第11話 激闘を終えて
ほとんど黒くなりかけた視界が不意に開けた。視界のブレも治まり、遠ざかっていた観客の喧騒も聞こえてきた。ふと、身体に何かが当たっていると感じた。見れば、リズが駆け寄り、身体を支えてくれている。そして、治癒魔術までかけてくれていた。リズがここにいるということは決勝戦はどうなってしまったのか。
呼吸を整えながら、前方のベルガを見る。倒れたままだったが周りに何人か大会運営の治癒術師がいて、ボルクスよりも多くの治癒魔術をかけている。
「どうなった? 試合は? 気を失いかけてたから、いまいち結果がよくわからない」
絞り出すような声で聞くボルクスに、リズが治癒魔術をかけながら感慨深い声を出す。
「勝ちましたよ。ベルガさんを殴り飛ばした後、十秒のダウンをとりました」
「そうか……回復ありがとう、リズ」と結果が分かって安心したボルクスが呟きつつ、倒れこむように地べたに足を延ばして座る。リズもそれに伴って膝立ちになり、治癒魔術をかけ続ける。
リズの治癒魔術のおかげで、傷が治り、大分楽になったが、消耗した体力は戻らない。ゆっくりと身体を休めて、自然回復を待つ他ない。
空を見上げてボーっとしつつ、決勝の闘いを振り返る。ベルガはかなり強かった。召喚されてから闘った中ではダントツで最強である。闘いが終わってしまうと、あの時ああしておけば良かったみたいな考えが次々と浮かび上がってきた。これが黄金級の実力だとしたら冒険者ギルドの他の黄金級冒険者やギルドマスターとやらも大分強いのでないか。ベルガより強いやつがいるとすれば、今度こそ負けてしまうのではないか。特にギルドマスターとか。
「ボルクスさん」
思考がリズの声に遮られる。肩越しにリズの顔を見ると、珍しく嬉しそうな顔をしている。作り笑いではない、笑顔らしい笑顔は初めてみたような気がする。
「優勝おめでとうございます」
そうだった。ボルクスの我儘で大会に参加したとはいえ、優勝を祝福してくれているのだ。心の底から。
「ありがとう、リズ。色々と」
「色々とは?」
「レアを助けなきゃ駄目だってのに、参加も許してくれたし……俺だけ楽しんだみたいになっちゃった」
「ボルクスさんが楽しかったのなら……良かったです。私もそこまであなたを縛りたいわけじゃありませんから。だからせめて……レアを助けるその日までは、心穏やかな日常を過ごしてください。私の一方的な都合であなたをこの世界に呼んだので、あなたを道具扱いしたりなんてしません。私の方こそ、あなたを召喚できた縁に感謝してるくらいです」
「そっか……あ、そういえば賞金の一千万Gなんだけど、預かってくんない?」
「いいですけど、どうしてですか?」
「あんな大金持つの超怖いし。前にも言ったけどまだ相場とか金銭感覚わからんし。もちろん、レアを助けるために全部使ってもらってもいいんだけどさぁ……」
ボルクスがポリポリと頬をかき、恥ずかしそうに笑う。
「アルゴナウタイに居た頃も金銭面の管理とかは全部、兄者かイアソン船長にやってもらってたんだ。金の計算が出来ないとかじゃなくてどうにも俺は金の管理っていうのは苦手なんだ。これ言うの恥ずかしいんだけどお小遣い貰ってたんだぜ俺」
「お小遣いですか……フフ」
「あんま笑わんでくれ」
「ボルクスさんのような超人でも、苦手なことあるんですね」
「そうそう、英雄なんて言われてたけど実態はそんなもんだよ。戦場にいなけりゃ俺は精々、金の管理が杜撰な力持ちくらいだ」
「では優勝賞金の管理はお任せを」
「は~いリズ船長」
そんなやり取りをした後、二人は笑い合った。目の前にいる神話の英雄が、遠いと思っていた背中が、ついさっきまでギリギリの闘いを繰り広げていた闘士が、急に人間味と可愛げを帯びたように感じた。それがリズにとってなんとなく可笑しかったのだ。英雄とて一人の人間なのだ。
優勝したことも、リズからの祝福も嬉しかった。身体に残る疲労感も、絶え間なく聞こえる観客からの賞賛の声も心地良い。競技として、思想や陰謀などが入り込まず、純粋な力比べの末に勝利を収めるのは気分がいい。もう少し余韻に浸っていたかったが、ボルクスの顔に影がかかる。見上げるとベルガが腕を組んで仁王立ちして、見下ろしてくる。リズの治癒魔術はいつの間にか終わっていた。
ベルガはこちらを真っ直ぐ睨んでいる。まだ回復が完全でないのか後ろの方で治癒魔術師がオロオロしつつ、顔を見合わたり、こちらの様子を伺っている。
ボルクスも表情を消し、数秒睨み合っていたが、突然、ベルガが声を出して笑い出した。周りの治癒魔術師が目を丸くする。ボルクスもつられて笑い出したのでリズも目を丸くした。ベルガが手を差し伸べたので掴んで立ち上がる。
「人間相手にここまで力を出しきって闘ったのは本当に久しぶりだ。良い闘いだった。ボルクスならすぐにでも黄金級になれる。このアタシが保証する。それにしても素手であそこまで強いとはな~。特に最後のパンチは痺れたぜ。黄金級といっても、こんな新入りがいたんじゃ、アタシもうかうかしてられれん」
どうやら、ボルクスを立ち上がらせるだけでなく、そのまま握手に移行したらしい。ベルガがボルクスの手をブンブンと上下に揺らし、肩をバシバシと叩いて来る。どっちの動作も素でやっているのだろうが力強いのでちょっと痛い。
「俺もこんなに熱くなれた闘いはすげえ久しぶりだ。それに後少しでもダメージを負っていたら倒れてたのは俺の方だよ。ベルガの大剣も凄かったからな、あの大きさであのスピードで攻撃できるんだもんな、めちゃくちゃビビった。今度扱い方を教えて欲しいくらいだ」
「ハッハッハ! チャンプから直々に褒められるとは嬉しいねえ! でもアタシは大剣なんとなくで使ってっからなぁ~。教えるとかいうのは苦手かもしれん。それにボルクスにはその卓越した闘気の技術と格闘術があるじゃないか、武器もなしにあそこまで闘えるのは羨ましいよ」
「いやでも、ベルガの闘気も中々のもんだったぜ、身体自体も中々タフだったけど、純粋に闘気自体も強いって思ったからな、質が違うってもんなのか?」
「その辺はアタシもよくわからんがまあ、海竜殺しの意地ってことで。そうだ、この後うちの船団のやつらと飲みに行かねえか? アタシの奢りだからな。歓迎するぜ?」
ベルガは背中越しに観客席の一角を親指で示した。見れば、ベルガの仲間と思わしき一団が、観客席にひとまとまりとなって、デカい旗やらタオルやらを振っていた。周りから少し浮いてるのですぐに分かった。
「すげーぞ兄ちゃん! お頭が気ぃ失うところなんか初めてみたぞ!」
「お頭の大剣と素手でやり合うなんて頭おかしいかと思ったが、まさか勝っちまうなんてよ!」
「手とか足で大剣とガンガン打ち合うなんて他の黄金級でも見たことねーぞ!」
ボルクスの視線を受けると、一団がさらに騒がしくなった。自分たちの頭目が負けたのにも関わらず、ボルクスの勝利を祝っていた。せめて、手を振ってこたえる。
「ま、見ての通り気のいい連中さ、あんたが宴会に参加することに誰も文句を言わねえだろうな、それどころかあんたの話を聞きたいとうずうずしてるだろうさ」
「そうか! ありがとう! 俺は大丈夫だがリズもいいか?」
「もちろん構わねえさ! そっちの嬢ちゃんは見かけによらず結構食うからな。アタシは自分がたくさん食うのは好きだが、他人が上手そうにたくさん食うのも好きだぞ」
ベルガがボルクスがリズの方を見る。返答に困っているようだった。この大会でリズがしたことといえば、ボルクスの付き添いぐらいのものなのだ。ベルガを派手に応援していた連中と違い、リズは心の中で応援していたに過ぎないのだ。参加しても場違いになったりはしないだろうか。そういう心配をしている。
「何か予定でもあった?」
「いえ……そういうわけでは……」
くぐもった声で遠慮がちに首を振るリズにボルクスは白い歯を見せて笑う。
「だったら参加してくれないか? 俺の日常はできるだけリズと一緒が良い」
「はい!」
「おし! 決まりだな!」
ベルガが相変わらず力強くボルクスとリズの背中を叩いた。リズは慣れてないのか、少し驚いていたが、これが素なのだと察すると小さく笑った。
そんなこんなで賞金を受け取って閉会式を済ませると、ベルガはさっさと仲間を引き連れて宴会が行われる店に行った。リズとボルクスはいったん家に帰って賞金を厳重に保管してから、店に向かった。リズとボルクスが到着した瞬間、本日の主役の登場だと言われたりして盛り上がった。
ベルガ自身の話や船団から見たベルガの話とか飲み比べとかをして多いに盛り上がった。飲み比べはベルガがボルクスよりダントツで強かった。リズもあまり喋ることはなかったが話は楽しそうに聞いていたし、甘いものを大量に食っていたので宴会に参加して良かったとボルクスもリズも思った。
大会から二日後、日課の早朝トレーニングのために、ボルクスは起きた。歯を磨きながら居間に行くと出かける支度をしたリズが先にいて。まだ眠そうに朝食を食べていた。
「おはようございます」
「おはよ、リズ。珍しいね、朝弱いのに」
「今回受けた依頼の集合時間が早朝ですからね……仕方ありませんよ……依頼は……ちゃんとしなきゃ……駄目なんです」
「頑張ってな」
デカい欠伸をするリズを尻目に、ボルクスは洗面台に戻ろうとしたが。その背中をリズに呼び止められる。
「あ、ボルクスさん。レア救出のことなんですがベルガさんが協力してくれることになりましたよ」
重大な内容に似合わずあっけらかんと告げられ、ボルクスは思わず噴き出した。
「いつ決まったのそれ?」
「昨日ですね、夜這いしました」
「夜這い!? ちょっと詳しく聞かせてくれ。まだ時間ある?」
「大丈夫ですよ」
リズの行動力はボルクスの想定を遥かに上回っていた。むせながら歯磨きを終えて、ボルクスもテーブルに座る。もう少し詳しく聞こうと思ったがどこから何を聞けば分からない。未だに困惑するボルクスを見て、リズは最初から話してくれた。
 




