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雨冠  作者: 雪尾 七
第二話
10/15

4.雨降って地固まる

 小宮の教えてくれたとおりに黄石の家に着くころには、雨は上がっていた。

 黄石の家は、花緒の家のすぐ裏手にあった。その花緒が、黄石の家の前をうろうろとしている。ぬかるんだ土に、足跡が何往復も重なっていた。


「入らないのですか?」

 水器が問うても、花緒の耳には届かない。

 仕方がないので、花緒を素通りして、水器は黄石の家の戸口をのぞきこんだ。


 中には、黄石と、何人かの女性がいる。袴の寸法を見ているらしい。女性たちに囲まれて、黄石は口をへの字に曲げていた。

「裾はもうちょっと上げたほうが良いわねえ」

「そうね。ほら、黄石、背筋伸ばして! しゃんとなさいな。ただでさえ、瘤なんかこしらえて格好悪くなっているのだから」

「まったくねえ。悪たれのまんま、お嫁をもらうみたいだよ」

 女たちの笑い声が高く響く。


「もう悪たれじゃあないです」

 ぼそりと黄石が言う。

「そうやって拗ねるところがまだまだ子供だって証拠よ」

「ねえ。まあ小春ちゃんはしっかりしているからね。せいぜい手綱を握ってもらったら良いわよ」

「そうね。結局、いくつになっても男衆は子供みたいなものだもの」

「でもね、黄石。小春ちゃんがしっかりしているからって、そこに甘えてばかりじゃあ駄目だからね」

「はあ」

 愉快そうに笑う女たちに対し、黄石はうんざりしたように溜息を吐き出していた。


 水器はその様子を、目を白黒させながら見ていた。そして、少しだけ黄石に同情の気持ちが芽生える。あんな風に囲まれたら、水器ならば逃げ出しているところだ。

「けど、怪我はひどくなさそうです」

 思い詰めた花緒の様子から大怪我を想像していたが、頭に瘤ができているだけのようだ。


 水器は家の中にそっとミツから渡された葉を忍ばせようとして、思い直したように引き返した。

 家の外では、花緒がまだうろうろと落ち着きなく足踏みをしては、戸口のほうにちらりちらりと視線を向けている。

 水器は、そんな花緒を上から下へと観察した。小宮は、花緒が傷ついたと言っていたけれど、目に見えるところに怪我の跡はない。

「僕の目には、見えない傷、ですか」

 水器は手にした葉っぱを見た。これは、黄石の怪我にとミツが渡してくれたものだが、もしかしたら花緒の目に見えない傷にも効かないだろうか。


 ドキドキと心臓が高鳴った。ミツの意に背くのは初めてだ。

 もう一度、黄石と花緒を見比べる。

 黄石は女たちに囲まれて辟易しているものの元気そうだ。

 一方、花緒の外身に怪我は見当たらないが、顔色が悪い。

 水器の目には映らない、と言った小宮の声が蘇る。


 水器は、ひょいと跳び上がって、花緒の頭に葉を乗せた。

「なに?」

 すぐに花緒が気がついて、頭に手をやる。葉を見ると、怪訝そうな顔をしたあとに、大きく目を見開いた。

「ツワブキの葉……。これなら打ち身に……」

 花緒は何かを探すようにきょろきょろと周囲を見回した。

 その視線は、水器の上も渡ったけれど、彼女の瞳に雨のない水器は映らない。


 やがて花緒は湖のほうへ向き直ると、

「ミツ様、ありがとうございました」

 深く深く頭を下げて言った。

 顔を上げた花緒の表情からは、先ほどまでの憂いが払拭されている。

 やはりあれは花緒の傷も癒す力があったのだ、と安心した水器だったが、どうしてあの葉が花緒を癒せたのかが不思議だった。

 特別な力は感じなかったが、何かミツのまじないがかかっていたのだろうか。


 花緒は、一つ深呼吸をすると、黄石の家へと入っていった。

 女たちの声が、花緒の名を呼んでにぎやかになる。

 水器は再びそっと、戸口に立って中をのぞいた。花緒が、黄石に葉を渡している。


「ごめんなさい、黄石」

「おう」

 黄石はそれを受け取ると、小さく笑った。

「お前のせいじゃないって言ったのに、変なとこで頑固だよな、花緒は」

「……瘤のことだけじゃなくて」

「ん?」

「……自慢の姉ちゃんなんだから、大事にしてよね。怪我なんかしないで、病気にもならないで、他の女の人を見ても駄目だし、漁からも早く帰ってきて、それから、それから……」

「何だよお前、見舞いに来たんじゃないのかよ」

 黄石が葉で花緒の頭を叩く。


「返事は?」

「当然。大事にするよ。誰よりも幸せにしてやる」

 黄石は頷いて、頼もしく笑ってみせた。


「言ったわね。みんな、聞いていたからね」

「ええ、ええ。聞いてたわよ。なにかあったら、わたしたちが証人になってあげるからね、花緒ちゃん」

「よろしくお願いします」

 いつもの強気な花緒に戻ったようだ。その背中に凛と音が見えるようだ。


 そういえば、と中の一人が言葉を継いだ。

「さっきはひどい雷だったわねえ」

「鬼姫様のご機嫌が斜めだったのね。だけど、こんなに道がぬかるんじゃ、婚儀は数日日延べだね」

「まあ、おかげで瘤も引っこんだ頃に式ができるんじゃないかい? 黄石は早く一緒になりたいだろうけど。恨むんなら鬼姫様を恨みなよ?」

「……小宮は悪くない。わたしが彼女を怒らせたのだから」

「花緒? 何か言ったか?」

「ううん。何でもない」

 黄石は聞き逃したようだったけれど、注意深く見守っていた水器は、しっかり花緒の言葉を聞いていた。


 思い出したのは、「あの花緒の悲しそうな顔」と言った小宮の言葉だ。

 小宮が怒ったのは花緒を見たから。

 そして、その理由を知っていたのは、花緒の話を聞いたから。

 花緒は、小宮が怒るのを分かっていて、彼女に話をしにいったのだろうか。

「小宮を怒らせたかった? 雷を呼びたかった?」

 どうやらそのせいで、婚儀は日延べになるらしい。

 結婚に反対していた花緒は、なるべくその日取りを遅らせたかったのか、黄石の瘤が治る時間を稼ぎたかったのか。雨の止んでしまった水器には、問いかけることはできなかった。

 

 翌日、花緒が社へ礼に来た。

『ミツ様、薬草をどうもありがとうございました』

 水器はそっとミツを仰ぎ見る。

 ミツは優しい手つきで、水器の頭を撫でてくれた。

 胸の中に、花が咲いたような気持ちになる。


 集落へと戻る花緒の背中は明るかった。傷はすっかり癒えたのだろうか、と水器は考える。

「ミツ様」

 水器は、その背中を見ながら、ミツに問いかけた。

「ミツ様には、花緒の傷が見えたのでしょうか」

 ミツからの答えはない。

「僕にも、見えるようになるでしょうか」

 ミツは答える代わりに席を立った。水器を手招いて、社の裏手へと導く。


「あっ」

 水器は思わず声を上げた。

 見間違えようもない。

 水器が一度抜いてしまった双葉につぼみがついていた。

「良かった……」

 零れるように、声が落ちる。

「ミツ様、僕はこの子を癒せたのでしょうか」

 問うてももちろん答えはない。

 それでも優しい笑みを期待して水器が顔を上げると、ミツは桶に水を汲もうとして、足をよろめかせて湖へ落ちるところだった。


「うわああ、ミツ様!」

 水器はミツを助けるために急いで衣を翻した。

 風を受けた袖が、雲のようにやわらかくふくらんだ。

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