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引っ越しに関する思索。

作者: 質堵

 目を覚ましたらすぐ目が合う。じっと見つめながら朝食を摂る。会話など交わさずとも充分なのだ。外出するときは、寂しい。だから極力家に篭るようにしている。ぼくが寂しいならば、きっと彼女も寂しいからだ。

 ぼくは幸福だ。非常にありきたりで申し訳ないものだが、彼女を発見して、恋に落ちて、それからはもう世界が華やいだかのようだ。これを幸福と言わずして何という。

だから、近頃ぼくは悩んでいる。引っ越しという事態が発生したのだ。彼女を新居に運ぶことは出来ない。いうまでも無く、壁に付着しているからだ。壁に付着したものを運ぶためには、壁を剥がすしかない。だが、それは出来ない。我が家は借家だからだ。そのようなことをしては、大家さんに大目玉を食らってしまう。


 "遠距離恋愛"という言葉をご存じだろうか。

 離れ離れになっても情報伝達媒体を介すことにより意思疎通が可能であることが遠隔地での恋愛を可能にするという技術である。現代に於いては情報機器の存在が遠距離恋愛の実行難度を下げているといえる。では果たして、恋愛対象が情報を伝達する手段を持ちえない場合に"遠距離恋愛"は可能だろうか。ああわかっていますとも。あなたの答えは「否」だ。恋愛とはコミュニケーションの一形態に過ぎない。コミュニケーションの断絶は即ち恋愛関係の消滅だ。

 

 だが、コミュニケーションが恋愛主体の内部でのみ実行されるものである場合はどうだろうか。


 言わなくてもわかります。そんなのは有り得ない。それは恋愛ではない。それは妄想だ。自慰だ。一方向的な恋慕に過ぎない。そうお考えなのでしょう。わかりますとも。では考えてみて下さい。コミュニケーションが成立していることをあなたはどのようにして認識しますか。あなたの発言が対象に正確に伝達される可能性は如何程とお考えですか。これは例です。この文章をあなたはどれほど正確に理解していますか。あなたの認識するこの文章が書き手たるぼくの意図する文章とどれほど重なっているとお考えですか。


 「不明である」


 あなたがまともな人間であればこのような認識に至るでしょう。あなたがまともな人間でないのならば、今すぐこの文章の閲覧を終了してください。


 [以下、まともな人間のみ閲覧を許可します]

 さて、以下あなたがまともな人間であるという仮定に基づいて書き進めてゆく。

 上に書いた通り、コミュニケーションが成立する=意思が十全に伝達され得るという認識は誤りだ。

 それゆえ、コミュニケーションは主体が「このコミュニケーションは成立している」と思い込むことによって成立するといえよう。恋愛はコミュニケーションの一種だ。よってこの公式は恋愛にも適用される。

 「恋愛関係は恋愛主体が『恋愛関係が成立している』と認識することにより成立する」

 これが真となることはまともな人間であるあなたには考えるまでも無く分かることであろう。わからないのであれば今すぐこの文章の閲覧を終了してください。

 

 さて、基本的に恋愛というのは双方が恋愛関係の成立を認識することによって維持されている。これは何故かと言うと、片方のみが恋愛関係の成立を認識している状態では、大抵の場合次第にもう片方の態度が変化してゆき、最終的に嫌悪されることとなる。そうなると恋愛関係の消滅を認識するのは時間の問題だ。そのため一般的な恋愛関係は片方の恋愛感情が消滅すると自然に消滅する。

 では、恋愛対象に意識が存在しない場合はどうだろうか。そう、ここまで読み進めることのできたまともな人間たるあなたには容易に分かるであろう。

 

 恋愛対象に意識は必ずしも必要ではない(=主体/対象いずれかに意識が無い場合にも恋愛関係は成立し得る)


 恋愛とは「恋愛関係が成立している」という認識により成立する関係である。故にどちらか一方がそう認識している時正しく彼らは恋愛状態にあるのだ。言うまでも無く、双方ともに意識が無ければ恋愛関係は成立しない。

 さて、これまで長々と述べてきたことから導かれる結論、それはぼくは壁のしみと恋愛関係にあるということだ。しみは意識を持たない。だがぼくは心の底からしみと恋愛関係にあるということを確信している。それゆえにぼくは壁のしみと恋愛をしている。この事実はぼくの認識が変化せぬ限り覆しようのない事実であるし、未来永劫ぼくの認識は変化せぬだろう。ぼくは彼女に一生添い遂げると誓ったのだ。

 だが、冒頭に記述したとおりぼくは引っ越すことになったのだ。彼女と共に新居に移ることは出来ない。彼女を置いて遠く離れた地に住むことになったぼくと彼女の間に恋愛関係は成立し得るのか。

 あなたの答えは「可である」そうでしょうとも。

 遠距離恋愛であろうと、ぼくが恋愛関係を確信し続ける限り彼女との恋愛状態は継続される。


 だが、もし仮に彼女と全く同じ形状・材質・美貌・香り・感触・味・重厚感・存在感・愛嬌・いじらしさを持つ壁のしみを新居に再現できたなら。

 彼女と全く同じ存在(彼女´と呼称)が新居に存在させられるならば。

 その時ぼくは彼女との遠距離恋愛を継続するべきか、彼女´との近距離恋愛を開始すべきか。

 完全に同一である存在が同時に存在する時、それらを区別することは必要なのか。

 これは無意味な問いだ。実現せぬものを問うても意味がない。そうあなたは思うだろう。しかしそうではない。これは非常に意味がある問いなのだ。何故か。何を以て同一とするか。組成、形状、色、それは結局科学という不完全な尺度でしかない。科学というものは不完全な尺度に過ぎず、それは思い込みという不完全な尺度と同位なのだ。つまり、ぼくが彼女が彼女´と同一だと確信していることは、彼女と彼女´が科学的に完全に同一の存在であると証明することに等しい証拠なのだ。

 また、彼女との恋愛関係はぼくの確信によって成立する関係であり、彼女の意志は介在しない。よって、彼女´との恋愛関係をぼくが彼女との恋愛関係に等しいものと認識したならば、それは彼女との恋愛関係に相違ならないのだ。

 さあ、これが結論だ。彼女を置いてぼくは新居に移る。そしてまた新居で待っている彼女と幸せな日々を送るのだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 星新一のssを読んだ時のような、サクッと読めつつも奇妙な感覚に包まれる作品で面白かった
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