不幸少年の夢
少年は病気がちの母の為に、毎日毎日働いていた。
そんな彼が、今の生活を変えるためにS地区へと向かう。
そして、彼と出会ったのは、軍服姿の黒髪だった。
この世界にはたくさんの種が居る。
獣人、鬼、人魚、悪魔、神。
しかし、一番恐ろしいのは————
*
僕は不幸だ。
「おい、遅かったじゃねぇか。」
くたくたの足で店の裏口を出ると、そこには鬱陶しい程の金髪の男数名が、待ち構えていた。
「.......。」
この人達はずっと昔に返し終えた借金の取り立てに来ている、チンピラの様な人達だ。
「さてと?今週中に返せなかったらまた30倍になるぜ?」
絵に描いた様な法外な利子。
でも、そもそもこの国には法律なんてものは無い。
この国は隣国達の侵略を防ぐために元々ここにいたマフィア達で作った国。
最早国というより地域だ。
そんな国でマフィアに刃向かえる筈がない。
「お前さんのお母さんもさぞかし苦しんでるだろうなぁ。でも返せないんだから仕方ねぇよなぁ。」
男達は僕を取り囲むと、ズボンの中に隠し持っていた薬を取り上げた。
「........!!それは関係ないでしょ!」
焦って取り返そうとするが、男達は笑いながらそれをさも動物ショーのエサやりのように寸前の所でくいっ、と上に上げる。
「これを売って金にするんだよ。全然足りねぇけど足しくらいにはなるだろ?」
疲れ切った足に力を振り絞って飛ぶ。着地の度に膝が笑ってその場にへたり込みそうだった。
「コレが無いと、お母さんが.....!」
「じゃあ、新しい薬でも買えばいいじゃん。あ、そんな金無かったな!」
やけに嘲笑めいた笑い声が僕にまとわりついた。僕等家族をこんなにも苦しめたこいつ等が憎い。死ぬほど憎い。
でも、この国では僕の様な人達は屈服するしか無いんだ。
「おおい、ボウズ。もうこんなのやめて欲しいか?」
とうとう重力に吸い寄せられ、地面に膝を付けてしまった僕の頭上から声が降ってくる。
反応して顔を上げてしまった。
瞬間、鈍い衝撃。
鼻腔から生暖かいものがわき、口内に鉄の味。
顔面を殴られたんだと気付いたのは、馬鹿にする笑い声を聞いてからだった。
「ハハハ、きったねぇ顔面。こんなんで恥ずかしくねぇのかよ」
痛みに耐えられず土に広がっていく血液を見つめていると、そこに一つの紙と封筒が落ちてきた。
「その地図の住所にこれ届けてくれよ。そしたら全部利子はチャラにしてやるし、薬も返す。」
今度は奴等の顔は見れなかった。しかし、はっきりと、この耳で聞いたんだ。
「本当.....ですか...?」
「おぉ。しっかりできたらな。」
僕は鼻血まみれの手を薄汚いシャツで拭き、封筒と地図を手に取った。
「今日中に行ってこい。封筒は絶対に開くなよ。」
それだけ言うと、男達の影は地面を滑っていった。
「..........。」
暫く僕は、血が止まるのを待っていた。
昨日の朝から働きっぱなしだった僕の背中に昼前の太陽が照り付ける。
でも僕はそんな事、全然感じなくなっていた。
それ程に、藁にも縋る気持ちでソレを見ていた。
でも、
やっと血が止まって、地図を見た時、僕は単純に絶望した。
「————S地区.....?」
*
「お母さん、行ってくるね。」
家に帰って身体を流した後、僕は家を出た。
お母さんは僕を働き過ぎだと心配して僕の好きなシチューでも作ろうとしてくれていたけど、薬がない分せめて寝ていてもらった。
「ありがとう、貴方はとても優しいわね。いつもごめんね。」
そう言われて時、一瞬泣き崩れてしまいそうだった。
このまま何もかも投げ捨てて、ずっと家の中で暮らせたらどれだけ幸せだろうかってことは、正直今も考えている。
でも行かなくちゃいけないから。
「.........ここがS地区。」
“S”とだけ記された看板の向こう側を見据える。
ここから先は特にマフィアが沢山いて、人が道端で死んでも助けてくれないような荒れ果てた地区。
そして男達が指定してきた建物もその中にある。
「...........。」
死にたくはない。
だけど、死ぬ覚悟はできたから。
僕は意を決して足を踏み入れた。
行きかう人々、飛び交う喧騒。
中に入ってみると想像していたようなソレとは少し違っていて、悪が蔓延るというような感じではなく、大体は他の地区と何ら変わらないものだった。
——全員がなんらかの武装をしている事を除けば。
その僅かな違いにぐっと息を飲む。
想像とは違えどもやはりここはS地区という場所には変わりない。
こんな見ずぼらしく、弱々しい奴なんか、格好の餌食だって事は重々承知している。
「早くこれを届けに......」
その時だった。
ふと地面に藍色のハンカチが落ちていた。
見たところ落とされて間もない物らしい。
誰かが落としたのだろうかと前方に目をやると、そこには黒髪の、軍服姿の男性の背中が歩いていた。
「あの。これ落としましたか?」
つい先程危ない場所だと意気込んでおきながら、こんな事をしてしまうのは、その位僕が馬鹿みたいな人好しだからだ。
それも重々、痛い程に分かっている。
「......あぁ、ありがとう。」
軍服の男性は暫くの間ハンカチと僕を交互に見ると、ハンカチを受け取った。
男の襟元には赤いペンダントが光っていて、とても綺麗だった。
「お前は、ここに何しに来たんだ?ここは危ないぞ。」
男は僕がこの地区出身ではない事に気付いたのか、早く自分の所へ帰るよう促してくれた。
ただ、ここで「はいわかりました」と言って帰宅できれば元から此処には居ない。
「実は、この住所にこの封筒を届けるように言われてまして。」
生憎この地区についての土地勘を持ち合われていない僕は、ついでにと建物の場所を尋ねる事にした。
「.......。」
男は地図を見ると少し考え込むようにして黙った。
地図で見れば結構大きそうな建物のようだが。
僕は彼の顔色を窺ってみるが、彼の考えている事は何一つ分からなかった。
「.....わかった。どうせ暇だし案内しようか。」
そして、彼は口を開くと、自分についてくるように言った。
「え?そんな申し訳ないですよ......。」
一応何故こんなにも優しくしてくれるのかと警戒はしたが。
「いや、暇だから。それともお前ひとりでこんな所ほっつき歩くよりかはだいぶ安全だと思うぞ。」
男のいった発言は余すところなく正論だった。
どうせ一人で歩いても危険で、この人について行っても危険なのだ。
僕はそれならばと、一つ賭けに出る事にした。
「———じゃあ、お願いしても良いですか?」
「はいはい。」
男は返事を聞くと「離れるなよ」と言って歩き出した。
拳を固く握って、その後を追う僕。
太陽は頭上の真上で僕等を見下ろしていた。
*
客入れをする女性。
暇そうに欠伸をするパン屋の主人。
本当に見れば見るほど他の地区と似ている。
まぁ、それでも全員武装はしているのだが。
「なんだ。腹でも減ってるのか?」
奢らないからな。みたいな視線で僕を見る男性。
「いや、なんかここの人達も案外普通の暮らしをしているんだなぁ、と思って。」
あと一つ、気付いた事がある。
道行く人々が大体スーツなどの正装をしているのだ。
「そりゃあ、マフィアの連中は結構しっかししているさ。刺激さえしなければ温厚な奴等だって居る。」
その事についてそう返されたが、僕はそこで新しい疑問が出てきた。
「あれ?あなたはマフィアじゃないんですか?」
一応この人も日本刀らしき刀を腰に付けているが、明らかにマフィアとは雰囲気が違った。
「俺はここ等辺で何でも屋的な事をしている。」
「何でも屋?」
「そう。ま、この地区でやっている分、仕事はもっぱら殺しメインだけど。」
軽く、本当に当然かのように、“殺し”という単語が出てきた。
いったい、この刀で何人の命を奪ってきたのだろうか。
想像も出来ないし、したくなかった。
「あ。」
どきり。と、突然立ち止まった彼に心臓が悲鳴を上げた。
不躾な想像をしている事がバレてしまったのだろうか。
「え......っと、どうか、しましたか?」
恐る恐るそう聞いてみると、男性は前方を見たまま
「いや、ほら、あの人がウチの店のボス。」
そう呟いて指を刺した先に同じく少し雰囲気の違う、軍服に身を包んだ高身長の男性が、店から出てきた所だった。
「お、ブルーノ。あれ?その子誰?」
その人は僕達の存在に気付くと、話しかけてきた。
「なんか、おつかい頼まれて、この地区に来たんだと。」
男性はその人に地図を見せる。
ブルーノという名前のだろうか。
ブルーノさんから見せられた地図を覗き込んだ人の、毛先にかけて青に変わっていく紫色の髪の毛が揺れた。
「ふーん。あ、自己紹介が遅れたね!俺はレド。コイツともう一人の三人で何でも屋やってまーす。」
レド、と言った男性は調子の良さそうな笑みを見せると、名刺代わりとでも言う様に飴玉を差し出してきた。
「あ、ありがとうございます...。」
「うちのブルーノをタダで使うとはいい度胸してるねー。一応コイツ元フィンドリア王国の兵士だからさ?」
「コレは俺の気まぐれで付き合ってやってるだけだ。」
レドさんが冗談交じりに発した言葉に僕は驚愕した。
フィンドリア王国というのはこの国を取り囲む三つの強国のうちの一つだ。
西側にあり、海に面している為様々な文化を取り入れている王国。
「そんな敵国の兵士さんがなんでこんな所に.......」
思わずそう呟くと、ブルーノさんが一瞬顔を顰めた
「元だ。今はただの反逆者だよ。」
どうやら僕の発言で機嫌を損ねてしまった様で、僕はすかさず
「すみません.....!変な事聞いてしまって....。」
と、謝罪した。
すると下げた頭上からまた調子の良い笑い声が聞こえた。
「あはははっ!やっぱ良い度胸してるなーwwまぁまぁ、そんなにかしこまらなくても良いーの!俺だってもう一人だって三国から来てるんだし、深―い事情があんのよ。」
なー?と、レドさんはブルーノさんの肩を叩いて雰囲気を茶化してくれた。
本当に世渡りが上手そうだなとその笑顔を見ながらしみじみと思った。
「ほらっ、はやくおつかい終わらして来なよ。夜になるとここは危ない連中ばっかになるからねー。」
「はい。ありがとうございました。」
僕はレドさんにお礼を言うと再びブルーノさんと二人きりになった。
「本当に、すみませんでした。」
僕は改めて頭を下げるが
「いや、別にいいよ。こんな格好してる分、多かれ少なかれ変な目で見られるんだし。お前も気付いてるのかと思ったんだけどな。」
振り返りもせずただ前を歩く彼。
という事はこの軍服はフィンドリア王国の物らしい。
「それに、レドだって、南方のスタレッド帝国の元軍研究員だし。」
そういえば、レドさんも全員が周りの国から来ていると言っていた。
スタレッド帝国はここから下側にある帝国で、武器や魔法の研究が盛んに行われている技術国だ。
そんな国の元研究員なんて、相当なエリートだ。
「レドさん.......見かけによらないですね。」
「でもアイツは頭だけじゃなく戦闘スキルもピカ一だぞ」
彼の太腿にはそれぞれ二丁の拳銃があった。
研究員といえどそこはやはり軍人なのだろうと思うと、やはりこの地区は他の場所と並外れて規格外なのだと理解した。
「ブルーノさん達って、三人で何でも屋さんをやっているんですよね。」
大通りを抜けて、少し細い路地を歩く。
三人で別々の国から此処へ来た経緯は知らないが、フィンドリア、スタレッド、という事はもう一人は北東の.......
「あぁ、お察しの通りグリーズだよ。」
質問をする前に察したのか、ブルーノさんは答えた。
「やっぱりそうなんですね.....!という事はやっぱり魔法とか使えたりするんですか?」
心なしか少し期待をしてしまう。
その国は周辺の環境もあり、魔導術系に特化した共和国だ。
そして僕は産まれて一度も魔法というものを見たことが無いおかげで、敵国でありながらも、一度は見て見たいと密かに思いを募らせていたのだ。
「うーん。魔法系はどちらかといえば俺担当なんだけど........」
背後からの僕の視線を感じたのか、ブルーノさんは少し苦い顔をしながらそう呟く。
「え?そうなんですか?」
「いやまぁ、なんて言うか、アイツはなぁ.......」
言葉を紡ぐ度にどんどん苦虫を嚙み潰したような表情になっていくブルーノさん。
どうしたのだろうかと、疑問に思った時だった。
「あーー!ブルちゃん!!」
路地の角から突如、真っ赤なものが楽し気な声と共に視界に入って来た。
「うっっっわ。噂をすればR-10(リオ)。」
リオ。そう呼ばれは人物は、身長が小さい、青年とも少女とも取れない妙な見た目をした白髪であろう人物だった。
「なんだよー。僕これでも今日は仕事なんだぞー?」
「その状態で寄ってくるな。」
白髪であろうというのは、その人が全身返り血らしい血塗れだったからである。
それに、僕が最も目を引いたものはそれ以外にもあった。
「.......。」
「あー。コイツがさっき言ってたもう一人。見ての通りヤベェ奴。」
「うっっわ!ヒッド!!楽しく仕事してちゃダメなの!?」
「お前は楽しみすぎ。」
「それにヤベェとか、ブルちゃんには言われたくないよ!」
「は?」
ブルーノさんに詰め寄って身振り手振りで振り回している右手。
そこにはとても大きな鉄槌が。
血でぬらぬらと彩られながら握られていた。
「そ、それって......本物ですか?」
ここでまたしても浅はかな僕は、疑問に抱いてしまったものを何も考えずに口にしてしまう。
しかし、それが人間には絶対に持てるはずの質量ではない事も確かだった。
それを聞いた二人は一旦顔を見合わせると、
「じゃ、持ってみる?」
とリオさんはニタリと笑って、それをひょいと、
こちらに投げた。
「!!!!!」
あまりの軽々しさに一瞬手を差し出してしまう。
しかし、
刹那、
その間に素早く飛び入ったブルーノさんは、素早く抜刀すると、そのまま刀は空を斬った。
しかし、その残像は黒い光となって広がり、目の前を盾の様に展開した。
この間約2.5秒。
「っ!!???」
その後金属の打ち付ける鈍い音と眩い光が弾け、堪らず僕は目を瞑った。
次に目を開けた時には、既に刀を仕舞っていたブルーノさんと、尚も楽しそうに、地面にめり込んだ鉄槌をまたもひょいと肩に担いだリオさんがいた。
「おっっっっ前.......。コイツがそんなにバカみたいな重さのソレをお前みたいに、持てると思うか....?」
かなり憔悴した様子で肩で息をしているブルーノさんに
「だぁって~その子が飾りみたいな言い方するからさぁ~」
と、僕に視線を向けてきた。
僕は途端にその笑顔に背筋が凍って、
蛇に睨まれた蛙の様に、その場に動けずにいた。
「.......ったく。お前はコイツの事同い年か、それ以下ぐらいにしか見えて無いと思うが、コイツとっくに成人してるからな。」
今日一番の溜息を交えながら、ブルーノさんはそう僕に言った。
リオさんはそれに対し
「ドーモ。僕の名前はリオ!R-10と書いて無性のリオちゃんだヨ★」
ウインクを投げながら、愉快に自己紹介をしてくれた。
ただ、僕はその中の“無性”という言葉の真意が分からなかった。
「あの.....無性って」
それを聞こうと口を開いた時、
リオさんが出てきた方向から、数名のボロボロになった男性たちが、必死に走って横切って行った。
「おい。取り逃がしてんぞ。」
それをみたブルーノさんは冷ややか視線をリオさんに浴びせ、
「アハハ~わざとだよー。死んだふりしてる奴叩いても楽しく無いでしょ?やーっぱ戦うのは活きが良くなきゃね!」
じゃ、行ってくるね~、と、そう言い残し、リオさんは男達を追いかけていった。
しかし、その姿が建物に隠れる寸前。
リオさんのその幼い顔が狂喜じみた笑みに歪んでいたのは、
きっと、
白昼夢だ。
「......さて。」
嵐が過ぎ去った様な感覚で、またしても二人になる僕達。
すると、ブルーノさんは唐突に
「お前、死体見た事あるか?」
と聞いてきた。
「無いです.....」
何となくその質問の意味が分かった僕は正直に答えた。
「じゃ、ここ抜けた先の右側。絶対に見るなよ。見ても責任は取らねぇけど。」
それだけ言って、彼は再び歩き出した。
右側、というのは、さっきリオさんが出てきた場所。
僕は馬鹿みたいに天を仰ぐと、必死に空だけを凝視してついて行った。
太陽はいつの間にか傾きかけている。
「.......ハァ。」
途中、右を見たのであろうブルーノさんが大きな溜息をついた事だけは覚えている。
*
「さてと、ここだ。」
その後はこれと言って変わった事も無く、ものの数十分で僕達は目的地にたどり着いた。
「ここって.....」
「そう、マフィアの本部ってやつだな。」
この国は七方向にそれぞれ七つのファミリーが地区を総括している。
建物に書かれていたその名前は、僕の住むA地区をまとめているエミリーファミリーの本部だった。
しかし、名前だけ聞いたことがある程度で、他の事は全く知らないけれど。
「此処にこれを届ければ。」
ましてや入った事なんてないし、入りたくもないけど、ここまで来たのだから引き返せない。
それに、預かりものを届けに来た人に危害は加えないだろう。
その時の僕は、この状況を楽観視していた。
「ブルーノさん、本当にありがとうございました。もう大丈夫です!」
僕はブルーノさんに向き直ると、深々とお辞儀をした。
道中色んな人にあったけど、元はと言えば安全にここまでたどり着けたのも、ブルーノさんのお陰だ。
それに、ここは危ないだけじゃなくて、結構楽しかったから。
「.........じゃ」
ブルーノさんはそんな僕を見つめると右手を出してきた。
「?」
一瞬握手かと思ったがどうもそれではないらしく、絵に描いたように僕は首をかしげると
「お代。頂こうか。」
とだけ言った。
確かにここまで案内してもらったのはお金が発生するレベルでありがたかったし、ブルーノさんは元々何でも屋をやっているから、そもそもそのつもりで道案内をしてくれたのだろうか。
しかし生憎僕は出せるだけのお金を持っていなかった。
なんだか少し心寂しいものを感じながら、せめて何かと探してみるが、レドさんから貰った飴玉以外、貧乏な僕は何も持っていなかった。
「じゃ、これ貰うわ。」
それを見たブルーノさんはいきなり僕の腕から封筒を引き抜くと
次の瞬間
おもむろに封を破った。
「.......!!!」
突然の事に僕は抵抗もできず中の紙を取り出す彼を、僕は絶句しながら見る事しか出来なかった。
「..............お前、意外と女っぽい名前してるんだな。」
不意にブルーノさんはそう呟いて、茫然とする僕に中身の紙を差し出してきた。
「こ、これ.....」
「お前、本当に俺に会っといて幸運だったな。」
その紙に書かれていたのは、僕名義の酷い暴言と、ファミリーに対する罵倒だった。
「お前がどんなに度胸があったって、こんなの差し出したらタダじゃ済まないだろうな。」
この時、僕は初めて男達ははめる為にこんな事を頼んだんだと、まるで他人事のように考えた。
「ここのファミリーの連中は基本的にこの地区内でしか活動しないし、一般人は巻き込まない主義なんだ。だから最初にお前の地図見た時に変だと思ってな。」
思い返せば、ブルーノさんもレドさんも、地図を見た時に妙なリアクションをしていた。
きっと、それはそう言う事だったのだろう。
「あと、最近マフィアの間で下らない手紙を送りつけられる悪戯が多数発生しててな。最悪死んでるやつもいる。」
それを聞いたとき息が詰まった。
体が強張って汗がだらだらと流れる。
ブルーノさんの言った通り、
本当に、あの時ハンカチを拾っていなければ。
賭けに出ていなければ......。
「っ、でも!これを届けないと借金が.....!!お母さんの薬が!」
彼に何を言ったって解決しない事は分かっているが、
僕は彼に縋りつくようにそう訴えた。
しかし、
「そんなの嘘に決まってるだろう。薬も今頃とっくに売られてる。」
ブルーノさんは、冷たく
残酷なまでに正論で。
僕の発言を薙ぎ払った。
「そ.......んな。」
気付くと、僕は地面に膝を付いていた。
きっと、いや、これが本当の絶望というものなのだろう。
「.......。」
もう、何も見えない。
ブルーノさんが一体どんな顔をして僕を見ているのかすらも、僕には分からなかった。
「.....みっともないぞ。立て。」
彼なりの優しさなのだろうが、今の僕にとってはどうでもよかった。
「もう......いいです.....どうせ、僕は」
この場所から生きて帰ったって、待ち受けているのは相変わらずの地獄なんだ。
藁にも縋る思いでたどり着いたのにもかかわらず、結局は男たちの暇つぶしだったのだ。
それならいっそ、この場所で
「じゃあ帰りを待っている人はどうなる。」
きらり
真っ暗な視界で何かが輝いた。
ゆっくりと見上げてみると、
そこには相変わらずの真顔で、でも刀を僕の首に突き付けている彼の姿があった。
「............え」
「俺はな。お前みたいなただ絶望するだけの奴は嫌いなんだよ。反吐が出る。」
彼の碧眼は真っ直ぐに僕に殺意を抱いていた。
「選べ、ここで死ぬか、大切な人の待つ地獄へ帰るか。」
あぁ、そうだ。
あそこにはお母さんが居る。
僕をたった一人で育ててくれたお母さんが。
僕の帰りを待っているんだ。
「僕……..は。」
一気に、という訳では無いが、
段々と、僕は目が覚めていった。
「僕は、帰らなきゃ…..」
例え、どんなに辛くても。例えそれが永遠に終わらなかったとしても……
僕は立ち上がった。
いつの間にか噛み締めていた唇から、鉄の味がした。
「…..。特別サービスだ。送ってってやる。」
僕は今どんな顔をしているのか分からなかったが、
ブルーノさんはくるりと向きを変え、来た道を戻り始めた。
*
行きとは打って変わって、僕達はただ無言でS地区を越えた後は、僕が先に歩いていた。
「…..ここです。」
家に着いた頃には太陽は夕日に変わり、二人をオレンジ色の黄昏が包んでいた。
「そうか。じゃあ俺はあまり長居している訳にもいかないし。」
軍服、しかも敵国のソレを見に付けている彼は、道行く人達から怪訝そうな目で見られていた。
その人達は、いや、僕だって
実際彼の事を何も知らない癖に。
「お?生きて帰って来たのかー。なんだその男?用心棒でも雇ったのか?」
ささやかな感傷に浸っていたら、背後から気持ちの悪い下品な笑い声が聞こえた。
「……。」
「兄さんよぉ、変な格好してるけどあんまり目立ったことしない方が良いぜ?何せ俺等マフィア様なんだからよぉ。」
奴等は見せびらかす様に銃口をブルーノさんの胸に当てる。
しかし彼は身じろぎもせず、ただじっと男達を見ていた。
「なんだ!?やんのかぁ!?」
そのうち、反応の悪さに一人が苛立ち、ギャンギャント吠えながら詰め寄って来た。
「….やる?良いぞ。そのかわり」
するとブルーノさんは氷の様に冷たく、そして静かにそう言うと、ゆっくりと腰の鞘から、刀を引き
「前言撤回なんてさせないからな。」
背後からでも分かる程の威嚇を発した。
そういえば、あの時は驚きすぎて何も反応できなかったが、確かにブルーノさんは魔法が使えるのだ。
だから、彼にとって銃弾もさほど脅威にならないのだろう。
「………!!!!チッ….!お前、明日覚えてろよ!!!」
その気迫に恐れをなしたのか、テンプレートにありがちな捨て台詞を吐いて、男達は退散していった。
「…….。それじゃあ、俺はここ等辺で帰るとするぞ。」
そっと、抜きかけた刀をしまい、軽く振り返ると、彼は歩き出そうとした。
「あ、あの!!」
咄嗟に、
僕は彼を呼び止めた。
静かに、ブルーノさんの足が止まる。
「なんで….ハンカチ一枚で、そこまでしてくれたんですか?」
本能的に、感謝の言葉よりもそれが出た。
彼は少し黙った後、
「ただの気まぐれだ。本当はお前の事なんてどうでも良かった。本当に、その時の気分だ。」
確かに、ブルーノさんは悪戯の犯人が分かればそれで良かったのかもしれない。
僕を利用したのかも知れない。
でも、
それで助けられた事は事実だから。
「せめて….何かお礼をさせて下さ———」
「なら」
僕の返事を分かっていたかのように、言葉をかぶせると彼は続けて、
「血反吐を吐いてでも、土に這い蹲ってでも。幸せになる事を諦めるな。」
伏せた顔を上げると、彼はまだ背を向けたままだった。
「…..っ、本当に….本当にありがとうございました。」
いつの間にか僕の頬を涙が伝っていた。
それ知ってか知らずか、彼はそれ以上何も言わず、夕焼けの中に消えていった。
「っ…..」
正直、何故僕は泣いているのか、自分でも分からなかった。
でも、
きっと、
いつか理解できる日が来るのだろうと、
僕は信じていた。
「ただいま。」
扉を開けると、帰りを待っていた母の声と共に、懐かしい、シチューの香りがした。
それは、僕が唯一子供に戻れる匂い。
僕は、久しぶりに無邪気に笑った様な気がした。
そして僕の、一日だけの冒険譚は、夕闇と共に、幕を閉じた。
*
こうして、少年は運良く出会った男性と、その愉快な仲間たちによって、成長を遂げる事が出来たのであった……….
と、物語を締めくくる事が出来れば、どれほど幸せであっただろうか。
「はぁ…..はぁ..」
闇夜に染まった裏路地を、くどい金髪の男達が走っている。
「な、なんなんだよ、あの男!?」
彼等の背後、
街灯の光を反射した刀を携えて、碧眼の男が走ってくる。
「それだけ走ったと思ってるんだ…..チクショウ」
「あれー?そんなに急いでドコ行くのー?」
不意に、正面に白髪の子供が現れる。
「チッ、邪魔だ!クソガキ———」
そう、一人が叫んだ瞬間。
その男の頭部が消えた。
否、
前方から猛スピードで迫った鉄の塊に潰されたのである。
「ヒッ…..!!」
「にいさん方、こんな時間にほっつき歩くと危ないですよ。“特にココはね。”」
突然の出来事に立ち尽くす男達。
すると今度は、頭上から鉄の雨が降り注いだ。
「ま、まさかココって———」
仲間の血を浴びて、もはや前も後ろも、頭上さえも逃げ場がない男。
「チンピラごときが、マフィアを名乗るとは、君達が一番度胸あるね。」
「そーんな悪い子ちゃん達には本場をみせてあげなきゃねー?」
「…..お前らみたいな馬鹿は、おびき寄せるのが至極簡単だったよ。」
三人がそれぞれ武器を構える。
他の地区ならいざ知らず、
ココは、あまりにも人の命というものは軽かった。
『ようこそ。S地区へ。』
これは、正義の存在しない成り損ない達の狂戦記。
この作品をずっと他のサイトなどでも投稿していたので、ちょっと疲れました....
明日の朝はきっと地獄です。