お蘭の出産
その事件があった2ヶ月後
かねてより北の御部屋に移っていたお蘭が産気付いた。
実は その前日 局がお蘭を見舞って部屋に 戻ってくると
チサが茶を立てて待っていた。
「ご苦労様でございました。
お蘭様も後 2・3日 お疲れでございましょう。
どうぞ お茶を一服なさってお疲れを癒して下さいませ」と
しごく手際良く 座布団をすすめる。
(これは 何かあるな)
思いながら すすめられるまま愛用の茶椀を手に取る。
「お蘭様の様子は いかがでございました?」
「いつ ご誕生あっても不思議からずと産婆は申しておった」
「それは良うございました。 めでたく若君ご誕生」
「またそれを言う。 それを申すな もし姫君で
あられたらどうするのじゃ」
またかと 顔をしかめる局に チサはいたずらっぽく笑って
「お叱りついでに もう一度ざれ言占いを聞いて頂けますか?」
「もうよいと申すに」
「でも お蘭様のお身体の事なのです。
このままご出産あれば 若君はご無事でも
お蘭様は大変なのです」
「お蘭の身に大事あると 申すのか」
つい お蘭の事となると局も気にかかる。
「はい 若君ご誕生の後 上様は大喜びで北の御部屋に
お出ましになり お蘭様にお褒めの言葉をかけられた時
周りの人々 みな揃って平伏する姿につられてお褥の上に
起き上がって平伏しようとなさいます。
それこそ大変 出産をおえたばかりで絶対安静が必要な身体
なのに起き上がったばかりに大出血を起こして
その後の一生 半病人で過ごすと私にはわかっているのです」
聞いて局は驚いたが もとよりにわかに信じがたい。
しかし この前の乳の一件もあるので 無下にたわけと
言い切れぬものを感じる。
「ですからお局様 北の御部屋より知らせがあれば
上様がお出ましになるより早く その場に居合わせて頂きたいのです。
お蘭様をしかと見張っていて下さるようお願いします。
何事も起こらねば幸い 私のたわ言で済まされましょう。
その時は どんなお叱りもお受け致しますが
もし 大事があればお蘭様も和子様もおかわいそうです」と
必死になって頼むチサを見れば 局も否とは言いがたい。
「たわ言とは思えど 一応胸にとどめておくゆえ心配致すな」と
優しく言ってきかせる。
本来なら 家光の愛を争うべき立場のお蘭の身体を気づかうチサを
理解しがたいところだが 悪い気はしない。
まして チサの言った事が本当に起これば一大事である。
町人の娘ではあったが 局自身が眼に止め 手ほどきをして
家光の側女に育て上げた世話親としての責任も愛情もある。
そんな事があった次の日の夜半であった。
お蘭に陣痛が始まったとの知らせが お蘭付きの侍女
お松が知らせて来た。 お松は他の部屋々の 人達を起こさぬよう
気づかいながらも 頬を紅潮させて産婆からの言葉を伝える。
「産婆の申しますには ご陣痛は今 始まりましたばかりで
ございますれば ご出産は早くても明朝辺りかとの
ことでございました」
「さようか 初産は長びくものじゃと申しても
ここでのうのうと寝ている気にもなれぬ。
こなたはこれから北の御部屋に参るから そちは早うお蘭の元へ」と
お蘭お気に入りの侍女を帰らせた。
待ちかねた出産 局は気負って立ち上がる。
その頃には 他の部屋で寝ていたチサや侍女達も
みな目覚めていて 何となく局の前に集まってくる。
「他の部屋への気づかいもある。
みな静かにして騒ぎ立てるでは無いぞ。こなたはお蘭の付き添いに参る」と
みなを押さえて着替えはじめた。
チサはかいがいしく
「この時刻 外の廊下は冷えきっておりましょう。
足袋は2枚重ねておはき下さいませ。
お召し物も少し厚手の物を」と
身体をいたわって 細かく気を使い局を喜ばせる。
「お蘭様に 私達みなが付いているからと、、、、
みなここで無事 ご出産を祈り続けているとお伝え下さいませ」と
部屋を出る間際に そっと耳に口寄せて
「昨日 お話ししました事 よろしくお願い致します」と
念を押されて北の産室へ急いだ。




