第12話 交渉
大会後の宴会で朝まで騒いだ後、ベルガは冒険者用の宿に戻って、倒れこむようにベッドに入り爆睡した。それから数時間後、アルコールの利尿作用によって尿意を覚え、目を覚ます。トイレで昨日飲んだ酒を大量に排出して戻ってくると、どこか部屋に違和感を覚えた。
部屋自体は自分が出ていった時と大して変わった様子はないが、忍ぶような人の気配がする。気配を探る前に窓の向こうからノックが聞こえた。
「ベルガさん、突然お邪魔して申し訳ありません。今少しお時間よろしいですか?」
「……誰だ?」
「リズと申します。大会ではボルクスさんの付き添いをしていました」
「ああ、あのお嬢ちゃんか。こんな朝っぱらから何の用だ?」
「もう昼ですよ。用というか個人的な依頼があります。諸々の込み入った事情がありまして、ギルドは通せません。その理由も含めて色々話したいことがあるのですが、中に入れてもらえませんか?」
声に敵意や悪意は見られなかった。寝込みを襲おうとする不穏な輩ではないと分かると、窓を開けてリズを招き入れる。「失礼します」と言って部屋の中に入る目の前の少女の姿と記憶の中にあるボルクスの隣にいた少女とを見比べる。記憶とは合致している。確かにこんな感じだった。
「とりあえず聞くから、まあ座ってくれや」
「ありがとうございます」
ベルガが部屋の隅にあった椅子を持ってきて、ベッドの横に置いた。リズが礼を言って座るとベルガがベッドにゆっくり腰掛けた。
「で、なんだ? 依頼ってのは? こんな方法でアタシに会いに来るなんざよっぽどのことだろ?」
「はい、どうしてもベルガさんだけに依頼したいことがあってこういう形になりました。依頼の内容を簡単に言いますと……私と私の友人を密航させてほしいのです」
静かな声で話していたリズの、密航という言葉に、ベルガの目が吊り上がる。この状況でこんな言葉が出てくる意味を知っている。法の目をくぐれということだろう。ベルガはリズを睨んだまま上半身だけを動かして前かがみになる。子細はこれから聞くとして、リズがただならぬ依頼を持ってきたことを察した。とりあえずは最後まで聞き、その上で結論を出す。
「続けろ」
短い言葉であったが十分な迫力があった。先ほどとは声色の違う、低く、威圧する様な声。リズは修羅場を幾つもくぐった、黄金級の冒険者から発せられた重い空気に飲まれそうになったが、それを表には出さなかった。こんな状況を想定していたからである。冷や汗をかきつつも、ベルガの視線からも目を一切逸らさない。
「私の友人であるレアは先日、魔女の裁定を受けました。二十二日後に処刑されます。しかし、私はレアに死んでほしくないので、処刑から救出して、二人で極東の島国に亡命するつもりです。魔女とみなされた人間はこの国では生きていけませんので、ベルガさんには私達を船に乗せて、聖十字教の手が届かない極東の島国まで運んでいただきたいのです」
「なぜアタシにその話を持ってきた?」
「私の探した限り、あなた以上にこの依頼を遂行できそうな人物が見当たりませんでした。黄金級の冒険者で、自らの船団を持っていて、何よりも天導騎士団もそう簡単に手が出しにくい……これは噂ですが、私達が亡命先に選んだ極東の島国、邪馬斗まで行ったこともあると聞きました。ですのでベルガさんに依頼しようと決めた次第です」
「で? アタシに犯罪者二人も船に乗せろってか?」
「もちろんタダでとは言いません。相応の額を用意いたしました」
「お前その金は……」
リズが転送魔法でボルクスが優勝賞金として受け取った一千万Gを手元に呼び寄せる。ベルガは一瞬目を丸くすると、再びリズを睨む。
「ボルクスさんも承知の上で、このお金を渡してくれました。しかし、ベルガさんが受け取るというのが嫌であれば、私の方から少しずつではありますがギルドの依頼をこなしながら、お支払いします。しかし、ベルガさんがお望みであれば私を奴隷のように扱ってもかまいません。船団に入れと言われれば入ります。力仕事や雑用でも、多少無茶な命令でも遂行いたします。私はレアを助けるためなら、どんなことでもすると心に決めたので」
「じゃあボルクスへの義理はどうすんだよ。アタシがお前をどう使っても自由だとしても、お前はボルクスに何がしてやれるんだ? まさか同じことボルクスにも言ってるわけか?」
「あの人は……何も見返りを求めませんでした。私も最初は……あの人に命を救ってもらった時から、全てを捧げるつもりでいたのに……師匠の教えだからといって、頑なにその話を断りました。しかし、私は自分にできる形でいつか絶対に、何としてでも恩を返そうと思ってます」
リズの目が力強い光を宿す。ベルガは数秒、視線を床に落として考えこむと、再び顔を上げてリズを睨む。
「本当かぁ? だとしたらお前、レアって娘は知らねえがボルクスとは親戚の伝手とか案内役とかそういうのどかな関係じゃねえだろ? 本当はどういう関係だ?」
「それは言えません」
「どうしてだ?」
ベルガの語気がリズの言葉に苛立ちを帯び始めた。ベッドの上で片足だけ胡坐をかき、頬杖をつく。
「本当の関係を包み隠さず話せばあなたにも危険が及ぶからです。ボルクスさんの詳細な素性は、知っているだけで天導騎士団に命を狙われるような情報だからです」
「なんだそりゃ!?」
「一つだけ本当のことを言いますと、元々ボルクスさんは私がレアを助けるために聖都に呼びました。私はレアを助けるために保釈金の支払いや弁護人を雇うなどして自分の財産を全て使い果たしましたが、全て無駄に終わりました。最後の手段としてレアを非合法の、暴力に頼った強引な手段で助けるためにボルクスさんを呼びました」
「……俄かには信じがてえが、もしそうだとするなら、ボルクスは心優しいを通り越して……まるで犬だな。あんなに強えのに、こんな小娘の言いなりなんてな」
犬、という言葉にリズの身が僅かに震え、ベルガを睨みつける。ベルガはその反応を楽しむように、さも愉快に嘲笑する様な口調で続ける。
「だってそうだろ? 闘技大会に出て、お互い全力を出し合って、ギリギリの闘いで一歩アタシを上回って、やっとの思いで優勝して得た大金をポンとくれた。そのうえ天導騎士団の行う処刑を邪魔するなんて密航なんかとは比べ物にならない遥かに危険な橋を渡らせようとしてる。挙句の果てになーんの見返りも要らねえときたもんだ。全くもっておありがてえ犬がいたもん……」
ベルガの話の後半からリズの眉間の皺が深くなり、身体もみるみるうちに怒りで震えだした。明らかにボルクスを馬鹿にされている。そう判断したリズの行動はベルガの予想よりも遥かに早かった。
リズの体の傍に魔法陣が浮かんだ後、一瞬で距離を詰め、ベルガに飛び掛かって、さらに殴りかかろうとする。ベルガは動きに反応してリズの腕を抑えることができたが、勢いは止まらずベッドに押し倒されるような形になった。今、ベルガが抑えてるリズの腕の先は握り拳があり、さらに拳自体が激しく燃えている。魔術だ。
「……取り消してください。ボルクスさんは犬じゃありません。あの人は、あの人の意志で私に力を貸してくれているんです。黄金級だろうが誰だろうが侮辱は許しませんよ。私がどれだけ悪く言われようとかまいませんが、私の恩人であるボルクスさんとレアに対する侮辱は許しません」
声量自体は大きくない。しかし明確に怒りのこもった、冷たく抑揚のない言葉が、無表情のリズの薄い唇から紡がれて、湿気のある雪のようにベルガの顔に降ってくる。瞳は夜の闇を思わせるような暗さを伴い、瞬きもせずに、ただベルガの動向を見張っている。さっきまでと別人のような豹変にベルガは静かに息を飲んだ。
リズの腕をつかむベルガの腕が、ギリギリと震えていた。華奢な女の体躯からは想像もできない膂力が今まさにベルガを襲っている。少しでも力を緩めれば間違いなく顔面に炎の拳を叩き込む気だ。まさかここまで怒るとは。ベルガは気まずそうに視線を逸らし、観念したように息をついて一言漏らす。
「……悪かったよ」
「へ?」
「悪かった。アタシだってボルクスを犬だなんてこれっぽっちも思ってねえさ。リズがボルクスに、本当に恩義を感じているのかを試した。とりあえず離すぞ」
リズがベルガのいきなり毒気を抜かれたような表情と言葉に、キョトンとした顔をして、力を抜く。思いもよらない謝罪の言葉。その真意を伝えるため、話し合うために、ベルガがリズを離す。リズも怒気と魔拳を引っ込めて、ベッドの前に立ちすくむ。
「……どういうことですか?」
未だに両手を握りしめたままのリズがベルガを見下ろし、低い声で言葉を落とす。ベルガが乱れた寝間着を整えつつ、炎熱のせいでかいた汗をぬぐう。
「言った通りだ。すまんなリズ。リズとボルクスの、噓偽りのない関係を今すぐ確かめる方法が咄嗟にこれし思いつかなかった。ボルクスはともかく、とりあえずリズを信用する理由が欲しかった。もしリズの言う通りにボルクスが何の見返りも求めなかったとしても、リズがそれをどう感じているのかを直に確かめたかったから、怒らせるようなことをわざと言った」
「……」
「もしボルクスに助けてもらうことに対してリズがなんの痛痒も感じていない人間だったら、すぐさまブチ切れて飛び掛かったりしねえだろうし、アタシもどんな条件を出されても断っただろうな」
「リズ、アタシに信仰心はねえ。今までの人生は人との出会い、縁を軸にして生きてきた。ゴミ溜めの中で生まれて、盗みと喧嘩に明け暮れていたどうしようもねえガキの頃に、ギルドマスターと出会って冒険者ギルドに入った。船団を持ったのもアタシが護衛した海商が航海の才能を見出してくれたからだ。だから、リズとボルクスの縁を確かめたかった。だがそのために騙したのも事実だ。すまん。思いっきり殴ってくれても構わねえ」
頭を下げるベルガを見て、リズも瞼を閉じ、大きく息を吐いてから、頭を下げた。
「私の方こそ、いかなりカっとなってしまい、申し訳ありませんでした。そういう意図があったのなら、殴ったりなんてしませんよ」
「いいっていいって謝んなくて、元々殴られるつもりだったし。まあでも、リズがアタシが勘ぐってたような悪い人間じゃなくて良かったよ」
ベルガが頭をかき、恥ずかしそうに白い歯を見せて笑う。リズも初めて完全に警戒心を解き、笑みを返した。
「ボルクスさんと出会ってからまだそんなに時間は経ってませんが、私はこの縁を、ボルクスさんと出会えたことをとても大事に思っています。だから、ボルクスさんから受けた恩はどんな形であれ絶対に返すと、それが私の人生の目標になりました。本人には到底言えないことですがね」
「だろうな。あいつにとっては人助けなんて呼吸みたいなもんで、ほんの些細な事っぽいもんな」
「私にとっては大事なんですがね」
リズの言葉にベルガが小さく笑う。ベルガもボルクスと出会ってからそれほど時間が経ったわけではないが、あの決勝戦とその後の宴会が大きく、なんとなくその人間性を掴みかけていた。
「で、依頼の話だが、受けよう」
「本当ですか!?」
「ああ、リズの言った通りアタシは仕事の都合上、邪馬斗にも何回か行ったことがあるし、密航も初めてじゃねえ。処刑の日になんとか邪馬斗に行けるよう日程も調整しておく」
「ありがとうございます」
「それと、やはり金は貰っておく。準備やら何やらに必要なんでな」
リズがベルガに札束を丁寧に渡し、ベルガが慣れた手付きでそれを数えながら話し続ける。
「あくまでも、アタシが手伝うのは天導騎士団にバレないように密航させるだけだ。だから、リズもどうやって友達を助けるのかは知らねえが、アタシらのところにバレずに来い。間違っても騎士団と闘えなんてアタシに言うんじゃねえぞ。こっから邪馬斗まで大体二か月かかるが船旅に文句も言うなよ」
「はい、ご厚意感謝いたします。計画は情報が揃い次第、追って伝えます。ベルガさんの手を煩わせることは極力ないよう善処しますので、どうかこの度はよろしくお願い申し上げます」
リズが深々と頭を下げる。逃走経路はなんとか確保した。後はボルクスという戦力が天導騎士団を蹴散らしてレアを助けてくれるのを待つだけだ。とリズは緩みかけた気を、すぐに引き締めなおした。レアをまだ助けていないのだ。安心するのはまだ早い。今は段階目標を達成したに過ぎない。安心できるのはレアと一緒に天導騎士団の手が届かない邪馬斗へと逃げきってからだ。
「あんまデカい声じゃ言えねえがよ」
そう言いながらベルガが立ち上がり、ゆっくりとリズの方へと歩み寄り、肩に手を置いた。
「頑張れよ」
「はい……!」
「――ということがありました」
「はぇー」
ボルクスは阿保のように口を開けていた。リズは流石にボルクスに聞かれると恥ずかしいところはぼかしたが、肝心な部分は伝わったと思っている。
リズが黄金級の冒険者に直談判に行ったのは意外だった。ベルガが協力してくれるというのも、名も知らない冒険者か犯罪組織に比べてはるかに心強い。
「だからボルクスさんは、トレーニングに目一杯集中してください。私にできることがあれば何でも手伝いますので」
「ありがとう。ベルガを楽勝で倒せるくらい強くなってやらあ」
ボルクスは不敵に笑って今日も日課のトレーニングに出かけた。
 




