チサは過去の世界へ
ここにあの{オズ}という機械はない。
いや 日本中どこを探したって過去の世界に何もあるはずが無いのだ。
自分はたった一人でこの昔の世界に放り出されたのだ。
そう思えば泣いても泣いても泣き尽くせなかった。
一方 およのはチサがなぜ そう悲しむのか訳が分からない。
松島様が亡くなられたのがそんなに悲しい事だったのか。
そんなに親しい人だったのかしら? 分からない。
なんだか自分も泣きたくなってしまう。
放っておいて行ってしまおうかとも思うが旦那様に世話を
頼むと言われているし、そうもできない。
「お茶でも立てましょうか」
温かい物でも飲んだら、気が落ち着くかも知れないと
彼女は思ったのである。
およのが次の部屋でお茶の用意をしている間
泣き疲れて少し気が落ち着いチサは涙を拭おうと持っていたハンドバッグの
口を開けた。手鏡 口紅 ファンデーション 財布 ティッシュ
ハンカチ 家を出る時 風邪気味だからと母が持たせてくれた
カプセル入りの風邪薬
(ああ お母さん)
それらの品を見るとまた新たな涙が沸き上がる。
(死にたい 死んでしまいたい)
突然 そんな思いが胸を締め付けた。
こんな世界で、今までとはまったく違う昔の世界で
女一人生きていけるはずがなかった。
チサは全てを失ったのだ、、、、 その時
「お茶をどうぞ」
およのが茶を立てて戻って来た。
今はとてもお茶など飲む気になれなかったのだが
心配そうに差し出すおよのの顔を見ると、受け取らずに
いられない。
手に取ってひと口 含んでみると温かさが胸に染み渡る。
その温かさは身体中にしみて心を落ち着かせてくれた。
喉を伝わって流れるお茶は チサに生きている事を感じさせてくれた。
(生きているんだわ。命があったんだ)
だが それがどうしたと言うのか。
生きてはいてもこの身一つで現代と繋がる物は一欠けらもない
家族も友人もあらゆるもの
全て手の届かぬ遥かな世界になってしまった。
それを思うと死んでしまいたくなる。
「これ みんな変わった物ばかりね~
私 こういうもの見るの初めてよ」
その時 およのがハンドバッグから出していた小物を
しげしげと見ながら言った。無理もない それは20世紀の物なのだから、、、
「肥前の国ではこういうのを 持って歩くの
これは何なの?」と
口紅と風邪薬を指して聞いた。
「これは口紅よ。こうやって開けるの」と
説明するとおよのはまたびっくり 眼を丸く見張って
「あらぁ これ紅なの こんな棒みたいになっているのね
クルッと回って出てくるわ。凄い便利ねぇ
私こんなもの見るのは初めてよ。じゃ これは?」
「それは風邪薬なの」
「お薬 そういえば小さな粒々が入ってるみたいだけど
変わった薬ね。いろいろな色がついているわ。
これを開けて飲むの」
「いいえ そのままよ」
「このままっ」
「ええ そのままお水で飲むの」
「あら 粒々だけじゃないの じゃあ入れ物ごと飲んじゃうの」
「ええ ちゃんと胃の中で溶けるからいいのよ」
「へえーそうなの 私 こんなお薬見るのは初めて
肥前の国は私達とずいぶん 違った暮らしをしているのね
あなたのその髪形も変わっているわ。帯の結び方も」