chapter.16 傷跡
ヴィクトルと行動を共にすることになったミナは、ひとまず様子を伺うことにした。当然だがまだ完全に心を許したわけではない。もちろん、仲間という体裁を取ってはいるが、それは外面的なことで、真なる意味ではないのだ。
帝都スオネタルはここから遥か東に位置する。だが、帝国に鉄道が張り巡られているため、多少は楽に移動することが出来る。全ての都市を繋いでいるので、帝都までは何度か乗り換えをするだけで行けるのだ。
一度西部都市メロウシティに戻ることにしたミナ一向は、馬車でゆっくりと進んでいた。天気も良く、心地よい風に身体が癒されるようだ。魔物も時々現れるが、2人にとっては脅威ではない。魔剣や天剣を使うまでもない程だ。
「帝都まではいくつかの都市を経由しないといけない。メロウシティの次は中部都市ガローンドだね。ひとまずはそこを目指そう」
「わかりました。列車も常に走っているわけではないですからね。焦らずに進みましょう」
時間はあるのだ。ミナの目的である復讐も、今すぐどうこうしなければいけない問題でもない。少しずつ、着実に達成していけばいい。
ちなみに、昨日の変な神官のおかげで、身体が全快したヴィクトルは戦闘においても絶好調だ。そこらの魔物には遅れを取っていない。大会で対面して判っていたことだが、やはり彼は強かった。
「そういえば、刀使いって珍しいよね。どこで扱い方を覚えたんだい?」
「これは、東の国の方でちょっと。私の剣の師もその国の方でした」
「東の国か。遠くからやってきたんだね」
「そうですね。遠くから来ました。まあ、私自身は帝国出身ですけどね」
ルクシオンは帝国にあったものだ。刀の形状をしているが、発祥の地である東の島国にあったわけではない。恐らくは昔の大戦で何らかの影響があったんだろう。詳しくはミナ自身も知らないが。
「東の国には修行に行ってただけって感じかな?」
「そうですね。ヴィクトルにも師と呼べる人はいたんですか?」
「うん、いたよ。王国の武術顧問が僕の剣の師匠だった。今はもう娘さんに託してるけどね」
「引退したんですか。強かったならもったいないですね」
「まあ、本人の意思を尊重してのことさ。娘さんもかなりの腕だからね。王国の竜姫って呼ばれてるよ」
「竜姫ですか? それはいったいどういう……」
「竜騎士だよ。ワイバーンを駆る騎士のことだね」
「ああ……」
ミナは納得した。
ワイバーン。そんな凶暴な魔物の背に乗って戦うなんて正気の沙汰じゃないと思うが、王国にはそういった兵種があり、それが猛威を振るっている。
逆に、帝国には騎馬という兵種が存在する。その名の通り、馬に乗って戦う兵士のことだ。ワイバーン程インパクトはないが、統率のとれた騎馬隊は恐ろしい程に強い。
「あ、そうだ。そろそろ手綱握るの変わろうか?」
「いえ、まだ大丈夫です。真っ直ぐにしか進んでいませんし」
「そう? でも、疲れたらいつでも言ってね」
「はい」
ミナは手綱を握ったまま答えた。
特に疲れていないのは事実で、実際変わるほどではなかった。
前に進むだけなら、字の通り手綱を握るだけでいい。
当然、突発的な事象には備えなければならないが。
それから、ちょっとずつ会話を挿みながら馬車は目的地へと進んだ。お互い、まだ知らないことが多過ぎることはミナも判っているが、その奥深くにまで踏み込むことはしなかった。当然だが、ミナ自身が過去を話したくなかったからだ。相手のことを深く聞くのなら、こちらのことも自然と曝け出さなければならなくなる。ヴィクトルとの間に、そこまでの信頼関係はまだない。
そうこうしているうちに、馬車はメロウシティに戻ってきた。
隣町からは大した距離ではなかったため、時間をかけずに戻ってこれた。
「馬車、この停留所に放置した方がいいだろうね。帝国のものなんだろう?」
馬車から下りながら、ヴィクトルが言った。
「そうですね。それに、これからは列車での旅ですし。どちらにせよ不必要かと」
「決まりだね。じゃあ、残念だけどお別れだ」
この短時間で妙に馬と仲良くなったらしいヴィクトルが、最後の抱擁を終えた。馬も寂しいのか、小さく鳴いた。その様子を見て、ミナはため息をついた。
『なんやため息なんぞついて。自分も馬と仲良くなりたかったんか?』
(……別に。そういうわけじゃない)
『とか何とか言って、この前ネコから逃げられたの覚えとるで~。そのもっと前は小さな野生動物にエサをあげようとして逃げられとったし。にしても、ミナが小動物以外も好きだったとは意外だったがのぅ』
(……変なことは覚えてるね、ルクシオンは)
『そりゃ、あさんの保護者兼相棒やからな~。ミナ日記つけたいくらいや』
(……あっそう)
冷たくあしらい、ミナはヴィクトルに視線を向ける。ルクシオンが何か文句言っているが、今回は無視することにした。さすがにこれ以上は面倒くさい。
「もうそろそろ日が落ちそうだね。今日は列車も動かないだろうし、明日から移動しよう」
「わかりました。となれば、宿の確保ですね」
「だね。この時間だけど、駅から離れた宿ならまだ空きがあるはずだ」
言いつつ、ヴィクトルは歩き出した。
それに続いて、ミナも移動を開始する。
黙々とメロウシティ内を歩き、適当な宿を取った。
特にこだわりはないため、安い宿だ。
ベッドと風呂があればいい。野宿よりはマシである。
「本当によかったのかい? 2人部屋で。女の子だし、抵抗あるかなって思ったんだけど」
部屋に入るなり、ヴィクトルがきいてきた。
「構いません。ヴィクトルは無粋なことをするような人ではないと思っていますので」
『――とか言っちゃって実は期待してるんやろなぁ。乙女やなぁ~』
「……。とにかく、私のことは気にしないでください」
「――? ま、まあ、ミナがそう言うのなら僕は構わないけどさ」
ヴィクトルは上着をかけ、ドサっとベッドに腰を下ろした。
だが、ミナは上着を脱がない。身体全身を覆った布を、人前でとるわけにはいかないからだ。当然、そんなミナをヴィクトルは不審がるわけだが、言い訳もちゃんと考えてある。
「羽織りもの、脱がないのかい? さすがに窮屈だと思うけど」
「確かに窮屈ですけど、火傷で傷ついた皮膚をあまり他人には見せたくないんです。すみません」
「あ……! そ、そうだったんだね……。ごめん、そうとは知らずに……」
根がまじめなヴィクトルのことだ。ミナが言ったことを疑うことなく信じたのだろう。
「大丈夫です。慣れていますから」
似たようなものだが本当は火傷ではない。
ミナの身体には、帝国から受けた屈辱の証が残っている。ミナを殺そうとして出来た傷。特に、胸と首と下腹部は酷い。その様がありありと見てとれる。他人が見たら、ギョッとすること間違いなしだ。
「……だから首に布を巻いているんだね。単に砂から身体を守っていたわけじゃなかったんだ」
「はい。気持ちの良いものではないので、他人には見せないようにしているんです。不快……でしょうし」
そうミナが言うと、ヴィクトルは申し訳なさそうな顔をした。
そういうつもりではなかったが、彼は彼なりに思うところがあるのだろう。同情するのも失礼だとか、だからといって変に気にしないのも違うだとか、難しく考えているのかもしれない。
「すみません。困らせるつもりではなくて。ただ、あまり私の身体には触れないで欲しいなって」
「うん。わかった。僕もこれ以上詮索はしないよ。でも、僕で力になれることがあったら何でも言ってね。まあ、何も力になれないかもだけど……」
「いえ、その気持ちだけで嬉しいです。ありがとうございます」
身体の傷は、高位の神職者に見てもらえばもしくは治せるのかもしれない。だが、ミナはそれをしようとは思わなかった。この身体の傷は、いわば復讐の証なのだ。憎悪を忘れぬように、自身の目的を失わぬために、なければならないものなのだから。