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雨冠  作者: 雪尾 七
第二話
8/15

2.片思いの雨

 雨が止むまで、水器は小宮とたくさん話をした。


「黄石は、花緒に何を認められたいのでしょう?」

「私は黄石ではないから、絶対とは言えないけれど、婚姻を、でしょうねえ」

「花緒は婚姻に反対しているのですか?」

「反対、というわけではないのよ、きっと」

「はあ……」

「あんまり、外からあれこれお節介をしないほうが良いと思うのだけれど」

「でも、黄石にお願いされました」

「そうねえ……」

「黄石を認めてって、花緒に言ったら良いのかな、と思ったのですけど」

 水器が言うと、小宮が笑った。

 正解かと思いきや、

「それは止めたほうが良いと思うわ」

 否定されてしまう。


「どうして花緒が、黄石を認めていないのかがわからないと、難しいですね」

「それは、そうね」

「花緒に聞いたら教えてくれるでしょうか」

「うーん」

「駄目、でしょうか」

「いいえ。花緒には、うん。そのくらい真っ直ぐなほうが良いと思います。黄石のように、遠回しにミツ様を経由しようとしたって駄目だわ」

「では僕、花緒に聞いてみます」

「ええ。がんばって」

 花緒に睨まれるのは怖いけれど、小宮が応援してくれていると思えば、怖じ気が吹き飛ぶのが不思議だった。

 小宮もミツのように、何か秘密の力を持っているのかもしれない、と水器はそっと思う。だって、こんなに綺麗なんだもの、と小宮の笑みを見つめて思った。


 雨が止んでしまったので、その日に花緒に話に行くのは難しそうだった。一度、社へ戻ろうと水器は名残惜しげに小宮の庵を後にする。

「水器」

 竹垣の天辺まで飛び上がったところで、小宮の声がかかった。

 雨は上がっているので、彼女に水器の姿は見えないはずだ。視線がこちらを向いているのは、花緒がいつもここから帰るためだろう。


「来てくれて、ありがとう」


 水器は竹垣の上から落っこちた。

 雨が止んでいたおかげで、地面にぶつからなかったのと、間抜けな姿を小宮に見られなかったのは幸いだった。けれども、大雨が降ればいいのに、と心から思った。

「小宮。ありがとうを、ありがとう」

 伝えてくれる雨はない。





 社に戻ると、ミツは珍しく屋根の上にいた。

 ぼんやりと集落の方角を見つめているようだったが、水器に気がつくと、視線を下ろして微笑んだ。


「ミツ様!」

 水器は弾むようにひとっ飛びでミツの隣に並ぶ。

「小宮とたくさん話ができました!」

 ミツが頷いて、三本の尾が揺れる。

 話すことがたくさんある。


 水器は、小宮にありがとうと言われたこと、黄石の婚姻のこと、花緒が忙しくて社に来られないのだということなど、順序もとりとめなく、思い出すままにミツに話した。

「それで、僕、花緒に、どうして黄石を認めないのか、次の雨の時に聞いてみようと思うんです。ミツ様、花緒にそう、聞いてみても良いと思いますか? 小宮は、黄石のように遠回しにするより良いと言いました」

 ミツは腕を組んで、唇を真一文字に結んでいた。

 いつものように、微笑んで頷いてくれるとばかり思っていた水器は、急に不安になる。


「ミツ様。黄石と花緒の婚姻は、嫌ですか?」

 婚姻の話を聞いてから、感じていたことだ。

 花緒が婚姻を拒んでいるのなら、ミツだって、花緒のほうの気持ちを取るのではないか、と。それに、婚姻の準備で花緒が社に来られないのなら、婚姻をしてしまった後では、もっと来られなくなってしまうかもしれない。それがミツには悲しいことだと、水器は理解していた。

 社をおとなう人々の中で、花緒に対する態度だけが特別なのだ。そのくらい、水器にもわかる。


 水器の問いに、ミツは顔を覆って俯いた。耳も尾もしょんぼりと萎れている。

 水器は雷が落ちたように体がびりびりと痺れるのを感じた。


「……わかりました、ミツ様」

 重々しく頷くと、ミツの三角形の耳の片方がぴくりと上がる。

「任せてください。ミツ様のお役に立ってみせます」

 胸を叩いて力強く言うと、水器は屋根から飛び立った。

 視界の端で、顔を上げたミツが首を傾げた気がするが、何をするつもりか、ということだろう。


「それは、笛も満足に吹けない僕だけれど」

 湖を風のように滑りながら、水器は独りごちる。

「少しくらい、役に立てるはずさ」


 ミツと同じように水を撒いたら、葉っぱを生やすことが出来た。

 小宮にありがとうと言われた。

 ミツに重要な話を伝えることができた。

 できたこと、褒められたことを指折り数える。

 そうして胸の中に、自信を蓄える。


 集落に着く頃には、太陽が沈みかけていた。

 湖の岸をうろうろしてみたが、黄石の乗った舟は見当たらない。

 歩いている人もほとんどなく、人の声は、それぞれの家の中からしてくるようだった。


 水器は手近な家から中をのぞいてみる。

 集落の住まいは、みな、ミツの社より大きい。小宮の庵のように、竹垣の囲いのある家はなかった。

 いずれも、大風でも吹けば飛んでいってしまいそうな、簡素な小屋のようだ。家の数は多くはない。黄石の家もすぐに見つかるだろうと思っていたが、それより先に花緒の家が見つかった。


 入口からそっと覗くと、花緒は藁を叩いている。

 雨が止み、自分の姿が見えないことに水器はほっとした。花緒はとても機嫌が悪そうだった。


「花緒。あんたまだへそ曲げてるの? 黄一の何が駄目なのよ。良い奴でしょう?」

 家の中には、花緒の他にも人がいた。年代の違う女性が三人、中年の男性が一人だ。花緒に声をかけたのは、一番花緒と年の近そうな女性だった。顔もよく似ているけれど、花緒よりも整った顔をしている、と水器は思った。


「悪い奴じゃないのは知ってる。けど、春姉には、もっと立派な人が似合うはずよ。いまだに悪戯をして小さい子らと一緒に叱られてるような奴じゃなくてさ」

「男なんていくつになってもそんなもんさ」

「でも、黄石なんて、阿呆だし。馬鹿だし。間抜けだし」

「こらこら。わたしだって怒るよ、花緒。旦那さまをそんなふうに言われちゃあさ」

「まだ旦那さまじゃないでしょ」

 花緒の頬がふくれている。

木春こはる、放っときなよ。花緒は拗ねてるだけなんだから。大好きなお姉ちゃんが取られちまうみたいでさ」

 奥から、年配の女性が声をかけた。

 木春と呼ばれた女性は、花緒の姉らしい。

「寂しく思ってくれるのは嬉しいけどさ」木春は花緒のふくれた頬を指先でつついた。「せっかくの結婚を、いつまでたっても可愛い妹に祝福してもらえないのは寂しいじゃないか」

「春姉……」


 なあんだ、と水器は肩の力を抜いた。

 婚姻をするのは、花緒ではなく、花緒の姉のほうらしい。単に、花緒はそれを拗ねているだけらしい。これならミツも悲しまなくて済むだろう、と胸を撫で下ろす。


「それよりも花緒。あんた、竹姫の庵には、近づいていないだろうね」

 しゃがれた声は、いちばん年嵩の老婆から発せられたものだった。

「近づいていません」

 答える花緒の声は固く不機嫌だ。

「それならいいんだよ。祝い事があるのに、厄をもらってくるんじゃないよ」

「……小宮は災厄なんかじゃないもの」

 小さな声は奥の老婆までは届かなかったようだけれど、近くにいた水器には確かに届いた。

 どういうことなのか花緒に問いたかったけれど、雨のない水器は無力だ。


「あのう」

 外から声がした。

 聞き覚えのある男の声は、誰のものだったかと思い出しているうちに、

「あら、黄石」

 木春が弾んだ声で答える。

「何か用?」

 対して、花緒の声は冷たい。


「式のことで相談に来たんだよ」

「どうぞ、入って。花緒、本当に怒るわよ」

 花緒は木槌を握りしめたまま、唇を噛んで押し黙った。

 そのまま、外に出て行こうとする。


「花緒、駄目です」

 水器は咄嗟に花緒の腕に手を伸ばしたけれど、つるりと滑ってつかむことができない。

 けれども諦めずに声をかけた。

「黄石は、花緒に認めてほしいとミツ様に願いました」

 ミツの杞憂が去ったのならば、ミツへの願いを叶えるのが、水器の使命だ。

 否、それを使命だと水器が自分で自分に課しているのだ。

 願いを叶えれば、ミツに褒めてもらえる。小宮に胸を張れる。


「花緒、聞いてください」

 雨さえあれば言葉を伝えられるのに、と下げていた笛を抜き取り、強く息を吹き込んだ。

 甲高い、警笛のような音が鳴る。


「何?」

 ぱっ、と地面から水しぶきがあがる。

「きゃっ」

 驚いた花緒が腕を振り回した。

 手にしていた木槌が鈍い音を立てて何かを打つ。

「黄石!」

 花緒の後ろで、黄石がよろめいて倒れた。


「……ああ、やっぱり、雨にはできませんでした。でも、下から水が出るのは初めてです。少しは上達しているのでしょうか」

 水器が、笛をためつすがめつ眺めていると、ふと視線を感じた。

 一瞬、花緒と目が合ったような気がしたが、すぐに黄石のほうへ向き直ってしまった。

「ごめん……黄石」

 その言葉に、水器は笑みを浮かべて花緒の傍にすいと近づく。


「花緒、花緒。僕の声が聞こえますか? 黄石のことを認めてくれました?」

「ごめんなさい、黄石」

 やはり、水器の言葉は届いていないようだ。花緒は、黄石の手をとり、ごめんなさい、と繰り返す。


「大丈夫だよ、花緒。こいつは石頭なんだから。そうだ、膝枕でもしてやろうかね。起きたときにびっくりさせてやろう」

 優しく、木春が花緒の肩を抱いて言う。

「馬鹿なこと言ってないで、打ったところを冷やしてやりな! 花緒は長のところで薬をもらっておいで」

「はい……!」

 老婆の言葉で、花緒は眉をきりっと立てて外へ出て行く。

 今度は水器も、引き止めたり追いかけようとしたりはしなかった。


「黄石と仲直り、できたのでしょうか」

 あれだけ必死に、黄石のために走っていったのだから、もう大丈夫なのだろう、と水器は一人頷いた。仲直りをすれば、きっと婚姻だって認めるはずだ。


「へへへ」

 踊るように水器は社への道を戻る。

 社へ戻ると、ミツはもうすでに休んでいた。すこし残念だったけれど、騒がすことはせずに、水器も休むことにする。

 その夜水器は、ミツと小宮の二人に、頭を撫でてもらえる夢を見た。

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