オール・ユー・ニード・イズ・イクサ
夥しい血が流れ出していた。同時に、己の血の中のカルマも失われてゆくようだった。
サスガ・ナガレが放った鐺の一撃は、深々と〈ガリンペイロ〉のコクピットを抉り、ドライバーのミズタ・ヒタニにまで及んでいたのである。幸か不幸か、ミズタは辛うじて生きていたし、〈ガリンペイロ〉自体の戦闘力には一切の問題を及ぼさぬままであったが。
しかし、ドライバーへのダメージは甚大だった。
長いことベッドの上に横たわっている気がする。その間、何度もの治療が施された。気を失ったのも数知れない。
目が見えない。完全な闇ではなく、ぼんやりと光を感じるだけだ。ただ、耳だけが情報を運んでくる。
「腕はもうダメですね」
「脚の方がもっと酷い。良くも生きていたと――」
「そもそも腰骨が――」
「骨盤が――」
「下半身が――」
おおよその状態は自分でもわかっていた。手足に感覚がないのだ。ベッドの上で身じろぎも出来ない。イクサ・ドライバーとしては致命的なダメージである。
ときどき、耐え難い痛みが襲ってくる。注射をされて、眠り込む。それを何度も繰り返した。
夢の中で考えた。
何不自由ない環境で育った。誰も彼もがミズタ・ヒタニに従った。上級旗本として順風満帆な人生を送るはずだった。
唯一の汚点は、サスガ・ナガレと関わってしまったことだ。
ミズタは念じた。誰か闘わせてくれ。頼む。サスガ・ナガレを斬らせてくれ。
「聞こえるかな? サッポロ・アツンドだ。ミズタ・ヒタニ=サン、質問する。イエスなら一度、ノーなら二度、瞬きをしたまえ」
一度、瞬きをした。
「ヨシ! 君が望むなら〈バルトアンデルス〉に乗ることも出来る。ただし、その場合は以前の生活全てを捨てることになる。美味いスシも食えないし、美しい芸者も抱けない。それでもいいかね?」
構いはしなかった。最早ショーグネイションの、否、ヤマトのサムライとしてのキャリアは終わりだ。ダメになった手足を与えてくれるのならば、悪魔とだって契約するし悪鬼羅刹にだってなってやる。
復讐のことを考えると、心臓が高鳴った。高鳴った心臓が、ドス黒いカルマを全身に巡らせるのがわかった。
それこそ悪鬼羅刹には相応しい色に違いない、と思った。
× × × ×
車椅子のイノノベ・インゾーと、向かい合っていた。イノノベは常に背後に屈強な近侍を何名か配置している。ボディーガードであると共に、高齢の彼のための医療スタッフも兼ねていた。
重サイボーグ黒服スタッフ、全員そこそこの技倆だ。全員を斬り捨てることは難しい、とマクラギは思った。別にイノノベを殺害したかった訳ではない。他者の技倆を測る癖が自然に身についていた。
「あのミズタの倅、よく頑張りますね」
「あれもサスガ・ナガレと縁ある者だ」
戦場にあって、イノノベ・インゾーは何十歳も若返ったようだった。加齢によりくすんでいた肌に艶が戻り、眼病で置換したはずの義眼には獰猛なカルマすら感じる。
イノノベは父祖伝来の鎧をまとっていた。流石に元の重さでは老体に堪えるようで大分軽量化が施されてはいるが、背筋はしゃんと伸び威風堂々たるアトモスフィアが立ち昇るようであった。
「屈辱がサムライを強くする。羨望や嫉妬、憧憬では足りん」
この老人は銀河戦国時代に、辛うじて間に合ったような生まれだ。元来は勇猛果敢、武力によって得た勲功も一つや二つではない。しかし、自分は生まれてくるのが完全に遅すぎたと信じていた。少なくとも、マクラギ・ダイキューはそう認識している。
あるいは銀河戦国時代の最も苛烈だった時代に間に合わなかった屈辱、あるいは羨望や嫉妬や憧憬が、イノノベを強くしたのだろうか。
「オヌシはどうなのだ、マクラギ・ダイキュー=サン?」
主語を省いた言い方ではあるが、イノノベの言わんとするのは明らかだった。マクラギは少し考えて、こう言った。
「全部ではないか、と思います」
「ほう」
「屈辱もあった。羨望もあった。憧憬もあった。だから自分はヤギュウ・ジュウベエ=ハチエモンを殺したのだと思います」
最も重要な感情を口にしなかった。即ち、尊敬だ。確かにマクラギはハチエモンを尊敬していた。
「が、結局斬りたいから斬った、という気もしますね」
サムライは生来血が熱い――よく言われる言い回しだが、これは少々恰好をつけ過ぎているとマクラギは思う。
もっと端的に言うがいいと思う。血を見ずにはいられない、と。
「マクラギ=サン、ワシはオヌシが決して嫌いではないぞ。オヌシには古き時代のサムライの匂いがする。イクサビトというヤツよな」
イノノベ・インゾーの皺に覆われた口元が歪んだ。笑ったのだ。
「ヤマト開闢以前より、人の営みのあるところには戦士が存在し、戦争が存在した。今更変えられぬ歴史である」
マクラギとイノノベは同類だ、ということは認めざるを得なかった。血を見ずにはいられない、人を殺さねばいられない古き時代のサムライ。闘い、生命を奪い合うことでしか自分の価値を確かめることが出来ない生き物たち。
「哀しむべきかな、嘆くべきかな、平和思想などという惰弱な考えがヤマトを覆いつつある。全く、腑抜けたことを!」
イノノベが憤りを見せた。
「イクサなきところ、種の命も繋ぐことが出来ぬほど人は惰弱になるに違いない! 故に! ワシは起ったのだ!」
老人の口調が熱を帯びてゆく。
「そう! 全ての者は本能的にイクサを望んでいる! 人はイクサをするために生まれた! この惑星に於いては、全ての民はサムライなのだ! サムライたるべく存在するのだ! ヤマティアン尽くサムライで……ゲホッ! ゲホーッ!」
老人がむせた。興奮のあまり酸素を消費し過ぎたのだ。近侍の者が酸素ボンベのマスクをイノノベの口に当てる。少なくともこんなところで死なないで欲しい、とだけマクラギは思う。
「ハーッ……ハーッ………ワシも老いた喃」
荒い呼吸音と共に、イノノベは自嘲の言葉を吐いた。
「……ワシはこのイクサでは死ぬやもしれぬ。あるいは生き永らえるやもしれぬ。どちらでもよい。ただ、確かなことがある」
老人は脂汗を流しながら、それでも笑みの形に唇を歪めた。
「このイクサは、次なるイクサの種火となろう。歴史書の片隅に書かれるだけのイクサが、燎原の火めいてヤマト全星に拡がるのだ。マクラギ=サン、オヌシはまだ若い。ワシが死せるとき、代わりにそれを見てくりゃれ。よいか?」
マクラギは、頷いた。それしか出来なかった、と言えなくもなかった。
面会が終わり、マクラギは部屋を退出した。燃え上がる惑星ヤマトの未来図が、いつまでもニューロンから消えなかった。