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雨冠  作者: 雪尾 七
第三話
13/15

2.雨の結びめ

 集落には、常よりも人が多くいるように感じられた。

 いつもは舟を出している男たちも皆、今日は陸にあがっているようだ。

 湖とつながった水路に、特に多くの人がいる。皆、花の入ったかごを手に持っていた。


「花嫁さん、まだ来ないのー?」

 水路脇に並んだ子供が、待ちくたびれたように言った。

「もうすぐよ。おとなしく待っていなさい」

 母親らしき女性が、子供をたしなめるように言う。

 それを横目に見ながら、水器は人々の間をすり抜けて、記憶を辿って花緒の家に向かった。


 道の両脇には花が並び、花緒の家から水路までの行程を飾っていた。

 集落の人々も、頭に花を挿したり、いつもより派手な帯を巻いたり、皆で着飾っているようだ。

 水器は普段と変わらない装いの自分を見下ろした。

 ちょうど、脇を駆けていった子供の花かごから一輪を失敬して髪に挿す。

 誰にともなくくるりと回ってみせてから、満足したように笑んだ。




 花緒の家の前には腕組みをした黄石がいた。

 この間寸法を見ていた袴を着て、頭につぶれた烏帽子を乗せている。

 口元を緩めては引き締める、という変わった顔の運動をしているようだった。

「小春が、ついに、俺の嫁に……」

 などという呟きが聞こえてくる。

 水器は不思議そうにそんな黄石の横をすり抜けて、花緒の家の中をひょいと覗く。

「わあ」

 思わず声を上げて、慌てて口をおさえたけれど、誰も水器のほうを振り返らなかった。雨のない水器の声は届かないので当然だ。


 水器はのろのろと下げた手を、きまり悪げに着物の裾で拭った。

 水器の届かない声の先には、真っ白な女性がいた。

 着物も真っ白、帯も真っ白で、頭にはやはり真っ白な布が垂れている。白粉をしているらしい顔も白く、紅をさした唇だけが花のように赤い。


「きれい……」

 溜息のように、水器はうっとりと言葉を洩らした。

 布に隠れた顔をのぞきこもうと水器が足を踏み出したところへ、

「はあ、駄目だ。どこにもいないよ」

 突然背後で大きな声がして、水器は驚いて飛び退いた。後ろから現れたのは、見覚えのある女性だ。よく男たちを叱りつけているのを見かけ、花緒よりも怖そうな女性、と水器は記憶していた。


「もう。この期に及んで、拗ねて隠れてるのかね。大事な姉さんの大事な日だってのに」

「花緒はそんな子じゃありません」

 呆れを含んだ女の声に、白い女がぴしゃりと言った。声でようやく、彼女が花緒の姉の小春だと水器は気づく。

「あの子が良い子だってのはみんな知ってるよ、小春。気を悪くしたんならごめんよ。拗ねて隠れてるだけだったら、まあ、良いんだけどね」

 女にいつもの叱責の快活さはなく、端切れ悪く言う。

「……神隠しにあったんじゃ」

 ぼそり、と誰かの口からそんな言葉が洩れた。


「ちょっと、滅多なことを言うんじゃないよ」

「だけど、あの子、若いのに妙にお参りに熱心だったじゃない」

「それは昔、溺れたのを救ってもらった恩があるからだろう」

「それにしたって……」

「ねえ。今ここでする話じゃないだろう。どこかで怪我をして動けないのかもしれない。男衆が今、山のほうも見に行っているし、あたしももうちょっと探してみるよ」

 最初の女が肩を回して言った。

「……すみません。どうぞ、よろしくお願いします」

 小春が、瞳を伏せて、床に両手をつく。


「ああ、ああ、やめておくれよ。まったく、あの跳ねっ返り娘にはいくつになっても手を焼かせられるねえ」

 女が快活に笑って戸口を出て行くと、何人かの女たちも「あたしたちもちょっと探してくるわ」と続いて出て行った。

 小春はそれを、すまなそうに見送る。

「花緒。本当に、どこに行ってしまったの?」




 水器は途方に暮れていた。

 花緒を連れにきたのに、肝心の彼女が行方不明になってしまったらしい。

「ミツ様が……?」

 確かに様子がおかしかったけれど、直接顔を見ることさえ恥ずかしがっていたのに、彼女を連れ去るなどということができるのだろうか。どちらかというと、隠れて様子をうかがっているというほうが想像できる。それに、ミツの気配が近くにないことは、水器にははっきりわかることだった。


「ちっとも、うまくいかないなぁ」

 小春は悲しんでいる様子だった。

 今日は婚姻の日で、彼女には祝福をあげなくてはいけないのに、どうやらほど遠い状況になってしまっている。

 それもこれも、花緒がいないせいだ。

「とにかく、花緒を探さなくちゃ」

 水器は両手に決意をみなぎらせ、力強く宙を蹴った。


 水器の心当たりなどわずかしかない。

 社と、集落と、小宮の庵くらいのものだ。

 社にいないのは承知しているし、集落の中はさっきの女たちが熱心に探している。

 とすれば、残るは小宮の庵だ。


 竹林の庵は、集落の人間には禁忌の場所とされているらしい。小宮が鬼であることと、関係しているのだろう。もっとも、花緒はこっそりと、しかも足繁く、通っていたようだが。

 ミツの社に熱心に通っていることといい、彼女はちょっと変わっているのかもしれない、と水器は初めて気がついた。だから、ミツにも彼女が特別なのだろうか。


 竹林に踏み入れると、すぐにいつもと様子が違うことに気がついた。

 水器は周囲を見回す。

 目に見える変化はない。

 くん、と鼻をうごめかす。


 水の匂い。

 土の匂い。

 草木の匂い。

 日向の匂い。

 特に変わった様子はない。


 首を傾げながら、ふと触れた竹に、答えがあった。

「わ」

 触れた瞬間、体に痺れが駆け抜ける。

 肌を粟立たせ、驚いて手を引いた水器は、のけぞった背中に竹が触れて、

「わ、わ、わ」

 さらに全身を痺れさせることになった。

「何だこれ」

 逆立った髪を抑えて、慎重に爪の先を竹に触れると、ぴりぴりと指にかすかな雷竜が走るのが見えた。

 慌てて手を引いて、指をさする。


「小宮?」

 彼女が怒り、怖ろしい雷雨を呼び寄せたのはついこの間のことだ。

 水器は、竹の隙間に空を伺う。

 のどかな青い空に、黒雲は見えない。

 以前のように、彼女が怒り狂っているわけではなさそうだけれど、機嫌の悪い気配はする。

 水器は竹に触れないように注意しながら、小宮の庵に向かった。


「小宮、お願い」

 花緒の声だ。

 その声は細く、涙まじりのように聞こえる。

 水器は足を速めた。

「お願い、ここから出して」

 庵の竹垣が見えてくる。

 花緒の声はその内から聞こえてきた。


 水器はひといきに跳躍して、竹垣の内側の木に飛び移った。

 見下ろすと、花緒と小宮がいる。

 小宮に角が生えていないことに、ひとまず水器は胸を撫で下ろした。荒れ狂う彼女を鎮めるのは、今の水器には荷が重い。怒る彼女の美しさを思えば、少し残念ではあったけれど。

 小宮はいつものように縁側に座し、微笑んでいる。その微笑みの先に、そびえる竹に檻のように囲まれた花緒がいた。


 竹の周囲を時々雷の子竜が走る。竹林の竹と同じく、触れば痺れてしまいそうだ。そのせいで、花緒は得意の竹のぼりで脱出することができないようだった。


「小宮、春姉の式が始まってしまう」

「ええ。そうねえ。悲しい? 花緒」小宮は、世間話をしていた時と同じ軽やかな笑みをこぼす。手には一輪の花を弄んでいた。水器が頭に挿しているのと、同じ種類の花のようだ。花緒が、小宮に届けにきたのだろう。その花を見つめながら、小宮は愛おしむような声で言った。「あなたがいないと、きっと小春も悲しむわね」

「小宮!」

「怒った? 花緒」

 うっとりと小宮が笑む。


「……小宮、どうしてこんなこと」

 怒らず、ただ悲しげに首を振る花緒に、小宮は少し落胆したような息を漏らした。

「どうして、だなんて。愚かなことだわ、花緒。ええ、その愚かなところがあなたの可愛いところだけれど。散々言われたでしょう? ここに近づくな、と。鬼の住処なのだから、と」

「それは……。けど、小宮はわたしの親友だわ」

「友人のふりをしたのは、最悪のときにあなたを裏切って、悲しませ、怒らせるためだわ」

 小宮は優雅に笑い、花緒は唇を噛む。


 その二人の頭上で、水器は困っていた。

 花緒を連れ出すのはそう苦ではない。

 水で雷竜を押し流し、竹は蹴破ってしまえば良い。……蹴破れずとも、雷竜さえどうにかすれば、花緒が自力で抜け出せるだろう。

 けれども、そんなことをすれば、小宮は怒り狂うに違いないのだ。彼女が怒り狂えば、再びあの雷雨がやって来る。婚姻の式どころではない。祝福の代わりに、災いを与えてしまう結末だ。


 小宮のことを災厄と呼んでいたのは花緒の祖母だったか。

 その不安を現実のものにしてしまうわけにはいかない。

 小宮は災厄なんかじゃない、と呟いた、花緒の震える声を覚えている。

 それは、祈りに似た響きをしていた。


「どうすれば良い?」

 小宮を怒らせず、花緒を連れ出す方法はないだろうか。

 空は晴天で、雨の気配は微塵もない。言葉を尽くして説得することは不可能だ。

「僕に、できることは……」

 何もない、と簡単に諦めてしまうことはできない。

 花緒を姉の婚姻の式に間に合わせてやりたい。

 ミツならばそうするだろうと思った。

 花緒の笑顔のために。

 そして、花緒の笑顔はミツの笑顔につながるものなのだ。

 それは大事なことだ。

 でも、それだけでは足りない。

 小宮の笑顔もそこにつながっていてほしいのだ。


 胸の内が熱くなった。

 何か、熱く灯るものがある。

 懐に手を差し入れると、湖で引き寄せた、鼻緒の切れた草履が白い光を宿して熱を放っている。


「これは?」

 あ、と声が上がる。

 水器の声ではない。小宮の声だ。


 視線を落とすと、同じ光が、小宮の周りに蛍のようにいくつも浮かんでいた。水器が小宮に贈った白い花が光をもち、浮かび上がっているのだ。


 ほのかに光りながら浮かび上がった白い花は、光の航路を引きながら、一輪、また一輪と、水器の元へ、ゆらりゆらりとたゆたいつつ昇ってくる。昇ってきた花は、水器の持つ草履へ集まり、光をつないで鼻緒を結んだ。


「これは、一体……?」

 小宮と花緒がこちらを見上げている。

 視線が合わないので、水器の姿は見えていないのだろう。

 花はすべて草履の鼻緒に編み込まれ、水器はそれを、片足に履き、地面に降り立った。


「水器……」

 触れた地面に光の花が咲く。

 水気すいきを含んだそれは、粒子となって水器の輪郭に纏い、濡らした。

 ようやく、小宮と目が合う。

 それだけのことが、とても嬉しくて、水器はにこりと微笑んだ。

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