七夕の夜事件
いつの世でも食べる事 着飾る事は女の必要かくべからす楽しみ
なのでお玉達も文句の付けようがなかったが、
夏 七夕の日に事件は起きた。
その日は御座の間という 本来ならば御台所が住まう一角の部屋の縁端に
西瓜や桃 菓子等を山のように積み上げた白木の台を備付け
その四隅に葉竹を立てて注連を張り 燈明をともす。
その竹の葉に和歌を書いた短冊を結び付けて遊ぶという
優雅なものであった。
珍しくお楽の方が 竹千代君共々 この七夕の夕べに参加していた。
お楽の方も この頃はすっかり母親らしさが板に付き風格すら感じさせる。
竹千代は三人の遊び友達のような小姓と佐和に連れられ
初めはおとなしく お年寄や中臈の詠む歌会を見ていたが
やがて飽きてきたらしくモゾモゾと動き出した。
大体 五才児にじっと座って置けというのが 土台無理な話である。
歌合わせが少し途切れた時 四人の子供は騒ぎ出した。
廊下を端から端まで走り回り佐和が 小姓の子に注意しても収まらない。
ドタバタとうるさい中 チサ達は歌を詠み合わせていたが
子供達はいよいよエスカレートして 喚声を上げて走り回る。
たまらずチサが小姓の子を一人捕ま
「やめなさい」と 強く言うとその子は気性の激しい子だったのか
いつも怒られている佐和より若い奴めと思ったのか
側にあった白木の台から桃を掴み 庭に投げ捨てた。
みな唖然とする中 ピシャリと鋭い音がした。
チサが掴んでいる子の 手の申をピシャッと叩いたのだ。
その子は一瞬 びっくりしたような顔をし だが次にワッと泣き出した。
すると竹千代はじめ他の三人もつられたようにベソをかき始める。
そこへお楽が進み寄り 竹千代の手を取り顔を見上げながら
「若君 男の子はメソメソするものではありません。
吉松が叱られたのは仕方ない事です。 桃は食べる物であって
粗末に投げる物ではありません。庭に投げ捨てるのは
いけない事なのです」と
優しくしかし厳しく言って聞かせ 驚いて泣き止んだ小姓に
「吉松 そなた達も良く覚えておくのです」と 叱った。
御生母の言葉には誰も逆らわず 子供達は一様にシュンとなってうなだれる。
「佐和 若君は飽きて来られたのでしょう。
そなた ひと足先に連れて帰ってたもれ」
「畏まりました。さ 若君」と
佐和が竹千代の手を引いて立ち去ると みなホッとしたような空気が漂った。
「皆様 せっかくの七夕 歌の会も半ばになってしまいました。
お方様 申し訳ございません」と
お楽はお万の方やお年寄一同に詫びる。
「そなたが悪いのではありませんよ お楽の方
子供と言うものはおとなしく出来ぬものです」と お万の方は優しい。
「今日も二の丸で待っているように言ったのですが
私と一緒に行きたいとわがままを言われて仕方なく」
「良いではありませんか。
おかげで久しぶりに元気な若君を見る事ができました。
いつの間にかあのように大きく成られて驚きました」と
お方様が微笑まれると 和島達も嬉しそうに頷く。
ただ お玉とお里沙だけは喜べない。
第一に自分達より格下だったはずのお蘭がお腹様になり
頭上に居ると言う事が そもそも腹だたしいのだ。
ひと騒ぎあったは言え その後はつつがなく七夕の夕べは
終わったはずだったが 数日後 妙な噂が長局中に広まった。