5 スナイパーとヴァンガード
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マカゴ・フブキは北方、トゥーガルに生まれた。
父母は元軍人で、それ以前に北方狩猟民族の血を引いていた。
母は狙撃手。父はその観測手。二人にイクサ・ドライバーとしての資質はなかった。
観測手の仕事はパートナーが狙撃に専念出来るように取り計らうことである。斥候、距離や風速の計算、味方への通信、狙撃以外全てのことをやると言っていい。観測手がいるのといないのとでは、狙撃効率は断然違ってくる。特殊部隊の隊員として出会い、絆を育み、結婚した。そういう関係だったとフブキは聞いている。
フブキが生まれて何年かした後、二人は退役して予備役編入、共に警察官になった。
トゥーガルは概ね平和だったが、首都トゥーガル・シティから離れた辺境では今なおノブセリと呼ばれる野盗が闊歩し、たびたび群れて犯罪を働いていた。マカゴ夫妻は彼らを幾度となく鎮圧し、表彰された。休日はボランティアの山岳警備隊として野山に分け入り、増えすぎたバイオ熊やバイオ猪を始めとした野生のバイオ生物を撃った。その肉は近所の人々に振る舞われた。
家に飾られた表彰状の数々は夫婦の功績の多さを物語った。両親は幼いフブキの誇りだった。
狩猟民族の家系の常として、両親は幼いフブキにライフル射撃を仕込んだ。フブキはすぐその天賦の才能を示した。木々の枝に吊り下げられたバルーンを、一キロ先に置かれた空き缶を、そして一ゼニィコインを易々と撃ち抜くようになった。銃を愛し、射撃を愛するようになるまでにさしたる時間は要らなかった。自分たちの娘が優れた射手としての素質を持っていることを、両親は素直に喜んだ。
そんな彼女だが、生き物は撃てなかった。父親が仕損じたバイオ鹿が腹からはみ出た腸を垂らして山の奥へ消えてゆくのをライフルスコープの外を見送りながら、フブキは度の過ぎた悪戯で叱られたときのように泣いて謝った。
「泣かないで、フブキ。あなたは悪くない」
「お前にも出来るときが来るさ」
……フブキが七歳の頃の話だ。山の中腹部に建つ自宅に学校から帰ってきたフブキが見たのは、慌ただしく旅装を整える両親の姿だった。二人の銃をライフルバッグに納めた後、母はフブキを抱き締めた。
「フブキ、いい? 父さんと母さんは何日か家を開けなければならないの。伯父さんが来るから、家のことをお願いね」
彼女は二人の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
それが両親を見た最後の姿になるとは、全く思っていなかった。
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『フブキ=サン、このラインでいいか?』
〈ブリッツ〉に〈グランドエイジア〉が投じた有線通信からナガレの声が聴こえる。電磁ブリザードには波のようなムラがあり、今は弱まっているがいつ本降りになるかわからない。
昼前にフブキとナガレはロケーションに出た。ジュスガハラ高原はこれから戦場になる。敵もまたいつ来るかわからない。だからロケーションはなるべく早い方がいい。
「そのあたりがいいだろうな」
『OK。ところでさ、何でフブキ=サン、〈ブリッツ〉を使ってるんだい』
「脚回りがよくて険路に強い。それに、割と捨て値で手に入ったりするんだ」
『ナルホド』
ナガレは得心したようだ。話していると、彼がかなりのイクサ・フレーム・フリークであることがわかった。フブキは彼の半分ほどもイクサ・フレームに対する思い入れはないが、愛騎の基本的な知識程度は頭へ入ってある。
〈ブリッツ〉は〈テンペスト〉と同時期に造られたミイケ工房製イクサ・フレームである。生産数は多く、一時期は軽快な機動力から〈テンペスト〉以上に持て囃されたりもした。
転機は「バロウズ戦役」末期のボリーズ基地防衛戦。その攻め手側のメイン騎体はブリッツだ。結果的に阻止されたものの宣伝工作により襲撃の目的がBC兵器の奪取であることが暴露され、以来ブリッツに完全に悪役のイメージがついてしまった。その中古価格は暴落した。そういった「訳あり」騎体は開発・生産元は大変だろうが、フリーの傭兵であるフブキには実際ありがたい。
フブキの狙撃射程がジュスガハラ高原全体をカバーしているとナガレが知った時、彼は化物を見るような目をしたに違いない。違いない、というのは、フブキもナガレも互いにイクサ・フレームに乗っていたからだ。
二〇キロ狙撃。イクサ・フレームの電脳に頼らず。実弾の狙撃銃で。
『……マジで?』
「マジなんだ」
『どうやって測距とか弾道算定を?』
「ライフルのスコープと、頭の中で」
『フルアナログ……?』
ナガレは絶句した。両親から教わったように子供の時分からやってきたこと。だから一切疑問に思わなかったが、士立ハイスクールでそれをやってのけるとどうやら自分が異常らしいことがわかった。イクサ・フレームに乗っていようが乗っていまいが、普通はデジタル機器を用いて計算した上で狙撃を行なうのだ。フブキの場合、時代遅れのアナログなライフル外付けスコープの零点規正を行ない、距離を目測し、経験から風速やコリオリ力による弾道への影響をニューロン内で弾き出し、トリガーを引く。それで、まず外しはしない。
『本来は全部イクサ・フレームの電脳で出来ることだよ。出来ないのはトリガーを引くことだけだ』
「私の教官もそう言ってたよ」
アナログ故の強みはあった。ジャミングの張り巡らされた戦場でも、フブキのブリッツは常と変わらず、一方的に敵イクサ・フレームを的とすることが可能だった。もしジュス村へやってきたのが彼女以外のイクサ・ドライバーであったならば、容易に敵の接近を許していたことだろう。
しかし、念には念を入れる必要がある。
「敵の騎体数はわかってるのか?」
『一個小隊ってところじゃないかな。そこにスナイパーを一騎プラスして』
「五騎ほどか」
フブキはグランドエイジアを見た。〈エイジア〉の名前を持つイクサ・フレーム。
「本当に任せてしまっていいのか?」
『前衛なら任せてくれ』
当初、ナガレに観測手としての役割を任せる案が立てられた。しかし観測手には狙撃手としての経験や知識が必要だ。ナガレは自分にはそれがないと言い、却下した。
『その代わり、援護射撃は頼んだ』
前衛は前へ出て、狙撃手への敵の接近を阻むのが役目だ。必然、イクサ・フレーム四騎とその援護射撃を相手取ることになる。
「無謀ではないのか?」
フブキは何度も尋ねた台詞を繰り返した。
『フブキ=サンがいるからダイジョブだよ』
ナガレもまた、何度も繰り返した台詞を言う。
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その夜、電磁ブリザードの中敵が来た。




