chapter.10 道中
馬車を囲んでいたデスハウンドの群れは、フードの男の手で一瞬で全滅した。
確かに、デスハウンドは討伐ランク3という魔物の中でも弱い方に分類される。が、常人が一瞬で全滅できるような相手ではない。
「あれは一体……」
フードの男の手が、悪魔の腕のように変化し、敵を薙ぎ払ったのだ。巨大化した手は、鋼鉄のように硬く、それでいて刃物のように鋭かった。
「驚いたかな? あれは唯一の成功例でね。色々と混ぜていて、見た目はあまり美しくはないからフードを被せているのさ」
「成功例……?」
「ああ。キミになら話してもいいか。あれはね、帝国の兵器となるべくして造られた……いや、変えられた存在なんだよ」
ビクン、と。
ミナの中の、何かが跳ねた。
帝国の兵器という単語は、前にも耳にしたことがある。というより、自分がそう言われていた。それに、成功例ではないが、失敗作とも。
『まさか、ミナと同じやないやろな……?』
(それはないと思う。私は、先天的にこういう体質だった。特異な力を持っているという前提で魔剣と同調させたんだから)
『まあ、そか。冷静に見ると、やつからは魔の気配を感じひんな。混ぜた言うとったし、他の何かやろ』
(たぶんね)
フードの男について分析しつつ、ミナは彼を見ていた。
あの手。一体何なのだろうか。禍々しいのに、見とれてしまう。まるで一種の芸術のようだ。だが、それはどこが危うくて、少しでもひびが入ったらすぐにでも崩れ落ちそうなくらい繊細に見えた。
「あれも帝国の戦力となるべくして生まれた兵器だ。人の形をしているが、あれに意思はない」
「意思がないというのはどういうことです」
咄嗟にミナはリシャールに聞き返していた。
「そのままの意味さ。人型を媒体にした兵器というだけで、人としての機能は失われている。意のままに操れる、いわゆる人形のようなものだ」
「人形……」
もし、ミナにも精神干渉が成功していたら、今頃は帝国の言いなりになっていたのかもしれない。そう思うと、ゾッとする。自分に意思とは無関係に戦わされるなんて、御免だ。
「戦闘力という面では優秀だが、その他は使い物にならない。さっきも言ったが、命令を忠実にこなす人形とでも思ってくれればいい」
「わかりました」
元々はあのフードの男も人だったのだろう。それを、帝国の手によって書き換えられた。何とも残酷な話だ。やっていることはただの外道だが、それを国家が認めてしまえば罪には問われない。
狂っている。何かがおかしい。そうミナは思った。ケヴィオン帝国の皇帝陛下は一体何を考えているのか。戦力を潤わせるにしてもやり方が酷過ぎる。
「さあ、出発だ」
魔物も倒し、馬車は再び動き始めた。
ミナもリシャールも、無言だ。特にミナはリシャールと世間話などする気はない。仇相手に仲良くお喋りなど出来ようはずがないのだ。
『あーあ、暇やで』
(……)
『お、無視かいな。ええんかええんか、そんな態度とっとるとミナの恥ずかしいエピソード集を延々と語り続けてもええねんけどなーワイはなー』
(ルクシオンが喋っても誰も聞こえないでしょ)
『お、ならええんやな。よーし、何にしよかなー。あ、あれでいくか』
勝手に決めて、ルクシオンは1人念で語り始めた。
『あれはまだワイとミナが出会ったころの時やったな。ミナは13歳になったばかりで、あの地下室での暮らしの時やったか』
(……)
ルクシオンの語りに、ミナはただ黙って耳を傾けていた。
帝都にある施設の地下で、ミナは魔剣の適合者として暮らしていた。その頃の話をルクシオンはするようだ。
『飯も食べんし、目は死んどるし、だいぶやつれとったよなあん時は。ワイともあんま喋らんし、あん頃はこんなんがワイの主人かおもてげんなりしとったが……。あの出来事から少しずつ打ち解けていったんやったっけなぁ。いや懐かしい』
(……それって、まさか)
『にしても、今じゃ考えられん程の慌てっぷりやったな。半泣きして頭抱えて……。たかだか"初経"ごときでのぅ』
(ちょ……!)
その単語を聞き、一瞬でミナの中に羞恥心が広がった。
そう、初経だ。男の身体の知識はあったが、女の子の身体の知識はさっぱりだったので、朝起きてショーツに何やら赤い血液がついていたことに慌てふためいてしまったのだ。そういえば、その様子をルクシオンは一部始終見ていた。
『ワイがちゃんと女性の身体の仕組みを教えんかったら、どないしとったんや~? 帝国の連中に訊くわけにもいかんかったやろうしなぁ~』
(……ルクシオン)
ミナの念には、怒気が孕んでいた。名を呼ばれただけで、ルクシオンが身を震わせた程だ。
(思い出したくもない過去を、よくもぬけぬけと……)
『ま、待てやミナ。今は馬車の中やで? それにリシャールもおる。変なマネせんといた方が……』
(……覚えときなよ、まったく)
さすがのミナも、この場でルクシオンに制裁は加えなかった。
だが、後で仕返しをしようと、ミナは心に決めるのだった。
「どうかしたのかな?」
顔をしかめたミナを不審に思ったのか、リシャールが声をかけてきた。
「いえ、砂が目に入っただけです」
「ふむ。ならばいいのだが」
特に疑われることなく終わり、ミナはホッとした。
ルクシオンのせいで、忘れかけていた嫌な思い出を思い出してしまい、何とも複雑な気分だ。だが、あの出来事がきっかけでルクシオンと話すようになったのも事実だ。その点は、良かったのかもしれないが。
「そろそろつくよ」
馬車は順調に街道を進み、ようやく目的地らしき場所にたどり着いた。まだまだ帝国西部の真っただ中なので乾いた大地だが、それでもこうして小さな村は点々としているようだ。
「ここはトロンの村といってね。まあ、見ての通り何の変哲もない村だ」
「みたいですね。それで、ここには何用で?」
「ちょっとした野暮用さ」
そう言うと、リシャールは目を伏せた。
含みのある言い方が気になったが、今は大人しくしていた方がいいだろう。変に介入するのも危険だ。