ルヘルとイノリ‐遥かなる昔の昔。☆☆
そこはまだ、矛盾領域の中心として勃興していなかった。
ただの図書館が、多少密集しているだけの、世界的に見て、まだまだ重要度の低かった、カノ日の午後。
「人間関係とは、有能な人間の特権」
夕焼けの望める屋上で、先輩はそんな事を言う。
「ルヘルは思う。
有能じゃないから、どんな人間関係も悪循環、なんの有意義も、建設性も無い」
屋上の向こう側、あと一歩進めば落ちそうな、
不安定な場所で、なんでもないかのように、飄々として、むしろ愉悦的に語る。
「イノリは、どうして私なんかと関わるの?」
先輩は夕日を外して、こちらを視線のファインダーに収めて見る。
「僕は、先輩が好きですから、関わっているんですよ?」
「正直だね、どこが好きなのかな?」
「たとえば、先輩が描いている世界が、好きです。
あの世界が、この先も続くことが保障されるなら、僕の幸福は確実になります」
「そう、でも、イノリが幸福になっても、それは私が幸福になると、イコールにはならない。
仮になったとして、イノリの味わう幸福の、数値が、私にとっては微々たる物にしかならない」
先輩は、僕より長く生きている、とてもとてもそれは長い時だろうと考えられる。
「私は、長く生き過ぎたと思う、だからそろそろ、自ら命を絶たないといけないと思うんだ」
「どうしてですか? わざわざ死ぬ事はないと思います」
先輩は分かってないという風に、呆れたようにする。
「私は、もうこの世界において、全うに生きられる時間を消費しつくしたんだと思う。
ここからは、人間以上の、なにかもっとオゾマシイ、そう化け物にでもならないと、耐えられない。
でも、私はそんな風になってまで、この世界において、生きていたいとは、思わない。
だから、死ぬんだよ、ここから、頭から飛び降りて、今すぐにでも、死にたいと思うんだよ」
僕はそんな事には、耐えられなかった。
先輩が死ぬことも、先輩が描く世界が、その先が永遠に失われることも、なにもかも。
「先輩、だったら、、僕が先輩を生き続けさせます、人間として、、
幸せにしますから、死なないで、どうか、、」
先輩は微笑んだみたいだった。
「それは嬉しい事を言ってくれるんだね、まだ、私に嬉しいと、感情を抱ける事を教えてくれてありがとう。
だけど、やっぱり、私はまだまだ死にたいと、思い続けてるみたい。
だから、やっぱり、私は死ななくちゃいけない、死ぬことに変わりはないよ」
「先輩、僕は先輩の描く裏世界を、知っています」
これは始めての告白に近かった。
「へえ、イノリが、私の描く重厚壮大にして荘厳な、”あの”世界を知っているとはね」
「知ってるなんてレベルじゃなく、知り尽くして、いつも何時でも妄想してるくらいです」
「ありがとうね、これも、また、嬉しいよ。
だったら、やっぱり、その意味も含めて、私に死んでもらったら、イノリは困るんだね?」
「そうです、先輩に死んでもらったら、僕は凄く、凄く困るんです、だから、死なないでください」
先輩は、感極まったように目を見開いた、目尻には涙が溜まっているのかも知れない。
「ああぁ、もう、本当に、イノリは、私を喜ばせる天才だな。
私も大概、天才だけど、
イノリのような天才性を、分類としてはなんと呼ぼうか、とにかく、イノリは素晴らしいな」
「そうですかぁ、だったら、死ぬのをやめてくれるんですか?」
先輩は考えるような仕草を、屋上の淵に足を置いたまま、続ける。
「どうしようかな、私は考える。
今凄く嬉しいのは、因果関係としては、自殺を決意して、その履行を進攻させたからだよ。
だから、イノリが内心を告白して、感動を爆発させて、わたしは嬉しくなった。
ならば、もっともっと、自殺、その未遂をし続ければ、いいんじゃないかと、私は思うんだけど」
「やめてください、僕は玩具じゃないんですよ?」
「そうだね、ごめんね。
でも、この誘惑は止めようがない、止め処ないよ。
私が死のうとすれば、イノリが止めてくれる、
この流れは、私にとっては模式美のように、普遍的な、絶対的とすら思える喜びになる」
先輩はそう言いながらも、屋上の縁に足を設置させたまま、ギリギリの状態を保つ。
「イノリ、やっぱり私は死んでしまいたいよ、いろんな意味でね。
もし、私が死んだら、イノリが、どのように私を思って、悼んでくれるのか。
これは、想像するだけで、胸がどこまでも一杯になる、果てしない喜びなんだよ」
二の句が次げなさそうになる、それでも、なんとか頑張って言葉を選び選び、最適に模索選定する。
「だったら、今死ぬのは、勿体無くないですか?
これから生き続ければ、もっともっと、喜びが満ち溢れるかも」
「そうだね、その可能性は、確かにあるよ。
でも、逆に、今この瞬間の幸福が、私の人生で絶頂って可能性も、あるいはありえないかな?
また他にも、不幸って要素も、あるよね?
幸福がどれだけ高水準に存在しても、それ以上に不幸だったら、
そんな人生には、なんの意味もなくなる。
ルヘルは、人間だから、不幸になる為に、生きているわけじゃないんだよ。
そう、幸福になる為に、頑なに切実に生きているんだよ?
そして、今が幸福の絶頂だったら、今死にたいと思う、これって間違っているのかな?」
、、、そんなの、、、僕には分からない。
「僕は、ただ、ルヘル先輩に、死んでほしくない、、生きていて欲しい。
そして同時に、幸せになって欲しくて、不幸になって欲しくなくて。
だから僕は、絶対に、全力で、最大限で、
先輩を幸せにしますし、不幸にしないように、尽力します、
それじゃ、駄目ですか? 先輩が生きる理由として、僕は不足しますか?」
「ふうぅ、イノリ、そういう言い方は卑怯だよ。
もし私がここで自殺したら、
それはそのまま、イノリの価値を、私自ら否定したみたいになるじゃない。
そんなのはフェアじゃないよ。
でも、死ににくなった、イノリは正しいよ、私を生かしてごらん?
もしかしたら、私も、そう望んでいるのかもしれないんだから」
先輩は夕日に威光を閃かせ、挑戦的で挑発的な、不敵な微笑で僕を見つめだした




