宇宙の妖精と戦争・人間哲学について語る
観測する視点により、世界は冗談でなく、玉虫色に変貌を遂げて見えてしまうので、
この場合の視点はヒロイン単一の視点とす。
彼女は、この世界において大役を担うに値する、紛れもない天才、
現存人類の中でも、指折りに数えられる存在である事を、まず付け加える形で、此処で明確に明記、説明しておこう。
「はぁっはぁっ、疲れた」
超過労働であると、此処に宣言する、、、誰も居ないのだけれど。
「ふぅえぇー、疲れて、このままじゃ、死んじゃうよぉ、、ぅぅ、、、」
涙目で、視界が滲む。
肉体的精神的、その他諸々知的能力的にもだが、余裕が無いと、人間は酷く脆いと実感する。
それでも、コレが世界を少しでも変える為の、その尊い行いと感じれる限りは、大丈夫だ、私はどこまでも壊れない、例えこの身が砕け散ろうとも。
約百二十四時間の、そんな継続的戦闘だった。
始まりは、敵地ど真ん中の単独特攻で、多少じゃなく無茶な選択だった、たとえそれが自陣営に必要だったとしても。
結果は敵地で孤立し死にかけた、それでも死ななかったのは、私だったからと判断する。
加えて、というよりこちらも相当重要だな、戦闘機、この宇宙世紀では機動兵器と呼称される、それが最高級品だったのも一説に値するね。
思考しながら、帰還してからずっと続けていた、現宇宙情勢の把握を完了。
「まあ、私の犠牲が、死んでないけど、死ぬ思いはしたんだ、、無駄にならなくて、ホント良かった」
生体のストレス限界を、何十も突破して、掴み取ったモノとしては、十分に過ぎたかもしれない。
艦隊決戦で敗走し、追撃は免れない状況下で、超スーパーエースの私の特攻は、相当に役立ったようだ。
私自身も、敵艦隊兵力の全体5%、内訳脆弱な艦種を狙い澄まし、縦横無尽のゲリラ的攻撃で壊滅させたから、それも上手く作用した、敵の立て直しにおける時間稼ぎができた。
味方は当初の想定よりも、ずっと多く無傷で帰投できたしね。
遠く向こうの方、私の部屋は、広い。
このフロアに立ち入る人間だ、一人しかいないので、自然と誰か分かる。
「おぉーい! なにかなぁ! リリィー!」
思っていたよりも声が出た、相手があの子だから、だろうか?
近づく足音が近づき、視界に映るドアがスライドする。
そこには、私に良く似た、黒髪黒目の少女、腰まで伸びる長髪をポニーテールにして、凛とした軍服姿であった。
「意外と、元気ね」
「まあね、おかげさまで」
確かにそうだ、まだ帰ってから、一時間くらいしか経っていない。
私の今までを当然知る彼女が、このように訝るのも分からなくもない。
「逆の立場なら、どうなってたと思う?」
「それは分からないわ、私は、貴方じゃないもの」
つれない言い回しだと思った、だからもうサッサと本題に移って欲しい気持ちになった。
「それで、なによう? 新たな任務?」
「まさか、違う。 ただ、様子を見に来ただけ」
「へえぇ、クールなリリーちゃんにしては、珍しいね」
「それほどでもないわ、これでも、デレる時はデレる、甘え上手な自負はあるの」
「まあいいけど、好きにすれば」
そうして、ある意味いつも通り、徒然なるままにスキンシップを彼女と取る。
なんとなくで続いている、いわば日課的行動だ。
でも、もしかして万が一、リリーは私を心配していたのかもね、そう思える節が、今回の彼女との接触にはあったのだ。
一先ず一息を入れてから。
「久しぶりに、正真正銘、命の懸かった戦場を体感して、どうだった? レイル?」
「そうだね、泥の底を、這い蹲る、久しく忘れてた感覚を、思い出したよ」
そうだ、あの頃、まだ地球に居た頃。
日々を生き地獄かのように、誰よりも酷い苦しみの中で生きた実感、今まあ口では言ったが、一片も忘れてないし、忘れるつもりもない、忘れた心地も、今でもない記憶。
灼熱の戦場は、多少なりともあの時の私の人生、それと連想で僅かばかり結びつける事ができた。
その第六感含めた五感情報、それは全て、いま私が戦う、この現実という世界で生きる理由そのものである。
あの時感じ悟った全てを、無駄にはしない、絶対にさせない為だ。
あのような社会、世界、存在達、その人類を、私は許容できない、レイルという存在が持つ最高強度の絶対の信念で持ってだ。
だから、私は自らの命すら顧みずに、滅私奉公ではない、自己中心主義の極地で生きる。
この今世界の有り様を、絶対に許さないが故に、少しでも最小単位でも、最大限、己の限界の範囲内で、最も不快じゃない風に、心地よく感じる形に、変貌を遂げさせる為に。
私を何度も殺し、精神的自殺と復活を繰り返させて、その上で今だに死に損なえさせて、生かし続けている。
無上に感じれるほどの幸福と不幸を感じさせた上で、今はどん底の不幸だ、希望を掴めるヴィジョンは浮かばない、だけど希望を夢見て、縋るように、世界を変えたいとだけ強く願う私がいる。
この不幸に満ち溢れた世界を、本当に変えたいと思っているのか? だいたい、どの程度変えればいいのかすら、曖昧で良く分からなくもある。
子供っぽい本心は、ただ全てを思い通りにしたい、それだけなのだろう。
不愉快なモノを全て無くし、愉快なモノで満たしたい、そんな不可能ごとを、無限に可能にしなければ、決して満たされることがありえないほど、心に闇を抱えてしまっただけなんだ、私と言う人間は、、、。
私は、極限の天才だが、それでもどうにもならないモノがある。
自己と他者の境界における問題だ。
どこまでも自己と定めて、どこまでを他者とするかだ。
所詮は同一の人間だ、私が認識する全ての他人の総合が”確固たるわたし”に収束する以上は、全人類が私と言い換えても良いのだ、少なくとも私の中では。
だから、私は全人類ほとんどを再現できる自信があるので、全人類が幸せでないと、我慢できない。
そして、現在私の中の、私が認識する全人類は、相当に不幸な状態に位置する。
しかも、どれくらいで私が満たされるかと言うと、全員が幸福にならないと駄目、それ以外にありえないという、どうしようもない願望だ。
一人でも不幸になっている、気がするだけで、私は駄目になってしまう自信がある。
駄目に成るとは、この場合、私が私らしくあれない、そんな気がするだけだ。
おそらく、私以上に、いや同等くらいの、救いとなる存在でも、世界でも、何でもいい、居てくれれば、違ったのだろけどもね。
精神の限界は何時頃だろうか?
私が世界にとって、プラス以上になりえないと、私が確信できる頃までだろう、それは。
私は最小単位の可能性でも、最大限信じれるが、それは同時に、最大限の可能性だって信じれるに繋がる、希望と絶望が紙一重なのは、これに由来する。
だから、この戦乱の時代が収束し、私の力が否定されて、その後だ。
大き過ぎる力の行使が、どう世界に作用したか、俯瞰的に見て、その後に決める事に成る。
そして、プラスなら良し、マイナスなら、死んで逃げるんだろうね、私は、、、。
プラスなら、人生をやり直せる。
私は私に確固たる自信を持って、世界を謳歌する為だけに、生きるような、そんな当たり前の生き方を手に入れられるのだから。
きっとそれまでは、力を取り返しの付かない領域まで行使し続けるしか考えられない。
傍観はありえない、どんな形であれ、世界を変えたい衝動が勝る。
なぜなら、これは復讐なのだから。
この私の感じる世界を生かすもコロスも、運命次第だ。
復讐の結果、世界を変えられて、コロス事ができれば、私を生かすことができて、生かして逃せば、私が死ぬ、自壊し世界に殺される事に成るだけだ。
そういうゲーム。
私は取り返しが効かないほどに、世界を変えたいだけだ。
私のお陰で、世界が付加逆なほど変わり、幸福の総量が増えれば、私は私を肯定できる、今までの人生を否定せずに住む、己にマイナスの評価を付けずに済む、つまり自殺の必要はなくなる。
だが、そうできなければ、不幸の総量が増えれば、私は私を否定する、潔癖なほど残酷に切り捨てる。
私という存在の人生、その物語、小説を綴る必要のない、そう定義し唾棄するしかない、己をプラス評価できない、今までを挽回するくらいに幸福になれなければ、私的に嘘なのだ。
今までが不幸すぎたから、それを上回るほど、私の感じる世界を私が変えて、幸福にできなければ、意味がないのだ。
誰かが幸福にするのでもいいが、やはり私がに限る。
他人の殺しと、自分の殺しでは、決定的に違うように。
誰かが不幸にするのと、私がは違う。
なぜなら、私がするとは、私が認識する全存在が、内包されて一心同体になった全ての情報が、”する”、という決定的な差異がある。
私が出来なければ、私が持つ全ての存在はできないに定義される、ことになる、圧倒的な無力の証明にほかならない。
私が感じて、100%シミュレーションできる存在では、無理と断じられれば、尻尾を巻いて己の生から逃げ出すほかないではないか。
そんな絶望には耐えられない、希望を実現できない自分では、単純に生きていたくはないのだ。
一瞬一瞬を紐解けば、他人など存在しないも同義だ。
私を含めるのか知らないが、他人の収束がわたしだ。
だから、私の感じる他人や世界の全てで、絶対に譲れない何かが出来ない、というのは認めがたい。
存在を揺るがすほどの大事だ、他人が出来ても出来なくても、変えれても変えれなくても、ある意味で関係がなくなる。
自身に対する、どうしようもない絶望、あるいは希望を、持たない、持つためには、これは分水線に成り得るのだ。
というのが、一瞬の思考だった。
実際時間では、十数秒も経っていない、ただ、それだけ。
「、、、ということで、”次”まで、割と時間があるから、しっかり英気を養っておいてね」
「うん、当然、今の私の尽力を出し切るよ」
「わたしも、レイル、一緒に、全力を持って、出来る限りの事をしましょう」
祈り頼るような、そんな彼女の眼差し等さまざまな総合的な存在は、見るものによっては万感を汲み取れる、多少なりとも私をやる気にさせた。
流石と思う、ただの一個人に、ここまで影響されるなんてね、やっぱりリリーは凄いやと、認識を再自覚した。




