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想像現実 4 陽炎の坂  作者: 内海真人
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母親の姿を追う男が、新しい自分に出会う。

 残業を終わらせ、コンビニで弁当とお茶を買って家に戻ってきた。外で食事をする時間が勿体無い。食事もそこそこにYWYを装着する。先月のボーナスでやっと購入した。想像力なんてものは持ち合わせてないのは自分が一番よくわかっている。会社の想像力テストでも評価はCだった。それでも記憶はあるし思い出もある。俺はこれで母さんに会う。母親は俺が子供の頃死んだ。その後親父が再婚したので、気を使った祖母が母親の写真やらを全て処分してしまった。遺影も残さないのは異常だと思うが、なんらかの事情があったのだろう。その祖母も親父も死んでしまってもうその話を聞くことはできない。義母は健在だがここのところ会っていない。いい母親として育ててくれたと思う、嫌いだとかそういった感情があるわけではない。ただ子供のころから生みの母のことがどうしても忘れられなかった。義母さんを悲しませたくなくてその気持ちは抑えていたが、大人になってもうそれを抑える必要がなくなった。ただ姿が思い出せない。そんな時に新型のYWY02はイメージを保管してくれる機能がついたと聞き、金を貯めやっと購入した。IRの世界の母さんを思い描く時1番の思い出は夏の坂だ、なんかありがちな気もするが、これは間違い無いと思う。空気が揺らぐくらい暑い夏の昼間、滑り止めにコンクリートの丸い輪っかのデコボコの穴が空いた坂道。日傘をさし、なんだろう紺色のワンピースというのかを着て立っている姿。全体におぼろげだがそのワンピースは花柄だったような気がする、何の花だろうか、セミが鳴いている。微笑んでいるような、これは俺の願望か、いや微笑んでいるから覚えているのだろう。強い夏の日差しがコンクリートを真っ白に光らせ、影は濃くモノクロに見えるくらいのコントラスト。その中で母さんのワンピースの紺色と微笑む口元の紅の色だけは、鮮明に思い出せるのだ。そのイメージを目の前に描く。絵心がないので綺麗に想像を膨らませることはできない。覚えているままを描く。そして記憶を探る。購入してから毎日毎日飽きもせず母のイメージを描くことだけをしている。自分で作り出しているのか本当の記憶なのかはわからない。でもそんなことはどうだってよくて、今母さんが目の前にいる。それだけが重要だ。母親だから自分に似ているはず、自分の顔から親父の要素を引いたら母親の顔に近づくのだろうか。俺に少しでも想像力があれば、そういった想像を絵にすることも出来たのかもしれないと思うと少し悔しい。若い頃の親父の姿に確かに俺は似ている、写真に残る若い親父の笑顔に比べ、それより若いであろう俺の顔は疲れて荒んでしまっているけれど。


「櫛田先輩!」

 昼食に出ようと席を立った時に後輩の前原に声をかけられた。

「昼っすか。一緒にいってもいいですか?」

「ああ、なに食う?」

 隣の部署の後輩前原はなぜか俺に懐いている。10も歳が離れているが、俺も一緒にいて特にわずらしくも感じ無いので、そのまま付き合っているが、気が合う合わないというのは、案外そんなものかもしれない。

「昨日歌舞伎町で行ったキャバクラやばかったっすよ。危うくボラれそうになって。」

「あの辺は全部ボッタくりだろう。られそうってことはボラれなかったって事だろう。よかったじゃないか。」

「飲む前に非常階段から逃げたんすよ。黒人のキャッチが追いかけきてマジやばかったっす。」

「それマジでやばいパターンじゃん。」

 どうでもいい会話をしながら近所の定食屋に並ぶ。

「いや、最近先輩があんまり一緒に飲んでくれないから、自分で開拓してみようって頑張ったんですよ。」

 俺のせいか?、前原は頭も良く、成績もいいと聞いている、実際に仕事に関して真面目だしなんでもそつなく熟すとこなどそう思うが、このノリの軽さが、どうも好き嫌いが分かれるところらしい。俺は嫌いじゃ無い。時と場合によるが。

「最近YWY買ったんだ。それにはまっててさ。」

「個人でですか、それって、あれですか、エロい感じのために?」

「馬鹿違うよ。エロならVR とかいろいろあるじゃん。」

「そうですね、櫛田さんあんまりエロって感じじゃ無いですもんね。でも芸術家って感じでも無いし。なにに使ってるんですか。」

「ちょっとな。出世出来なくても、想像力磨かないと窓際一直線だからな。」

「世知辛い世の中になりましたねぇ。」

 仕事のチーム編成にも、プレゼンテーションにも最近ではイマジネーション予想的なものを求められる。特にコンシューマ向けの商品企画には、実施した後の世間の描くイメージを想定し、そこに近づけるような企画案を求められる。思い描いたイメージをどうユーザーに届けるかSNSなどで見てもらうだけではダメで、それを体験したユーザーが共通のイメージを描ける事で購買数が増えるということが証明されている。ということらしい。

  「お前が言うな。お前はそもそもイメージテストAだし、心配ないだろう。出世したら俺のこと頼むぞ。」

「あたりまえですよ。先輩より出世したら、ですけどね。AAとかAAAとかいるみたいなんで、Aじゃあんまり変わらないですよ。そんなことより明後日の金曜日久々に呑みませんか。」

「Aじゃ、か、そうだな、了解。軽くな。」

 本当は金曜日の夜は翌日休みなので徹夜でイメージを作るつもりだったけど、そう、たまには付き合いも必要だ。

 二日間かけたが母さんのイメージはそれほど進まなかった。昔聞いた親戚の話を思い出したり、親父の写真を眺めてみても母さんのイメージが明確に描かれることはなかった。ぼかしがかかっているのだが、確かに母さんということはわかる。一番近いのは夢の中のような感じだ。はっきりは見えないけどその人だとはわかる。だがそれも数日続くともどかしさの方が優ってくる。イメージの中の母さんはそれでも優しくそこに立っている。

 前原と新宿の居酒屋で飲んだ後ゴールデン街に流れた。特に会社の愚痴をこぼすような呑みではないので、どうでもいいような会話をするだけだが、そんな時間が働く男には必要なのだと思う。カウンターだけのBARに入りハイボールを注文した。このあたりも最近は外国人が異常に多い。雰囲気を楽しむためだけに、ビール一杯で何時間も粘るバックパッカーが増えたため、外国人お断りの店も増えてきているらしい。元から会員制を謳う店も多いので個々の店の自由にすれば良いと思うが、狭い路地を体のでかい外国人に占拠されてしまうと邪魔と思ってしまうのもしかたのないことかもしれない。酔っ払いの年配のサラリーマンが申し訳ない感じで脇を避けて歩いているのが悲しい気分になる。自己アピールが大事だと今更言われても、人より目立つなと教える教育で育ってきた世代には無理な話だ、結果酔った勢いで暴力事件を起こし、加害者になるか、返り討ちにあって被害者になるかしかない。俺もどうにかもぐり込んだ会社にしがみついて、こうして日々生きている。幸いギャンブルに興味が無いのと、独身だからやっていけるが、とても結婚して女房子供を食わしていけるわけがない。シングルモルトのハイボールをお代わりする。キャバクラよりもこう行った店の方が落ち着く。女が嫌いなわけじゃない。どうせ飲むならうまい酒を呑みたいだけだ。前原がネットで評判の番組の事を、丁寧に教えてくれている。それほど興味はわかないが、そういった情報もいろいろ知らないと社内の輪に入る事ができない。社内の人間関係は重要だ。必要以上に仲良くする気はないが、拒絶するわけにもいかない。グループで仕事をする事が多いし、部下と呼べる人間も増えてきた。打ち合わせ後の移動中や会議の合間にそういった流行りの話をすることは下手をすると仕事以上に重要な時もある。会社からスケジュール共有やチャットとか、便利なツールの利用が推進され、全ての行動がデータ化され効率を計算するようになってもしょせんタバコを吸う人間は0にはならないし、タバコ部屋が部署の垣根を超えた情報交差点というのは今も変わらない。そこで話したり仕入れた情報のみで、社内を上手く泳いで行く奴もいる。泳ぎながら食いついた餌が猛毒ということもあるので気をつけないとならないけど、、。

 タバコはすでにやめてしまったけれど、そんな俺が家では母親のイメージに固執する、マザコン野郎だと知ったらみんなはどう思うだろう。

 新しい客が入って来た。数年前ならこの街には不釣り合いだったであろう、普通な感じの若い女の二人組。俺たちは椅子を引いて二人を奥の席へ通してやる。狭い店が多いので通路なんてものはない。どこもギリギリ人が通れる隙間だ。店自体も隙間みたいなもんだが、この狭い空間だからこそ他の客とすぐに意気投合したりもできる。酒は素晴らしい。そして大抵は二、三杯飲んだら次の店に梯子する。そうやって馴染みの店を一周して帰って来る事を俺たちはパトロールと呼んでいる。前原とずっと二人で飲んでいるわけではなく、他の客と話し込んだり個々のペースで飲み歩き、どこかの店でまた落ち合うと言う感じだ。そこで今日知り合った面白い人物や美人の話を報告し合う。

「くっしー知ってる?」

 ママに呼ばれた。この界隈では知り合いには俺はくっしーと呼ばれてる。

「ホテル街の手前にIRバーが出来たんだって。」

 大体新しい技術は風俗業界から広がる。IRも一緒で想像力で作り出したえげつないコンテンツを売りにする店も多い。バーがオープンしてもそれほど話題にもなりそうにないが、

「なんか、催眠術士がマスターで、催眠状態でIRの世界に入っていろいろできるんで、まさにVRの世界に自分が入ったような体験ができるんだって。」

「それって戻ってこれるんっすかね。ハーレムとかに送らたら俺帰ってこれなさそう。」

「そうね前原ちゃんは危険ね。でも割とマジで思い出とかも呼び戻してくれるらしくて。年配の金持ちが結構通ってるらしのよ。」

「ああ、高いんすか。」

「いや値段はそうでもないらしいけど、必ずやってくれるわけじゃないんだって。マスターがその気にならないとかけてくれないんだって。一応バーがメインで催眠術はオマケらしいから。」

 思い出、そうか、その手があったか、催眠術で幼い頃に戻してもらえば、母さんの顔が思い出せるかもしれない。しかもIRでイメージを録画できる。

「ママ、その店の名前教えて。今から行ってみる。」

「先輩マジっすか、そういうの興味あったんですね。」

  前原は置いていこう。幼い頃のイメージ、それも母親の思い出なんて、人に見られるのは恥ずかしい。

「あの、横からすみません。そのお店私たちも連れっていただけませんか。」

 奥の女二人組が話しかけてきた。でもここは断って、

「え、君達も興味あるの。よっしゃ、じゃあみんなで行こう。ねえ先輩。」

 こう言う時の、前原の軽いノリは殺意を覚える。

 そのBARはゴールデン街の裏の道から東新宿のホテル街の入り口の雑居ビルの地下にあった。「Bar 2nd Memory]

 さっき知り合った女二人を連れて4人でドアをくぐる。時間が早いのか店の中に客はいなかった。奥からマスターらしき男が出てきた。そこそこ大きな音でフリースタイルのJAZZが流れ、何かハーブのような外国の香りが漂っている。

「4人いいですか、キューカンバのママに紹介されて。」

「どうぞ。」

 カウンターの端から腰を下ろす。内装はそれほど新しくない、前の店から居抜きで譲り受けたものだおうか、後ろのカーテンの奥にあるソファだけが、やけにゴージャスで大きいのが違和感を感じる。みんなを連れてきてしまったので、今日は偵察だけにしようと決めている。それぞれの酒を頼んだところで前原が話し出す。

「ここって催眠術をかけてくれるんですよね。それをIRで見れるってきいたんですよ。」

「ああ。ただ、あんたが望むような美女にもてもてのハーレムに連れていったり、スーパーヒーローにしたりは出来ないよ。まあ、できないこともないが店が狭いので暴れるようなものには誘導できないし、店でいきなりズボンを降ろされても困る。」

「はは、。」

 このマスターどうやら人を見る目はありそうだ。俺はというと母親の顔以外に特に目的がないので、連れてきた二人の女の体験でも観察することにしよう。

「あのう。どう言った依頼が多いんですか?一見でもやって頂けるんでしょうか。」

 さっそく片方の女が動いた。多分終電の時間も気にしているのだろう。催眠体験がどのくらいかかるのかわからないが、仮に1時間として終わって23時、そこから新宿駅まで歩いてちょうどいい時間だ。

「お嬢さん。基本うちはBARなんでね。飲む肴にするためにIRを置いているんだよ。それだけっていうのはちょっとね。3杯以上飲めとかそういうせこいことを言う気はないよ。ただこう言ったものは遊びだから、頃合いっていうものがあるのさ。それ目的ならそう言う医者とか占い館とかに言った方が話がはやいよ。」

 そういってマスターは自分でもお茶割りを作って飲み始めた。

「はあ、そういうものですか。客が見たイメージを撮っておいたりするのか知りたくて、、」

 落胆したように女がグラスを口に運ぶ。

「いじめてるわけじゃないよ。まあ、飲んでお話をしようじゃないか。なんでこの店に興味を持ったんだい。確かに希望があれば録画はする。隣の彼氏に見せたいイメージでもあったのかい?」

「彼氏じゃありません!。」

「おいおーい、そんなに全力で否定しなくてもいいじゃん。ガラスのハートが傷つくなぁ。マスターあのね。この子たちはさっきの店で偶然知り合ったの。で、先輩がこの店に来たいって言ってたのを聞いて、勝手にくっついてきちゃたんだよな。」

 急に棘のある言い方がわかりやすい。

「ふーん。あんたには此処に来る理由がありそうだね。」

 いきなり話を振られて、酒をこぼしそうになった。 

「いや、今度一人の時に相談するよ。」

「今日は偵察ってとこか。」

「なんすか。先輩なにか悩みあるんですか。俺聞きますよ。」

「いや、遠慮しとく。」

「なんすか先輩まで。傷つくなぁ。」

 と、さして傷ついている風でもなく女の方に向いて話だしてる。たいしたやつだ。

「なんでそう思った?」

「だってあんたが此処に興味を持ったんだろう。」

 そりゃそうだ。そう言ってここに来たんだ、考えればわかる。勝手に縁を作り始めてしまっていたようだ。

「客も少ないし、深くはやらないが試して見るかい?向こうでやるから会話は聞こえないよ。」

「なぜ俺を?隣のお嬢ちゃんにかけてあげればいいじゃないか。」

 前原たちは会話に夢中でこちらの話を聞いていないようだ。

「言ったろう。頃合いがあるって、あちらのお嬢ちゃんはまだその時じゃない。今日はあんたが頃合いだ。」

 最先端のIRを使い催眠術というアナログな手法をミックスして、言うことはまるでハードボイルドな占い師。で、新宿の地下のJAZZのうるさいBAR。出来過ぎだ。ゴールデン街に戻った時に話のネタにはなるかもしれない。俺はソファに移動した。マスターが厚いベルベットのカーテンを閉める。フカフカのソファーに座り。YWYを装着する。

「録画するかい。」

「ああ、頼む。」

「何を見たい?」

「母親だ、忘れちまった母親の顔が見たい。」

「何歳だ。」

「多分5歳か6歳。暑い夏だった。」

「この指を見ろ。ゆっくり息を吐いて、、、、」

 首根っこを掴まれた瞬間。目の前の世界が暗くなる。遠くで声がする。

「だんだん体が小さくなる。子供の頃に戻っていく。何の心配もいらない楽しかった時に。どんどんどんどん。」

 マスターの声と蝉の鳴き声が重なり始める。世界が明るくなる。日差しのコントラストの世界だ。自分の手が小さい。足元のコンクリートには円の穴ボコがたくさんあいてる。額に汗がにじむ。蝉の声が大きくなる。

「真一。」

 誰かが俺を呼んでいる。聞き覚えのある声だ。母さんの声だ。

「真一。」

 振り向くのが怖い。期待で胸が張り裂けそうだ。

 ゆっくりと後ろを振り向く。

 最初に目に入ったのはサンダルだ。白い紐のサンダルを素足で履いている。足の爪は薄いピンク色に塗られている。

 顔をあげる。

 白い足の上はひざ下丈の紺色のワンピース。白い花びらに赤い雌しべ。何の花かはわからない。麻のような生地。

 顔をあげる。

 半袖のワンピーウから伸びる白い腕、手には日傘が握られている。その爪もまたピンクのマニュキアが塗られている。

 顔をあげる。

 顔が、

 ジリリリリリリリリリリッリ。

 突然世界にけたたましい音が鳴り響く。世界が赤く点滅する。

「この指を鳴らすと戻ってくる。パン!」

 いきなり現実に引き戻された。

「なんで戻した!」

「馬鹿、火事だ。すぐに避難しないと。」

「先輩、やばいっす。煙り。急がないと。」

 無理やり起こされYWYを外し、前原たちと店を出る。廊下にはすでに煙が充満している。なんだってこんな時にしかもこのタイミング。出来過ぎだ。階段で地上に出るとビル内の他の店舗にいた客たちと集まってきたヤジ馬でごった返してる。消防車の赤灯が遠くに見える。

 もうちょっとだった。もう少しで顔が見えた。すぐに戻って続きを見たい。女たちが横で怯えている。マスターが近づいてきた。

「火が消えたら店にもどれるか。」

「今日はもうお開きだ、また次回。今日は店のおごりだ。またな。」

 そう言ってマスターは別の店のスタッフのところで話し込み始めた。どうしても諦めきれない。がどうしようもない。どうすると言うでもなく4人でゴールデン街に戻った。前原が大げさに実況話を始める。その大げさ加減が女たちのショックを癒して普通の状態に戻していく。俺は一人イメージの世界を引きずっていた。同じ事件を共有した俺たちはなにかの親近感が生まれたのと電車もなくなってしまったので、結局始発まで新宿で飲んだ。IRで見たワンピースの柄は鮮明に覚えている。女たちの顔はよく覚えていない。女の一人は催眠術で何が見えるのかを、何度も聞いてきたが曖昧な答えしか返せなかった。

 次の日つまり土曜日の夜に再度新宿に向かったが店は開いていなかった。地下はまだブルーシートが張られて床は水浸し、焦げ臭い匂いが立ち上っている。しばらく店は開きそうにない。あともう少しだったのに、なぜすぐに振り向かなかった。自分に腹がたつ。こんな時はタバコで気持ちを落ち着けたいところだが、数年前にやめてしまったことが悔やまれる。どうしようもないので、歌舞伎町で飯を食って帰ることにした。なんとなく騒がしいところに行く気がしなかったので、雑居ビルの5階にある24時間営業の個室のある飯屋に入った。この店が混むのは深夜なのでまだ個室は空いていた。日本酒と肴を頼み昨日の記憶を思い出す。焦ることはない、数日か数週間かまた店が開店したらマスターに頼み込んで続きを見せて貰えばいい。ここまで数十年待ったんだからそのくらいしょうがない。自分に言い聞かせて見てもどうしょうもない焦燥感。お預けを食らった犬の気分だ。そういった精神科的なものに行くことも考えたが、くだらない質問をいっぱいされて訳知り顔の医者の前で思い出すなんてことはしたくない。そういった意味であの店は俺のためにあるような店だ。一昨日まで存在も知らなかった店の常連気取りかと笑われそうだが、思う分には俺の勝手だ。店を出て区役所通りを歩く。なんとなく帰ってYWYをしようと言う気持ちにならない。あそこまでリアルな首から下を見てしまうと、顔だけモザイクのイメージは顔出しNGのAV見たいだ。バッティングセンターにでも行くかと方向を変えたことろで声をかけられた。

「あの。」

 振り向くと女が立っていた。胸のあたりまで伸びた長い髪。見たことあるような気もするが、そこらの飲み屋の女ではなさそうだが、

「昨晩はありがとうございました。」

 女が髪を後ろで束ねた。今朝まで一緒に飲んでた女だった。

 イメージのことばかり考えていてほとんど話をしていなかったので、はっきり顔も見ていなかった。昨晩は会社帰りだったんだろう、今日はラフな格好をしている。

「昨日のお店に行ってみたんですが、開いてなくて。」

「ああ、俺もさっき行ってみた。昨日の今日で来るなんて家は近いのか、」

「家は日吉です。」

 副都心線で一本か。俺も人のことは言えないがそれなりに理由があるのだろう。

「そんなに見たいイメージがあるのか。」

「ええ。まあ、はい。」

「あの感じではしばらく店は閉まっていそうだな。」

「そうですね。あの、マスターの連絡先とかお聞きになてますか。」

「いや残念ながら聞いてない。俺も聞いておけばよかったと思うんだが、昨晩のあの状態ではね。」

「そうですよね。ごめんなさい。」

 謝られることもないが、そのまま立ち話をしていても埒が明かない。

「俺は飯は食ってしまったけど、一杯くらいな付き合える。どこか行くかい?」

「いえ、朝までだったので、今日は帰ります。ありがとうございます。」

「そうか、じゃあ。あの店のことで何か状況がわかったらおたがい共有しよう。」

 連絡先を交換して別れた。なんだかバッティングという気分でもなくなり。結局ゴールデン街へ向かってしまった。

 翌週の月曜日は近く発表する、新商品のプロモーション方針が、社内で通達されたので、それに伴う調整作業で各部署は、それぞれ通常の倍ほどの作業を抱えることになった。大手製薬会社とコラボした機能性飲料の発売キャンペーンの企画で、社内コンペでIRにハマった俺が出したくだらない企画が通ってしまい。俺の在籍する部署も当然忙しくなり、各スタッフに作業や連絡を分担し、その対応と対策確認と資料のまとめに追われた。前原も同様で会話を交わす時間はほとんど取れなかった。ひとこと「おめでとうございます。」言ってくれた。頭の角には常に、ワンピースから伸びる白い腕が掴む日傘のその先のおぼろげなイメージが離れなかったが、それでも忙しさで紛れてしまえるこの時間はありがたかった、どのみちしばらくは店は開きそうにないのだから待つしかないのだ。土曜日にゴールデン街で仕入れた情報によると、出火はあの店のすぐに裏手だったらしい。ビルの管理スペースで通常は人が入れない場所らしく、不審火で警察が調べているらしい。仕事は結局終わらない分量だったので、終電でいったん帰ることにした。部下たちは先に返したので、フロアには数人しか残っていない。前原もすでに帰宅している。

 駅への道。ふと土曜日にあった女のことを思いだす。朝まで飲んだ翌日にまた店にやってくるほど、何か見たいイメージがあるのだろうか、俺の理由とは異なりもっと切羽詰まった事情があるのだろう。そう思うとあの時やはり順番を譲るべきだったのかと思う。俺のようにもたもたしないで、見たいイメージにたどり着いていたかもしれない。逆に俺も中途半端なイメージでモヤモヤしながら過ごす必要もなかった。マスターの言う「頃合い」ってやつがどんなものかはわからないが、そこは見誤りだったなと思う。

 結局その週はずっと同じような調子で忙しかった。他社には絶対に内容が漏れないように、新商品の情報は限られた部署しか知らされず、少しでも繰り上げて発表するという方針のせいだった。内容を知らない部署は知らされないまま対応を考えるという無茶をやらされて全員が殺気だっている感じだったが、それでも金曜の午前中の会議で全ての資料を提出し、一旦は部署の落ち着きを取り戻した。お疲れ会ということで部署内での軽い飲み会を開くことになりその夜は赤坂で飲んだ。店がどうなったか気になったが、女からも連絡がないから、再開していないのだろう。みんなと別れ、少し小腹が減ったので、24時間営業のテールスープの韓国料理屋で飯を食った。食い終わって路地に出ると、斜め前のバブルの名残的ビルの脇道に見覚えのある男を見つけた。偶然というのは時折本当に降りてくる、都内にいれば知り合いに会うのはそう珍しいことではないが、会いたくないやつに会う偶然の方が多いと俺は思っている。今日はその逆だ。男は2ndのマスターだった。

「マスター。」

 声をかけた。

「ん、ああ、あんたか。」

「覚えてますか。俺のこと」

「ああ、一応客商売やってるからな。あんときは火事に巻き込んで悪かったな。申し訳ないがここにのんびりしてられない。また、」

「店はいつ再開するんですか。」

 周りを気にする仕草だ。

「すまん。しばらくは無理だ。ちょっとまずいことになった。見つかるとまずいんでじゃあな。」

「誰かに追われてるってことですか。」

「ああ、あの放火もそうかもしれん。勘違いするなよ。借金取りに追われてるわけじゃない。」

 そう言ってマスターは足早に路地の奥に向かおうとした。

「すみません。連絡先だけでも。」

 そういった俺に近づき、声を潜めて。

「湯島のButterfly に行け。」

 とだけ告げて路地の横のさらに脇道に消えていった。

 追われる。借金取り以外なかなか考えられないが、一回しかあったことのないマスターの事情を推測する想像力は、持ち合わせていないので諦めて帰ろうとした時だった。路地の奥から来た3人組に声をかけられた。

「すみませんね。いま此処に男が来ませんでしたかね。50歳くらいのちょっと小太りで口髭の。」

 マスターのことだ。言葉は丁寧だが暴力の匂いがする男たち、ヤクザではなさそうだが今日日その辺は多様化している。黙っている俺に

「おい聞いているんだよ。」

 横にいたガタイのいい方が凄みを利かせてきた。

「ああ、すみません。その人かどうか分かりませんが、男の人が慌ててあっちの大通りの方に走って行きましたよ。」

 と、反対の方角を指差す。

「ありがとうね。」

 俺のことを値踏みするようにじーっと見て、男たちは大通りの方へ向かった。すぐにカバンからYWY を出し装着して、次に見かけた時にすぐにわかるように男たちの顔を思い出し録画した。とにかくマスターはそれなりにヤバイ状況にあることは間違いない。ハードボイルドな雰囲気はハードボイルドな生き方をしていると自然に出てくるものなんだな。などと傍観者のようなことを思いながら溜池山王駅に向かった。とにかく今週は疲れた。ほとんど寝てないのでさすがに眠い。裏道を抜けて料亭の脇を抜けたところで黒塗りのワゴンが狭い路地をすごいスピードで走りすぎた。助手席の窓からちらっと車内が見えた。マスターだ、助手席にはさっきのガタイのいい男。マスターは捕まってしまったようだ。追いかけようとしたが、車は猛スピードで大通りへ曲がって走り去った。とりあえずYWYに車のナンバーを記憶した。警察に通報しようかと思ったが事件性があるかもわからないし、そもそも名前もわからないでは取り合ってくれないだろう。

 ドラマでも見ているかのような展開に、本当はまだ催眠術にかかったままで、そこで右往左往する俺をみんなが見てるんじゃないかとも思う。飲み屋のマスターが酒の肴に店を盛り上げてるんじゃないかと。だが、そうだとしたらこの本物感、現実感、すげえな。こりゃなんでも出来るぜ。さらに IRでそれをみんなに見せられるとしたら、掛け値無しの最高のエンターテイメントじゃねえか。ただし俺が主人公以外の場合だ。俺を肴に酒を楽しむなんて悪趣味は許せねえ。疑い始めた瞬間からなんだか考える口調まで変わってきた感じがする。それを確かめるすべは今の俺にはない、唯一そんなわけないと思うのはそれほど激しい展開じゃないこと、この程度の偶然と事件では肴にはならないんじゃないかということだ。前原は喜んで見そうだが、所詮内輪受けの域を出ていない。車に飛び込んでみるか、死んだらさすがにどっちかわかるはず。何を考えてる。ああ、なんだかおかしくなりそうだ。まずは死んだように寝よう。すべてそれからだ。

 次の日は一日中寝て過ごした。マスターのことも思い出したが、どうしようもないのでまた寝た。新宿であった女に昨日のことを連絡しようかとも考えたが、どう話していいかわからないのでやめた。本当は新商品のプロモーションの準備に参加しなくてはならなかったが、思いつきで出したアイデアなんでそこはみんなにまかせよう。これからどうする。とにかく週が明けたら湯島に行こう。Butterflyが店の名前なのかもわからないが手がかりはそれしかない。

 翌日の日曜日は新商品の発表会が開かれた。月曜日のワイドショー狙いだ。本当は金曜日の方がメディアが集まりやすいがそれはしょうがない。その商品のパッケージに俺が関わったわけだが、俺が出したアイデアはこうだ。ただの白い箱。最低限の成分表記などはあるが後は商品名もデザインもいっさいなし。みんなIRで自分の想像力で好きにデザインしてくれということ。たまたまYWYを購入してはまり始めた時だったのでアイデアを求められた時、何も書いていない白いパッケージにお客が勝手に想像して貰えばいいんじゃにですかと話した。経緯はわからないが、それが上層部にまで届き、面白い、画期的だとなったらしい。それからはことあるごとに呼び出されいろいろ企画に参加させられたが、所詮思いつきのアイデアだし、そこまで深く考えていなかったので、各部署の力を借りてなんとかこの瞬間までこぎつけた、当然IRを使っていない客にはただの白い箱なので、クレームも問い合わせも多数来ることが想定される。俺の一言で、全員を忙しくさせてしまったという申し訳なさしかない。アーティストや芸人がステージでYWYを着け、想い想いのパッケージをイメージ化していく。キャッチコピーは「only you !」。普通なら認められて喜ぶところだが、特に出世に興味のない俺としては、臨時ボーナスでも出してくれればそれでいいのだが、、。イベントには前原も参加していた。 

「先輩すごいっすね。もう窓際一直線なんて言わせませんよ。」

「たまたまだ、一生に一回くらいこんなことがあってもいいだろう。それより先週いった催眠術BAR覚えてるか?

 一昨日偶然あの店のマスターにあったんだ。」

「へぇ。本気ッすか、早苗ちゃん探してるみたいですよマスターのこと。」

「早苗?」

「望月早苗。一緒にBARに言ったじゃないですか。」

「あの子早苗て名前なのか。」

 苗字しか聞いていなかったので名前までは知らなかった。

「お前連絡とってるのか。」

「はい。二人とも取ってますよ。早苗ちゃんの方はノリがイマイチですけど、優子ちゃんの方とはあの後一回飲みにいきました。」

 あのくそ忙しい時に飲みに行ったのか。流石としか言いようがない。

「早苗ちゃんに教えてあげたらどうですか。」

「それがマスターは誰かに連れていかれてしまったんだ。」

「なんすかそれ、誘拐?拉致?かなり穏やかじゃないですね。」

「そうだなキャバクラのキャッチに追われてるって感じじゃなかった。」

「なんか立入禁止な感じですね。」

「ああ、どうすればいいか困ってる。」

 湯島の話はあえて伏せておいた。前原には関係ないことで巻き込むのはかわいそうに思ったのと、かき回されたくないの両方の理由で。発表会も無事終わり、新橋の居酒屋で軽い打ち上げをして解散した。帰り道、望月早苗からメッセージが入った。内容は「マスターに会われたのですか?」前原だ。あのおしゃべりめ。見かけたけれど話は出来ていないと返した。

 次の日つまり月曜は多数のワイドショーやニュースサイトで取り上げられた影響で、朝から問い合わせが集中して大騒ぎだった。夕方から役員に呼ばれ、得意先や代理店の役員に紹介され、そのまま会食という流れになった。次の夜もその次の日の夜も予定を入れられてしまい。すごい企画ですだの、さんざんおべんちゃらを聞き、その度に謙遜するの繰り返しで、役員と得意先に連れられ銀座のクラブを連日はしごして、やっと解放されたのは木曜日だった。それでも金曜も来週も夜はスケジュール埋まっている。今日解放されたのはうちの担当役員のスケジュールがたまたま埋まっていただけのことだ。本当に最悪だ、マスターも気になるしイメージの補完もできない。とりあえず、マスターのことは顔の広い前原に、そう言った案件に対応できそうな人がいないか動いてもらうことにした。巻き込む形になってしまうが背に腹は変えられない。俺は連日の呑みで体調最悪だが、今日しか時間が取れないので、とにかく湯島に向かった。千代田線で湯島に向かいそこから歩く。検索でひっかかった店は一軒。それも店の紹介サービスとかではなく、個人のブログで一行書いてあっただけ、あえて登録を避けているんだろうか情報はほぼ0。春日通りから2本ほど南に入った路地の雑居ビルの2階。看板はない。階段で2階に上がるとドアにプレートが貼られていた。「Butterfly dream 」ノブを回して扉を開ける。中はカウンターだけのbarのようだった。ようだったというのはカウンターの後ろの棚に酒が一本も置いていない。カウンターの奥からには老婆が一人出てきた、70は越えているだろう。紫がかった白髪に黒い鼈甲の眼鏡。

「すみません。新宿の2nd memoryのマスターのことで。」

「酒を買っておいで。」

「なんですか、」

「店を出て左に行くと大通りがある、そこを渡ると酒屋がある。呑みたい酒を買っておいで。」

 有無を言わせぬ雰囲気にとにかく店を出た。また怪しい展開だ。だが今はここにしか手がかりはない。とりあえずラフロイグを買って店に戻る。

「買ってきました。」

 老婆は酒を受けとると棚に酒を置いた。ほかに何もない棚に酒が一本。その棚から酒を取りグラスに2杯注いだ。ストレート意外の選択肢はなさそうだ。一つを俺の方によこすと、真っ直ぐに俺の目を見て

「神を信じるかい。」

 なんなんだこの芝居がかった展開は。

「無神論者ってわけではないけど、信じてるかと言われるとそうでもない。困った時と初詣くらいしか祈らないですかね。」

「ありきたりで、つまらない答えだね。」

「はあ? なんで神なんですか。俺はマスターのことを聞きにきたんです。先週赤坂でマスターが男たちに連れ去られるのを見たので。」

「IRとかいうのが出来てから、世の中随分変わっちまったもんだね。偶像崇拝を禁止していたはずの宗教も、イメージする神様を共有することで信者を増やしたりしてさ。」

 俺の質問は御構い無しだ。

「想いって言うのかね、祈りと言うのか、そう言ったものは世界中で思っているいる人がいるわけだろう。そう言った想念のエネルギーと言うのがどこか、そうだね想像するに空の上の方に溜まっていくんじゃないかね。そう言った途轍もない数の人間の想念の塊を神と呼ぶんじゃないかと私は思っていたんだよ。ただ最近思うのさ、命の進化の先にある精神だけの生命体のことを。」

 難しい話でよくわからないが兎に角、この話を聞くしかいなさそうなんで酒を飲む。ラフロイグの海臭さがストレートに鼻に抜ける。

「神さまって言うのはさ、そういった、信じるとか祈るとかっていう想いのエネルギーを食ってる精神生命体なんじゃないかと。だから信者の少なくなった原始の時代の神様は消えていくんだよ。逆に信者が増えればその神さまの力は増していく。だから宗教戦争は無くならないのさ。神さまも生活がかかってるってことさ。」

「そんなもんなんですかね。」

 だとすると俺はなんの食料も提供していないかもしれない。もし母さんが神だったら俺は相当送っているけど。

「あんたもこんなところまであいつの事を聞きに来るってことはなんかそれなりの想いがあるんだろう。そうでもなきゃあいつがここの事を教えるはずがないからね。あんたがあいつの店に行ったのも偶然じゃないよ。シンクロニシティって聞いた事あるだろう。一見偶然に見える出来事も当事者の間では必然であるとかいうあれだよ。」

 このまま、高い壺でも買わされような感じだが、妙な説得力を感じている。

「何かを強く想うことでそのエネルギーは何かの作用を及ぼし始めるってことさ、それがIRによってイメージを形にする事でより強固な想いのエネルギーを作っている。漠然とした想いより、より具体的な想いの方が力を込めやすい。それが自分の周りに影響していくんだよ。苔の一念岩をも通す。って言うだろう。」

「じゃあ、俺の想いがこの一連の出来事をを引き寄せてると?マスターが捕まったのも?」

「すべてじゃないよ、図々しいね。あんた一人の想いが世の中全部の物語を動かすなんてことはないさ、その一部を演じる役回りが回って来ているってこと。結末は誰にもわからない。ただこれからも思い続けることで目的に近づいていくだろうね。あんたにはあんたが主役の物語がある。その物語の結末はあんたの行動で変わって来る。だから自分のイメージを描く時や日々の行動に注意をはらいな。どこでなにが繋がっているかわからない。」

 老婆が一枚の紙を差し出した。1万円と書いてある。会計ということか。自分で買ってきた酒を飲んで金を払わされる店か、納得いかないが占い師のように話は的を得ている気がしてしまう。これもテクニックなのか、誰にでも当てはまるような気もするが、それはどう受け取るかだとも思う。とりあえず1万円札をカウンターに置いた。いつのまにか美味そうな魚の煮付けと小鉢が出てきている。

「あいつは大丈夫。死んだりはしていない。すぐに戻ってくるさ。それなりに世の中を泳いで生きてきてるからね。少なくともまだ戻ってきてはいないけど。こんな世界に生きているから金の匂いには敏感だ、きっとなにか厄介事に首を突っ込んだんだろうよ。酒はまだ十分に残っている。あたしはちょっと喋りすぎた。ここからはあんたの話を聞こうかね。」

 何から話そうか、とりあえず母さんのことか。結局4時間かけてボトルを全部飲み干した。老婆は動きがあったら連絡をくれると約束してくれた。


 翌日からまた会食や取材で時間を取られてしまった。必然的にYWYに関する話題や触れる機会が多くなる。会社には数年前からプレリハという制度が導入された。社内プレゼンテーションに臨む前に、IRで擬似プレゼンテーションをして、参加者に共感・称賛されたイメージが明確に組み上げられた場合のみプレゼンのステージに立てるというものだ。だがそれはそれほど自分の企画に酔いしれる思い込みの激しいプレゼンを増やしただけで、すぐに使われなくなった。だがプレゼン前に成功したイメージを持つことで、緊張なく正確なプレゼンができると言うことがわかりプレゼン前のドーピング的に使われるようになった。きっかけはスポーツ選手のメンタルトレーナーが大一番の試合に臨む選手に、勝利のイメージや表彰台で称賛されるイメージを描かせたところ、無駄な緊張が取れ普段通り以上のパフォーマンスを見せたというデータからだった。いまでは引きこもりなどで、社会に出ることに足して恐れを持っているやつらに、IR で、自分が周囲の人間に求められたり、応援されているところをイメージさせて社会復帰することに役立てられてるらしい。IRで自分のイメージに囚われ引きこもったやつを、IRで呼び戻すというのも皮肉な話しだ。あいにく俺はそこまで繊細なハートを持っていないのでその効果はイマイチわからない。想像力に乏しいという理由も関係あるだろうが。なにしろそんな俺がIRの企画で一躍時の人になってしまった訳で、これまで全く付き合いのなかった同僚から慣れ慣れしく声をかけられたり、女性社員から話しかけられたりすることが多くなった。嬉しい気持ちがないといえば嘘になるが、正直めんどくさい方のパーセンテージが勝っている。しばらくはこの状態が続くと思うと暗い気持ちになる。上司も自分の手柄にすればいいものをと思うが、案外まともな会社なんだなと妙なことに感心してる。

 午後にはキャンペーン第二弾のお題を考える作業を言い渡され気分はさらに落ちていく。いっそプレッシャーによるストレス症でしばらく休暇を取ろうかとも考えたが、残念なことにストレスもそれほど感じない、面倒くさいだけだ。ただ老婆の言葉が気になる。強い想いは人を動かす。確かに全体にやる気のなかった俺が母親のイメージを見たい一心でYWYにはまり、2ndに行き、湯島に行く。そして会社ではかつてないくらい仕事をしている。やる気とか行動力というのなら、俺は現在、人生で一番動いて考えて、そして生きているかもしれない。

 梅雨も明け本格的に夏がやってきた、ここ数十年の異常気象は当初氷河期の始まりだとか日本も熱帯化だとか言われ騒がれたが、もはや異常が当たり前のようになっていて、気象記録を塗り替えることは特にニュースにもならない。しかも地球規模だ。案外人はどこでも生きていける。きっと俺が子供の頃は今ほど暑くなかったのだろう。でも記憶の中の母親がいる陽炎立つの坂の昼下がりは今よりも暑かった。それは間違いない。気温とか湿度とかそういう話じゃない。日差しが強すぎて光と陰のコントラストでモノクロームのような世界。熱く暑い世界。

 忙しく仕事をこなしながら時間は過ぎていった。商品の売り上げも好調でSNSには皆が描いたパッケージが踊った。そして一週間が過ぎたころ前原から飲みに誘われた。進展があったらしい。

「久しぶりな感じするな。」

「そうですね。先輩大忙しですもんね。」

「なんかわかったのか?」

「はい、だいぶ苦労しましたよ。僕は探偵じゃないっすから、先輩にもらった画像の男を検索しましたが見つけられなかったので、ちょいヤバイ系の知り合いに聞いて見たんですよ。」

「危険じゃないのか?探してることがバレるだろう。」

「それなんですけど、結局そっち系では見つからなかったんですよ。でね。こっからがすごい偶然なんですけど。早苗ちゃんが知ってたんですよ。」

「はあ?どういうことだ。」

「それがですね。どうにもこうにも行き詰まってしまって彼女たちと飲んでいるときにその話をしたんですよ。」

「おまえまさかマスターが拐われた話したのか?」

「いや、まあ成り行きで。」

 なんて野郎だ。

「そしたらなんと早苗ちゃんのお父さん関係の会合で見たことがあるっていうんですよ。」

「お父さん。お父さんて何者だ。」

「驚かないでくださいよ。厚生労働省の偉いさんらしんですよ。」

「マジか?厚生労働省。まあいい。その親父関係の会合ってなんの会合だ?」

「なんか製薬会社の会合っていうかPARTYだったらしいです。」

  製薬会社のPartyに家族で参加。内容によってはないこともないかもしれない。カンファレンスのあとのパーティに家族を呼ぶというのもあるのだろう。するとあの男たちもどこかの関係者ということか。

「それで、新宿に行ったのも、そのことが関係していたらしいですよ。」

「どういうことだ。」

「細かくは聞いてませんが、婚約者が行方不明とかで、その彼氏が新宿の催眠術BARに行くっていうのを聞いていたらしくて、手がかりっていうんですかね、なんかわかればと思って行ったらしいですよ。で友達誘って新宿来たものの店を見つけられなくて、探し疲れて休もうとした店で僕らにあったと。」

「ほんとか、そんな偶然あんのか。」

 でも俺も偶然の連続を体験している。人からすれば飲み屋でネタにするような話でも、当事者である俺たちには大事なことかもしれない。

「それでこの男たちの素性はわかるのか?」

「いやそこまではわからないらしいです。」

「もしかしてその婚約者もそのPartyがらみか?」

「よくわかりましたね。そうなんですよ。」

「バカにしてんのか、この流れどう考えてもそうだろう。」

「先輩最近冴えてますよね。IRでなんか覚醒しちゃったとか。」

 確かに想像力に乏しかった俺が、先を読んで状況を想像してまとめることが出来ている。いや、調子に乗るな。すべて思い込みかもしれない。整理しよう。無理に俺の話と結びつけることはない。俺は母親の顔を思い出しくてたまたまあのBARに行った。とりあえずそれだけだ。望月早苗は失踪した恋人の手がかりを探して偶然ゴールデン街で俺たちに会った。そしてあの店の手がかりを得た。俺たちと行ったときも本当は彼氏のことを聞きたかったんだろう。前原を彼氏と言われたときの反応も納得だ。そしてあの火事騒ぎ、理由は違えど俺たちはマスターにもう一度会う必要がある。そしてマスターが連れ去られたのは望月早苗の彼氏がらみの可能性が高い。俺の理由より彼女の理由の方が重く急を要する案件だ。そうなればそちらに協力しよう。俺の件は後回しにするしかない。

「よし、まず彼女に会おう。」

「そうなると思ってもう呼んであります。新橋で待ち合わせです。」

「流石だ。」


 新橋に移動して待ち合わせの店に向かった。駅前のビルの地下の飲み屋街。こんな時はもう少し静かな店を選ぶもんかと思うが、そこは前原なりのチョイスがあるんだろう。待ち合わせの場所に望月早苗は先に到着していた。

「どうも、」

 半袖の紺のワンピースにサンダルという出で立ちに、一瞬イメージの母親を重ねてしまった。自分でも思うが病気だな。このまま紺のワンピースフェチになりそうだ。

 彼女の話をまとめるとこうだ。マスターを拉致した男たちを見かけたのは大森製薬のPARTY。客という感じではなくスタッフというか警備員のようだったいう。彼氏は大森製薬の研究者とのこと、普通は研究者がPARTYに出ることはないらしいが、彼女の彼氏ということでむしろ彼女側の連れとして出席した。大森製薬主催ということを考えると男たちは大森製薬の人間もしくはイベントの警備等で雇われた人間ということになる。そして大森製薬といえば今回俺がプロモーションを担当した新ドリンクのコラボ先だ。これもすごい偶然だ。

「で、彼氏の失踪になにか心当たりは?」

「それが、ずっと考えているんですけどわからなくて、」

「彼とはうまく行ってたの。」

「前原それは失礼だろう。」

「いえ、彼は最近忙しくてなかなか会う時間は作れなかったんですけど、私が焼いたパンを差し入れしたりして短い時間でしたけど週に2回くらいは会いに行ってました。少し疲れているようではありましたが、失踪するほど何かが起こっているとは気が付きませんでした。」

 それはそうだろう。もう失踪して数週間ずっと考え続けていたはずだ。

「へぇパン作りが趣味なんだ。今度僕にも食べさせてよ。」

「え、あ、はい。今度焼いてきます。」

 こんな流れでよくそんな話が出来るものだ。

「警察には?」

「はい、捜索のお願いはしました。ただ、事件性があるかわからないので捜査はしてくれていないと思います。」

 確かに警察も暇じゃない。年間に何人の人間がいなくなるのかわからないがその全てを操作は無理だろう。

「彼、あ、名前は山口徹って言うんですけど、新しい薬を開発していて、それはなんだかIRに関係した薬品だったらしく、それでうちの父親も関係していたらしいんです。そのことに関係するかどうかわからないんですけど新宿のあのBARに行ったらしいと同僚の方が。」

  IRに関連?なんだかリラックスさせてイメージを描きやすくなるハーブがあるとか聞いたことがあるな。そんな感じか。あのBarもなにかそんな香りがした。

「なんかカビを研究しているとか言ってました。」

「カビ?俺たちにはまったくわからない世界の話だな。ペニシリンて確かカビから取れる薬だったか。」

 IRに関係する薬品を作っていた山口という男、その男が催眠術のIR BARに行った。そしてその後行方がわからない。そのBARのマスターは製薬会社の人間に連れて行かれた。

「マスターに催眠術をかけられて見たイメージに問題があるとか?」

 黙って聞いていた前原が口を開く。

「わかりません。それを聞きたくてあの日お店に行ったのですが、、、」

「悪いな、俺が物欲しそうな顔していたんで、」

「いえ、とんでもありません。最初から切り出せば良かったのですが、ああいったお店初めてだったもので、、」

「とにかく、あいつらを探そう。望月さんが製薬会社に行くのが一番自然だと思う。実は俺も大森製薬本社なら打合せで何回か行ってる。ただ昼間はほぼ仕事が詰まっててほぼ動けそうにない。やはり望月さんだな。仮にそいつらに会ったとして、いきなりBARのマスターの話をするわけにもいかないだろうし。、、、、そいつらを見つけたらとにかく俺たちに連絡をくれ、尾行などやったことないが、探偵の真似事をしてみよう。」

「なんか面白くなってきましたね。」

「バカ、彼女の気持ち考えろ。」

「あ、ごめん。そういうつもりじゃ、」

「いえ、助けていただいてすみません。」

「そうだ、先輩。そういえば俺もYWY買ったんですよ。しかも新型YWY003ですよ。」

「ほんとか、なんか共有モードが着いたらしいな。」

「さすが先輩よくご存知ですね。早苗ちゃん、、は、やらないか、、いや、ただ、なんかバグがあるっぽくて、新機能の5人までの共有モードがあるんですけど、共有しないモードでもつながったりするみたいで。」

「それはお前の場合妄想が人に共有されちゃうってことか。」

「はは、そういうことです。わざとしない想定で共有すルっていうテクニックとしても使えますけどね。相席IRとかで。」

「何て言っていいかわからんが、お前は絶対に何があっても生き残りそうだ。あ、すまん。話を戻そう。」

「いえ、大丈夫です。お二人って本当に仲良いんですね。なんだか兄弟みたい。」

 そう言って望月早苗は笑った。どうも最近IRの話題に食いつきすぎる。これは依存症一歩手前かもしれない。段取りはこうだ。望月早苗が有給を取り大森製薬を見張る。そして写真の男が現れたら俺たちに連絡。前原は全く関係ないけど行きがかり上参加決定だ。二日後から始めることにして解散した。

 翌日からも忙しく仕事をこなさなくてはならなかった。 IRに関係した話題に多く関わらなくてならないので情報が沢山入ってくる。世間では「ゴースト」という話題が多くニュースやSNSで囁かれている。IRで見たイメージがYWYを外した後にも見えるという話だ。なにも装着していない状態でも目の前にイメージが見えるという体験をあげる人々が増えている。当然録画共有出来ないので自分にしか見えない。だから検証は難しい。まるで幽霊のように見えるイメージから「ゴースト」と呼ばれるようになったらしい。研究機関が本格検証を始めるというニュースが流れている。装着しなくても見えるなら便利とか持ってしまうのは不謹慎か。顔がぼやけた母親がずっと目の前に立っていたらそれはそれで怖いかもしれない。スマフォが普及し始めたころにはスマフォや携帯が振動していないのに振動を感じてしまう幻想振動症候群が問題視されたが、こんどのは幻想幻視症候群とでも言われるのだろうか。

 数日は動きがなかったが、週明けの月曜日、望月早苗からあの男たちが現れたと連絡が入った。大森製薬との打合せということにして会社をでた、前原を連れ出したが、最近の社内評価で、隣の部署の部長も快く前原を貸し出してくれた。大森製薬は品川の湾岸側出口にある。本社を移転したのが確か10年くらい前だったと思う。長い渡り廊下を渡り港南口に出た。そこから歩いて10分。本社の一階ロビーに行くと望月早苗が待っていた。

「こんにちは、ご足労かけてすみません。男たちは二時間ほど前に中に入って行きました。まだ出て来ていないです。ちょうどここからエレベーターが見えるのですが14階で止まりました。」

「わかった、望月さんはここで見張っていてくれ。俺たちで中に入ってみる。」

 望月早苗が頷く。前原と俺は受付に向かう。

「すみません、三善食品の櫛田と申します。健康機能食品部本田部長いらっしゃいますか、アポは取っていないのですが近くまで来たのでご挨拶をと思いまして。」

「承知いたしました、確認いたしますので少々おまちください。」

「ありがとうございます。」

 本田さんが在席だったので、パスを受け取り本田さんの部署の8階に向かった。社交辞令的な挨拶をし、お茶を一杯飲んでお暇することにした。エレベーターまで見送ってもらい扉が閉まるのを待った。行き先階ボタンは7階を押す。7階で扉を閉め14階を押して上階に向かう。14階は役員フロアーの様だ。他のフロアーとは内装が違ってラグジュアリーな感じだ。

「なんかドキドキしますね。」

 真顔の前原を見るのは珍しい、こいつでも緊張することがあるんだと思うことで少し気が紛れているが、手には汗をかいている。忍び込むという行動がここまで緊張するとは思わなかった。

「ばか、忍び足はやめろ普通にするんだ。」

「あ、すみません。つい。」

 廊下には誰もいない、秘書室的なものもないようだ、フロアーマップ的なものはないので、一つ一つ見ていくしかない。一旦廊下の途中の洗面所に入るが、さてどうしたものか、それなりの造りなので部屋の中の声が漏れてくることもなさそうだ。

「これ使いましょう。」

 前原取り出したのは超小型カメラだった

「これを廊下の角に転がしておけばこのトイレの中で見れます。」

「準備がいいな、おまえ盗撮とかしてないだろうな。」

「ひどいなぁ、スパイもの映画とか好きなんですよ。」

「まあいい、使ってみよう。」

 廊下の突き当たりの窓の桟に置いて洗面所に戻る。スマフォの画面に廊下が映し出されている。暗い廊下でも鮮明に明るく映っている。暫くこのまま待つことにした。前原には先に受付に降りてもらって望月早苗と合流してもらった。10分後、奥から2番目の扉が開いて数人の男が出て来た。二人見覚えがある。一人は探している男、もう一人は確かここの取締役だ。そのままエレベータに乗って出ていった。一旦10Fに止まってそのあと下に向かったのを確認した。そのまま追いかけるか、残って部屋を調べるかだ。前原に電話した。

「今男が降りていった。多分駐車場だ。前原はその男を追ってくれ、見失ってもしょうがないから深追いはするな。俺は男が出てきた部屋を調べる。」

「そうなると思って今駐車場です。先輩が赤坂で見た車がありました。僕の私物のiPhoneを貼り付けたのでバッテーリが続くかぎり『iPhoneを探す』で場所は特定出来ます。」

「おまえ転職した方がいいぞ。」

 もちろん褒め言葉だ。

 男たちが出ていった部屋の前に来た。ノックをしてみる。応答はない。扉を押して開ける。広めの会議室だ。特に何も残っていない。

「何か?」

 突然後ろから声をかけられた。

「あ、すみません。受付でこの部屋にと言われたのですが、誰もいらっしゃらないようで。」

「ああ、そうですか、ちょっと待ってください。この部屋は今えーと近藤取締役の予約になっておりますね。」

 ああ、さっきの男は近藤という名前だった。確か本田部長の上司だ。

「連絡を取りますので少々おまちください。」

 こうなったら覚悟を決めよう。あの男と近藤が一緒にいたということはマスターの件に絡んでいる可能性が高い。何か聞き出せるかもしれない。

「失礼ですがお名前を。」

「三善食品の櫛田です。先ほど本田部長にお会いしたのですが、せっかくなので近藤取締役にもご挨拶をと、」

「ああ、三善食品の櫛田さま。新商品大ヒットおめでとうございます。私も飲ませていただだきました。あいにくYWYを持っていないので、サインペンで子供と絵を描かせてもらいました。」

「そうですか、ありがとうございます。御社とのコラボのおかげです。」

「いえいえ、おかげさまで弊社の開発部門もこれで新薬の開発に弾みがついたと喜んでいると聞いております。近藤は10Fにおりますのでご案内いたします。」

 案内され10Fに降り、近藤の部屋に通された。近藤は笑顔で迎えてくれた。

「どうも、櫛田さん一度お会いしましたよね。あなたの企画で大きな話題を呼び、そのまま売り上げの伸びにつながっていると聞いてますよ。今日はどうされました。」

「近くまで来たので本田部長にご挨拶に伺ったのですが、近藤取締役にもご挨拶できたらと思いまして。この度は大変お世話になりました。」

「いやぁなにをおっしゃる。弊社の健康機能食品部門も御社のおかげで大変活気付いておりますよ。」

 恰幅の良い近藤からは悪い印象を受けない。それも所詮俺の見立てなので信用は出来ないが、、。さて、何をどう切り出そう。

「ありがとうございます。思いついたアイデアがたまたま当たったというだけですので、弊社の他の社員の努力の賜物です。」

「おお、謙遜されるとことが流石ですな。今の潮流に乗った最高の企画ですよ。この想像力社会に向けて、想像力を活性化するためのサプリを弊社が開発を始めて20年。やっと完成したものを、御社の飲料業界に置けるブランド力とコラボさせていただいて世に出すことが出来ました。当然今後は当社でもオリジナルのサプリメントの販売を目指しますが、この商品のヒットでその道筋が立ちました。想像力医療業界で出遅れた弊社にとっては、とても重要なプロジェククトです。良いものを作っても認知されなくては使われるまでに至らないケースが多いものでね。」

「恐縮です。」

「いやぁ、本当にうちで引き抜きたいくらいですよ。うちはどうも頭が固くて。まあ製薬会社なんであまり突拍子もないことは出来ませんが、、、。」

「あの、話は変わるんですが、厚生労働省の望月さんはご存知ですか?」

「はい?」

「いや、たまたま望月さんの娘さんと知り合いでして、最近会っていないんですけど、前に彼氏がここの研究者だと聞いたもので。確か名前は、えーと、山口さん。ここに打ち合わせに来るたびに、本田さんに聞こう聞こうと思っていたのですが、毎回忘れてしまっていて、今急に思い出しました。」

 明らかに表情が変わった。

「うーん。山口ですか、うちの研究員も結構人数いますからね。本田の方が知っているかもしれませんが、私はちょっと覚えがないですね。望月さんもお名前存じあげておりますが、確か医政局長さんでしたか、そこまでお付き合いがないので、うちの社長はお付き合いあるかもしれませんね。私ごとき平取がお話していただけることはないですよ。」

「そうですか、すみません。何か御社との接点を探して話題が繋げればという浅ましい考えでしたが、申し訳ありません。そうですよね。沢山いらっいますからね。そもそもま大分前の話なのでまだ付き合っているかもわからない話で失礼しました。早苗ちゃん、あ、娘さんですが、昔は妹みたいに可愛がっていたもので、その彼氏となるとちょっと気になってしまって、はは、。」

 俺はうまく演技できているのだろうか、自然に振舞えているのか、多分出来ていない。わざとらしい俺と表情がこわばる近藤を観客はどう評価するのだろうか。なんてことを考えたら少し落ち着けた。近藤は何かを考えているようだ。

「今度それとなく聞いておきますが、なかなか社員のプライベートに踏み込むことは難しいのでね。この御時世。」

「そうですよね。私も何を言ってるのか、、本当に申し訳ありません。ではご挨拶だけのつもりでしたのでそろそろ失礼させていただきます。お時間ありがとうございました。」

「いえいえ、いつでも歓迎いたします、今度はプロモーションアイデアの話を聞かせてください。」

 役員室をあとにしてビルを出た。表通りから前原にメッセージを送る。尾行中とかなんとかで着信音がなったらやばいのではと一応の配慮をしたわけだ。どっと汗が出る。慣れないことをすると倍以上疲れる、緊張が解けない。だがこれで何かあるといことはわかった。社員が失踪しているのだ、流石に話題に上らないわけはないだろう。それを知らないと誤魔化したわけだ、Bar 2nd Memoryに山口は行った。そして行方がわからなくなった。そしてその店のマスターが大森製薬の関係者に連れ去られた。山口は新薬を開発していたと行っていたか、そこに何か関係があるのだろうか。仮定してみる。山口は新薬に関する何らかの重要な情報を持っていたがそれを2ndに忘れた。マスターは金の匂いを嗅ぎつけ売ろうとした。いやいや今時コンプライアンス的に重要なデータを簡単に持ち出せるわけはないし、ましては飲み屋に忘れるなどというミスを犯すようなことはしないだろう。それは相当間抜けだ。まして仮にそうだとしてそれが重要なデータだとマスターにわかるわけがない。データか書類かそう行った具体的なものの可能性は低いだろう。ならばなんだ。山口の研究はIRとカビに関する新薬と言っていたか、IRでカビ、、、。イギリスの研究でゴルゴンゾーラチーズを食べた日は不思議な夢を見やすいという研究レポートが発表されたと、以前飲み屋で前原が語ってなかったか。ゴルゴンゾーラは青カビだったはず。IR で想像を画像化するときにカビが脳に及ぼす影響は関係するのだろうか。まさか今度の飲料にその薬品が使われているということはないだろうか。そもそもそう言ったものはYWYなしでも人に幻覚を見せるのだろう。マスターの催眠術を山口が受けたと仮定しよう。そこで何かを見た。そしてそれは店に録画されてしまった。それが大森製薬にとって不都合な映像だとしたらどうだ。マスターを拉致するほどの映像とは何だ。例えばその薬品がちょっとばかり幻覚を見せる要素が強かったとして、そんなものを国が許可をするだろうか、! 望月早苗の親は厚生労働省だったか、もしかしてそこまで絡んでいるのか。

 前原からの着信だ。

「先輩、車の現在位置ですが江東区の大森製薬の工場のようです。向かいますか?」

「早苗さんも一緒か?」

「はい。横にいます。」

「工場にに向かう前に話しておきたいことがある。今どこにいる?」

「駅前のレンタカー屋です。そこに来れますか?」

 レンタカーを借りて三人で車に乗り込んだ。

「早苗ちゃん。今回の件に君のお父さんが絡んでいる可能性はあるか?」

 単刀直入に話す。

「というか山口くんとお父さんは親しくしていたのかな、それと山口くんがいなくなったこの件に対して、なにかコメントはあったかい?」

「お父さんですか、あまり家では話をしないのですが、母から話をしてもらったら、一応当たれる所を聞いてみると、、。」

「直接相談していないのかい。どうして?警察に行く前にまず親父さんに相談するのが普通じゃないか。」

「今月に入ってずっと海外出張なんです。なので母はやり取りしていると思うのですが、私は普段もあまり話をしないので。」

「なるほど家庭の事情を聞いてもしょうがない。ともかく親父さんは彼の失踪を知っているんだな。ここからは俺の仮説だ。山口くんはIR関係の新薬の開発に携わっていた。それは想像力を増進するような薬だ、悪くいうと幻覚剤にを弱くしたようなものではないかと思う。」

「幻覚剤ってLSDとかそういうドラッグですか?」

「まあ、待て、最後まで聞いてくれ、あくまで仮説だ。その開発が想像力つまりイメージを描きやすくするためのものとして、その研究段階ではいろいろな検証が行われるはずだ、当然脳の状態も検証を繰り返しているはずだ、そのうちの一つが催眠だった。俺は一度受けているからわかるが、あのマスターの腕はなかなかだ。そう言った情報をどこかで得た山口くんはあのBARに出かけて行った。一回ではなく通っていたかもしれない。新薬の使用時の環境を催眠時ではどうなるかと考えたかもしれない。問題はその後だ、何らかのイメージを描いたとして、あの店は録画が出来る。それが会社にとって不都合な内容だったと仮定する。その録画動画の存在によって山口くんもマスターも消えたんじゃないか。ボヤ事件ももしかしたらそのせいかも。で思ったんだがそういったイメージを増幅する作用が想定よりも実際に強く出てしまった可能性があるんじゃないかと、、。」

「もしかして今話題のゴーストですか?」

 流石に前原はこういう展開に感が良い。

「そうだ、ちょっと調べたんだが、ゴーストの話題が出はじめたのと、うちの新商品の発売時期が微妙に重なるんだ。」

「うちの商品にその新薬が使われた可能性があるということですね。たしか今回のは医薬品じゃなくてビタミン系の健康機能食品のはず。それにそんなリスクを負う必要ありますか?だって絶対にバレる。」

「そうだ、だから企業ぐるみって線は薄いと思っている。ただこう考えられないか?そもそも新薬にしろなんにしろ認可が必要だ。大森製薬は20年かけて新薬を開発してきたと言っていた。当然認可までの道のりがそれくらいなのだろう。それを無駄にするかもしれないギャンブルに出なくてはならない何かがある。もっと言うと認可は厚生労働省だ。早苗ちゃん、君のお父さんも噛んでるかもしれない。」

「お父さんが、、」

 推測で言うべきではないかもしれない。それはショックだろう。婚約者が失踪してそれに父親が関わっているかもしれないのだから、ただ、だからこその仮定で物事を見るると見えてくるものもあるのではないかと思うのだ。

「あくまで俺の勝手な仮説の話だ。」

「でも、私がいない時も二人は会っていたようです。仕事の事とは聞いてました、数回だとは思いますが。」

「少なくとも関係はあったと言う事でいいな。次だ、山口くんが消えたのが失踪か拉致か、少なくともマスターは拉致だ。山口くんが消えたのでマスターを拉致したのかとも考えたが、なら早苗ちゃん。君のところに来てないのはおかしい。探しているなら可能性のあるところ全部に来るだろう。つまり山口くんの居場所は特定できているということだ。だから俺は山口くんも拉致されたと思う。」

「なんか先輩別人みたいですね。そんな熱い感じでしたっけ。あ、すみません。茶化すつもりはないんです。ただ、いままでの先輩ってなんか能力はあるのにやる気がないというか、、仕事とか人生とかどうでもいいと感じているような感じだったので、、」

「ああ、自分でも信じられない。俺のどこにこんなエネルギーがあったのかと。とにかく可能性の話だ。ドラマとかなら、会社と山口くんが黒幕で協力を拒んだマスターを拉致したみたいな展開もありそうだが、その線は流石にないだろう。とにかく工場に行ってみよう。」

 湾岸道路を走り江東区へ向かう。工場は新木場の当たりだった。工場の駐車場に車を止める。 やつらの車も停まっている。そのまま待つかだが、いくら取引先でも工場に行く理由を作るのは難しい。

「少し待とう。」

 このままではただの尾行だ。何も解決しない。来ては見たもののやはり俺たちは素人だということを痛感する。こんな時にプロはどういった行動を取るのだろう。

「とにかく中に行ってみませんか?すぐセキュリティという感じでもなさそうですし、事務所の前までは行けそうです。皆さんは知り合いがいるかもしれないから僕が見てきますよ。」

 と、前原が工場入り口に向かって行った。工場といっても事務所と倉庫がありその奥が工場という作りのようで、前原が言うように入り口付近はそこまでガードは固くなさそうだ。この工場のどこかにマスターが監禁されていると言うことはあるか。奴らもそれだけの仕事をしているわけではないから、全くの別件で立ち寄っただけという可能性もある。しかもここに監禁するとなると工場の他の人間にも知られることになってしまう危険がある。と、その時工場の別の入り口から男たちが現れた。慌ててシートを倒す。男たちは車に乗り込み走り出す。前原がなかなか戻って来ない。iPhoneはまだ貼り付けたままだから相手の場所は大丈夫だが、なぜか焦ってしまう。多分そこが素人なのだろう。見失うことを恐れて近づきすぎてしまってはだめだ。監禁場所はどこかのマンションの一室とかだろうか、リアルに監禁のイメージがわかない。そこに行くことをイメージする。前原が戻ってきた。

「なんにもないですね。けっこう大きい事務所です。あ、車出たんですね。追いますか?」

「ああ頼む、ここに何かがある可能性は低そうだ。」

「豊洲方面に向かっているようですね。」

 俺たちも車を出した。

「あの、ずっと考えていたんですけど、」

「なんだい。」

「父が関わっているとしたら想像戦略室という部署に関係があるかもしれません。」

「なんだい?その戦略室というのは。」

「私もよくは知らないのですが、想像力はいま世の中を動かすパワーですよね。当然日本だけではありません。諸外国も開発には力を入れていると聞いてます。海外では組織の忠誠を試す目的でIRが使われていることもあると父は言っていました。ある意味嘘発見器のようなものですよね。」

「それはあるかもしれないが、でもIRは心の全てを写す鏡ではない。だから嘘もつける。むしろ想像力があれば嘘はつきやすい。人の心はそこまで単純じゃない。」

 俺の母親像も俺が作り出した嘘だろうか。IRにかなりハマってYWYを使いこなしているつもりになっているから、いっぱしの口がきける。本当にそうだから。

「えーと、細かな所は覚えていないのですが、国策としてとかなんとか、、そういう話をしていた気がします。」

「話がまた大きくなってきましたね。」

 前原の顔が少し引きつり気味に笑っている。それはそうだ、いちサラリーマンが扱う話じゃない。以前の俺なら早々に退散していただろう。やりすぎた後悔よりもやり残した後悔の方が尾を引くとよく言うが、それは勇気をもつ者の話だ。規模的に普通に生活をしていて出会うような場面ではなくなってきている。流石に命の危険とまではいかないだろうが、、

「豊洲の早生クリニックってとこで止まっているようです。」

 前原のiPhoneがその位置を示している。

「病院か、とにかく向かってみよう。」

 早生クリニックの前に着いた。心療内科・精神科とある。何の用だろう、誰かが入院しているのか、

「前原、悪いが見てきてくれるか?」

「了解です。」

 製薬会社であれば病院とは関係は深いだろう。それにしても心療内科とは、YWYにハマりすぎていつか俺もお世話になるかもしれないな。前原に言われたことが気にかかる。最近の俺はおかしい。今現時点での行動もそうだが、こんなのは俺じゃない。母親の面影を追いかけるマザコンな中年男。仕事も生活もそこそこ、可もなく不可もなく。ただ毎日を生きてる。別にそれに悲観するとか腐ってるとかじゃない。身の丈をわきまえて生きてるってだけだ。ただそうやって時間を浪費して歳を取っていく。それが俺だ。ところがYWYを使い始めてから、これはあえて言うだけだが、まさにその頃から生活が変わった。企画が採用され大抜擢。そしておかしな事件に巻き込まれ探偵もどきなこの状況。以前の俺にない物。行動力。そうだ行動力が変わったんだ。変わったというか突然現れたというか、YWYにはそんな効果もあるのだろうか、YWYの引きこもりも、積極的にIRの世界に引きこもっているってことは、ある種の行動力なのかもしれないなどと考える。積極的な引きこもり。

 前原が走って向かってくる。

「先輩、大変です!山口くんが入院してます。」

「え、本当ですか?。」

「どうしてわかった?」

「中に入ってもわからなかったので、うろうろしていたらあの男たちが看護婦と話しているのを聞いたんですよ。」

「あ、早苗ちゃん待つんだ!」

 早苗が車を飛び出した。

「しょうがない。行くぞ。」

 病院の受付を過ぎて走る早苗を追う。ナースセンターのカウンターで男たちが看護婦と話をしている。まだこちらには気がついていない。病室名前を見て回る。早苗が特別室のフロアーに曲がる。廊下の壁紙や照明が少しゴージャスになる。

「早苗ちゃん待つんだ。」

 聞こえていない。そもそsも本名で入院しているとも限らないだろう。ひと通り回って山口の名前は見つけられない。

「私ナースセンターで聞いてきます。」

「待つんだそれは前原に頼もう、一旦落ち着いてくれ。奴らが来てるってことは、ここは何らか会社と関係あるはずだ、入院しているのに家族にも知らせないというのは普通の状況じゃない。」

「でも、」

「会いたい気持ちはわかる。それを止めるつもりもない。ただ状況は把握させてくれ。」

「・・・・・・・・。わかりました。」

「ありがとう。それに入院してるなら逃げやしないさ。」

「はい。」

 前原が戻って来た。

「先輩、奴ら帰りました。それで山口くんは多分特別室の一室です。そこのナースセンターのホワイトボードに出てました。多分一番奥です。」

「そうか、行ってみよう。」

 ゴージャースな廊下を抜けて扉の前に立つ。

「開けるぞ。」

「はい。」

 扉を開ける。木のパーテーション壁で中は見えない。だが人の気配はする。中に進む。壁を回り込むと男が寝ていた。

「徹さん。徹さん。」

 その呼びかけに男が目を覚ます。

「うわぁーーーー!」

 恐怖に怯えた目だ。彼女を見た瞬間に叫び出し布団をかぶった。

「どうしたの、徹さん。なにがあったの?徹さん。徹さん。」

 一体どうしたんだ、彼女を見てこの反応。何に怯えている。

「早苗ちゃん、君も落ち着け。」

 そう言って引き剥がす。

「徹さん、、、。」

「どうしたんですか!」

 叫び声を聞きつけた看護婦が入って来た。

「なんですかあなた達は、離れなさい。」

 俺たちは一歩退いた。

「どうしました、大丈夫ですよ。大丈夫。あなた達は廊下に出て!」

 勢いに押されて俺たちは廊下に出た。10分ほど待つと看護婦が出て来た。早苗が積め寄る。

「私は彼の婚約者です。山口さん、徹さんに何があったのですか?」

 いきなり婚約者と言われて信用するのか、と思ったが

「あなたもしかして望月早苗さん?」

「はい。」

「、、、それでか。、、ちょっとこちらによろしいですか。」

 ナースセンターの横の小部屋に通された。

「それで、徹さん、山口さんは何で入院しているんですか?」

「言いにくいんですが、彼は幻視に悩まされています。あなたの幻視です。」

「どういうことですか?私の幻視?」

「そうです。詳しい経緯は医師しか聞いていないのですが、彼は四六時中現れるあなたの幻覚を見続けています。目を閉じても、耳を塞いでも、ずっとあなたが見えている。」

「それで本物を見ても幻覚と区別がつかなかったのか。」

「それってゴーストじゃないですか。」

「確かに、ゴーストだ。彼はYWYで君を見てそのイメージの囚われたなんだ。」

「でもネットに上がっているゴーストの症状はそこまで深刻なものは報告されてないですよね。」

「そうだ、だが新商品の成分が薄められたものだとしたらどうだ、開発者である山口くんは原液に近いものを試せたとしたら、」

「より強力なゴーストが現れる。」

「もしかしたらマスターの催眠術も影響あったのかもしれないな。それで全部繋がるか?」

「だけど拉致までしますかね。ともかく山口くんは無事、、ではないけど見つかってよかったですよね。」

「どのくらいかかるのでしょうか、そもそも治るのでしょうか。」

「それは担当医ではないのでお答えしようがないですが、ここのところ症状は治まって来てはいました。」

「先生に会わせていただけませんか?」

「それが詳しい事情は聞かされていませんし、会社からも面会を禁止されているので、本当はここでこんな話をしているのもまずいんです。彼がいつもあなたの名前を呼ぶので知っていただけなんです。私たちも初めての症状の患者さんなので、、」

「やはり隠しておきたいということか、ただ原因が何らかの薬物なら徐々に良くなって来ているのも頷けるな。しかしせっかく見つけたのに会えないのは辛いな。」

「先ほどもお話しましたが徐々に回復して来てますので、もう少し待っていただいた方がいいと思います。今あなたを見るのは辛いと思います。」

 自分が好きで思い描いたイメージに苦しめられるとはどういう気持ちだろうか。好きだからイメージしたものが消えないというのは幸せなことではないのだろうか、、思い描いたイメージに囲まれて暮らす。山口はさっきの早苗のように常にゴーストの早苗に呼びかけられているらしい。最初は幸せなのかもしれない。だがそれが二十四時間続くとしたら、いや描いたイメージが自然とかならどうだろう。現実の世界にいい景色が重なって見えるのはそれほど悪いことでもないような気がするが、、

「早苗ちゃん、所在はわかったし命がどうのっていう話でもない。ここは一旦帰ろう。君がここにいても彼を混乱させるだけで、出来ることはなさそうだ。」

「はい。父を通してか、直接会社にかはわかりませんがちゃんと話をします。見つけていただいでありがとうございました。看護婦さん。彼をよろしくお願いします。」

 強いなこの子は。無事を確認した安心感もあるだろうが、取り乱すこともなく冷静に次を考えている。自分を見てあそこまで錯乱されたら普通もっとショックを受けそうだが、、。俺も商品が絡むならこのゴースト騒ぎを無視できないだろう。数週間前の俺ならむしろ流れに身を任せて事態の収拾を待っただろう。が、どういう形にしろこのことの真実を知りたい。そしてマスターの無事も確認しなくてはならない。

 望月早苗を駅まで送ってレンタカーを返した。これからどういう行動に出るべきだろうか、

「先輩、これって事件なんですかね、それとも事故なんでしょうか。やはり僕は意図的に幻覚を見せるというのはリスクが高い気がするのですが、、」

「そうだな、それは俺もそう思いたい。だが今の現状は現実だ。逆に会社がどこまで知っているのかを、危機管理の状況を確認したい。新商品に幻覚作用のある物が含まれていたとしたら、これは会社がひっくり変えるくらいの事件だ。最悪は営業停止だろう。プロモーションが話題なだけに余計に影響は避けられないだろう。研究機関が検証に乗り出したというニュース記事を読んだが、タイミング的にうちの商品にたどり着くのは間違いないだろう。」

「また忙しくなっちゃいますね。とりあえず、飲みに行きません?作戦会議ってことで。」

「お前のそういうところに救われるよ。マスターのこともあるしな、なんだかもうジタバタしても仕方がない感じがして来た。一旦落ち着いて考えよう。」


 ストーリーパターン1


 前原と軽く飲んで別れ一度社に戻り資料を整理した。俺が関わるような話ではないと改めて思う。だが前原じゃないがワクワクしている自分がいるのも本当だ。IRを装着して今日の出来事をイメージで整理する。母親の幻を追うための器具だったIRがすっかり日常に定着したツールになっている。様々な出来事をそれぞれ思い浮かべると、脳の中でシノプスが繋がっていくように一見関係のない出来事同士の共通点だったりがビジョアルで見えてくる。そもそも俺は母親の顔を思い出したいだけの寂しいおっさんで恋人を探す望月早苗や山口、大森製薬、2nd Memoryのマスターの話は別の話だ。行きがかり上絡んでしまったのもマスターにもう一度催眠術をかけてもらいたいがためだけだ、このまま話が大きくなったら前原にも迷惑がかかる可能性がある。強く望んでいればまたチャンスがあるだろう。細胞のような、宇宙のようなイメージをセーブしてIRを外した。そろそろ会社に報告しなくてはならないがなんと伝えるべきか、それは気が重いがそうも言ってられない状況になってしまった。一社員が抱えるのはきつい。話して一旦終わらそう。前原からの着信履歴が入っていたがIRに夢中で気がつかなかった。移動中のかけ直そうと、会社を出てタクシーを拾おうとしたら、黒塗りの車が近づいて来た。あの時の車だ。ガタイのいい男の方がハンドルを握っている。後部座席のスライドドアが開く。

「こんばんは。」

 かなりまずい状況だ、逃げるか、どうする。

「ちょっとご足労願えませんかね。」

 言葉は丁寧だが断ると言う選択肢はなさそうだ。

「なあに、お手間は取らせませんよ。少しお話を伺いたいだけなので。」

 話だけ済むはずがないことはこの男達を見ればわかるが、マスターのことも気になる。ここは飛び込んで見るか、飛び込む?我ながら自分の考えに驚く。そんなやつじゃなかったはずだ、ビビって震えてるような男だったはず。なぜか今は落ち着いている。これもIR効果なのだろうか。

「明日早いんで明日の午後でもいいですか。」

 自分でもびっくりするくらい落ちついて話しているいる。

「いやぁ、ちょっと急いでおりましてね。」

「早く乗れや。」

 もう一人の男が熱り立つ、

「おい、乱暴な口を聞いたらこちらの方がビックリするだろう! すみませんねぇどうも素行が悪くて、来ていただいた方がみなさんのためにも良いと思うんですがね。」

 本当にこういった言い方をするんだと妙に感心してしまう。ここまで来ていると言うことは、家も調べられているんだろう。

「わかった。」

 そう言って車に乗り込んだ。すぐに車が走り出した。

「あんた、なかなか落ち着いてるね。普通こう言った展開はもっとビビるものだが、今時の食品会社さんは普段からこんな展開に慣れてるのかい。まあ、大人しく来てくれた方が我々としても手間が掛からなくて済む。お互い良いことだ。」

 良いことかどうかはわからんが不思議と恐怖はない。命まで取られることはないだろうと思うが、痛いのは勘弁して欲しいなどと考えている自分がいる。うまくすればマスターに会えるか、その時IRを持っていられればなぁ。いやそれどころではないか。

「ちょっと失礼するよ。なあに行き先がわかるとお互い問題だろう。」

 頭から大きな袋をかぶせられた。こんなんで検問とかにあったらどうやって言い訳するのかと、余計なことを心配したが次の瞬間最後部の座席に転がされた。


 30分ほど走って車はどこかに到着した。少し海の匂いがする。多分新木場のこのあいだの工場だろう。車を下ろされ建物の中に入った。倉庫の小部屋らしきところで袋を外された。

「さて、ここに呼ばれた理由はわかっていますよね。いろいろと嗅ぎ回っているようだ。どのあたりまで知ってるか教えてもらえるかな。」

 映画ならここで黒幕が登場する場面だが、現実ではそんなリスクは犯さないだろう。10人くらいの会議室に俺と男たち3人。

「これって犯罪だよな。俺は拉致されたってことだ。一流製薬メーカーが動くにはリスクが大きくないか?」

「リスクね。君を消してしまえば良いということかな。ただね。世間てのはニュースにならない限りなかなか気づかないものなんだよ。」

 うちの会社と大森製薬がグルなのか、現時点では全くわからない。もしグルなら俺がいなくなっても当然何の動きもしないだろう。まあ、俺が知っている情報程度ではまさか命までは奪われないだろうが。

「わかったわかった。何を知っていると言われても難しいが、俺は人を探していたんだ。望月早苗の婚約者の山口くん。大森製薬の研究者だ。そんであんたらを尾行して病院を突き止めたってわけさ。」

「ほう。その山口が何を研究していたかは知っているのか?」

「新薬の開発としか聞いていない。だいたいそんな物に興味はない。」

「まあいい、ではこれを装着してもらおう。」

 男が取り出したのはYWY003最新式だった。

「最近はいいものがあるよね。頭に描いたイメージを共有できるんだからな、ああ、あんたの仕事もこれがらみだったか。」

 なるほど、嘘発見機につかう国があるとか誰かが言っていたか。

「あんたら、見たとこあんまりこっち系統得意じゃなさそうだが使ったことあるのか?」

「うるせえ。見た目で判断するな。おめえにはプラスこの弛緩剤を打たせてもらう。」

 俺と同じでとても想像力があるってタイプじゃなさそうだ。VRでアダルトを見るくらいだろう。とはいえピンチはピンチだな情報云々と言っても基本いつも母親のことばかり描いているから、どうやってもそれが出て来てしまうだろう。しかも最近は様々なイメージが絡み合って複雑になりすぎてしまっている。こいつらが見たところでどうせ意味なんかわかりはしないのに。

 結束バンドで手を縛られ、何やら注射を打たれた。YWYを装着され、男達もみんな装着している。

「似合わねえな。」

「うるせえ、ほざいてろ。何からなにまで見てやるぜ。」

 顔がわからない母親を見られるのが恥ずかしい、、と考えているうちに意識が遠のいた、、、。


 頭と手首が痛い。目が開くと見知らぬ天井が、ここはいったいどこだ。俺はどんなイメージを見られてしまったのか。倉庫じゃない。誰かの家のようだ。

「あ、先輩気がつきましたか、具合どうですか?」

「ま、前原?」

「そうです。身体大丈夫ですか?」

「ああ、だけどなんで。」

「へへっ。いや先輩と別れた後にちょっと気になることがあって電話したんですけど先輩出なくて。何回かけても出ないからなんかやな予感したんですよね。」

「ここはどこだ。」

「俺ん家です。先輩助けた後どうしようかと思ったんでとドラマとかだと警察とか病院行っても更なるピンチによくなるじゃないですか。かといって先輩の家はそもそも大体しか知らないし。ホテルには意識ない人連れて行けないし。で、家に来てもらいました。」

「お前ん家。だがどうやって、」

「いやもしかしてと思って携帯を探してみたらあいつらの車がうちの会社のそばにいたんです。先輩会社に戻るって言ってたじゃないですか。これはと思って向かったら今度は新木場の方向に向かって例のあの工場に止まったんですよね。」

「それで警察とかに連絡せずにお前が直接来たのか。」

「だって国家がどうとか物騒な話でてたんで警察もグルかもしれないじゃないですか。まあ、危険そうだったんで早苗ちゃんには連絡しませんでしたけど。」

「当たり前だ。お前もしかしたらミイラ取りがミイラになっていたかもしれないぞ。」

「そうですよね。でも昼間一回言ってるし何となくそこまで危険な感じはしなかったので大丈夫です。」

「大丈夫ってお前なぁ。だが礼は言っておくありがとう。」

「いや、いいんすよ。気にしないでください。」

 前原の話を聞く限り、俺は縛られてYWYを装着した状態だったらしい。だがわからないのは俺の周りに俺を拉致した男達がYWYを装着したまま倒れてたってことだ。しかしだから前原は簡単に俺を助け出すことが出来た。

「いや、びっくりしましたよ。なんかみんな倒れてるし、謎の病原菌でもあるのかと思って息止めてました。一人のやつなんか青い顔してガタガタしてるし。」

「いったい何があったんだ。」

「それは俺も聞きたいくらいっす。」

 考えられるのは俺が意識を失った後に誰かが来て3人を何らかの方法で悶絶させた。いったいどうやって?

「それでもう一つあるんですけど。」

「なんだ。」

「マスターもいました。」

「え、マジが。それで無事なのか?」

「はい、もちろん。ピンピンしてました。なんか催眠術を開発実験に使う売り込みまでしてたみたいですよ。」

「そうか。無事か。」

 湯島のBARのママの「あいつはそれなりに泳いでいるから大丈夫だ。」という言葉が思い出される。なるほどな、逆に仕事にしようとしたわけか。さすがだな。二回会っただけで名前も知らない男。母親のイメージを見たいがための心配だったはずだが、思いの外安心している自分がいるのが驚きだった。ママとマスターは親子なのかもしれないな。

「だがあいつらが黙っているかな。」

 まだ少し頭がくらくらする。

「大丈夫っす。工場はほとんど人がいなかったのと普通の社員とかはあの場所はいっちゃいけない事になっているのか、寄り付く感じがなかったんで、マスターにも手伝ってもらって、携帯、手帳、運転免許、車の鍵まで全部持って来ちゃいましたから。」

「それ犯罪じゃ、」

「そんなこと言ってらんないっすよ。でもあいつらあんなことしてる割に携帯も全部、顔と指紋認証って間抜けですよね。携帯の情報も全部吸い上げときました。あと、これすごいんですけど、マスターに言われて3人を叩き起こしたんです、そしたらマスターが3人に催眠術をかけて忘れろって、。まあいつまで持つのか知りませんが、あいつらの上司がいるとしたらきっと怒られますよね。」

「なんか、すごいな。でも監視カメラとかもあるんじゃやないのか?」

 すると黒いチップを取り出した。

「へへ、当然考えますよ。でもあそこは工場とは別棟でネットワークじゃなくマイクロメディアに記録するタイプだったんで抜いて来ました。先輩が何されたか後で確認しましょう。証拠として使えるかもしれないですし。」

「やっぱりお前はすごいよ。」

 これからどうするか考えなくてはならない。やはり警察に相談するのが一番だと思うが、なにをどう説明するか、俺とマスターが拉致されたという事は事件としても、それ以外の事はどうする。そもそもどうするもこうするも事件性の証拠を俺たちが持っているわけではない。それよりもまず何が起こったのかを確認しなくては。

「そのデータお前のパソコンで見れるか?」

「はい、再生してみましょう。」

 マイクロメディアをpcに接続しデータを再生する。時間を送って俺が到着する直前まで進める。俺たちが入って来た。

「なんか先輩落ち着いてますね。」

「たしかに自分でも不思議と落ち着いていた。なんか映画を見ているみたいで現実味がなかった。」

 映像は俺がなにか注射されて、男達がなにか話かけているシーンだ。うまいこと注射される部分はは影になって見えない。俺の意識がなくなってしばらくして、最初は俺を小突いたりしていた男たちの表情が変わった。なんか固まっているような感じで頭を抑え始めている。3人同時に首を大きく後ろにそらしてそのまま倒れてしまった。

「なんだこれ。」

「これって先輩の頭の中を覗こうとしたんですよね。」

「ああ、どこまで知ってるかイメージで見てやるとか言っていた。」

「先輩の頭ん中ですっごいもの見ちゃったんじゃないですか?それで気絶しちゃったとか。」

「いいおっさんが、なんか見たくらいで気絶なんかするかよ。これ最新型だったからお前が言っていたバグで電流でも流れたんじゃないか。」

「電流、、ってありますかね。そんなこと。」

 俺のイメージを見て卒倒するってどういう事だ。推測してもわかるわけがない。

「とりあえず。部長にだけは話す。電話やメールで話す話でもないからとにかく会社に行く。」

「大丈夫ですか?」

「会社ぐるみだとしたら、もうどうにもならないし。これは勝手な俺の考えだが、新薬開発と今回のうちのドリンクは関係ないと思う。どう考えてもうちを絡ませるのはリスクしかない。山口の件もマスターの件も新薬の話でうちの話じゃない。ゴースト騒ぎで一緒にしてしまったがそもそも俺たちが勝手に首を突っ込んだだけだ。」

「それはそうですね。そもそも先輩がなんでこんなにこの件に精力的なのかずっと不思議だったんですよ。早苗ちゃん確かに可愛いですけど。」

「バカやろう。」

 お袋のイメージを見るためにマスターを探していたとは言えない。

「先輩の有給一応取ってありますよ。今日はゆっくりした方がいいんじゃないですか、物騒だし。」

「だがこのタイミングで動かないと、下手したら山口もどこかに移されてしまうかもしれないだろう。。お前は今日は休め。俺だけ行ってくる。」

「いや先輩が出社するなら僕も行きますよ。ただちょっとまってください。お袋が昼飯の材料を買いに行ってくれてるんで。」

「それは申し訳ない。だがのんびり昼飯を食ってる場合でもないだろう。お袋さんにはよろしく伝えておいてくれ。」

 上着を取って階段を降りた。靴を履いて表に出る。真夏日だうだるような暑さだ。

「先輩待ってくださいよ。僕も行きますから。」

 前原の家は小高い丘の中腹に立つ一軒家だった。

「駅はどっちだ。」

「あ、この坂を登って越えた先です。」

 坂を登り始めた、上から日傘をさした女性が降りてきた。

「あ、かあさん。ごめんもう会社に行かなくちゃならなくなったから昼は外で食うわ。」

「え、そうなの。」

「あ、会社の先輩で櫛田さん。先輩うちのお袋です。」

「あ、櫛田です。今日は突然お邪魔してしまって申し訳ありません。」

「櫛田、さん、。」

 いつもイメージで見るような暑い夏の昼下がり。日傘ををさす上品な女性。前原の生活感を初めて感じた。

「いつも息子がお世話になっております。櫛田さんって珍しいお名前ですね。」

「そうですか、まあ、あんまり同じ苗字にあったことはないですけど。」

「そうですよね。失礼なことお聞きしてすみません。今冷や麦でも作ろうと思ったんですけどね。」

「それは申し訳ありませんでした。また次回いただきます。」

「ぜひ。またいらしてくださいね。」

「じゃあ母さん行ってきます。」

「失礼します。」

 まだ少し目眩が残っている。とにかく会社へ向かおう。

 陽炎の立つ坂を登り俺たちは会社に向かった。急いでいるのでタクシーを拾った。

「前原の生活ずっとイメージ出来なかったよ。お前あんまり家のこと話さないもんな。」

「それは先輩だってそうでしょう。そもそも結婚して子供でもいなけりゃそんな話あんまりしないんじゃないですか。」

 それもそうか。

「あ、お袋からメッセだ。なんか先輩の名前教えて欲しいって。何だろう。お世話になっている先輩っていったから贈り物でもする気かな。真一でしたよね。」

「ああ、でも気を使わないでくれと伝えてくれ。」

 まだ少し頭がボーとしている。何の薬だったのか病院に行かなくて大丈夫かなんてちょっと心配になる。

「そうだ、お前いろいろ持って来たって行ったけどYWYはどうした。」

「ああ、もちろんいただいて来ましたよ。」

「もしかしたらそれに何か録画されてるかもしれない。」

「でもあいつらのは装着するの怖くないですか。あんな感じになりたくないっすよ。」

 確かにそうだ、だが俺の分ならどうだろう。俺が見ているものをどの端末でセーブしているかだが、なんだかその時見ていたものを思い出せそうな気がする。

「俺が装着していたものなら大丈夫だろう。」

「ちゃんと持って来てます。」

「会社に着いたらやってみよう。」

 もう悩んでいる場合じゃない。とにかく報告してこの件を公にするかどうするかを相談しなくてはならない。スケジュールを確認すると、部長は在席で会議中のようだ、14時のスケジュールを押さえた。

 会社に着くといつもの日常が待っていた。俺が昨晩体験したような世界とは無縁の日常。いまだ好調な新商品のプロモーションにみんな忙しく動いている。営業部の同期に声をかけられた。

「よう、櫛田。今日は有給だって聞いたけど出社していたのか、あとでちょっと時間くれないか。ちょっと新しい企画の相談があるんだ。」

「ああ、わかった。スケジュール入れといてくれ。」

「おお、よろしく。」

 会議室をおさえて前原を呼ぶ。

「今から装着してみる。何か起こったら止めてくれ。」

「わかりました。了解です。」

 念のため前原は装着しないで俺のイメージをモニターで監視してもらう。YWYを装着して録画データを探す。あった、昨晩のデータだ。俺が見ていた物がセーブされているようだ。再生を開始。

 混沌とした白濁な雲の中のようなイメージ。多分薬によるものだろう。しばらくすると雲が晴れて来た。病室が見える。その中に山口がいる。怯えている。俺が見たままのイメージだ。そしてそれは小さな塊になり隣の塊には望月早苗がレンタカーに乗っている。気がつくと無数の塊が浮かび、中には母親のイメージもあるこれだけ多ければ目立つことはないだろう。そして、まったく見たことのないイメージが現れ始めた。大森製薬の近藤さんだ。だが俺が見たシーンではない。会議室での会話が流れ込んでくる。

「山口の件を三善の櫛田という男が嗅ぎ回っているようだ。探ってどこまで知っているか聞き出してくれ。まったくただの栄養ドリンクからうちの新薬にあやがつくとは、」

 シーンが変わる。車の中で電話を受けている。相手は近藤だとわかる。

「今日山口のところに櫛田と望月早苗が行ったらしい。多少手荒な真似をしても情報を聞き出せ。望月早苗の方は私が何とかする。」

 流石に操作方法を知らないってことはないだろうから、どうやら例のバグで相手のイメージまで吸い上げてしまっているようだ。そのほかにも合法と言い難い数々のシーンが現れる。こう言った汚れ仕事専門なのだろう。ガタイがいい方の男からは数々の暴力シーンが流れ込んでくる。流れては逆流するイメージが恐ろしい速度で飛び交う。これがリアルタイムで行われた結果あいつらの脳がオーバーヒートしたんだろう。相手の頭の中を読むその読んでいる自分のイメージを読む、その相手のイメージを読む自分のイメージを読む相手のイメージを読む。というフラクタルのように無限ループにハマってしまったのだろう。確かにこれはきつい。

「きついな。」

 IRを外して前原を見る。

「なんて言っていいか。これどうします?」

「全部普通に録画したか?」

「はい。」

「とにかく部長に見せて判断を仰ごう。これを見る限りうちの社は関わりがないようだ。合同企画ということで問題にはなるだろうが、山口のあの症状が新薬による物だったらそうも言ってられないだろう。」


 その後部長に全部話して資料を渡した。内容に驚いて声も出ない様子だったが、部長でも判断出来る案件ではないということで役員会にかけることになった。途中前原から望月早苗に連絡を取らせたが特に問題はないようだった。とにかく被害届を出すことにして、俺たちは警察に向かった。

 そこからは激動の数週間だった。大森製薬の近藤以下数名と俺やマスターを拉致したグループの関係が公になり山口研究員の問題も明るみに出た。マスターは表に出たくないという理由であえて名前を出さなかったが新宿ではすでに噂になっている。大森製薬とコラボしていたうちの商品だが、俺、つまり三善食品の社員が被害者ということもあり逆に世間には大森イコール悪。三善イコール正という雰囲気が出来上がり、対応早く商品から大森製薬供給成分を外したことも功を奏して売れ行きはいまだ好調だ。今回の一件でただの栄養ドリンクで特別に想像力に効果がないことが認知されたが、ゴーストなどの一件もあり逆に安心して飲めるということらしい。国策とか厚生労働省だとかの話は一部のマスコミが騒いでいたが新たな情報がないまま徐々に萎んでいき、大森製薬の近藤以下数人の仕組んだ話ということで決着したようだ。望月早苗の親父さんがどう関わっているかは未だ分からないが、これ以上突っついても何もいいことはないだろう。俺と前原は警察の捜査に協力して毎日時間を割き、マスコミ対応に追われる日々だった。

 8月の終わり残暑厳しい午後。俺と前原と望月の3人で久しぶりに会った。

「ご無沙汰してます。」

「そうだね。落ち着いたかい?山口くんはどうなった?」

「ええ、だいぶ良くなったようです。こないだ面会に行けて、会って話をしましたが、前のようなことはなかったです。」

「そうかそれは良かった。」

「ただまだ新薬とか今回の経緯とかは話せる状態ではないようで、落ち着いたら警察の聴取が始まるようです。」

「でも死んでないんだからOKでしょう。先輩なんて拉致られて殺されそうになったんだから、まあ、助けたのは俺だけどね。」

 前原がアイスコーヒーをすすりながら自慢げに話す。

「わかったわかった。お前は俺の命の恩人だよ。」

「いや、別に恩に着せようってわけじゃないですよ。ただこれから先輩はどんどん忙しくなるでしょうから俺のこと忘れないでってことで。」

「私も山口くんを見つけていただいてお二人は恩人です。」

「お、じゃあ僕は二人の恩人ってことですね。なにご馳走してもらおうかな。」

「調子にのんなよ。」

 なごやかな会話で平和な午後の時間が流れていく。よく夢の中にいたとか言うが本当にそんな気持ちだ。パンピーのサラリーマンが探偵もどきなことでそこそこ社会的に大きな事件を暴いてしまった。そしてIRを使うことによって俺の想像力は強くなっているようだ。先日受けた社内テストでは信じられないがAAAだった。絵は毎日描けば上手くなると言うが想像力も鍛えれば強くなるのかもしれない。そろそろほとぼりも覚めそうだからマスターのところに行けるかと期待している。

「そう言えば先輩。何でお袋のこと知ってたんですか?」

「ん?」

「あの拉致られた時に見ていたイメージの中にうちのお袋が出てたんですよね。俺が小さいころお袋が来ていたワンピースと同じ柄の女性が日傘をさして立ってたでしょう。」

「いや、ワンピースなんて似たような物がいっぱいあるだろう。」

「いや、あれ写真にも残っててお袋のお気に入りだったから絶対そうっすよ。まあ、ワンピースが同じだけかもしれないですけど。」

「そうだろう。あの手の柄はよく流行っていたんじゃないか?」

「そうですかね。うちのお袋って再婚なんですよ。なんか前に結婚していた時に男の子がいたって、でもその家のお婆さんに嫌われてて連絡も取れないって、前に聞いたことあるんですよ。もしかしてその男の子が先輩だったりして。」

 湯島のママの顔が浮かぶ。

「思い続けることで目的に近づいていく」

 カフェの外は陽炎立つ夏の昼下がりだった。



 


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