1 ストリートキッズと無軌道パンクス・ガール
夜明け前にクジカタ・ヨモギは目を覚ます。最早習性になった起床時間だ。
寝ぼけ眼をこすりながら、布団を片付けて洗面所に行く。鏡を見ると、金髪というよりは黄色に近い髪は随分寝乱れていた。それに櫛を通し、ポニーテイルにざっくりとまとめる。パジャマからジャージに着替え、スカジャンに袖を通す。顔を洗いシャッキリすると、一人の無軌道パンクス・ガールの出来上がり。
それから――部屋の隅に置かれた「獄楽蝶」刻印の電磁木刀も忘れる訳にはいかない。
立て付けの悪い引き戸の玄関をそっと開け、両親が気づかないように家を出る。
カウヴェ・シティ、オウチ・タウンは中堅市民の暮らす住宅街だ。夜も僅かに白みかけた街を、ヨモギは走り出した。ランニングめいたペースではなく、一刻も早く目的の場所へ到着したいという願望が現れた走り方だ。その速度はサムライのそれである。
やがて空き地へとたどり着いた。その中心部には一本の柱めいてカタナが突き立っている。ヒロカネ・メタル製、イクサ・フレーム用のロングカタナだ。これにどのようないわれがあるのか、ヨモギは知らない。知っているのは、このカタナが彼女のセンセイであるということだ。
彼女は峰の方へ立ち、スイッチオフ状態の電磁木刀を振り下ろす。
「彌ァーッ!」
寒ッ! 堅きヒロカネ・メタルはバイオ樫製の木刀の一撃を容易く弾き返した。ビリビリと痺れにも似た衝撃が掌に返ってくる。この程度でヨモギは怯まなかった。何万回、何百万回と繰り返してきたのだ。
「彌ッ! 彌ッ! 彌ッ!」
寒! 寒! 寒! 打ち込む! 打ち込む! 打ち込む! 金属の残響が周囲に響き渡る。ヨモギは太刀打の速度も、威力も、ペースも変えることなく打ち込み続けた。早朝千回。それが彼女の日課だ。
「彌ッ! 彌ッ! 彌ッ!」
寒! 寒! 寒! 打ち込む! 打ち込む! 打ち込む! いつしかヨモギの額に汗が浮かび始めた。手の感覚がなくなりかけてきた。それでもなお打つ。そろそろ500、そこで一旦休憩だ。
打ち込みを中断すると、ふと視線を感じた。カウヴェに来て一月が経つが、ずっと感じてきた視線だ。複数、敵意はないようだった。そろそろ声をかけてもいい頃だろう、と思っていた。
「オイ、そこの! 覗き見なんてしてねーで出てこい!」
少し間があって、視線の主が現れた。みすぼらしい服装の子供たちだ。5人いる。ヨモギは訊いた。
「ここらへんに住んでンのか?」
鼻の頭に絆創膏をつけた少年が頷いた。オウチ・タウンの隣、ランルー・エリア。区画整理もされていないスラム街だ。
「毎朝姉ちゃんのカンカン言わせる音がうるさくてさ」
「そりゃあ悪かった」
イガグリ・ヘッドの少年の抗議に対し、ヨモギは素直に謝った。ただし、言い訳もする。
「他に打ち込みやれるところがねーんだよ。こっちに来たばっかでさ。どっか知らねーか、お前ら?」
「お姉ちゃん、サムライなの?」
汚れたフェルト人形を抱いた少女が訊いた。
「そうだ」
「お姉ちゃん」
「ウン?」
「強くなるためにこうやってるんでしょ?」
お下げ髪の少女がカタナを振るジェスチャーをする。
「まあ、そうだな」
「サムライって、どうして強くなりたいの?」
ヨモギは考えた。それはかつてカウヴェに来る前に、センセイに尋ねたことでもあった。尤もその人物はこういう言い方をした。
「それは人それぞれじゃねーの?」
「人それぞれ……?」
オカッパ・ガールが胡乱げに眉根を寄せた。ヨモギは続けた。
「強くなりたいなんてそんなもんだろ。アタシの場合は、弱いよりは強い方が出来ることが多くなるからだけど。お前らだって寺子屋に行って勉強する理由っていうのはそういうことだろ? バカよりは勉強が出来た方が少しはマシなんだ」
子供たちはしきりに首をひねって考えていた。ヨモギ自身もセンセイからそう教わっていたものの、よくわかっていないところもある。頭を使うのは苦手な性格だった。
「ンー、わからなかったらいずれわかるようになる、ってセンセイが言ってた」
「姉ちゃん、そのセンセイって強いの?」
鼻を垂らした子供が訊いた。幼すぎて男か女か区別はつかない。
「いや、よく知らない」
ヨモギに対し、子供たちからブーイングが飛んだ。
「エーッ! わかんないのー!」
「ガッカリだよ!」
「なんか偉そうにして!」
「うっさいわ!」
ヨモギも負けずにわめいた。とは言えそこはストリートチルドレン、女子高生の一喝で黙るものではない。ヨモギは周囲を見渡し、合成コーラの空き缶を発見。それを拾い上げ、宙に投げる。
「彌ァーッ!」
気合一閃、電磁木刀の刺突を送る。果たして、木刀の切先は空き缶を貫いていた。
「「「オオーッ……!」」」
パチパチと拍手が上がる。ヨモギは照れ隠しに鼻の頭を掻いた。
「姉ちゃん、剣術教えて!」
「俺も俺も!」
「僕も!」
「あたしも!」
その日から、ヨモギは彼らのセンセイになった。




