婚約破棄されたお陰で、私は真実の愛を手に入れる
「レベッカ、お前との婚約を破棄したい。親同士の都合ではなく、『真実の愛』で結ばれるべき相手を私は見つけたんだ」
あの日、私は婚約者のトマス様から突然そのような事を言われました。
確かに私――レベッカ・ヒルベルトと名乗っていた頃の私が、トップ公爵のご子息であるトマス様と婚約したのは、親同士で言葉や書類を通して交わされた契約の結果によるものでした。
と言うより、立場の低いヒルベルト伯爵家に対して、私に一目惚れしたトマス様のパートナーとなるようトップ公爵家側が無理やり迫ったというのが真相だと小耳に挟んだ事があります。
それでも私は、生涯を共にする伴侶として日々奮闘し、トマス様との間に本物の『愛』を創ろうとしました。
ですが、それらの努力は全てそのトマス様自身によって呆気なく無に帰されてしまったのです。
「レベッカ、お前も『真実の愛』を見つけた方が良い。それはお互いにとって幸せな事だ。そうだろう?」
トマス様は耳当たりの良い言葉で誤魔化そうとしていましたが、私は既にその裏で起きていた真実をある程度把握していました。
とある公爵令嬢との間に、トマス様が密かに『真実の愛』とやらを育み続けていたのを。
そして、形だけながらも正式な婚約者であった私という存在が邪魔になっていたのを。
この事態を知ったお父様やお母様は涙ながらに私へと謝罪し、トマス様の失礼極まりない行為に対して激怒してくれました。
使用人の皆様も同様に、お嬢様は決して悪くない、全ての責任はトマス様にある、と揃って私の味方になってくれました。
ですが、トップ公爵家は古くから続く由緒正しい家柄であり、我が国の中でも高い発言力を持つ存在。
しかも様々な事業を興しており、その経済規模は私たち伯爵家を呆気なく潰せる程でした。
結局私たちに出来たのは、相手からの婚約破棄を了承し、それまでの関係を全て白紙に戻す事しか無かったのです。
「本当にすまなかった、レベッカ。我々にもっと力があれば……」
「レベッカ、落ち込まないで。きっといつか、本当に貴方を想ってくれる相手と出会えるはずよ。私はそう信じている」
お父様やお母様を始め、多くの方々から贈られた慰めや励ましの言葉は、傷ついた私にとって心の救いでした。
そして、それから少しの時が経った、ある日の事でした。
「お久しぶりです、ゴータ伯爵」
「そんなに固くならなくても大丈夫だよ、ヒルベルト伯爵。君たちと我々の仲じゃないか」
私たちの屋敷を久しぶりに訪ねたのは、ヒルベルト伯爵家と以前から良好な関係を築いているゴータ伯爵家の方々でした。
私に対しておどけた表情を見せ、心を和ませてくれる愉快なおじ様である伯爵様たちもまた、今回の婚約破棄について心を痛め、私たちの味方をしてくれました。
相手がトップ公爵家でなければ、今頃きっと私たちを助けるために動けたのに、と、怒りや悔しさを込めた本音を述べてくれた時でした。
「……ところで、話は変わるが、レベッカ君?」
「は、はい……!」
「実は君に、是非とも会いたいという者がいてねぇ」
「私に……ですか?」
良い機会なので連れてきたが、構わないか――その問いに私が了承の頷きをすると、客間の扉がゆっくりと開きました。
そして、一礼をしながら部屋に入ってきたのは、1人の長身の青年でした。
毛並みの良い金色の髪を緩く束ね、高価な品物である眼鏡を掛けこなす姿は、まさに『美』や『知性』といった概念が形と成したようなもの。
そして、彼の優しげな表情を見た瞬間、私の心の中に不思議で暖かく、でもどこか懐かしいような感情が湧き上がりました。
ですが、その想いの正体を探るよりも、何故私の両親がこの眼鏡の美青年に対して驚きの表情を見せているのか、そちらの方が気になってしまいました。
一体どうしたのか、彼の正体を知っているのか、と何も知らない私が尋ねた瞬間、ゴータのおじ様は豪快な笑い声をあげながらその理由を教えてくれました。
「気づかないのも無理はないだろうねぇ。彼はリチャード、我々ゴータ家の一人息子さ。覚えているかい?」
「ありがとうございます、伯爵様のご子息なら覚えて……リチャード……え、リチャード!?!?」
次の瞬間、屋敷全体に響きそうな程の驚きの声をあげた私は、はしたないとお母様に釘を刺されてしまいました。
でも仕方ないでしょう。目の前にいる美青年がリチャード――私の記憶に刻まれた、あの眼鏡の少年と同一人物だなんて。
「お久しぶりです、レベッカ様……いえ、レベッカ『姉さん』」
「リチャード……本当に、リチャードなんですね……!!」
ですが、どこか逞しさが加わったものの、その優しげな声色や仕草は間違いなくリチャードそのものでした。
そもそも、私とリチャードは今からずっと昔、ヒルベルト伯爵家とゴータ伯爵家の交流の中で知り合った仲でした。
あの頃のリチャードは内気で引っ込み思案、おまけに怖がりで、いつも人影や物陰に隠れてばかり。敢えて失礼な言葉で言ってしまいますと、冴えない眼鏡の少年でした。
そのせいで交友関係も碌に築けず、ひとりぼっちでいる機会が多かったと聞きます。
そこで、是非私と交友関係を結び、逞しく明るく、そして優しい、ゴータ家を継ぐ後継者にふさわしい逸材にしてほしい、と伯爵やそのご家族が私たちに直々に頼んできた、と言う訳です。
『よろしくお願いしますね、リチャード様』
『よ、よろしく……レベッカ……お姉さん……』
事実上親同士によって組まされた間柄でしたが、私たちは次第に打ち解けていきました。
勿論、最初こそ互いに慣れず、よそよそしい雰囲気が流れるままさよならしてしまった事も何度かありました。
ですが、内気で大人しいけれど温和で優しいリチャードにどこか惹かれるものを感じた私と同様に、リチャードもまた私に影響されるものがあったのでしょう。
年上の私が様々な勉強やしきたりを教えたり、一緒に庭で遊んだりしていくうち、リチャードは素直に自分の思いを口にし、様々な物事に対して積極的に動く少年へと変わっていったのです。
勿論、部屋に迷い込んだ蝶をそっと逃してあげる、と言った心優しい所はそのままに。
私とリチャードとの間には、親から押し付けられたものではない『真の友情』が築かれていました。
『レベッカ姉さん、僕たちずっと友達だよね?』
『ええ、勿論ですよ。私たちはいつまでも友達です』
『本当!?凄く嬉しい…ってわわわ!』
『もう、リチャードったら慌てすぎですよ……ふふ……』
ですが、そんな楽しい時間は終わりを迎えました。
我が国の重要な行事である、隣国への長期留学に参加するメンバーの中に、リチャードが選ばれてしまったのです。
折角仲良くなれたのに離れるなんて嫌だ、レベッカ姉さんと別れたくない、と嘆くリチャードの涙を拭きながら彼を慰めた事が、昨日のように思い出せます。
例え遠くへ行っても想いは繋ぎあっている。私たちの友情は決して無くならない、と励ました事も。
それから長い年月を経て、勉学や鍛錬を積んだ彼はこの国に戻ってきました。
元来の優しさに加え、凛々しさや逞しさ、そして私に不思議な感情を宿らせるほどの魅力を兼ね備えながら。
「リチャード……本当に嬉しいです、面と向かって会える日が、もう1度来るなんて……!」
「こちらこそ……僕もレベッカ姉さんにずっと会いたかった……!」
互いに再会を喜び、笑顔を向け合っていると、急にリチャードの表情が真剣なものへと変わりました。
今、この場でどうしても私に伝えておきたい事があるというのです。
そして彼の口から発せられたのは、緊張の中にもしっかりとした想いを込めた、真摯な言葉でした。
「レベッカ姉さん……いや、ヒルベルト伯爵家令嬢、レベッカ様」
「えっ……?」
「小さい頃からずっと、僕は貴方に憧れていた……」
何でも知っているし、運動も得意だし、何よりも明るくて優しくて格好良いお姉さん。それがレベッカ・ヒルベルトという存在だった。その想いは、遠く離れてしまっても常に僕の心に残り続けた。どんなに大変な経験に見舞われても、貴方の存在が大きな支えとなり、乗り切ることができた。
貴方は僕にとって、理想そのものだった――彼の口から発せられる言葉の数々は、私の顔を真っ赤にさせるのに十分すぎる効能を有していました。
そして、婚約破棄という事態に見舞われた中で失礼かもしれない、でもそれを承知の上でどうしても伝えたい事がある、と前置きを述べた後、頭を下げながらリチャードははっきりと私に告げました。
「どうか、僕と生涯を共にしてくれませんか?」
それが間違いなくリチャードの真の想いである事は、私も十分理解していました。
何より、あの内気な少年であった彼が凛々しく立派な美青年となり、私の元へ戻ってきてくれたのはとても嬉しい事でした。
ですが、それでも私は彼の告白を受け止めるべきかどうか決め兼ねていました。
あまりに突然過ぎるという事もありましたが、目の前にいるリチャードが私の知るあのリチャードとどうしても重ならず、困惑のほうが大きかったからです。
それに加えて、お父様やお母様、ゴータのおじ様たちはどんな考えを抱いたのか、という不安も心の中に湧いてしまいました。
顔どころか全身を真っ赤にしたまま、返事もできず立ちすくんでしまった私とそれを見て困惑するリチャードに助け舟を出してくれたのは、この光景をじっと見つめ続けていた私のお母様とゴータ伯爵夫人――リチャードのお母様でした。
「レベッカ、私たちに気を配らなくても大丈夫。貴方の心で決めなさい」
「レベッカちゃんのこれからを決める大事な話ですもの。私たちが入る隙などありません」
そして、お父様も同意の頷きを見せてくれました。
ヒルベルト伯爵家の将来の心配は無用、親族に継いでもらえば良い、という言葉と共に。
勿論、ゴータのおじ様も嬉しげな笑みを贈ってくれました。
皆の応援に背中を押され、私は今の素直な思いを告げる決意を固めました。
「……ゴータ伯爵家令息、リチャード様……婚約の是非、もう少し待って頂けますか?」
「えっ……!?」
勿論、嫌だ、と言う訳では決してありません。ただ、リチャードと面と向かって会えない時間があまりにも長すぎました。
私は今の『リチャード・ゴータ』という人物の全てを知らない。遠い場所で立派に成長したと言う貴方という存在をもっと知りたい。だから――。
「……リチャード、もう一度、私の『友達』になってくれますか?」
――私の問いに返ってきたのは、嬉しそうに、そしてどこか安心したかのように微笑むリチャードの表情でした。
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それからというもの、私たちは離れ離れになった時間を埋めるかのように、一緒にいる時間を増やしていきました。
最初こそどこか余所余所しくなってしまい、会話も盛り上がらずに別れてしまった事もありましたが、その後はあっという間に昔と同じような和気あいあいと話す間柄へと戻っていきました。
互いの屋敷の中で同じ時間を過ごしたり、王立図書館へ立ち寄って好きな本を探したり、繁華街で様々なものを買い漁ったり、互いの領内の風光明媚な場所を楽しんだり。
私とリチャードは、あちこちで沢山の思い出を共に築き上げていったのです。
その中で、私は『今』のリチャードをたっぷり知る事となりました。
「どうかな、レベッカ姉さん……気に入ってくれるかな……」
「……凄く可愛いです!ありがとうございます!」
「良かった……どういたしまして!」
凛々しく格好良く、笑顔が似合う眼鏡の美青年に成長したリチャード。
気配りもばっちりで、私の好みに合ったアクセサリーをサプライズという形でプレゼントしてくれた事もありました。
おまけに動物や植物、建物、経済といった様々な知識も豊富になり、そういった分野に少し自信があった私を悔しがらせる程でした。
あらゆる方面で、かつて内気な眼鏡少年だったとは思えないほど、彼は強く逞しく、そして素敵な存在になっていたのです。
ですが、その一方で私はリチャードが昔と変わっていない一面も知る事ができました。
街中で迷子の男の子を見つけた時、寂しさで泣き散らす彼をそっと慰め、お母さんを一緒に探してあげるような心優しさです。
勿論その時は私たちも捜索に協力し、無事男の子をお母さんのもとへ送り届ける事が出来ました。
そして、感謝する親子を笑顔で見送った後、リチャードは私にお礼を言ったのです。今回の事態が解決したのは、私が傍にいてくれたお陰だ、と。
「そ、そんな!男の子を最初に助けたのはリチャードですよ?私はただ協力しただけで……」
「ううん、姉さんと一緒にいると普段よりも勇気が湧いてくるんだ。だから、僕はレベッカ姉さんに感謝の思いを伝えたい」
その言葉で、私はもう1つ、リチャードが昔と変わっていない点に改めて気付かされました。
嘘偽りなく、はっきりと尊敬の思いを伝えてくれる一途さに。
最早、私の中にリチャードの想いを拒む理由などありませんでした。
そしてその晩、丸く輝く月を2人で眺める中で、私は覚悟と決心を固めました。
「あの、リチャード……」
「……どうしたの、レベッカ姉さん?」
「……これからは、私を『レベッカ姉さん』ではなく、『レベッカ』と呼んでくれませんか?」
「……えっ……!?」
何か悪いことでもしたか、と困惑する彼を宥めつつ、私は語り始めました。
今までずっと、リチャードは私の事を何度も憧れの人だと呼んでくれた。強くて優しくて美しく、心優しくて格好良い、常に目標にしている素晴らしい存在だ、と。
だけど、それは今の貴方だって同じ。凛々しく逞しい姿や美しい笑顔、そして誰かのために奔走する事ができる心優しさを、私の隣にいる存在もまた、しっかりと持っている――。
「……今の私の憧れの人は、リチャード・ゴータ、その人です」
「……!!」
――私は、貴方という存在に出会い、同じ時間を過ごせた事を誇りに思う。
そして、これからもずっとそんな経験を重ねていきたい。
「……リチャード、私は貴方が好きです」
素直な思いを言葉に乗せて、私はリチャードへと届けました。
次の瞬間、私の体は最愛の人の大きく暖かな体に引き寄せられ、逞しく力強い腕に抱きしめられました。
そして、私の耳に聞こえたのは、これから私の『夫』となる存在からの感謝の声でした。
ありがとうという言葉を何度も繰り返す彼の目からは、大粒の涙が溢れていました。
「もう、リチャードったら……」
「えへへ……これからもよろしくね、レベッカ!」
「……こちらこそ!」
こうして、私とリチャードは、互いの思いを伝え、分かり合える事が出来ました。
ですがその一方で、私との婚約を破棄し、某公爵令嬢との間に愛を交し合ったはずのトマス・トップ様は、大変な事態に見舞われていました。
優しく愛らしい仕草を見せ、公爵の心を掴んだ令嬢の真の姿は、ワガママで自分勝手な乱暴者だったのです。
トマス様の雑務を手伝わなかったり、公爵の妻としての様々な仕事を怠けたりするのは当たり前。
何かにつけて文句ばかり言っては泣き喚き、トマス様との『真実の愛』とやらはあっという間に消え失せてしまいました。
しかも彼女は大の浪費家で、次々に豪華な服や装飾品を買い占めては乱暴に扱って破いたり壊したりの繰り返し。
トップ家の財政にも影響を与えるほどになってしまったそうです。
そして、そのトップ公爵家自体もまた、存亡の危機に陥っていました。
公爵家を挙げて興した様々な事業に、盗賊団や詐欺集団、麻薬組織といった悪質な界隈が多く関わっている事が発覚したのです。
しかも、調査の過程で我が国の王室とも何かしらの密約を結んでいた事実まで明らかになってしまい、そちらも巻き込んだ騒動が勃発。
公爵家の名誉に傷がついたばかりか、長きにわたって続いたトップ公爵家の歴史そのものに終止符が打たれる可能性まで出てしまう程の大事件に発展してしまいました。
ですが、それらはもう今の私にはほとんど関係ない事。
これらの話も、両親を始めとする多くの方々からの噂話や、貴族階級の面々に渡された書類などに基づいた内容に過ぎません。
今の私は『レベッカ・ゴータ』。夫のリチャード・ゴータと共に、私たち自身のため、家族のため、そして多くの人々のために奮闘する日々を過ごしています。
よその夫婦が巻き起こした騒動に首を突っ込む暇などある訳がありません。
とはいえ、『真実の愛』を見つけるよう進言してくれた事だけは、ある意味トマス・トップ様に感謝すべきなのかもしれません。
何故なら、彼の言葉通り――。
「ねえ、リチャード」
「……どうしたの、レベッカ?」
「……ふふ、呼んでみただけですよ」
「もう、レベッカったら……ふふ……」
――私はこうやって、心から信頼が出来る最愛の人と同じ時間を生きているのですから……。