未完成形のココロ‐Nの塔の館、最終決戦前
悄然としながら、エントランスホールに戻ると、
外はすっかり暗くなり、照明が幾つか灯っていた。
そして、彼女、シャルロットは、余裕の表情で、佇んでいた。
「おい」
柱に寄りかかり、こちらを、刺すような、鋭い視線で、射抜くように睨んでいた。
今までに、およそ、俺には魅せたことがない、挑発的な微笑を顔面に貼り付けて。
「ほら、そのナイフで、此処でも刺したら、たぶん、死ぬんじゃないの?」
できるはずがない、そう高を括った、からかい口だった。
服をたくし上げて、真っ白な下腹を晒している。
手に持つ、ナイフに、思わず、力が入りかけるが、理性で押しとどめる。
確かに、ここでコイツを殺せれば、それが一番良いのは言うまでも無い。
さきほどのゲームの流れからして、コイツ以外は状況すら理解できない、低脳なのは分かったことだからだ。
それでも、コイツを刺せば、残りの奴が黙っているとは思えない、
四面楚歌な状況で、俺を殺しに来ないほど、奴らも腐った馬鹿ではないだろう。
それでも、、、
「お望みどおり、そのいやらしい腹、ぶち破ってやるよ!」
獣の雄たけびと共に、飛び掛る。
見目麗しい、腹部に、吸い込まれるように、豪速の、俺の拳が瞬時に到達する。
シャルロットは、余裕の表情を崩さない、それを訝りつつも、接地した拳を振り抜こうとする。
だが、そのとき、拳が、何かの力場に阻まれて、遮られ、跳ね返された。
「お馬鹿さん、ここでは、暴力行為なんて、無意味よ」
「ぐぅっ、なんだぁ!!これは!!!」
こいつは、殴らないといけない、のに、殴れない。
暴力によって、鼻柱を圧し折るくらいが、必要だ。
見た目しか取り得のない、およそ価値も意味もない、こいつらには、それが一番良く効く。
暴力によって、女の弱みを握り、屈服し征服し、陵辱のかぎりを尽くしてきた、それが過去のやり口だった。
「リディアも、ミリュフィーユも、リリアーヌも、可愛そう、
貴方みたいなクズに、今まで、散々、こき使われてきたんだからね」
それだけを残して、シャルロットは立ち去ろうとする。
「てめぇ、、殺される覚悟は、出来たんだろうな?」
「はんっ」
鼻で笑われる、
クソ憎たらしいが、俺には効く、今まで散々、俺が従えてきた女だから、なおさら、
それは、子供で美処女がする、青臭いが忌々しい顔だ。
「下衆が、
殺される覚悟なんて、無いけど、殺す覚悟は、出来ているから、
首洗って、待ってなさい。
準備が出来たら、直ぐにでも、殺してあげるわ」
ツカツカと、俺を横切り、エレベータホールに足を向ける。
俺は何も出来ず、身が焼かれるような、口惜しさに震えるほか無い。
「おいっ、クソ、待ちやがれ」
「なに?」
振り返り、歯牙にも掛けないと、言外に告げるような、傲岸不遜な表情だ。
「今すぐ、謝って、俺に従うと誓えば、許してやる」
「ええ、そう、確かに、それはそれで、契約に縛られる貴方にとって、十二分に交渉の余地ある提案だわ」
「そうだろう、悪いようにはしねえ、
今回のことは水に流す、
だから、今までどおり、てめーらは、俺の傍で仕えるだけでいい、
わざわざ、殺される殺すような、展開にする意味もねーだろ」
「ふっふ、でも」
奴は、俺を見た、それは、殺意に濡れた、寸前な眼差し。
それだけで、皆まで言わんか、奴の心情を、俺は何をもまして分かってしまった。
俺は俯いて、己の間違い、過ちを、自覚する、
ああ、そうか、てめえは、
まじで、俺を殺すつもりだったか。
「私は、貴方の息の根を止めるのが、第一だから」
確かに、こいつに首輪つけるのは魅力的なわけだ、
こんな飼いならせない狂竜を、あたかも自分の支配下に、完全に征服していたと、思い込めてた内は、
だが、
「駄目ね」
当然だ、
お前は、解放なんて端から興味が無かったんだろう、
俺を殺すことが、それだけが目的で始めたんだからな。
「それじゃあね」
そして奴は、言いたいだけ言って、視界から消えた。
チンと、エレベータが到着した音、扉が閉じられた、音。
どうやら奴は、もうエレベータで、上の階に行ったのだろう。
正直な話、見抜いていたのだ。
奴は、表面上一番従順だが、その実、一番反抗的な少女だった。
瞳を見れば分かる、
奴の底には、暗い憎悪の炎が燃え盛っていたのだから。
だが、それが殺意にまで至っているとは、想ってはいなかった、
せいぜい、俺を懲らしめて、罰するくらいが責の山だと、
生ぬるい思考をしていたこと、いま此処に至って、初めて自覚できた、
こうなれば、俺だって、引き返せねえ、
まじで、アイツだけは、殺すことにする。
あの挑発して見せ付けた、腹に、この大ぶりのナイフを突き立てて、
奴の言ったとおりに、
修復が不可能なほど捻じ込んで、掻き回して、腸を引きずり出してやらなければ、
あれほど罵倒され、屈辱を味合わされた、我慢がならない、
今までの俺が崩れてしまう、
アイデンティティを保つためにも、奴は絶対に生かしておかない、
このゲームの最中に、シャルロットを、あいつだけは殺す。
Nの塔の館‐シャルロットの心境
シャルロットは、
あの男の存在する階より、一つ上の階層に至り、やっと肩の力が抜けた事を自覚した。
エレベータを降り、直ぐ傍の壁に寄りかかる。
「はぁ、、、っ、、はぁ、、、はぁ、はぁ、、はぁぁはぁはぁはぁはぁ」
息が荒い、単純に、激しい眩暈で、倒れそうだ。
全身に今までに無い鳥肌が立ち、ゾクゾクとした旋律が何時までも収まらない。
心臓が、一泊一泊、克明に意識できる形で、脈打っているのを感じる。
それは、息が乱れるほど、心臓が激しく高鳴っているのもあるが、
それ以上に、全身の感覚、感度が、平常よりも明らかに敏感になっている証左、そのように感じた。
現に今、息苦しいが、身体には力が漲り、今までに無い、達成感と万能感が溢れ続けている。
それと手が濡れている、
それが、冷や汗の延長線上のモノであると気づくまで、なんで濡れているのか不思議がっていた。
こんな感情は、感覚は、生まれて初めてだった。
こんなにも、心も、身体も、ドキドキと、熱くなって、覚醒しきっている。
わたしは、こんなにも激情的に、在れるのかと、初めて自覚した。
私は、このときほど、明確なる私を、金輪際知らなかった。
今までの私など目でない、初めて私は、真の私になったのだと、悟った。
こんな気持ちを与えてくれる、あいつは、やっぱり、私にとって、なにか重要なの存在なのかもしれないと、
そう、ふと頭をよぎった。
しかし、だからこそ、とも、別の私が明言する。
前の私を、殺しつくすほどの、そして、新たに生まれ変わらせるほどの、外敵、害悪。
そうなのだ、あいつは、どんな事があっても、殺しつくす、消滅させる、
塵一つ、この世界に残しておけない、絶対に始末する、そう心に、ずっと前から確定していたのだから。
思い出そう、あいつにされた、途方も無い、無上とも確信して思える、陵辱の数々を。
そうだ、
「くぅ、あんなゴミみたいな奴に!なんかにぃ!」
そうだ、
「くぅぅう! あんなクソみたいな奴なんかに!」
そうだ、あのときあの瞬間の、命を奪われるよりも、なお重く痛い、只管な心痛、激痛を思い出せ!
「ああああ!! こんなクズみたいな奴に!」
悔しかった、ただただ、悔しかった。
私は、私が、誰よりも気高く、誇り高い、決して折れない存在だと、想っていたかった。
ただそれだけだったのに、、、。
あいつは、嬉々として圧し折ったのだ。
そして、今も、わたしを折ったことを、己の誇りとして、胸を張る一要素としているのだ。
そんな事が認められるか、許せるものか、我慢できるものか、決して絶対に、し続けられるものか。
だから、殺す、殺すのだ、殺して、あいつの存在諸共、私の恥辱に濡れた過去を、清算するのだ。
それでいいのだ、それで、、、いいはずなのだ、、いいはずなのに、、、。
「あっははは、どうして、わたしは、泣いてるんだろう?」
あいつを殺す、そう決意しようとすると、条件反射的に、泣けてくるのだ。
まさか、ストックホルムのような、典型的な懐柔でも、されていたのか、無意識で。
奪われたときの、あいつの顔は、今も明瞭に思い出せる。
わたしを簒奪して、そして、真底から満たされたような、男の顔だった。
そして、感謝して、
優しくしてきて、宥め透かして、好かれようと、あまつさえ、わたしに、愛されようとしてきたのだ。
満たされたから、満たしてくれた対象に対して、そのようにする、当然の反応だ。
だからか、私は、それを失うのを、自分で無くそうとしているのを、恐れている。
だが、それ以上に、あいつを殺す、
その復讐心、身を焼くほどの激情に、身を委ねる、殉じるのは、たまらない幸福だ。
歪な執着を上回るほどの、圧倒的な、これは憎悪だと、感じれる。
憎悪で、この身を雁字搦めにしようと足掻く執着の心、精神の鎖を、
無理やりに断ち切ろうとするから、精神に過度の、自分でも制御不可能な負荷が、かかっているのだろう、
と、この自らの精神状態を客観的に知覚す。




