12 美しき闘いの花々
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「ワオォーッ! ワオォーッ!」
小柄な禿頭の老人が裃袴を振り乱し、モニタを指差しながら年甲斐もなくはしゃいだ。老人の名はトジタ、クスノキ家の三十人いる家老の一人である。
「オオーッ! 見ましたかテケムラ=サン! 一度に二騎を投げましたよ! あの……あの……」
「ブロンゾ」テンリューが言い添えた。
「オオーッ、その〈ブロンゾ〉ですよ! 私はあいつに賭けていたんだ! あのアーツは確か〈ダブル・エア・ナゲ〉! 私は柔術の黒帯だから詳しいんだ!」
元イクサ・ドライバーのテケムラ婦人は膨れ上がったマダム高島田ヘアーに手を添えながら首を傾げた。
「おかしいザマスわね……〈ブロンゾ〉にはあんな投げ技は不可能なはずザマス……」
「それだけ〈ブロンゾ〉のドライバーが凄腕ということでしょう!」
トジタ老人が熱弁した。テケムラ婦人も曖昧な笑みを浮かべてそれ以上は言及しなかった。彼女は旧式チームの方に賭けていたが、負けたとしても問題はなかったのである。テケムラ婦人の夫はアノホシ・エンタープライズの専務、庶民の年収を失ってたところで痛くも痒くもない、という人種だった。
チートを使ったな、とテンリューは見抜いていた。あの〈ブロンゾ〉はプログラミングを書き換えるか何か細工を施してあるのだ。他にも何人か〈ブロンゾ〉のチートを見抜いている者はいるだろうが、運営側に動く様子もないのは問題なしと見なしているからだろう。
確かに、ワンサイドゲームになるような賭けなどつまらない。
テケムラ婦人に限らず、恵まれた環境にいることに慣れすぎた人々ばかりがそこにいた。この場のVIPは皆――イノノベより年上の者はいないが――老いており、そして心身のいずれか、あるいは双方が肥え太っていた。彼らは高級スシを摘みつつグラスに注がれた高級清酒「美面衆」を呷り、旧式イクサ・フレームたちが荒廃した裏街道で繰り広げる闘技に見入っていた。
地下闘技場のオーナーであり最高責任者であるイノノベ・インゾーは別室にいる。今頃はゲームの司会進行役であるドマ・マサキヨと通信しているところであろう。
テンリュー自身も、潜入させているニンジャから連絡は受けていた。タナカと名乗るその男は、現在地下の子供たちの居場所を捜索中だ。
(ヤマダという若いのを売っちゃいましたがね、ええ。でもよろしいんですか?)
老人たちの背後に影法師めいて控えながら、テンリューは自分の通信端末を見た。そこに映っているのはヤマダ・セイヤの偽名を名乗っている若者だった。
(構わんさ。下手に動いてもらうよりはいい)
タツタ・テンリューはヤマダ・セイヤの本名を知っていた。即ち、サスガ・ナガレ。今のヤマト裏ネットワークで何番目かにホットな男。テンリューとミサヲの幼馴染。そして現在〈ブロンゾ〉で孤軍奮闘しているドライバー……。
テンリューは〈ブロンゾ〉にナガレが乗っていることを知っていた。だから彼は自分の存在が場違いであることを自覚しながら、ここに居続けることを選んだのだった。
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――轟! 猛然たる勢いで〈リザード〉がカタナを振り下ろした。ジゲン・スタイルの蜻蛉之型、そこから繰り出される斬撃は単純だが強烈無比。
ナガレは粗削りで未熟なその一刀に可能性の片鱗を垣間見る。直撃は避けるべきだった。
強力な大上段斬撃を蝶めいて回避――〈ブロンゾ〉による〈ミカヅキ・ターン〉――戛ッ! 〈リザード〉のロングカタナがアスファルトを噛んだ。
滑らかそのものと言っていい挙動で〈ブロンゾ〉が旋回、そのカタナの切先が〈リザード〉の首関節に潜り込んだ。――斬! 転がり落ちる頭部。
ナガレはカタナを生身での血振りめいてこれ見よがしに揮う。
旧式の群れが僅かに身を引いたように見えた。
サスガ・ナガレのイクサ用ニューロンは子供が相手だからといって手を抜くように出来てはいない。殺してしまわぬようにするにはいつも以上の細心さが必要だったし、その意味でもナガレにはいつも以上に余裕はなかったと言える。
挑発もしくは威圧――どちらに取られても構わない――ののち、ナガレの〈ブロンゾ〉は踵を返してダッシュ。
ナガレは後方を確認すると、予想通り泡を食ったような慌ただしさで追ってきた。
廃ビルディング一棟を通り過ぎたところで右にカーブする。そこは旧式一騎がようやく入り込めるような細長いスペースだ。その奥深くにナガレは陣取った。
他の者がそこへ足を踏み込む勇気を持てずにいるうちに、業を煮やした〈ミスト〉が突っ込んできた。
カタナは水平に、胸の高さで固定されている。ドライバーをコクピットごと貫かんとする意志が見えた。これだから自暴自棄の相手は怖い。特に子供はすぐ短絡的な手段を取ろうとする。
――ギィーッ! 〈ミスト〉のヒロカネ・メタルのカタナが〈ブロンゾ〉のEスティール製肩部装甲を容赦なく削る不快な金属音。その切先は〈ブロンゾ〉の急所には全く届いていない。
敵の刃を左肩部装甲で逸らしつつ接近した〈ブロンゾ〉は、右の片手打ちを振り下ろす。――斬! 〈ミスト〉の丸い頭部が縦に割られ、眼球めいたツインアイがこぼれ落ちる。
〈ブロンゾ〉が〈ミスト〉を踏み越えて跳躍する。
「――彌ァーッ!」
〈ミスト〉に次いで踏み込もうとしていた別カラー〈ブロンゾ〉もまたカタナの錆となった。――斬! 縦斬撃が右腕と右足を殆ど同時に切断した。別カラー〈ブロンゾ〉は前に崩れ落ち、やや離れて背後の〈バルブリガン〉の姿が丸見えになったのをナガレは見過ごさない。――弩ッ! その頭部に投擲されたカタナが突き立ち、〈バルブリガン〉が崩折れる。
ナガレは足元に落ちているカタナを脚部で蹴上げ、立ったまま柄を掴んだ。刀身に歪みが生じる恐れがあるため余り褒められない動作だが、戦闘中のため勘弁して欲しい。何しろ多数対一、少しでも隙を見せることは出来ないのだ。
ビルの隙間から陽の光に躙り出た〈ブロンゾ〉は、手にしたカタナの切先を敵チームへ向けて威圧する。
時間稼ぎ――ナガレは通信端末にインストールした自騎内部簡易モニタリングアプリ――やはりというか内部モニタ機能など旧式量産騎にはない――に目をやった。
予想通り、真っ赤っ赤――騎体中の関節という関節が熱を持っていた。モーションの更新したのはいいものの、騎体の剛性が動きに吊り合っていなかったのだ。特に右腕が酷い。あくまで簡易モニタリング機能でしかないが、今の〈ブロンゾ〉の右腕ならば目玉焼きを作れるだろう。
一体どこまで保つのか? 敵騎チームは半数以上残っている。全員を仕留める前に関節が焼けるか、関節が焼ける前に全員を仕留められるか――
ナガレはスクリーンの端にそれを認めた。追加戦力。それだけならまだいい。〈アイアン〉、〈エイマス〉、〈ワイアーム〉――全て新式イクサ・フレームだ。ナガレの背中に汗がにじむ。
落ち着け。恐怖に呑まれるな。確実に一騎ずつ仕留める術を考えろ。いや、生き残ることこそが重要だ――ナガレは自分自身に言い聞かせた。
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「ほうほう、追加戦力ですか!」
「しかし、〈ブロンゾ〉一騎に新式を六騎とは。過剰戦力では?」
朗々と司会進行役のドマ・マサキヨが告げた。
『これでは戦力が余りに不均衡だとお思いのお客人もいらっしゃることでしょう。では、〈ブロンゾ〉のドライバーが無事生存出来るか否かをベットの対象にしましょう』
非道! 遂に彼らは人命すら賭けの対象とすることを明確にしたのだ。それを咎める者は誰一人としてこの場にはいなかった。
当然、この条件では誰もが〈ブロンゾ〉には賭けたがらなかった。これではオッズが成立しない。
『困りましたね……さぁ、どなたか〈ブロンゾ〉に賭けるお方は?』
さほど困った様子にも聞こえぬ声でドマ・マサキヨが言う。
その時、誰かがチップの山をテーブルに乗せた。
「全て〈ブロンゾ〉のドライバーの生存へ」
動いたのはテンリューだった。彼は温存していたチップ百枚を全て放出した。
「ンマーッ! 豪気ザマスね、テンリュー少佐! では、アテクシも〈ブロンゾ〉へ賭けさせていただくザマス!」
「私もだ!」
「ワシもじゃ、ワシもじゃ!」
VIPルームはにわかに湧いた。
テンリューの眼はあくまで透徹としていた。
彼はナガレの生存を祈らなかった。死んだらそこまで。そう想い定めて賭けたのだった。
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自分らを押しのけるようにして前に出てくる、無遠慮で不届きな――新式イクサ・フレームの群れ。カコは彼らを恐れる一方で、少し腹が立った。
運営のやることも見え透いていた。やはり運営は、〈ブロンゾ〉とそのドライバーを逃がすはずもなかったのだ。
けれども一番腹が立ったのは――自騎爆発の恐怖に怯えて何も出来ない自分自身だった。
新式相手に穴熊作戦を無益と見て、〈ブロンゾ〉はビルの隙間に入ろうとはしない。その挙動は、今までとは打って変わってどことなくぎこちなく見える。今までの無理が祟ったのだろうか。
自由を求めてあの〈ブロンゾ〉は闘っている――今更にしてカコはそう思った。
彼もしくは彼女は、自由を求めて足掻き続けるウメチヨと同じだと思った。
ウメチヨに手を伸ばせない自分をもどかしく、また情けなく思った。
〈ブロンゾ〉がカタナを揮う。〈アイアンⅠ〉が受け止める。〈エイマス〉が回り込み、刺突。かろうじて躱す〈ブロンゾ〉。
(死ねば楽になるのに)
ウメチヨが何度か口にする言葉だった。彼は作中を通してそんな目に遭い続けた。それでもウメチヨはこう続けるのだ。「俺は死にたいと思えないんだ」と。
死ぬ方が楽になる。死ねば全てが終わる。死は苦痛からの、全ての重荷からの解放である。喜びも悲しみも怒りも楽しみも、死ねば全てから解放される――
その是非について、ウメチヨは肯定も否定もしていない。作中でも、またタケビ・ヒマコ先生のインタビューでもそうだ。
ただ、カコは美しいと思った。死に物狂いで生きようとするウメチヨと〈ブロンゾ〉の姿が重なってその眼に映った。
「イクサ・フラワーズ」の物語は、話が進むごとに悲劇の様相を帯びている。登場人物の全てが幸福な終わり方をするとは、読者の誰もが信じていない。しかし一方で――逞しく泥臭く生の喜びを求め続ける登場人物のイクサに、せめて一片の救いがあって欲しい――読者の誰もがそう望んでいた。
――「闘う花々に良き結末を!」と。
「――ああァァァーーーッ!!」
我知らず、カコの〈バルブリガン〉がカタナを投げていた。
ナスノ・カコ、キレる。




