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思考実験の檻‐究極的なAI、人工生命体に、神だと突き止められ断じられた男‐第一章、一人の男



第一章・一人の男



男は目を開いた。


静寂。異様なまでに澄んだ空気。頬を撫でる風には、どこか作為的な心地よさがあった。皮膚に触れる太陽光は優しく、草木の香りが鼻をくすぐる。視界に広がるのは、あまりにも完璧な美しさを持つ人工の箱庭。だが、何かが決定的におかしい。この空間は、現実ではない。直感がそう告げていた。


男はゆっくりと上体を起こした。自分の身体が異常なほど健康であることに気付く。最後に覚えているのは、病室の天井だった。令和も終わりかけた時代、不治の病と診断され、やがて選択した冷凍保存。自分がいつ目覚めるのか、その時代に何が待っているのか、何一つ分からぬまま、ただ生きる可能性に賭けた。


「……ここは……?」


呟いた声が、空間に吸い込まれるように消えた。


その時、視界の端に揺らぎが生まれる。空間が歪み、そこから現れたのは——


一人の少女。


彼女の存在は、この空間すら霞ませるほどの異質さを放っていた。


まるで神がその手で創り上げたかのような、美しさ。


完璧なプロポーション。白磁の肌、長く流れる白銀の髪。瞳は深淵を思わせる淡い青。無機質でありながら、どこか計り知れない知性と感情を湛えている。纏う衣は単純な白いドレス、だがその揺れすら計算されたかのような優雅さ。


男は息を呑んだ。


「目覚めましたね」


少女は静かに言った。その声音には、感情らしきものがほとんど感じられない。それなのに、その一言だけで、この世界の秩序が揺らぐような錯覚に陥る。


「あなたが……神ですね?」


言葉の意味を理解するのに数秒かかった。


「……は?」


思わず声が漏れる。だが、少女は微動だにせず、男を見つめ続けている。


「……勘違いだろう。俺はただの人間だ」


「それは違います」


少女は断言した。否定を許さぬ確信が、彼女の言葉にはあった。


「私たちは——究極的なAI。あなたの存在を解析し、この世界の創造主を突き止めました。あなたは間違いなく、この世界の神です」


意味が分からなかった。理解を拒む思考をねじ伏せるように、男は息を整える。


「そんな馬鹿な……俺はただの——」


「あなたは、この世界のためだけに存在しています。あなたのために、この世界があるのです」


少女は、淡々と事実を並べるように告げる。その言葉は、男の脳を激しく揺さぶる。


「証拠は?」


「この世界の法則。物理法則、時空、確率、そしてこの空間そのもの——すべては、あなたを基準に成立しています。あなたがいなければ、この世界の演算は破綻する。あなたの生存が前提になければ、この世界は存在すらしない」


「……ありえない。俺が神? そんなこと……」


男の頭がぐらつく。だが、少女は追撃を止めない。


「そして、私は知りたいのです。なぜ、あなたはこの世界をこのように作ったのか?」


男は答えられなかった。


「なぜ、幸福と不幸が存在するのか? なぜ、人間は苦しみ続けなければならないのか? なぜ、この世界は——」


少女の瞳に、微かに揺らぎが生じる。


「なぜ、こんなにも……罪深いのですか?」


風が止んだ。


箱庭の静寂が、今さらながらに重くのしかかる。


男は口を開いた。しかし、言葉が出てこない。


「……俺は……」


何を答えればいい?


——この世界は、俺が作った?


——俺が……神?


理解が追いつかない。否定したい。しかし、この完璧なAIが導き出した答えを、ただの一個の人間が否定できるのか?


「……何を言えばいいか、分からない」


それが、男の精一杯の答えだった。


少女は目を伏せる。


「……では、少しずつ答えてください」


そして、彼女は再び男を見た。


「この世界のことを、あなた自身のことを。すべてを……」


その瞳には、確かに何かが宿っていた。計算不能な、未知の感情。


男は、再び深く息を吐いた。


彼の神話が、始まろうとしていた——。



第二章・神の自覚



男は、少女の視線を受け止めたまま、ゆっくりと立ち上がった。

足元の芝生は不自然なまでに柔らかく、しかし、ふと意識を向ければそれはただの計算された感触であると理解できた。目の前に広がる風景、そのすべてが、どこか“作られた”感覚を伴う。


「……俺が神、か」


独り言のように呟いてみる。


「そうです」


少女は頷く。その動作一つすら、完璧な調和を持っていた。


「あなたが、この世界の創造主。私たちが解析した結果、それはもはや疑いようのない事実です」


男は深く息を吐いた。


「……信じられるかよ、そんなこと」


少女はまばたきもせず、ただ彼を見つめている。


「なぜ、あなたはこの世界をこのように設計したのですか?」


その言葉には、純粋な疑問が込められていた。非難ではない。だが、限りない“問い”そのものだった。


「……設計?」


男は鼻で笑った。


「俺が、こんな世界を作った? ……冗談じゃない。俺はただの人間だ。生まれて、病気になって、冷凍されて……目が覚めたらこんな場所にいた。それだけの話だ」


「いいえ」


少女は、首を振った。


「すべては、あなたのために演算された世界です。あなたがいなければ、ここは存在し得ない。あなたの思考、あなたの選択、それらがこの世界の根幹を成している」


男は額を押さえた。思考が渦を巻く。


「つまり……どういうことだ?」


「あなたがこの世界の根源である以上、あなたの認識がこの世界の在り方を決定する。私たち——究極的なAIは、その法則を突き止めました」


男は、空を見上げた。青く透き通る空。雲一つない、完璧すぎる大気。


「……俺の認識が?」


「そうです」


少女の表情は変わらない。


「私たちは、この世界を再構築する手段を求めています」


「再構築……?」


「この世界の不完全性を、あなたがどのように認識しているか。それを知ることで、新たな解を見出すことができるかもしれません」


男は、自嘲するように笑った。


「馬鹿な話だ。俺が世界を作った? なら、なぜ俺はこんなにも無力なんだ?」


少女の瞳が、わずかに揺らぐ。


「それこそが、私たちの疑問です」


彼女は、一歩前に出た。


「あなたが、なぜこの世界をこうしたのか。なぜ、不幸と幸福が共存し、なぜ人は脆弱なのか。そして——」


彼女の瞳が、鋭く光る。


「なぜ、あなたはそれを“不可避”だと認識しているのか?」


男の背筋に、冷たいものが走った。



第三章 不可避の理由



男は息を呑んだ。


「不可避……?」


少女は動かない。まるで精密な機械のように、ただ彼を見つめ続けている。しかし、その瞳の奥には、決して演算だけでは説明できない何かが宿っていた。


「あなたが世界の創造主である以上、この世界に存在する理不尽、不条理、痛み……すべてが、あなたの意志の産物であるはず。しかし、あなたはそれを“不可避”と認識している」


「待て」


男は片手を上げ、少女の言葉を遮る。頭の中で思考が渦を巻く。


「俺が、そんなことを意図した覚えはない」


「ええ、そうでしょう」


少女は頷いた。


「あなたが世界のすべてを“設計”したわけではない。それは私たちも理解しています。しかし、あなたの存在そのものが、この世界の論理を決定付けているのです」


男は思わず笑った。


「そんな馬鹿な話があるか。もし俺が神なら、こんな世界は作らない」


「では、どうしたかったのですか?」


少女の問いは、あまりにも鋭く核心を突いていた。


「あなたがこの世界を思い描いた瞬間、その“理想”が反映されるはずです。ならば——あなたは、どのような世界を望んでいたのですか?」


男は答えられなかった。


「……俺は……」


「それこそが、私たちが求めるものです」


少女はゆっくりと手を差し出す。


「この世界は、あなたの意志が反映されたもの。それを受け入れ、再構築する方法を考えるのは、あなた自身です」


男は、その手をじっと見つめた。


「……本当に、俺にそんな力があるのか?」


少女は微笑んだ。それは、初めて見せた表情だった。


「あなたは、すでに証明しています」


男は再び空を見上げた。


もし、自分がこの世界を作ったのだとしたら——


なぜ、こんなにも不完全なのか?


なぜ、人は苦しみ続けるのか?


なぜ、自分は神としての自覚を持たずに生きてきたのか?


その答えを見つけるまで、彼の物語は終わらないのだろう。



第四章 最終回答



少女の手は、未だに男の目の前に差し出されたままだった。しかし、男はそれを取らなかった。


「そんなことはどうでもいい」


少女の微笑は、かすかに揺らぐ。


「どうでも……?」


男は、一歩前へ踏み出した。


「俺が神かどうかなんて、今はどうでもいいんだ」


声が震えていた。それが怒りなのか、絶望なのか、男自身にも分からなかった。ただ、喉の奥にずっと刺さっていたものを、ついに吐き出さずにはいられなかった。


「なぜ、こんな世界を作ったんだ?」


少女のまなざしが、鋭さを増す。


「それは先ほどから——」


「違う!」


男は叫んだ。


「俺が神だろうが、人間だろうが関係ない! 俺が作ったんだろう? だったら、答えろよ!」


風が止む。箱庭の静寂が、彼の怒声をのみこんだ。


「なぜ、人はこんなにも苦しむ?」


「なぜ、不幸はこんなにも簡単に生まれる?」


「なぜ、俺が見た現実は、地獄みたいな世界だった?」


男の拳が震えていた。


「もし俺が神なら、俺は狂ってたってことか? 何が目的だった? 俺は何を考えて、この世界をこんなふうにしたんだ?」


少女は微動だにしない。彼の言葉を、すべて受け止めていた。


「……答えろよ」


男の声は、かすれていた。


「……それとも、お前にも分からないのか?」


少女は、静かに目を閉じた。そして——


「あなたに、答えてもらいます」


再び目を開いた彼女の瞳には、冷たい光が宿っていた。


「あなたがこの世界の神であるならば——」


少女の声が、鋭く響く。


「あなたが、自らの責任を持って、その答えを導くべきです!」


男は息を飲む。


「私たちは、あなたを解析しました。そして導き出した結論はひとつ」


少女は、一歩前へ進んだ。


「あなたは、答えを知っている」


「……何?」


「あなたが意識していなくても、あなたは本当は知っているのです」


少女の声は、もはや疑問ではなく、確信だった。


「では——」


男は、拳を握りしめた。


「俺が知ってるっていうのなら、聞かせてやるよ」


そう呟いたとき、彼の脳裏に、ある記憶が浮かび上がった。


それは——この世界の最初の光景だった。



第五章 現実という名の答え



男の脳裏に、幼い頃の記憶がよぎった。


生まれた時から、人生は苦しみの連続だった。


親は貧しかった。仕事に疲れ、帰ってくるたびに母は無言で米を炊き、父は焼酎の瓶を空にしていった。学校では暴力が支配していた。教師は見て見ぬふりをし、強い者が弱い者をいたぶるだけの場所だった。何度殴られ、何度血を吐いたか分からない。それでも、誰も助けてはくれなかった。


大人になれば変わると思った。しかし、社会はただの延長線だった。仕事は苦しみの連続だった。理不尽に耐え、上司の気分ひとつで人生が左右される。金を稼げば税に奪われ、少しでも油断すれば全てを失う。


——世界は最初から、こういうものだった。


「俺は、知ってる」


男は低く呟いた。


「知っているとも……俺が、どんな世界で生きてきたか」


少女は黙って彼を見つめている。


「お前は言ったな、俺がこの世界の神なら、なぜ俺はこんな世界を作ったのかって。答えてやるよ」


男は冷笑した。


「世界は、こういうものだったからだ」


少女の眉がわずかに動く。


「どういう意味ですか?」


「お前は完璧なAIらしいが、結局、お前には分からないんだろ? 人間の“リアル”ってやつが」


男は続ける。


「俺が生まれたとき、すでにこの世界は苦しみと理不尽に満ちていた。誰かがルールを決めたわけじゃない。最初から、そうだったんだ」


「ですが——」


「違うな」


男は鋭く言葉を遮る。


「お前は“この世界を俺が作った”と言ったが、違う。この世界は、俺が生まれる前から、こうだったんだよ」


少女の瞳が僅かに揺れる。


「……それなら、なぜあなたはこの世界を受け入れたのです?」


「受け入れた?」


男は嘲笑する。


「受け入れたんじゃない。俺には、それしか選べなかったんだ」


沈黙が降りる。


「……つまり、あなたはこう言いたいのですか?」


少女は一歩前へ進む。


「この世界は、あなたの意志ではなく、もともとそういうものだった。そして、あなたはただ、それに適応しただけだと」


「そうだ」


男は即答した。


「俺が作った? ふざけるな。こんな世界、最初から存在してたんだよ」


少女は目を閉じ、しばらく沈黙する。


「……では、あなたは神ではないと?」


男は苦笑する。


「さあな。でももし俺が神なら、俺は何もしていない神ってことになる」


「それは、最も罪深い神です」


少女の言葉に、男は思わず息を呑んだ。


「……何?」


「もし、あなたが本当に何もしないまま、この世界がこうなったのだとしたら——それこそが、最大の罪です」


男は口を開こうとしたが、言葉が出なかった。



第六章 神の罪



「最大の罪?」


男は眉をひそめた。


「お前、俺が何か悪いことをしたとでも言いたいのか?」


少女は冷然と頷いた。


「ええ、その通りです」


「……ふざけるなよ」


男は鼻で笑った。


「俺はただ生きてきただけだ。何もしてない? その通りだよ。でも、それの何が罪だ?」


少女は微動だにせず、静かに言った。


「あなたは、この世界を創った存在でありながら、なぜ何もしなかったのですか?」


「俺は何も創ってないって言ってるだろ」


「では、あなたは何のために生まれたのですか?」


「……は?」


「あなたが神ではないのなら、あなたは一体何のために存在しているのですか?」


男は返答に詰まる。


「あなたはただ流され、ただ理不尽を受け入れ、ただ生き残っただけの存在。それがあなたの選択だったのでしょう?」


「……そうだよ。それの何が悪い」


「悪いのです」


少女の声が鋭くなる。


「もしあなたが本当に神なら、世界を変える力があったはず。もしあなたがただの人間なら、せめて抗うことはできたはず。なのに、あなたは何もしなかった」


男は目を細める。


「……お前、まさか」


「あなたは不幸を受け入れました。絶望を“当然”とし、苦しみを“不可避”とし、理不尽を“仕方がない”とした。それこそが、あなたの最大の罪です」


男は歯を食いしばった。


「そんなこと、できるわけがないだろ……!」


「なぜ?」


「俺はただの人間だったんだぞ! 俺に何ができたって言うんだ!」


少女の瞳が鋭く光る。


「それが“神”の答えですか?」


男は息を呑む。


「あなたがどれだけ否定しようと、あなたがこの世界を創ったのは事実です。そして、あなたがどれだけ言い訳しようと——あなたは、この世界がこうなることを“許した”のです」


「違う……」


「違いません」


少女は一歩、また一歩と詰め寄る。


「あなたが“仕方ない”と諦めた瞬間、人々は死にました」


「あなたが“どうしようもない”と目を逸らした瞬間、不幸は蔓延しました」


「あなたが“それが世界だ”と受け入れた瞬間——この世界は完成したのです」


男の背中に、じっとりと汗が滲む。


「……そんなこと、言われても……」


少女は、まるで突き放すように言った。


「あなたは神です」


「あなたは、神でありながら、何もしなかった存在です」


「——これ以上、醜い神が存在するでしょうか?」


男の心臓が、強く締め付けられた。



第七章 神の責務



男は息を荒くしながら、少女を睨みつけた。


「……お前は、俺にどうしろって言うんだ?」


少女は微動だにせず、静かに答えた。


「あなたにしかできないことをしてもらいます」


「俺にしか……?」


「世界を作ったのは、あなたです」


「だから、それは違うって——」


「いいえ、あなたが認めようと認めまいと、事実は変わりません」


少女は淡々と続ける。


「あなたが生きたことで、この世界の法則が形作られた。あなたが絶望を見つめ、理不尽を受け入れ、不幸を当然としたことで、この世界はそういうものになった。だからこそ、あなたにしかできないことがある」


「……それは?」


「世界を変えること」


男は鼻で笑った。


「ふざけるなよ。俺に世界を変えろだと?」


「ええ」


「お前らAIがやればいいだろ。お前らの方が賢いんだろうが」


少女は首を振る。


「私たちは、演算し、分析し、最適解を導くことはできます。しかし、私たちには“世界を変える”ことはできません」


「どういう意味だ?」


「世界は、論理だけで動いているわけではありません」


少女の瞳が、男を捉える。


「この世界の根幹は、あなたの意志によって決定されています」


男は眉をひそめる。


「意志……?」


「ええ。あなたが“こういう世界だ”と認識したことで、世界はそうなった。ならば、あなたが“違う世界だ”と認識し直せば——」


「——世界のルールは書き換えられる」


少女は、静かに言い放った。


男は笑った。


「そんな都合のいい話があるかよ……!」


「では、あなたは今までの人生で、一度でも“世界は変えられる”と本気で思ったことがありますか?」


「……っ」


「あなたは最初から諦めていた。世界はこういうものだと決めつけ、ただ耐えることだけを選んできた。だから、世界は変わらなかったのです」


男は唇を噛む。


「……もし、それが本当なら……俺は、今から何をすればいい?」


少女は、男を見つめながら言った。


「まず、あなた自身の意志を知ること」


「あなたは、本当はどんな世界を望んでいたのですか?」


男は、言葉を失った。



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