庭での障害事件
急に歩き出したお玉に 花岡達も急いで後に続く。
一方 夢中になっておよの達と追いかけっこをしていたチサは
後ろ向きに後すざりするようにしていたので
行く手から下りて来るお玉達に気づかなかった。
「あれ おチサ様 お気をつけなされませ」
花岡達に気づいたかな江が 声をかけた時はすでに遅かった。
チサは築山を下りた所にある 小さな池の橋のかかりでお玉に
危うくぶつかりそうになった。 かな江の声で慌てて振り向いたので
体のバランスを失い お玉を避けようとしたハズミで池の中に
片足を突っ込んでしまったが
「あ~れ~」 悲鳴を上げて倒れたのはチサに有らずお玉だった。
その声に一大事とばかり ワヤワヤと走り寄って来る侍女達
「大丈夫でございますか」
「お気をたしかに」等と
ことさらにらにオーバーな口ぶり その時
「これはいかがしたことじゃ この広い庭で目のある者なら
見えよう我等を避けもせず お玉に突き当たるとは
おチサにはなんぞ遺恨でもあるのか」
とはまた 花岡のきつい言葉
「いえ とんでもございません。まことに失礼を致しました。
お玉様 大丈夫でございますか」
さして強く当たったはずは無いのに、、 とは思いながらも
チサは素直に謝ったが お玉は顔を伏せたまましばらくの後
侍女の手にすがって立ち上がると冷ややかに
「幸い顔を打たずに済みました。なれどもう少しで真ともに、、」と
いけしゃあしゃあと嘘をつく。
「まぁ~恐ろしい この美しいお顔にもし傷でもついたら」と 侍女
さも 意味ありげにチサとお玉の顔を見比べる。
そこまでされたら かな江達とおよのも黙ってはいられない。
「もうし それは少し過ぎ足るおっしゃりかた
池に落ちてまで身を交わされたのはおチサ様
私共の見ていたところでは」
そう強く当たっていない 倒れるほどには と言いかけた
かな江に みなまで言わせず
「では そちはお玉が偽りを申していると言うのか」と 花岡の強い声
「偽りとは申しませんが ここにはお顔を傷つけるような
大きな石も庭木もありませんが」と
気の強いかな江も花岡に負けていない。
なるほど小さな橋を渡り終えようとした所で お玉達に気づいたチサ
お玉が倒れた所には 石もなく庭木も植わっていなかった。
かな江に言われて一瞬 キッと顔色を変えた花岡はしかし
「何も石や木ばかりで怪我をするとは限らぬ。
いや 土に倒れただけでも顔に泥が付く。そのような
お玉のぶざまな姿を見とうて わざと突き当たったのであるやも知れぬな」
こじつけもはなはだしい事に限りがある。
そうまで言われるとチサも気の強い女
倒れる時に避け切れず 軽く袖に触ったぐらいのものを
それも一応 謝ったのにと頭にきた。
「花岡様 今のお言葉 取り消して頂きとうございます」と
単刀直入 ズバッと言ってキッと花岡を睨みつける
それを聞いて花岡は 顔面 朱に染めて怒り
「なんと それがこの花岡に向かって言う言葉か。
いかにご寵愛深しと言えども それをカサにして一介の中臈が
年寄たるこなたに言えるものか。 さても恐ろしき者よ。
このような者に惑わされる上様も上様じゃ」と
口にしてはいけない 怒りに我を忘れたとしても
決してしてはいけない将軍の批判までしてしまう。
幸いそはには花岡達とチサ達 関係者しかいなかったものの、、、、
しかし間もなく 同じように庭を散策していた他の人々も
騒ぎを聞きつけて集まってきだした。
「言葉が悪かったのは謝ります。はしゃいでいて花岡様達に
気づかなかったこともお詫びします。
でも 私は突き当たった訳ではありません。倒れる時
手がかすかにお着物の袖に触っただけです」と
チサも引き下がらない。
側にいるおよのとかな江達は もうこの頃はハラハラして見守っていた。
このまま言い合っていたら チサの分が悪くなるのが分かっている。
なぜなら大奥とは階級制度の厳しい所
チサはご寵愛 第一人者といえども まだお腹様に有らず
お手付き中臈の身 花岡は総取り締まりたる春日局を除いては
大奥最高の権力者 年寄の役職だった。
今の世と違い下から上を批判するなど 固く戒められている時代である。
(今さっき 花岡自身がその戒めを破ったのだが、、、)
集まって来た奥女中達も 事の成り行きがどうなるかと
息をひそめ見守っていた。
その中で一人 表使いの貴乃という中年の女がそっとその場を離れて行った。