#3.黒幕だってばっちり捕まえる
階段を上り終え、目の前に広がっていたのは、灰燼と化したフロアと不自然に雲を突き破ったかのような青空。
「あれ? 兵隊さんじゃね?」
そして、『彼』だった。例の棒切れ片手に、気だるげにそこに立っていた。
「……カオル!? こんなところで何を――」
驚いたのは言うまでもない。だが、それ以上に気を向けられたのは、彼の足下だった。
「これは――」
女悪魔らしき何かが転がっていた。まだ死んではいないらしいが、ぴくぴくと痙攣している。
さんざん前置いておいてなんだが、どうやら私たちが戦う必要はなかったらしい。
「なんか、ママになりたかったらしいぜ。説得しようと思ったんだけど、あんまり激しく抵抗されたから、倒しちまった」
随分とあっさりとしたものだった。私達の覚悟を返せと心底思う。
「え……あ、あぁ、えーっと……その、つまり?」
「悪魔は倒せた、という事かしら?」
ベテラン兵と女兵士がなんとか状況を把握しようとして、だけどまとまりきらないのかあちらをみてこちらをみてしていた。
無理もない。倒そうとしていた敵が突然の第三者によって倒されていたなんて、理解しろと言われても混乱する。
「まあ、倒せたと言えば倒せたんだけど。死んでないからな」
「なら今とどめ刺そうぜっ」
青年兵が剣を悪魔に向ける。
何せ衛兵隊を蹴散らした化け物だ、倒せたとは言っても油断ならない。
いつの間にか回復して逆襲でもされればやはり、命に関わることになりかねないのだ。
「待ってくれよ。そいつ悪い奴じゃないって」
だが何故だろう。
カオルはそれをかばおうとしていた。
女悪魔に向け剣を振り下ろそうとした青年兵の腕をとっさに掴み、とどめを妨害する。
「いや、こいつの所為でたくさんの兵士が死んだんだぞ!?」
「今殺さないといつか必ず――」
「だから話を聞けって!!」
何故邪魔立てするのか、と、各々剣呑な雰囲気になるが、この場の強者は誰であろう。カオルに他ならないのだ。
彼の荒げた声に、その場に居た全員がびくりとしてしまっていた。勿論、私も。
「この悪魔は、確かに街から子供をさらってたけど、本当の黒幕は別にいるんだよ」
しばしの嫌な沈黙の後にため息混じりにカオルの口から出たのは、そんな想定外の言葉であった。
「黒幕ですって?」
「ほんとかよ!?」
当然ながら、皆、騒然となる。
私も疑問を口にしそうになっていたが、神妙な面持ちのカオルを見て、思いとどまった。
「ああ。こいつ自身は、ただ子供好きが度を越して悪魔になっちまっただけなんだよ。子供も無事だった。今頃サララが街に送ってるよ」
彼の言う事が本当なら、私達は完全に徒労という形になる。
子供は無事。それは大変めでたい話のはずなのだが。
「本当の悪党は、こいつを利用してたくさんの人間を殺そうとした奴だ」
何故それを知っているのか、という疑問は最早抱くまい。
彼が突拍子もない事を言うのには、少なくとも私は慣れたつもりだった。
「教えてくれカオル。君はその『黒幕』の事、知ってるようだが」
「人間に化けた本当の悪党。この事件の黒幕は――」
結局、私達は嵌められただけだった。
この塔の本当の主。
衛兵隊長の皮を被った本物の悪魔が、衛兵隊を、そして私達を皆殺しにしようと目論んだのだ。
なんとも馬鹿らしい話である。
悪魔がいつごろ街に潜むようになったのかは解からないが、カオルが居なければ私達は黒幕の思った通りに死ぬ事になっていたのだから。
「――てことは、街が危ないんじゃないのか!?」
私の傍らで話を聞いていた青年兵が、突然声を張り上げる。
「街だけじゃないわ。私達が守ってた村だって――」
つまり、そういう事だ。私達は悪魔に嵌められた。
今、街を始め、各地に兵隊が居ないか、かなり手薄となっている。
街にしろ村にしろ、今悪魔に襲われればひとたまりもないだろう。
平穏な世界は、瞬く間に惨たらしい地獄へと変貌するはずだ。
皆、故郷の村々の惨状を想像したらしく、歯を噛んでいた。
当然、私も。
「なあに、俺に任せとけよ」
一人余裕があったのはカオルだった。
こんな切迫した状況下なのに、謎の安心感がある。
「……任せた」
彼がどういうつもりなのかは解からないが、彼は一人で盗賊団を蹴散らし、仲間の少女と二人だけでドラゴンを倒した。
そして今、女悪魔を倒し、さらわれていた子供たちを助けたのも彼とその仲間だ。
村の英雄は、既に街の英雄になろうとしていた。
だから、委ねるのだ。私達の村を。街を。全てを。
彼ならば、そんな理不尽をもなんとかしてくれる。そんな気がしたのだ。
そんな気に、させてくれる男だった。
「おっけー」
彼はとても軽かった。本当に余裕なのだろう、と。何故だか思えてしまった。
結果結論だけ語るならば、懸念していたほど何かが起きる事はなかった。
黒幕の悪魔はカオルの手であっさり捕らわれ、衆目の中教会のシスターによって封印されていった。
その合間、さらわれた子供たちの親や殺された衛兵隊の身内、生き残りなどが皆して悪魔に罵声を浴びせながら石などを投げつけていたのが、印象的な光景だっただろうか。
街を、ともすれば国そのものを危機に追いやった危険な悪魔とはいえ、その末路は眼を背けたくなるほど悲惨なものであった。
子供をさらった女悪魔は、カオルの説得とシスターのお説教(怖い)によって正気を取り戻し、カオルの使い魔となる事を選んだらしく、今ではのんきに街で暮らしていた。
無理に子供をさらってしまった事、たくさんの衛兵を殺してしまった事は後悔もしているらしく、悪魔の癖に教会で懺悔したり、孤児院の子供たちの面倒を見たりと人の良さを見せ始め、街の民は距離を置きながらも、徐々に彼女を敵視するのをやめていった。
元々はこの街で暮らしていた娘だったというのも、拒絶反応が少ない要因だろうか。
私達がどうなったのかというと、残念な事に、村には帰れなくなった。
衛兵隊が壊滅したのもそうだが、それまで衛兵隊長だと思っていた者が実は悪魔だったのだ。
これは街だけではなく、国そのものが調査に乗り出す大事となった。
私も含め、生き残った兵士達は全員が国からの詳細な聴取を受けたし、カオルやサララちゃんも幾度となく取調べを受けたらしい。
正規の兵でもない彼らがこの事件を解決した、という事実は、国の重鎮らの耳にも入ったらしく、誘拐犯だった女悪魔を使い魔にしている事も問題視されて、色々と面倒な事になっているらしかった。
「いや、参ったよ。どこから来たとか言われたって、俺、自分の世界の名前とかしらねーし」
「君もつくづく自分から面倒ごとに突っ込んでいくねぇ」
国からの調査もようやく落ち着いてきた頃。
街のティーショップで、カオルと二人、のんびりとお茶をしていた。
だらしがなく背もたれに寄りかかってぐったりするカオルと、それを見て苦笑している私。
なんともはや、街を救った英雄殿がこんな顔をするのだから、憎めない。
「でもどう? 結構英雄っぽくなってきてね?」
「ああ、そうだね。英雄っぽいと思うよ」
認めて良いだろう。彼は正しく英雄だ。
もう自称だなどと思うまい。いや、誰にだって思わせまい。
「やったー!! 兵隊さんに認められたっ!!」
何が楽しいのか、カオルは元気に飛び上がった。
ガッツポーズなんか取ったりしている。「相変わらず面白い奴だなあ」と思ってしまった。
「なんか、国の偉い人からお呼びがかかってさ。『大切な話があるからきてくれ』って言うんだよ」
カップの中に入ったレモンを、ティースプーンでぐにぐにと押しながら。
カオルはそんな素敵な事をのたまった。
「へぇ、というと、城にいくのかい?」
「そうなりそうだ。サララとベラドンナも連れて行くつもりなんだけど、ここから城って遠いの?」
ベラドンナって誰だろう、と思ったが、彼の質問に答える為、少しばかり頭を捻る事となった。
「城。城かぁ。子供の頃に一度、親父にくっついて行った覚えはあるんだが。いや、すごく長い旅路だった気がするね」
私は扱い的には国に雇われている兵士のはずだが、実は城に訪れた事は一度しかない。
基本的に各地の兵隊の管理はこの街の本部で行われているので、地方の兵士は城にきてまで何かするという事はまずないのだ。
なので、彼の期待する答えは出せそうになかった。無念である。
「そっか。まあ、また色んな人に聞いて回るかな」
「君は、この街にもう慣れたのかい?」
半年は早くこの街についているのだ。私よりも街には詳しくても不思議ではないが。その辺り気になった。
「ああ。酒場の親父とは飲み友達だし、教会のシスターは守銭奴だけど実はツンデレなのも知ってる」
「そうか、それは良かった」
「それとパン屋の娘さんが超美人」
「ほう、それは良いことを聞いた」
パン屋にいくのが楽しみになった。
「兵隊さんって結構女好きだよな」
私がパン屋の娘という言葉に喰いついたのを見て、カオルは笑っていた。
「君には負けるよ」
私も皮肉というつもりもないが、中々にモテているらしい彼に返す。
「うん?」
「うん?」
何故か首を傾げられてしまった。私も不思議だったのだが。
「いや、なんでもない。そっか――」
「どうかしたのかい?」
「いや、なんでもないよ。それより兵隊さん、兵隊さんはこれからどうするの?」
「私は、しばらくはこの街の治安維持に当たる事が決まった。衛兵隊長として、同じ役の他の四人と交代制で回す事になったんだ」
言うまでもなく、『他の四人』とは塔で最後まで残ったあの四人である。
その勇気、覚悟、後これは国の人達の誤解なのだが、国への忠誠心だとか、そんなのをかね合わせているからと、急遽集める事になった新米兵士達を指導するよう頼まれたのだ。
村の一兵士に過ぎない私が街の衛兵隊長に収まるとは思いもしなかった。まさかの大出世である。
「出世したの?」
「ああ。これも君のおかげだね」
これも、カオルがいたからこそだ。生きているからこそある今だった。
「そっか。おめでと」
「ありがとう」
私の言葉に、カオルは嬉しそうに微笑んで、もう温くなった紅茶を飲み干した。
村に帰れないのは寂しいが、彼にこのように祝われるのは、悪い気がしない。
こうして、私達は二度目の別れを迎えた。
最初ほどしんみりとしなかったのは、なんとなく、また会える気がしたからである。
季節は、もうすぐ春になろうという頃であった。