グリーンランド症候群
最近、隕石が落ちた。場所はグリーンランド。
大勢の人が色めき立ち、その隕石を一目見ようと様々な国からグリーンランドへ人が集まった。
それももう1か月半も前の話。
普通なら、まだその話題で盛り上がっている頃なのかもしれない。でも、今はそれどころではない問題が発生していた。
謎の奇病が発生したのだ。
最初は皆、その原因を探そうと躍起になっていたのだが、ぱたぱたと人が死んでいくにつれ、段々と諦める人が増えてきた。
だが、ついこの間、そのウイルスを確認することに成功したらしい。そのウイルスは、今まで知られていたものよりも随分と小さいもので、地球上にある物ではないと予測された。
そう、あの隕石が原因なのではないかというのだ。
馬鹿らしい話だが、実際そのようだ。
グリーンランドに旅行に行った人はほとんど発病しており、グリーンランドに旅行に出かけた人のいない国では、1人も発病していない。
だが、この病気の怖いところは、グリーンランドに行っていない人でも発病していることだ。それも1人2人ではない。何万人、何十万人という人々が発病している。
感染速度が速く、感染力も半端ではないようだ。
その病気の症状だが、まず、髪の色が明るくなる。黒色なら茶色、茶色なら赤色、といった具合に色素が薄くなるのだ。
次に、両方の手のひらに茶色の大きな丸いあざができる。
そして、目の色が明るくなる。髪の色と同じになるのだ。
最後に、死に至る。
この間なんと1か月。死ぬまで元気に動けるので、ぱたっと急に死んでしまうように見えるらしい。
心臓がぴたりと止まり、死ぬ直前の姿で固まってしまうのだ。
この病気はグリーンランド症候群と名付けられ、短期間で人々の心に恐怖を植え付けた。
この最悪な病気だが、1つだけ、病気を克服する方法がある。
それは、自分が心から好きな人から愛を与えられること。
それも、友情や家族愛では駄目だそうで、恋人からのめいっぱいの愛を感じることで、なぜか病気が改善されるようだ。
医者や研究者は、最初は馬鹿らしいと思っていたが、次第にこれが本当であることを知った。
病気から克服した人たちは皆、恋人か配偶者がいて、死ぬ前の思い出としてなどで、デートなどに行って2人の時間を大切に過ごしていたのだった。
私、千草しおりは、そんなことってあるんだなあと思いつつ、テレビを消した。
実際、そんなことが起こるとはにわかには信じられない。そもそも、愛とは本当に存在するのだろうか。
私はよく分からない。
私の両親はいわゆる仮面夫婦で、お互いに浮気をしているが、お互いにそれを責めない。
両親は私を可愛がろうとしているが、見てて思うのは、愛を与えようとしているのではなく、両親が愛が欲しいのだろうということだ。
兄弟もいない。ちなみに友達もいない。もちろん恋人もいない。
勉強はできるし、運動もそこそこ。
顔は普通だし、別に太っているわけでもスタイルがめちゃくちゃ悪いわけでもない。
ただ、私は笑わないし、最低限しかしゃべらない。
今大学生だが、サークルなんかに入ろうという気すらない。
原因は分かっているが、無理に笑ってしゃべって人と関わって、友達や恋人が欲しいとも思わない。
私はこれでいい。そう思っていた。
「ああ、残念です。グリーンランド症候群を発症しています。」
何となく風邪っぽかったので医者に診てもらったら、言われた言葉。
医者は心底残念そうにした後、私に聞いてきた。
「現在、恋人はいますか?」
「いません。」
私が即答すると、医者がものすごく励ましてきた。
励まされたまま帰ってきた。
ちょっと、私風邪薬もらっていないんだけど。
そんなことを思いつつ、帰り道を歩いていた。
ああ、そうだ、医者から言われた言葉。
誰かに感染したウイルスは、他の人には感染しないらしい。
体や物に感染前のウイルスが付着していると、それが宙を舞って誰かに感染するようだ。
ウイルスは空気中で分裂して、増殖していく。
それが宙を舞って、広がっていく。
今や、どこの誰が感染してもおかしくないらしい。
さて、これからどうしよう。
あと1か月。生きられるのは、たったそれだけ。
家に帰ったら、母が台所に立っていた。
「お母さん、私、グリーンランド症候群だって。」
「あら、そうなの。可哀そうに。」
可哀そうに、は母の口癖。
可哀そうだと思っているのは、きっと自分自身なのだろう。
こんなことを考えてしまう私も大概だが。
母は、その日、私のために晩御飯とは別にハンバーグを焼いてくれた。
「ハンバーグ、好きでしょう?いっぱい食べて。あと、恋人はいるの?」
「ありがとう。恋人はいないよ。」
お母さん、私が好きなのはハンバーグじゃないよ。チキン南蛮だよ。
そう思いながらも、声には出さずに食べた。母は笑っていた。
「あなた、しおりがグリーンランド症候群にかかっているんだって。」
「なんだと。俺に移すなよ。」
「大丈夫。一回感染したウイルスはもう他の人には感染しないんだって。」
「そうか、ならいいんだ。」
父はこんな人。自分が可愛い。
私はこんな家族と一緒にご飯を食べてから、なんとなくテレビを見た。動物特集をやっていた。
そこでは、猫との感動シーンが流れていた。
「猫は、死にぎわになるとそっと身を隠すんですってね。」
ぼそっと呟いた母の言葉。
そうなんだ、と思いつつ、しおりはあることを思いついていた。
その日の真夜中。
しおりは小さなバッグを片手に、玄関まで出ていた。
「ばいばい。」
小さく呟き、玄関に1枚の紙を置いて家を出た。
そこには一言、「恋人を探しに行きます」とだけ書かれていた。
さて、せっかくなら、残りの短い人生、何かしてみよう。
何も無かった私の人生、少しくらい色が付くといいな。
そんなことを思いながら、しおりは真夜中の街中をのんびりと歩き出した。
「さて、私はこれから何をして、どこで死を迎えるんだろう。」
小さく呟くその言葉に反応する人はいない。
今までも、これからもきっと。