チサは過去の世界へ
その日のチサのヘヤースタイルは背中まで届く長い髪を
一つにくくって半分を髷のように結い残り半分をカールして
ポニーテール風に垂らしていた。
また 帯の形はふくら雀であったからおよのが不思議がるのも無理はない。
チサはおよのと話す内にだんだん気分が穏やかになり
落ち着いて来た。
この純朴そうな若い娘と話していると不思議に心が和んで
もう涙も流れなかった。
「あなたはおよのさんと言われるのですか?」
「ええ ここで旦那様 あの方は梅山様といってお客会釈をなさっているの。
私はまだあのお方の部屋子よ。あなたはなんていう名」
「私は 鈴木チサというの」
「おチサさんね。よろしく」
およのは丁寧に頭を下げる。 チサはほほ笑ましくなった。
この娘とは友達になれそうな気もしてきた。
「よろしく 私ここにしばらく横になっていいかしら
何か頭が痛くて、、」
さっきから泣き詰めだったので頭がじくじく痛み出していた。
「長旅で疲れているのよ。どうぞ遠慮しないでしばらく休んでいると
いいわ。私 あちらの部屋に行ってましょうか?」
チサがうなづくと
「では 次の間にいますから 何かしてほしい事が
あったら呼んでくださいね」と
優しく言って出て行った。
一人になって眼を閉じると今までの事
特にあの山中老人の家の地下室 両親の悲しげな顔
友人 先輩達 いろいろな人やいろいろな事柄が次々に
思い出されて また ひと筋ふた筋涙がこぼれた。
しかしさっきまでと違い 死にたいという気持ちはだいぶ薄れていた。
せっかく授かった命 今の若さで失うのは まして自分から
死ぬのはなんだかバカらしくなってきていた。
生きてみようという気力のようなものが湧いていた。
昔の世界の人間と言っても人に変わりはない。
どこまでやれるか 生きれるか知れないがとにかく死ぬ事だけは止めよう
そう チサが決心した時
「あっ 旦那様が」
およのの声がして次の間に 先程の老女達が入って来た。
「先程の娘はどうしているかぇ」
「はい お茶を立てて上げたところ だいぶ落ち着いて
いたように見受けられます」と
およのが答えている。チサは起き上がって衿元を直した。
襖が開かれて梅山達が入ってくる。
「どうじゃ 少しは落ち着いたか」
「はい ありがとうございます。さっきは取り乱して
しまってすみませんでした」と
畳に手をついて丁寧に頭を下げた。
「松島殿の急な不幸を聞いて気が動転したのであろう
無理もない わらわとてあの折り あまりに突然の
事で信じがたかった。夜 寝ている間に起きた
卒中じゃそうな。そちも気落ちしたであろうが、、、
まぁ しばらくはこの梅山の元でした部屋子として
行儀見習いをするが良い。
しかるべき後にお仲居なり お三の間なり向いた仕事を
計らって使わそう」と
優しく言ってくれた。
この人も好い人のように思われる。
チサはしばらく彼女達の勘違いを正さず、その松島という
人の知人であるという事にしておこうと考えた。
「ありがとうございます。
申し遅れましたが私 鈴木チサと申します」と
頭を下げたまま テレビで見た時代劇の口調を真似て言った。
「おお 左様か そなた達も聞きやったな。
チサというそうな。これからは仲良くしてゆくが良い」と
後ろの女達に言った。
「はい」
女達は声を揃えて返事すると、チサの周りに寄って来て
一人一人名のった。