チサは過去の世界へ
「そんな人達のよ。友達なのよ。遠い外国の山に
まだ人が誰も登った事がないような高い山に一人で登り
山頂を目指すって言うから感激するじゃない。
だから頑張ってねと頬っぺにチユッとしてあげたのよ」
「その人 あなたのお婿さんになる人?」
「違うわよ。友達って言ったじゃない。結婚するのとは別
私が愛した人じゃなきゃ まだいないけど」
「じゃあ お婿さんじゃない人に口づけしてあげたの」と
しつこく尋ねる。
「そうよ。 いいじゃない それ以上はしないんだから
友達なら当たり前よ。女の友達とだって久しぶりに会ったら
軽くキスを交わしたりするわ。
それにキスってさっきおりゅうさんが言ったような
舐め合うなんて汚らしいものじゃないわ。
キスにもいろいろ段階があるの。 おでこや頬っぺにチユッと
するのは親しみのキス 親子とか友達同士よ。
唇を触れ合うのは愛している人だけ 恋人たちね。
それよりもっと深く付き合うようになれば結婚する人にだけと言うように
でも軽いキスくらいなら恋人でも友達でも構わない。
部屋の春江様はれっきとした許婚同士なのだから
キスは愚かもっと先でも、、」
「キヤ~ あんな卑猥なことを」
「もう 聞きたくない」と
女達はいっせいに耳を覆い恥じらう。
障子の内で聞いている家光も男女のことをこんなにはっきりと
口にする女は初めてである。
側にいる小姓も、、 小姓といっても大奥の中では女である。
顔を赤くして目をどこにやろうかともじもじしていた。
「まぁ まぁ 皆様 お上品だこと
じゃあ なぜこんなこと聞きたがるの。
人間なんて上から下まで 例えば将軍様だって町の乞食だって
する事は同じよ。大した違いはないわ」
「おチサさん 止めなさい。上役の人に聞かれたら大変よ」
およのが慌ててチサの口をふさぐ。
この時代に将軍と他の人々を比較するなど、とんでもない事で
それこそ無礼打ちである。
しかし家光は乞食がどんなものか知らなかった。
「それに上様はそんな下品な事は なさいませんからね」と
これは他の部屋子
「あら どうして分かるのよ。あなた 会った事あるの」と
チサはくってかかる。
「そりゃあ 一度もお会いした事はないけれど
家の旦那様が言ってらっしゃるわ。上様はお強くてしかも
お優しい立派な方だって」
「家の旦那様だっていつも そう言っているわよ。
でも私 信じられないの」
「あら どうして」
「だって家の旦那様もあなたの旦那様も もういい加減なお歳よ。
私みたいな若い娘にとって素敵な人かどうか分からないもの」
「きっと素敵なお方よ」
「分からないわよ。熊みたいな顔しているかも」と
とうとう将軍もチサにかかっては熊にされてしまった。
聞いている家光も腹が立つよりおかしくなってきた。
今 この障子をガラリと開けて驚かしてやろうかとも思う。
「おチサさん 止めなさいったら」と
およの一人が気を揉んでいる。 この中でも同じ部屋の中でも
彼女一人がチサの味方だった。