チサは過去の世界へ
その後はおよのと同じくチサの髪形やハンドバッグの事を
口々に尋ねる。みな不思議でならない様子に今度は
およのが説明していた。
こうしてチサはその日からお客会釈 梅山の部屋子として
仕える事になった。
それから半月ほどが夢のように過ぎた
夢のようにの言葉がそっくり当てはまるほどチサは毎日を
現代と過去の世界とのギャップを埋められずに
本当に夢の中を歩いているかのような気持ちで過ごした。
まず 言葉使いが頭迷わす。
頭の中に浮かぶ言葉は現代語でも口に出す時は
何々でございます 左様 心得ます等 とにかくどうしゃべって
いいのか分からなくなるのだ。
次に歩き方 梅山はそれらには厳しく 口うるさくしごかれる。
家にいた時 茶の湯を２年ほど習っていた事が少しは
役にたっているが、何しろ現代生活とは掛け離れている。
次は手習い チサは学生時代から習字が特に苦手だった。
夜になっても慣れない箱枕では十分 安眠もできない。
そんな事にも少しは慣れてきたある日のか事
それは御仏間に近い庭の片隅だった。
その日 チサとおよのその他一人と他の部屋の部屋子
それに若いお末達の娘も二人加わって 合わせて五・六人の
女達が、用のない事を幸いにかたまっておしゃべりを楽しんでいた。
もちろん上役に見つかれば叱られるに決まっているが
ここは御仏間の近くで 毎朝 将軍が拝礼を済ませた後は
あまり人が通らなかった。
「ねぇ この間 梅山様のお部屋に新しく来た人ってこの人」と
お末の一人が聞いた。
「そうよ。ちよっと変わってるのよね～」と
チサの部屋の一人がチサに言う。
「別に変わってなんかないわよ」
「あら そうかしら」
「変わってるって何が？」と
これは他の部屋の女
「とにかく私達とは言う事 する事 考えている事が
ずいぶん違うの。そうして私達の事古い 古いって
言うのよ。ねぇ およのさん」
「ねえっ 古いって何が古いのよ」等と
騒がしくしゃべりあっている時
庭に面する御入側の中を これはまたどうしたことか
時成らぬ時に将軍 家光が歩いて来た。
しかし障子があるのでチサ達は気づかない。
家光はこの日 日課の御仏間拝礼の後 御小座敷で
側室の一人 お万の方を相手に近頃 手に入った珍しい
茶器の話しにくつろいだ後
表の政治向きの事で、思案に迷う事柄があり
小姓一人連れて再度 仏間に詣でていたのだった。
チサ達の話し声に家光が足を止めると小姓は慌てて留めに
行こうとした。
しかし家光は無言でそれを押さえ なお近くに歩み寄った。
女達の声がどれも溌剌としていて、いつも聞くもの静かな奥女中とは
違っていたからだった。
それに将軍といえども人の子 まして男となれば
若い女達の話しに興味を持つのは当然
しかも盗み聞きといえばまた格別である。
