chapter.15 仲間
ミナが母屋に戻ると、ヴィクトルが寝台の上で上体を起こしていた。あの神官少女の施術のおかげで、すっかり回復したらしい。
「僕は、いったい……」
そして、ミナはヴィクトルと目があった。
向こうも驚いている。というより、恐らく状況を把握できないでいるのだろう。ヴィクトルは、リシャールとの戦いの最中に気を失っているのだ。ミナがリシャールを殺したことも知らないはずだった。
「キミは……ミナ、ちゃん……?」
名を呼ばれ、ハッと我に返った。
ミナは今、マリアの格好をしていない。完全に忘れていた。それだけ必死だったということか。ばれるのも当然だ。
「えっと、そのですね……。色々ありまして……」
どう説明すればいいのか。
ヴィクトルが目を覚ましてからのことを考えていなかった。
「僕は確か、リシャールと戦ってそれで……――いっつ!?」
ヴィクトルは胸を抑え、咳き込んだ。
ヴィクトルを苦しめていた異物はあの神官少女が取り除いたが、それでもまだ安静にしていなければダメだ。
「傷は完治していないんですから、まだ寝ていてください」
「ご、ごめん……」
ゆっくりと上体を横にして、ヴィクトルは天井を見上げた。
ミナも、丸椅子に座りこれからどう説明しようかを思考する。
リシャールは自分が殺したなどとは、口が裂けても言えない。相手がヴィクトルだから、なおさらだ。
「えっと、ミナちゃんが、僕を看病してくれたてたのかい?」
「はい。といっても、そう大したことはしていませんけど」
「そんなことないよ。ありがとう。ミナちゃんがいてくれなかったら僕は死んでいたかもしれない」
「それは……」
ヴィクトルの言う通りだったかもしれないと思うと、複雑な心境である。あの場にミナがいなければヴィクトルはリシャールに囚われ、死んだも同然の扱いを受けていたかもしれないのだ。
「でも、おかしいな。あそこにはリシャールがいたはずなのに、どうして僕はミナちゃんに助けられているんだろう……」
下を向き、ヴィクトルは小声で言った。
ヴィクトルがそう思うのも当然だろう。あの状況からして、全く関係ない旅人のミナ・アークスに助けられているというのは変な話だ。ヴィクトル視点で言えば、あの場にいたのはマリアでありミナではない。混乱するのも無理はない。
『ここは正直にマリア言うたらええやないか? そうすれば、多少はスムーズに話が進むやろ』
(そう、かもね。リシャールもいないし、もういいかな)
そう思い至ると、ミナは徐に変装し始めた。もちろん、ヴィクトルの目の前で堂々とだ。
「急にどうしたんだいミナちゃん……って、その格好は!?」
予想通りの驚き具合で、安堵した。さすがに気付いてもらえたらしい。まあ、これで判らなかったら、相当な馬鹿か目が死んでいるかのどちらかだろうが。
「私がマリアです。ごめんなさい、騙していて」
「い、いや……。そっか、そういうことなら納得がいったよ。喋れないフリをしていたのも、そういうことだったんだね。どうしてこんなところにミナちゃんがって、最初はだいぶ混乱していたから。でも、どうして僕を助けてくれたんだい? あの場にはリシャールがいただろう?」
「途中で隙をついて逃げ出しました。馬車も一台拝借しています」
「ええ!? 四元帥から逃げ出すって、どうやって!?」
さっきから驚いてばかりのヴィクトルが、ミナはなんだか面白かった。当然ながら、怪我人に対してそんなことを思うのは不謹慎だとわかってはいたが、ヴィクトルの反応が一々予想通りで仕方がないのだ。
「夜中にです。立ち寄った村から、こっそりとあなたを連れだしました。ヴィクトルさんは馬車に乗せられていましたから、その馬車を奪うだけでよかったんです」
我ながらスイスイと嘘をつけるものだと感心するミナであった。
何一つ真実ではない。だが、ミナがリシャールを殺したことは言うわけにはいかない。四元帥を超える力を持つ武芸者など異常だし、そもそもヴィクトルは復讐に無関係だ。巻き込めない。
『ミナ、詐欺師の才能もあるんやないか?』
(……そんなこと言われても、あまり嬉しくないよ)
『そりゃそうやろなぁ。ワイも褒めてへんし』
(……)
さすがのルクシオンも詐欺師を良いものとは考えていなかったようだ。
「そういうことだったんだね。ということは、リシャール達もまだこの辺りにいるってことか……。それで、ミナちゃん、でいいんだよね?」
「はい。マリアは偽名です」
「わかった。ミナちゃんがマリアだってことは、僕のこともあのトロンの村での戦いも知っている、ってことでいいかな?」
「そうですね。私も、ヴィクトルさんがリシャールと戦っている場面は見ていました。もちろん、あなたが天剣という武器を使っていたことも」
「そっか……。実は僕も、天剣についてはそこまでよく知らないんだ。ただ、これが特別なものだということはわかる。それを何故僕に持たせたのかは、わからないんだけど」
「……色々な経緯があるみたいですね。詳しくは聞かない方がよさそうです」
「ありがとう。見た目はまだ子供なのに、ミナちゃんってなんだか大人だね」
「そ、それは……」
ミナは口ごもる。
そもそも、ミナの実年齢は25であり、世間一般的に言う大人に分類される。ヴィクトルに嘘をついているのは、ただ怪しまれないためにだった。この姿で25歳は変だし、15歳の方がまだしっくりくる。
「はは、ごめんごめん。困らせる気はなかったんだ。でも、その歳であそこまでの強さを持っているのは素直に凄いと思うよ。結局、僕も君には勝てなかったわけだしね」
「それは、ヴィクトルさんが本気じゃなかったからじゃあ……」
「そんなことないさ。確かに天剣は使えなかったけど、それでも、僕は全力で戦っていたよ」
そう言って、ヴィクトルは一瞬難しい顔をしたが、すぐに元の表情に戻った。
あの闘技大会の決勝戦が終わった後、言ったことを思い出したのかもしれない。ミナも、そのことを覚えている。言った本人であるヴィクトルが忘れるはずがない。
「気にしないでください。何と言われようと、私は私ですから。ヴィクトルさんも、善意でああ言ったことは判っています」
「ミナちゃん……。はは、本当に出来過ぎた娘だね、キミは」
「そんなことはありませんよ、決して」
小さな声でミナは呟いた。
そうだ。ミナは善人でも出来過ぎた人間でもない。ただの復讐に取りつかれた亡者だ。そのためだけに生きているといっても過言ではない。それ以外は些細なことだと思っている程なのだ。
『んで、これからどないすんのや。予定は狂ったわけやし、新しく計画せんといかんやろ』
(わかってる。とりあえず、ヴィクトルさんの出方次第で決めよう。こちらから無理に従わせるわけにはいかないよ)
『ま、ミナがそう言うんならそれでええ』
ルクシオンとの念話を終え、ミナはヴィクトルを見た。
ヴィクトルも、これからどうするかを考えているのだろう。どことなくそんな雰囲気を感じた。
「僕は帝都に行かなくちゃならない。そして、ケヴィオン帝国皇帝陛下の意思をこの耳で訊く。それが僕の使命だから」
力強く言うヴィクトル。
メトイエル王国第三皇子としての使命なのだろうか。
「もちろん、策はあるよ。ただ行っただけじゃ、相手にされないのは判っているからね」
「策、ですか?」
「ああ。僕はメトイエル王国からの使者として、そしてケヴィオン帝国の皇女の婚約者として帝都に向かうのさ」
ヴィクトルはさらっと口にしたが、ケヴィオン帝国の皇女の婚約者というのは、一体どういうことなのだろうか。
「そ、それはどういう意味ですか? ヴィクトルさんが皇女の婚約者というのは……」
「そのままの意味だよ。昔からメトイエル王国とケヴィオン帝国は和平のためにお互いの王族を婚約させる習わしがある。で、今回それが僕だったってだけさ」
「そ、そうだったんですか……」
いきなりのことに、ミナは驚きを隠せないでいた。
まさか、ヴィクトルがその婚約者だったとは。完全に予想外である。
『あ~らら、残念やったのぅ』
(……何が?)
『ヴィクトルは先約済みやったことや。せっかくいい男見つけたのについとらんのぉ』
(……後で殴る)
心に決め、ミナはルクシオンを放置した。
「ただ、リシャールの存在が気になるところではあるんだ。彼は僕がメトイエル王国の王族だとわかっていても戦ってきた。それが、リシャールの独断ならいいんだけど、帝国全体がそういうことになっているのなら、この身分は何の役にもたたないってことになる。そうなれば、何か他の手を考えなくちゃならない」
「なるほどです。つまり、それを確かめるためにもまずはこちらからアクションを起こさなければならないということですね」
言いながら、ミナは思った。
リシャールはもういない。そして、帝国側は誰に殺されたのかもわからないはずだ。騎士達も、騎士の姿をしたヴィクトルに気絶させられていた。リシャールが死んだということはすぐにでも帝国に情報が行くだろうが、誰の手によってかまでは、判らないままだろう。
つまり、リシャールがいない今、ヴィクトルの身分は利用できる可能性が高いということだ。従って、ミナがヴィクトルと帝都に向かうことは大いに利がある。
「私も帝都に用があります。彼らが何故戦力を集めているのか気になりますし、リシャールの件は私も無関係ではありません。なので、よければ一緒に行きませんか?」
らしいことを言い、ミナはヴィクトルとの同行を提案した。
リシャールについていき、帝国内部へと潜り込む作戦は失敗したが、まだ次の手がある。ヴィクトルを味方につけることが出来れば、道は繋がる。
「ミナちゃんはそれでいいのかい? 闘技大会でキミの力は判ったけど、それでも危険な旅になる。僕もまだ相手がどのくらいの大きさなのか測りきれていない段階なんだ。もし、途中で何かあったらと思うと、簡単に決めていいものじゃないと思うんだけど」
「……そうかもしれません。ですが、私にも為さねばならなぬことがあるんです」
ミナの視線が、ヴィクトルを射抜く。
ヴィクトルもまた、ミナを見据えてきた。
ややあって、ヴィクトルはふぅと力を抜いた。
「わかった。これも何かの縁だ。一緒に行こう」
「ありがとうございます」
「むしろ僕の方がありがとうなんだけどね。ミナちゃん、強いし」
「いえ、私は別に……」
強くなどない、とミナは言おうとしたが、一度闘技大会で勝っていることもあり、言えなかった。ここでそう口にしたら、ヴィクトルの敬意が無駄になってしまう。それだけはしてはいけない。
「まだまだ修行中の身です」
「はは、謙虚なんだね。僕も頑張らないといけないな」
「その前にまず身体を治してから、ですね」
「御尤も。こんな身体じゃ、ミナちゃんの足を引っ張るだけだろうからね。さすがの僕も、女の子に守られるのは恥ずかしいからさ」
「女の子――」
そうヴィクトルに言われ、ミナは思い知る。
今の自分は女の子なのだと。いくら魔剣を使えようが、見た目はただの女の子なのだ。
「あの、ヴィクトルさん」
「なんだい?」
「私のことは呼び捨てで構いません。ちゃん、をつけられるのは、なんだか落ちつきませんから」
「わかった。それなら今からはミナって呼ぶよ。その代わりと言ったらなんだけど、僕のこともヴィクトルって呼んで欲しい」
「わかりました。これからはそうします」
「うん。出来れば口調も変えてほしいけど――」
「すみません。口調はすぐに変えられないので……」
「そうだよね。ごめん。今のは忘れて」
申し訳なさそうに言うヴィクトル。
ルクシオン意外の人には丁寧な口調で喋ることに慣れてしまったので、今更変えることなど簡単には出来ない。
「じゃあ、ミナ。これからよろしく頼むよ」
「はい。よろしくお願いします、ヴィクトル」
ミナとヴィクトルはお互いの顔を見ながら握手をした。
こうして、魔剣使いと天剣使いの、奇妙なタッグが出来上がるのであった。