チサは過去の世界へ
「私 お断りします」
「何を言う」
梅山は 飛び上がらんばかりに驚いた。
「私 上様のおもちゃになるのは嫌です」
「これっ」
他の部屋に聞かれたら大変と 梅山は慌ててチサの口を押さえる。
「どうしておもちゃ等と 上様はそなたを愛おしく
思われればこそ」
「どうしてそんな事が分かります?
だって私をご覧になったのは今日初めてでしょう。
愛を感じるはずがありません」
これだからこのチサには手を焼くと 梅山はほとほと困ってしまう。
他の娘ならこんな理屈は言わない。
上様に眼をかけられたら地位と権力が手に入るこんないい機会を
断るなんて事はしない。
どうやって説き伏せたらいいのか、、、
彼女は上様が恨めしくなってきた。
だが そこに春江が助け船を出した。
「あら そうとも限らないわよ。 下世話にも良く言うでしょ
一目惚れと言うのが」
「そうじゃ それに違いない」と
梅山は勢い込んで そう決めてしまう。
すると およの達もそうだ そうだと言うように頷く。
チサはみなの単純さに 呆れてしまったが、そう言われて
少し気が変わった。
(そうだ 今夜 それを確かめてやろう。
そうして思いっ切り格好良くはねつけてやろう。何でも自分の
思い通りになると思っている高慢ちきの鼻をへし折るの。
たとえ 殺されても構わない)
別に惜しい命では無くなっていた。 この世界に来てそろそろ2ヶ月
チサは心の身体の芯から 疲れて来ていたのだった。
「私 お閨に参ります」
「おお そうか 良く聞き分けてくれた。それで良い」
梅山はやれやれと胸を撫で下ろした。
これでひとまず承知はさせた。後は上様にたつまつり失礼な
態度をせぬようにとくれぐれも注意して、、、、
ともかく風呂の用意 体を清めてと心を急かす。
時間が無いとはいえ 湯浴みだけはたっぷり時をかけねばならない。
およの達も手伝いして上から下へとも磨き上げ
それが済むと梅山が心を込めて化粧をほどこした。
(どうぞ 何事もなく過ぎますように、、、、
末永くご寵愛をたまわりますように、、、、)
彼女は心の中で神仏に手を合わせていた。
化粧が済み白無垢の寝間着を 着せかけるときたまらず
梅山は口をきった。
「良いか チサ 今宵はいつものような乱暴なもの言いは
なりませねぞ。何事も上様のおぼし召し通りに従うのじゃ
それにいつも申しているように 立ち居振る舞いは特に気をつけて
これより御寝所に向かうまでには人目もある。
大股で裾を蹴散らすような歩き方が そなたの悪い癖
お側に上がるときも あまりさっさとゆかず恥じらうように、、、」
等など 言い出したらキリが無い。 いや いくら言っても
言い足りないくらいの 日頃など所業であった。
つい くどくどと注意する梅山の言葉を聞いているのかいないのか
分からぬような顔で 眼を閉じたままチサは無言である。
そうこうしている内にも時は迫り 長局を出る刻限になった。
その介添えには春江が付き お鈴廊下の入口までのお供は
およのと小りんという女中が付いて 長くほの暗い廊下を
ぼんぼりを持って足元を照らす。
部屋を出る四人の後ろ姿に チサが阻喪をせぬようにと
拝むような梅山の姿だった。
今夜 チサがお閨に上がることは風のような早さで長局中に知れ渡った。
誰もが突然の事に驚き 羨まれると同時にその見初められ方が
あまり良くなかった為 早や 悪口雑言が飛び交っていた。