〜2019/4/10 14:17 の君〜
暗い色の絵が続いたので、といってもまだ二つしか描いていないんですが(汗)次は明るい雰囲気が出来たらなと新着を検索。
こんなこと言ったら申し訳ないですが、言葉――単語だけを見てやるので雰囲気は自由自在である。…自在な腕はないんですけどね。でも、背景を先に作っておけばなんとかなるはずだ!
で、ここでふと思い出す。
エッセーランキングを見ていて挿絵についてというかなんというか…その中に書いてあったFA――ファンアートって言葉を見て「自分には出来ないことだわ」と思いつつもファンじゃないのに書く絵とファンだからこそ描ける絵があるのか〜なんてさ、考えてた。
だから何? って答えのないただの思考なのだけど、どちらにしても難しい。
第一……「あ、この人の作品の絵描いてみたい!」と思うことがあったとして、まず自分の絵面で描いてもいいのか尋ねることすら申し訳ない。
それに、もうFAとか貰ってて、もしくは作者さんご自身で描かれてあったら『読んで自分が感じたように描く』ことが私は出来ないのである。
そりゃあ、髪型とか目の色とか体型とか、小説内に要素が散りばめられてあって最低限の要素を読み取ることが出来たとしても、すでに形作られてあるものを見てしまえば「私が描いたらすごい失礼な絵になるんじゃないか?」と怖く思うだろう。
小説って漫画と違う。
書籍化されたものとされてないものも違う。
文章で書かれてあるものの読者に与える想像の幅はとても広い。同じ最低限の要素を持っていても、萌え絵で想像する人もいれば、好きな漫画の絵柄に似た想像をする人もいる。もっとリアルな人間などを想像する人だっている。
それを描かれる作者がどこまで容認出来るのか――
ただただ嬉しいと素直に思ってくれる作者さんもいるだろうし、社交辞令だって勿論ある。社交辞令であるかもしれないって予防線が描き手にあるかないかも出てくるかもしれない。「折角書いたのに…」なんてさ。
だから、受け手――“依頼募集”の方が楽だし、傷付かなくてすむ。こんな絵でもいい、てことで描く前からどちらもわかって創作する・されるのだから。
ま、勇気がないってことですな。私の。自分の絵でも良くて、小説を読んでもらって感じたまんま描いてもいいよ――って言われたら描けるかもしれないけども、自分が文章も書くもんだから結局わがままになってしまい申し訳ないことになるんだろう……
人として、誰かの作品の絵を描くのには向かないんだろうな〜と、そんなこんなでコレをやっている理由の一つなのかもしれない。
読むのが苦手なのかも? と思わずにいられない。
体をどうするかイイのが浮かばなかったのと、じっくり眺めて顔の歪みを直しつつ次回はもう少し進ませたいと思います。




