8 献杯
〈トヨミ・リベレイター〉のアジトの一つ、移動要塞シュエン・ウーは海底に逼塞している。任務を終えたばかりの〈99マイルズベイ〉がドックに入るなり、タツタ・テンリュー少佐は呼集を受けることになった。
「大義であった、テンリュー=サン」
「只今帰還しました、アルベール大佐」
捷報をもたらしたのはテンリュー直属の上司であるヴァキサカ・アルベール大佐である。ボンズ・ヘッドに彫りの深い顔立ちの彼は、直立不動で敬礼するテンリューを白眼の勝った眼で見据えた。
「俺への挨拶はいい。カトー閣下が貴様をお待ちかねだ」
「カトー閣下が?」
「今すぐに、だ」
二人は早足で並んで歩き出した。二人共百九十センチ前後の長身と逞しい筋骨の持ち主である。すれ違った下士官たちが直立不動姿勢を取って見送り、若い女性士官は熱っぽいささやきを交わし合う。
執務室のバイオマホガニー製自動ドアの前に立つ。
「閣下、失礼致します。ヴァキサカ・アルベール大佐、タツタ・テンリュー少佐を連れて参りまし……た?」
自動ドアが開いてすぐに現れた目の前の光景に、二人は圧倒された。
筋骨隆々、二メートルを優に超える巨体である。それがフンドシ一丁で、頭を支点に逆立ちしていた。背後にかけられた「トクガ滅すべし」の掛け軸も目に入らぬほどの圧倒的光景だった。
「おおう、良くぞ戻った! テンリュー少佐!」
魁夷そのものの面長の顔満面に喜色を浮かべ、巨漢は言った。逆立ちのままで。
「この部屋は星脈の要穴に属する故な、日に二度こうしてそのカルマを頂くのよ」
フンドシ一丁の巨漢は見た目とは全く裏腹な、流麗そのものの動作で逆立ちから足底を床に着け、立ち上がった。美事な逆三角形の、贅肉一つ無い肉体である。
「故にこのカトー・シンザン、還暦を十歳過ぎようとも病ひとつ貰った覚えがない」
ハンガーにかけられた宇宙紺と金を基調にした軍服を無造作に広げ、身につけてゆく。その動作でさえ淀みがない。
「報告は無用だぞテンリュー=サン。イノノベのジジイをブチ殺してくれたことは褒めてつかわそう」
軍隊の伝統として第二人称は「貴様」である。軍服を身にまとったその姿は、まさにサムライの一つの理想的な姿と言えた。
言葉遣いに威圧的なところはないが、経歴や戦歴に裏付けられたその体躯から滲み出してくる圧倒的な気配やカルマは隠しようがない。アルベールもテンリューも、彼の軍歴以下の年齢の若造二人でしかなかった。
それが〈トヨミ・リベレイター〉総帥、カトー・シンザン大将である。
「ただ、貴様の任務はジジイを生かしたままにすることだったのだがな。だから階級は少佐のまま据え置きだ。異存はあるまいね?」
カトーの強い視線がテンリューを射抜いた。口元は吊り上がっているが、眼に笑いの気配はない。テンリューは直立不動の姿勢で言った。
「いえ、むしろ寛大なご配慮に感謝します、カトー閣下」
「いい子だテンリュー=サン。トヨミ流星勲章はくれてやるからそれで了見しろ」
バイオマホガニー製の執務デスクに、カトー・シンザンは座らなかった。立ったまま、彼は呟いた。
「イノノベが死んだか……吾輩が初めてあのジジイに逢った時もジジイだったが、ジジイはジジイのままに死んだのだな」
謎めいた諧謔に、アルベールもテンリューも反応しようもない。尤もカトーの遠くを見る眼は、若きサムライ二人の質問を完全に封じていた。
「イノノベのな、とあるサムライ文化にまつわる論文にかく言うものがある」
カトーは戸棚を開け、ワインの瓶を取り出した。ゴーシュ産ワイン「武麓堅」百三十年物。オークションでも滅多に出ないような一品である。
イノノベ・インゾーはゴーシュの出身だったはずだ。タケダ・グェン・シンの遺臣であり、タケダ家滅亡の後トクガ・ヘスースへと降ったイノノベ・エンゾーはインゾーの父に当たる。
「論文自体に最早価値はないがね。ただ『ヤマティアンは数多のイクサをくぐり抜けた地球の民の後裔である。知性ある人であると同時に獰猛なる人――即ち、人類全てがサムライなのだ』という下りは、吾輩大いに気に入っておる」
デスクの引き出しから、三つのグラスを取り出す。指でワインの封を切り、コルクを引き抜き、紅い液体をグラスへ注ぐ。
「二人共、飲め。戦勝への祝杯であり、かの老人への献杯だ。銀河戦国期最後の英雄へのな」
「戴きます」
声を唱和させ、三人はグラスをあおった。百二十年を閲した芳醇な味わいが、喉から胃の腑へ滑り落ちてゆく。
「……いい酒だ」
「は、真に」
恐懼してアルベールが言う。テンリューは彼の真似をしてみせた。正直、酒のことはよくわからないのだ。
「そう言えばテンリュー=サン、貴様はあのジジイとそれなりに一緒にいたはずだが?」
「間違いありません」
「どう思った?」
底光りする眼に見据えられながら、テンリューは応えた。
「毀誉褒貶はあれ、一代の傑物には違いありますまい」
「フン、ありきたりなことを」
カトーは興味を失ったように視線をデスクに投げた。そのまま最高級レザーチェアに深く身を沈める。
「テンリュー少佐、貴官はここのところ働き過ぎのようだ。若さに任せるのもいいが、たまには休め。何かあれば、すぐに知らせてつかわす」
「……は」
「二人共、もう行っていいぞ」
一礼して、執務室を辞去した。
「俺はヒヤヒヤしたぞ、テンリュー=サン。いつの間にかにカトー閣下の逆鱗に触れたかと思った」
「自分もですよ。あの方は正直読めない」
執務室から十分に離れた場所で、アルベールとテンリューは囁くように言った。軽口を叩けるのは、二人が士官学校の先輩後輩に相当するからでもある。
「さて、と」
アルベールは凝った肩を回しながら言った。もうヴァキサカ家用の潜水艇の近くまで来ていた。
「俺の休暇とも重なっていることだし、テンリュー=サン、実家に来るか?」
「迷惑では?」
「迷惑なものかよ。俺の弟妹たちは貴様にゾッコンなのだぞ」
「過分な評価ですな」
「謙遜はよせ。士官学校主席が言うとイヤミに聞こえる」
アルベールは苦笑交じりに言った。尤も彼自身、主席卒業の将来を嘱望される身なのだ。その上ヴァキサカ家はトヨミ譜代の名門でもあった。
「では、お言葉に甘えましょう」
「マクシミリアンもユージェニーも喜ぶだろうな」
「お兄様!」
声を上げて駆け寄ってきたのは、ややピンクがかった髪をアップにまとめ女性サムライだ。少女の面影を残した美貌はやや紅潮している。宇宙紺を基調にしたプリーツスカートは、士立センナリ・ハイスクールの制服である。
「フランソワーズ。船で待っていろと言っただろうが」
「お兄様が遅すぎるから迎えに来ましたわ」
兄アルベールに対して可愛らしく唇を尖らせながら、少女の大きな眼はちらとテンリューを盗み見る。
隠しきれない好意。苦手な眼だ。
「て、テンリュー少佐。お久し振りですわね。ヴァキサカ・フランソワーズですわ」
「お久し振りです、フランソワーズ=サン」
テンリューは親愛と儀礼のどちらにでも受け取れるような笑みを浮かべた。
フランソワーズは前者を採用したらしい。
「この度のイクサはゴクロウサマでした」
「苦労しないイクサなどありませんよ、フランソワーズ=サン」
「そうですわね――あの、ヤギュウ・ハクア=サンもいらしたそうですわね?」
「彼女の姿も見かけましたね。尤も任務上、殆ど会話も交わせず仕舞いでしたが」
「べ、別にいいんですわ! ぜ、全然彼女のことなんか気にしてなどいませんことよ!」
慌てながらフランソワーズが否定する。そう言えばハクアとフランソワーズは同級生で、剣道女子大会の部で決勝を争っていたのだ。結果はハクアの優勝。以来フランソワーズが彼女をライヴァル視していても不思議はない。
同級生というならば、ナガレもそうだ。
「ねえ、テンリュー=サン。このフランソワーズに、面白いお話をお聞かせ願えませんかしら?」
「おいフランソワーズ、いい加減にしないか。テンリュー=サンも疲れているんだ」
「いえ、気が紛れます。そうですね……」
テンリューは顎に指を当て、少し考える風をした。
「では、お二人には幼馴染と敵味方に分かれることになったサムライの話をしましょう」