7 終熄
……ヴァン・モン撤退より、少し前。
「ハクア=サンや、少し〈フェニックス〉に寄ってってくれんか喃。何、弾薬や推進剤等の補充はするぞ」
『今すぐですか?』
「今すぐだ」
……今、ハクアはモスグリーンの〈テンペストⅢ〉を駆り、電子戦艦〈フェニックス〉の艦上に立っている。アームストロングランチャーを腰だめに構えた脚元は艦体の装甲パネルがスライドし、イクサ・フレーム砲撃のための足場となるコネクタになっていた。
『……アームストロングランチャーを撃つのは初めてなんですが』
「何事にも初めてはある」
サウンドオンリー通信が入る。ハクアの緊張した声に対してコチョウは余り品の良くない冗談を思いついたが、言うのはやめにした。
「マニュアル通りやったのだろう? ならば何も問題ないはずだ。安心安全のクニトモ社、定番の国崩ブランドの卸し立てだぞ」
実際〈フェニックス〉の方のモニタリングでは、ランチャーの各種ロックは解除され、機能はオールグリーンを示している。アームストロングランチャーのチャンバー内では、加圧されたエネルギーが放出のタイミングを求めて荒れ狂っていることだろう。
静かにハクアが深呼吸をした。やや声は上ずっているように思うが、それで大分落ち着いたようだった。
『ミズ・アゲハ、砲撃タイミングは?』
「こちらの合図でトリガーを引くのだ」
『了解』
コチョウは艦橋に独りである。
〈フェニックス〉と〈グランドエイジア〉の電脳を使用し、フル稼働で演算を行なった。ヴァン・モンをどの座標で、どのエンジンにどの艦やどの砲がどれほどの威力で撃ち込むか。その他の諸問題も含め、宇宙要塞の惑星ヤマトへの落下を防ぐための演算である。これらの解決には、電子海賊ミズ・アゲハの能力を以てしても三百秒もの時間が必要だった。
猶予はない。演算結果を各艦へ伝える。
大口径の艦砲がそれぞれの照準を定める中、兵装を持たない〈フェニックス〉号は代わりに〈テンペストⅢ〉にアームストロングランチャーを撃たせることにした。〈フェニックス〉は電子戦艦として完成されているため、余計な武装を持たないのだ。
本来は〈グランドエイジア〉に撃たせるつもりであったのだが、騎体は左腕部を奪われバランスを欠いており、ドライバーのナガレもヴァン・モンから離脱するなり気絶してしまった。ハクアを手元に呼び寄せたのは、コチョウ自身実際虫の知らせが働いたとしか思えぬ。
そして、〈シナーノ〉からの合図が来た。
「ハクア=サン!」
『アームストロングランチャー、発射します!』
即座に引かれるトリガー。莫大なエネルギーが解き放たれ、無音のまま宇宙空間を走る。ランチャーからのエネルギーは他の艦砲の放った無数の光の矢と合流し、ヴァン・モン後部エンジンに突き刺さった。光の矢の雨が着弾し、炸裂し、爆発が膨れ上がる。巨大な要塞の半分を覆い隠すような光の暈となった。
ヴァン・モンの軌道が徐々にだが変わってゆく。このまま衛星軌道に戻り、元のような巨大すぎる宇宙浮遊物の仲間入りでもするのだろう。
『……終わったのですね』
「そうだ、終わった」
ミズ・アゲハの言葉に、〈テンペストⅢ〉はようやく砲撃姿勢を解く。脚を退けると砲撃用足場が閉鎖され、パネルライン一つ見えないなめらかな艦体装甲に元通りだ。
あるいはこれが始まりなのかも知れない、という予感はあった。少なくとも、コチョウ自身の戦いは何一つ終わってはいないのだから。
× × × × ×
また一台の脱出艇がヴァン・モン要塞から逃れ出てゆく。鬼面の形状の要塞、その後方に光の暈が広がった時、それを見ていた白衣の中年男は電子眼鏡をいじりつつ、確信めいて頷いた。
「ヴァン・モンの軌道は変わった。イノノベ=サンの野望はここに潰えた……かのように思われた」
その手が拳を握り、今まで見据えていた後部スクリーンを強く叩き出した。
「だが……ここにサッポロ・アツンド在る限り! 〈セブン・スピアーズ〉は決して絶えはせぬ! イノノベ=サン……あなたはクソだった! 正直言って! しかし研究環境としては最高のものを与えてくれたことは感謝する! 私はあなたのゴーストに誓おう、イノノベ=サン! 必ずや私は〈セブン・スピアーズ〉を……!」
ホネカワ・タダシは脱出艇を操縦中のコギタに耳打ちし、一時的に後部座席の重力中和装置を切らせた。サッポロの身体が唐突に宙に浮き、後部スクリーンに叩きつけられるようになる。
「……グエーッ! な、何をするんだねキミィ!」
「失礼、ドクター・サッポロ」
重力中和装置はすぐに戻る。それでも突然の事故に抗議の声を上げるサッポロに対して、ホネカワは悪びれずに応えた。
コギタとデデノが忍び笑いを漏らしている。この尊大で鼻持ちならない不潔な科学者に、三人の傭兵は決して好感を抱いている訳ではないのだ。また、サッポロが彼らに好感を持たれようとしたことは今まで一切ないし、これからもないだろうとホネカワは断言出来る。
サッポロ・アツンドを拾ったのは成り行き上のことだ。そのまま捨て置いてもよかったが、彼が白衣の襟裏に忍ばせた預金口座の番号が同行しての脱出を決定づけた。
「私は君等の雇い主だぞ! 非礼ではないのか!?」
「だから失礼と言いましたよ」
いささか辟易しながらホネカワは言った。
「しかしドクター。非礼はあなたも同様だ。この狭いスペース、大声を張り上げるのは非常識にも程がある。自己陶酔に耽るのならば、地上に降りた後、どうか我らとは遠く離れた場所で思う存分やっていただきたい」
「グヌヌ……覚えておこう」
サッポロは渋々というように唇を歪ませた。最低限の礼儀や常識もわきまえているか怪しい男ではあるが、この件に関してはホネカワに理があることは理解出来たらしい。
「ネエ、副長、コギタ=サン」
「何だ、デデノ=サン」
「何人、生き延びたでしょうね?」
ホネカワが応えた。
「さあな」
〈ローニン・ストーマーズ〉の何人が生きているのか、死んだのか、あるいは何人が捕まったのか、逃げ延びたのか。そのようなことはホネカワは最早気にしないことにしている。ただ一人気になるのはマクラギ・ダイキューだけだ。
「これから、どうします?」
コギタが訊いてきた。
「ユシキリ島で降りて、偽装身分でナニアに向かう。そこでドクターからカネをいただいて――」
「そこからですよ。何をしながらホット・ボリーの冷めるまで待つんです?」
ホネカワには、コギタが世間話をしたいのだとわかったので付き合うことにした。
「……俺は温泉にでも行くとしよう」
「温泉、いいですねぇ。副長、オフクロ=サン生きてるんですよね? ダメですよ、親孝行しなくっちゃ」
「それもいいな。思い出させてくれて感謝するよ」
実際はホネカワは年に一度の帰省を欠かしたことはないし、ここ近年では季節の変わり目に一度の頻度になっている。それでも感謝の意を述べたのは、コギタが幼い頃に両親と死に別れた孤児であるからだ。
「デデノ=サンもな、親御=サンにはしっかり孝行するんだぞ」
「は、はあ」
絡まれたデデノの返事が曖昧である。下級とはいえ旗本の五男、冷や飯食いの身には戻る家などありはしない。
前方スクリーンに、翡翠にも似た輝きを放つ惑星ヤマトの鮮やかな色彩が広がった。これから大気圏突入シークエンスへ入るのだ。
母親とチビのテトラを連れて温泉ヴァカンスと洒落込むのもいいかも知れない、とホネカワは思った。彼は今までないほどに疲れ切っていた。
× × × × ×
……ここに、後の時代に「イノノベ・インゾー事変」と呼ばれる一連の事件は一応の終熄を迎えることとなった。一人の男の野心が旋風を巻き起こし、惑星ヤマトを吹き荒れた。旋風は更なる禍根の芽を残したままだが、それを摘み取るべきサムライたちは今はあまりにも疲れ切っていた。
イクサは、まだ終わってはいない。その意味を彼らが正確に理解するには、しばしの時間が必要だった。