chapter.3 出会い
泣き叫び、もがき足掻き、必死に抵抗した。
それでも、幼い少女の手では、何一つ掴むことはできなかった。
少女は無力だった。
特殊な力を生まれながらにして持っていたが、圧倒的な暴力の前ではそれも意味を為さなかった。
――あの時、少女に特殊な力がなかったら。
――あの時、少女に圧倒的な力があったら。
今でもきっと、あの平穏な村で、前世の記憶も忘れて幸せに暮らしていただろう。
『ミナ~、朝やで起きんか~い』
ミナの頭の中に、エセ関西弁が聞こえてきた。
ベッドの上で目を開けてみても、近くに人の姿はない。
あるのは壁に立てかけておいた刀だけだ。
「……ふわぁ」
『よーやっと起きたか。ホンマ、ミナは朝に弱いのぅ』
寝起きのぼーっとした瞳でミナは自身の相棒である魔剣ルクシオンを見た。
昨夜は嫌な夢を見たので、寝起きが最悪だ。
それを吹き飛ばすべく、ミナは洗面台へ向かった。そこで顔を洗い、適当に髪を整える。それから、着替えを開始した。
『相変わらず身体は貧相やな。もっと出るとこでとってもバチはあたらんで?』
(……うるさい)
『おおこわ。さすがに寝起きは不機嫌やな。ってかいつもこんな感じか』
独り言を言うルクシオンを無視し、ミナは宿屋の一室で着替えを終えた。
昨夜は街を少しだけ見て回り、軽く買い物してすぐに宿に入った。西部都市メロウシティにある、割と安めの宿屋だ。
列車から降りた時にはもう日が落ちかけていたので、とりあえず昨日は宿をとる段階までしか進んでいない。移動で疲れていたし、本格的に行動に移すのは今日からにしようと決めていたのだ。
『で、あのうさんくさい情報屋を信じるなら明日の夜に行われる闘技大会の決勝戦をお忍びで観戦に来る、やったか』
(そうだね。でも、鵜呑みにはしないよ。万全な状態で動きたいから)
『せやな。情報は鮮度が大事や。あの時からもう1週間は過ぎとる。リシャールのスケジュールも変わっとるかもしれん。確認しといたほうがええやろな』
(そゆこと)
ミナはルクシオンを装備し、いつもの恰好に準備を整えてから、部屋を出た。
外に出ると、眩しい太陽がミナを襲った。加え、西部都市は乾いた土地なので砂埃が余所よりも激しい。強い風が吹けば目をやられる程だ。
とりあえず、ミナは闘技大会が行われるコロシアムに向かうことにした。上手くいけば、四元帥の情報が手に入るかもしれない。
『やっぱこの地じゃターバン巻いてるやつが多いのぅ。あっちこっちにおるわ。なんか宗教のなんちゃらかんちゃらで巻くんやったっけ?』
(昔はそうだったみたい。今はファッション目的や砂から頭皮をまもるために巻く人が多いって聞いたことある)
『そうなんか。頭守るだけならフードでよさそうやけどなぁ。ってそういや昨日ミナもターバン買っとったっけ』
(髪に砂入るの嫌だし、フードじゃ熱いから。それに、多分必要になる)
『――? なんでや?』
(念には念をってこと)
街中を歩きながら、ミナとルクシオンは念で会話をする。
お互い実際に音声を出しているわけではないので、周りから見れば普通に歩いているようにしか見えない。
『闘技場へ向かうんやろ? 場所知っとるんか?』
(知らない)
『そうやろうと思ったわ。手っ取り早く誰かに聞いてみるのがええかもな』
(だね)
適当に辺りを見て回り、ミナは声をかける相手を捜した。
見知らぬ人に声をかけられても怒らないような人が望ましいが、そう簡単に見分けることなどできない。見分けることなどできないと、そう思っていたのだが――。
「――あの、すみません。さっき向こうの通りで財布落としましたよ」
表通りで、青年が太った男性に声をかけていた。
どうやら男性が落とした財布を届けにきたようだ。
こっそりとミナはその様子を窺う。
「ん、ああ。これはすまない」
「いえ。それじゃあ僕はこれで」
「ちょっと待ちたまえ」
「へ? 僕ですか?」
「うむ。ちゃんと財布を落とし主に届けるなんて感心じゃないか。普通だったら盗られても文句は言えないというのに」
「そんな! 誰だって財布がなくなったら困るじゃないですか! 拾ったら届けるのが常識ですって!」
「ふふ、皆キミのような人間だったなら、もっと世の中は良いものになっていたかもしれんな。それと、これはお礼だ」
言って、太った男性は財布から紙幣を青年に差し出した。
「う、受け取れませんよっ。僕はただ財布を届けただけなのに……」
「だからだよ。これは私からの気持ちだ。わがままだと思って受け取ってくれないか」
「う……。そういうことなら……」
しぶしぶといった様子だったが、青年は男性から紙幣を受け取った。本当は受け取りたくないが、受け取らないと相手に申し訳ないと思ったのだろう。
「ありがとう。私が落とした財布を拾ってくれたのがキミのような者でよかった」
そう言って、太った男性は去って行った。
しばらく青年はもらった紙幣を眺め、嘆息1つ。
申し訳なさそうにその紙幣を懐に収めた。
『ええ感じの好青年やんか。顔も良い。スタイルも良い。さらには性格まで良いとは、おあつらえ向きやで』
(ちょっと言い過ぎだけど、絶好の相手なのは間違いないかな。あの人に訊いてみよう)
ミナは早速青年の元へ。
冒険者風の恰好をしており、すぐに彼が武芸者であることがわかった。腰に差さっている剣が何よりの証拠だ。
「すみません、少しいいですか?」
「えっと、なんだいお嬢ちゃん? 僕にようかな?」
やはりというべきか、青年の顔はすごく優しそうにしていた。
滲み出る善人オーラに、ミナは少しの罪悪感を覚えつつも、目的である闘技場の場所を訊くことにした。
「この街に闘技場があるってきいたんですけど、どこにあるかご存知ですか?」
「ああ、闘技場ね。一度行ったから場所はわかるよ」
「本当ですか? もしよければ場所を教えていただければと――」
「あ、じゃあさ、よかったら僕も一緒に行こうか?」
「い、いえそこまでは――」
と、ミナが言いかけた瞬間。
脳裏にルクシオンから念が飛んできた。
『何言うとんねん。チャンスやで。向こうがそういっとるんやから』
(で、でも……)
『使えるものは使う。んで利用できるもんは利用するんがワイの信条や』
(それはルクシオンのでしょ)
『ええからええから、絶対ついてきてもろた方がええねんて』
(む……。わかったよ)
ルクシオンとの念話を終えたミナは顔をあげた。
頭上では、間を開けたミナ対する疑問符を浮かべた青年が返答を待っていた。
「それじゃあ、お願いできますか?」
「もちろん! 僕はヴィクトル・ノルディーン。キミは?」
「ミナ・アークスです」
「じゃあミナちゃん、よろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
ミナはヴィクトルが差し出した手を握り返した。
想像以上に上手くいった。このヴィクトルという青年は余程のお人好しのようだ。
『チョロかったのぅ』
(……そんなこと言っちゃダメだよ。この人は、ただ良い人なだけなんだから)
複雑な気持ちになりながらも、ミナはヴィクトルと共に闘技場へ向かうのだった。