狼狽えている。


 レアは磔刑台からは解放されたようだが、リズに肩を支えられ、死体のようにぐったりとしている。四肢に繋がれた手錠から伸びる鎖は途中で千切れている。


 鎖の破壊に思ったより手こずったようだ。作戦は失敗だ。処刑に立ち会う騎士に紛れ込み、その場にいる全ての騎士を倒し、強敵であるモードレッドと悪魔使いの注意を引いている隙に、リズかレアを解放。


 転移魔法の魔法陣が刻まれたスクロールで一気にベルガの船に逃亡。ボルクスも二人を相手を撒いて逃亡し、予定の島でリズとレアを連れたベルガと落ち合うつもりだった。


 この場に騎士のふりをして潜入できたのも、全ては処刑の正確な日程、場所、時間、規模を危険を犯して手に入れたリズの情報収集能力があったからこそである。それが今、無駄になってしまったような気がして、自らの無力感を心の底から呪った。


 モードレッドもガスパーも一撃の元に倒せていれば。ボルクスはその口惜しさを振り払うように天を仰ぎ、眼前の敵二人を見据えた。


「残念でしたねえ。その反応を見れば目論見は失敗ということでしょうか」


 ガスパーが不敵に笑い、ボルクスと、リズとレアがいる方を交互に見る。


「種明かしをしてあげましょう。そこ侵入者のお嬢さんの存在は初めっから分かってましたよ。だから一緒にご招待しました。この空間はね、小さい国なら一人でも、余裕で滅ぼせるような四大天士がその力を遺憾なく発揮するための別空間なんです。他の最上位騎士様に目の前に敵がいれば躊躇なく、味方ごと焼き尽くすような困った方でいましてねえ。それに対応するためにこの亜空間魔法は作られました。ここでは何をどれだけ壊そうが、先ほど我々のいた場所には何の影響もございません。この空間ががあなた方の墓場です」


 リズが厳しい目でガスパーとモードレッドを見ている。と同時にレアの介抱も欠かさない。手錠自体を外そうとしたが、レアの手首と足首を傷つけてしまうと思って諦め、鎖を根本から力いっぱいに引っ張って、引きちぎっている。

 

「種明かしの続きですが、私の使役する悪魔は五感が非常に優れていましてねぇ、目に見えずとも匂いや音、気配なんかでもコソコソと近づく敵は容易に察知できるんですよ。悪魔使いである私は直接召喚せずともその力を自分のものとすることができます」


 ガスパーが喋りながらポルクスの方に近寄り、モードレッドと並び立つ。


「冥土の土産に直接召喚して見せてあげましょう。私の悪魔を」


 パンと両方の手のひらを胸の前に叩き合わせ、先ほどとは別人のような低い声で悪魔の名前を呼ぶ。


「『ヴァプラ』『アガリアレプト』」


 ガスパーの前方の地面に二つの魔法陣が現れる。地響きのような音と共に、魔法陣の中からゆっくりと聖十字が刻まれた棺桶が、縦に直立した状態で出てくる。


 ギギギと軋んだ音を立てて、棺桶の蓋が前に倒れて、外される。舞い散る埃の中で、棺桶から二体のひとがたあの悪魔が死にかけの病人のような足取りで出てくる。


 その人型の姿を確認した瞬間、ボルクスは眉間に更に深い皺を寄せ、噛み砕かんばかりに奥歯が音を立てた。


 あの悪魔には見覚えがある。なぜ漠然と、自分と同じような境遇の悪魔がいないと思ったのだろうか。ボルクスの中の怒りが爆発するかのように膨れ上がる。


 ヴァプラはアタランテ、見間違えるはずはない。全身が影のように黒く染まっているがその姿は生前の記憶と変わりない。膝まであるようなごついブーツを履き、体に密着した黒いインナーの上から腰と胸だけを布で覆うような軽装である。 

 

 インナーの上からでもはっきりわかる、ネコ科の動物の様にしなやかな筋肉が付いていて、小柄で、長い髪は後ろに縛り上げている。生前、アタランテには俊足を自慢されたことがある。忌々しくもリズから聞いていた、素早いという悪魔の情報と一致した。

 

 かつて同じ船に乗り、長い期間苦楽を共にした仲間が、聖十字教に属する悪魔使いの使役する悪魔として、敵として、レアを助けるための障害として、ボルクスの前に立ったのだ。その目には何の意思も見られない。操り人形のような虚な目をかつての仲間にむけている。


 もう一方の悪魔は生前見たことはなかったが、その容姿にアタランテと同じ、アルゴナウタイの仲間、ペレウスの面影を見出した。


 リズの情報と照らし合わせて考えると、導き出される人物は一人。ペレウスのガキ、アキレウス。背丈はボルクスより少し高く、防具を着てはいるが、騎士の甲冑より軽装で、頭も出しており、胸当てや、籠手や具足程度の装備に留めている。アタランテと同等かそれ以上の俊足を生かすためだろう。


 何の因果が太古の同じ神話の中でも近い時代に生まれ、活躍し、伝説を残した三人が、時を越えてこの場に相対した。


「かかれ」


 ガスパーの声と共に、生前の俊足を思わせるような速さで二人同時にボルクスと距離を詰める。ボルクスは上半身の構えはそのままに腰を深く落とした。


 生前の記憶からある程度向こうの手札や策は予想できるが、それでも強敵であることに変わりはない。


 くそったれめ……!!!!


 この忌々しく数奇な因果にボルクスは心の中で毒づくことしか出来なかった。


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