3 大切なことは結局何も
「トクガのコシヌケがッコラー!」
「トヨミのクサレハラワタがッオラー!」
口汚い罵声が飛び交う! 言葉は意味を成していない。あるいは、意味のある言葉を交わす段階を通り越したか。それは危険な兆候だ。
「お姉ちゃん、コワイ!」
「あのオ・サムライ=サン、コワイ!」
「ダイジョウブ、お姉ちゃんに任せて」
幼子たちが怯え出した。彼らをなだめる言葉を言ってから、ミサヲは立ち上がった。
「オイオイオイ……」
ヨモギがオタマを置き、頭のスカーフを拳に巻き付けた。戦闘準備ということだ。護衛がついている以上よもやとは思うが、ナガレも万が一のことがあれば飛び出す肚は決まっている。
「あなた方!」
いがみ合う二組の横合いから、ミサヲが大きな声をかけた。十人の視線が少女に集まる。ミサヲは恐れ気なく、十人のサムライへ睨み返した。
何たる胆力か! 下級と言えども優に身長二メートル体重百キロを越えそうな巨漢サムライもいるのだ。一般人ならば軽く殴り殺せるだろう。そしてミサヲにはサムライ適正はない。ナガレは舌を巻く思いでそれを見守った。
「ここは民間の人々がいるのですよ。サムライとして恥ずかしいとは思わないのですか?」
「何だァお嬢ちゃん?」
「俺たちは戦闘種族サムライだぞ!」
「とっととオウチへ帰ンな!」
「それとも俺たちと遊びたいッてのか?」
「ヘッ! 夜鷹にしては上玉だぜ!」
巨漢がミサヲの顔に手を伸ばす。彼女はしたたかにその手を払いのける。
「向こう見ずで怖い物知らずのお嬢ちゃんじゃねえか! 俺はこの手の女をモノにするのが大好きなんだ!」
「ハン! トクガの腑抜けが珍しく気が合うじゃねえか!」
険悪アトモスフィアが漂う! ナガレが割って入ろうとしかけたとき、
「貴様ら、何をしている」
「あなた方、何をしているのです」
タツタ・テンリューだった。特にテンリューの襟を飾る少佐の徽章は効果絶大だった。
「ハッハイ!」
サムライ五人が直立不動姿勢を取る。彼らを侮蔑的視線で睨みつけたテンリューの後ろから影が奔り出た。
「彌ァーッ!」
「グワーッ!」
シャウト一閃、トヨミ下級サムライの身体が地に倒れ伏した。咄嗟に他の四人も反応出来なかった。女性士官は拳を揮い続けた。
「彌ァーッ! 彌ァーッ! 彌ァーッ! 彌ァーッ!」
「「「「グワーッ!」」」」
四撃の修正パンチ! 四つの悲鳴が唱和し、仲良く地に倒れ伏すトヨミ・サムライたち! 達人! ナガレやヨモギが思わず拍手しそうになる鮮やかさであった。
拳をさすりながら、女性士官は事態の推移に戸惑うトクガ・サムライを睨みつけた。その視線が宿す強いカルマに、五人のサムライが怯んだ。
「卿らの軽率な行動がどんな結果をもたらすか、わかっているのだろうな?」
「「「「ハ、ハイッ!」」」」
「ならば、戻れ。トクガ方とは言えども、次は拳だけでは済まぬぞ!」
「「「「ハ、ハイッ!」」」」
「その前に、あの御婦人に陳謝せよ」
「「「「ご、御無礼を申し上げ! 誠にスミマセン!」」」」
深々と腰を折った謝罪のオジギである。ミサヲはやや当惑しながら、それを受け入れた。
「……わたしはいいのです。ただ、もう二度と繰り返さないでください」
女性士官の声が再度飛ぶ。
「幼子たちにも!」
「「「「スミマセンでした!」」」」
子供たちへも謝罪! 当人たちは顔を見合わせていた。
トクガ・サムライが自陣へ戻ってゆくのを見ながら、ヨモギは訳がわからないという表情をしていた。少し離れた場所でミサヲとテンリューが話をしている。内容までは聞こえない。ナガレはぽつりと言った。
「危なかったな」
「ミサヲ=サンが?」
「あの下級サムライどものことさ」
テンリューが、本気で怒っていたことにナガレは気づいていた。殺意に近い怒りのカルマの放散。あの女性士官が咄嗟に下級サムライどもを殴っていなければ、その場でテンリューは彼らを手打にしていたかも知れない。気が利くサムライだ、もしかしたらテンリューの副官に当たる人物だったのだろうか。
ミサヲを前にすれば、テンリューにとって全てが意味を失う。常識や道徳、倫理さえも。全く変わらない、テンリューの性質だった。
尤もナガレはそこまで説明する気がなかった。ただこう言い添えた。
「タツタ・テンリュー少佐。俺の幼馴染だ」
ヨモギが面妖なものを見る眼でナガレを見た。
「……ミサヲ=サンがナガレ=サンの幼馴染で、タツタって人も幼馴染だろ? てことは、ミサヲ=サンとタツタ=サンも?」
「正解」
「二人共トヨミのエラい人なのに、ナガレ=サンは何してンだ?」
ナガレはその質問に答えることが出来なかった。全くヨモギは意図していなかっただろうが、それは地味に核心を突く質問だったからだ。
「本当に、あなたは何をしてるのでしょうか、ナガレ=サン?」
ヤギュウ・ハクアがそこにいた。
テンリューもこちらを見ていた。互いに目礼を交わし、歩み寄る。
「我が方のサムライが御無礼を致しました。タツタ少佐殿」
「いや、先に礼を失したのは我が方のサムライであったかも知れん、ヤギュウ中尉」
テンリューが鷹揚な笑みを浮かべた。
「だから貸し借りは無しということで」
「……そうですね」
ハクアの視線が動いた。その先には、ミサヲ。
「そうだ、忘れるところだった。明日、四者会談を行いたいのだが。都合のいい時間帯を教えて頂けるかな、中尉」
「では、午前十時でよろしいでしょうか?」
「承知した。ああ、ナガレ。お前も出るんだぞ」
唐突に話を振られた。
「エ、俺も?」
「当然だろう。お前はかの電子海賊の名代なのだからな」
テンリューと副官であろう女性士官は去った。
ミサヲも寂しげな笑みを浮かべ、子供たちやナガレ、ヨモギに別れを告げた。
大切なことは何も話せないままだった、とナガレは思った。
名残惜しく彼らをいつまでも見送っていたナガレに、ハクアが声をかけた。
「一緒に食事でもしませんか、ナガレ=サン?」
「嬉しいねえ、ハクア=サン」
始まるのは事情聴取だろう、ということは容易に想像がついた。