何故 私は過去の世界へ
「いや 孫がな。そう申しますんじゃ わしが言う事を聞いて
やらなかったりすると、すぐ この頑固爺い 頑固爺いと
言いよりましてな」
「おいくつなのですか お孫さんは」
「四歳と二歳ですがな。この四歳が男の子でしてやんちゃ盛り
というか口が悪くてな」
「ここには奥様と二人だけと聞きましたが他にお子さんは
近くにいらっしゃいませんの?」
「娘が一人 おりますがこれがまた外国人と、、 イギリス人じゃが
結婚してしまって今 あちらにおりますのじゃ」
「それはまた 遠い所へ」
「寂しいものですよ。家内と二人で残されると、、、
仕事もこの歳では働くのも無理ですしな。まあ~わしは好きな
研究があるから気も紛れるが」
「研究って何を研究なさっているんのですか?」
何げなくチサがそう聞いた時 山中老人の目が鋭く光った。
だが顔を伏せ気味にしていたチサはそれに気づかなかった。
もし チサが老人の目の異様な光を見ていたなら不安を感じて
用心していたかも知れない、、、、
「興味がおありかな?」
前と同じ柔和な顔に戻った老人は尋ねた。
「ええ 少し」
「あらゆる物質の構造に関する事なのですよ。
それを電子の粒というかそれよりもっと小さな物にして」
そこまで言った時ドアがノックされて婆やさんが振り袖を
抱えて入って来た。
「さぁ 乾きました。アイロンをかけて置きましたので
お家までは持つでしょう。お帰りになったらすぐに
クリーニングにお出し下さいね」
「分かりました」
濡れたところを広げて見ると、薄く染みは付いているものの
ほとんど分からなかった。
「足袋はちよっと汚れが酷くて、、
でも家の奥様の足袋と匁数が一緒でしたのでそれをお持ち
しました」
「ありがとう」
山中老人は部屋を出て行きチサはキヨに手伝って貰い
着物を着直した。
「さぁ これでいいでしょう。お嬢さんは着物が良くお似合いですね」
「ありがとう 去年 母に無理を言って作って貰ったんですよ」
そう言っている内に山中老人が手に何がしかの金を包んだ封筒を
持って入って来た。
「おお 綺麗にできましたな。キヨさんの腕も大したものじゃ」
「まあ 旦那様ったら冗談をおっしゃるのですか」
「いやぁ そんなつもりは無いよ。
あの~チサさんと申されましたね。 これは少ないけれど
クリーニング代に取っておいて下され」
「そんな」
「遠慮なさらずに 遠慮して頂くほど入っておりません。どうぞ」と
封筒を差し出す。
「そうですか それでは」
「そうして下され」
チサが封筒を受け取った時 階下で電話のベルが鳴った。
婆やさんが慌てておりてゆき、間もなく老人に知人からの
電話だと告げた。
老人も階下におりてゆきチサは一人になった。
そうすると急に辺りの静けさが感じられた。
もうピアノの音も犬の声も聞こえない。広い家の中で三人切りと
言うのは寂しいと言った婆やさんの言葉が実感として
分かるなぁと思いながら帰り支度をしていると
山中老人がにこやかな顔で入って来た。