#3.だけどその人はあいつにとっては本当に女神様だったんだ
「いや、もういいよ。なんか、特典考えるのも大変そうだし」
「……いや、でも、後五個くらい、特典ありますし」
どう見ても無理矢理それっぽいのを特典と言い張ってるようにしか見えない。
「それに貴方は、色んな努力をかなぐり捨てて、死と言うものに向き合っていない気がします」
「それをあんたが言うのか」
「私に死ぬと言われたから、信じてしまうんですか? 認めたくないとは思わないのですか? もしかしたらどこかに死を回避する方法があるかもしれませんよ? 私は案外大した事なくて、今この瞬間、ずーっとこれが続けば、いつかは抜け出せるかもしれないのに」
まどろっこしい人だった。余計なお世話だった。腹が立つ。心底腹が立つ。
――だって、そんな自分で解ってる事、わざわざ人に言われるのは辛すぎる。
「助かるかもしれません。運命なんて捻じ曲げられちゃうかもしれません。なんでそれをしないのですか?」
「運命なんて簡単に曲がる訳ないだろ」
「運命のなんたるかも貴方は知らないのに?」
鼻で笑われたような気がした。この女神様、嫌いになりそうだ。
「俺は人間だぜ? あんたは女神様だから解るかもしんないけど、人間にはそんな運命なんて良く解らんものどうしようもないんだよ」
「そんな事はありません。私も女神になる前は人間でした。弱い一人の人間でした。私は、その時から運命が何なのか解ってましたが」
「……何だよそれ」
「努力でねじ伏せられる何かです。今頑張れば変わるかもしれない何かです」
えらく体育会系なノリだった。運動音痴な俺には苦手なノリだった。
「人間は、食わず嫌いが過ぎます。どんなものでも我慢して食べていればそれは必ず身に付き役に立つのに、自分が嫌だからと避けてしまう。だけれどそれは、きっと誰かの役に立ち、何らかの意味があり、そして、最終的に貴方の為になる事のはずなんです」
食わず嫌いは多いほうだった。野菜は嫌いだった。魚は嫌いだった。英語も嫌いだし体育も嫌いだ。
女の子と話すのは苦手だからろくに話さないまま今に至るし、年寄りと一緒にいるのも疲れるから嫌だ。
全部、全部、避けられるなら避けたし、嫌だから全力で向かおうとは思わなかった。
結果がだめでも、苦手だからという理由があるんだから、それでいいじゃないかと思っていた。
「私は思います。人がその人生を悔やむのなら、悔いの無い様に全力で生きてしまえばいいんです。たった一つのことすら手を抜かず、やりたいように、出来る限りの事をやればいいのです」
だが、現実にはそれは無理だろうと思う。人は人だ。嫌なモノは嫌だし辛いものは辛い。
身に付くからと辛い事を我慢し続けられる人なんてまずいない。いつかは折れる。折れてしまう。嫌になるのだ。
「あんたのそれは、ただの理想とか夢とかじゃないのか?」
俺がまだガキだからなのかもしれない。だけど、女神様のそれは現実的には感じられなかった。
到底受け入れられないような、口先だけの言葉に聞こえたのだ。
「いいえ。叶います。それが証明できる世界へと、貴方を誘う事だってできますわ」
試してみませんか、と、女神様は笑う。
多分、今までで一番魅力的な誘い文句だったと思う。
「……条件は?」
「貴方がその世界で最初に出会った人。その人を救ってあげてください。彼は、そのままでは死する運命にあります」
なんともはっきりしないものだった。
英雄になれとかなんとか言ったが、それも嘘だったか。
素直な人だと思ったが、案外嘘つきだったらしい。油断ならない。
「本当は私が助けられれば良いのですが……私は、もうその世界の人ではないので」
少しだけ寂しそうに、女神様は微笑んでいた。
「その後は、何をしても構いません。さっき言った通り、貴方は何をしても死なないですし、努力を続ければ必ず成果を出せるようになるはずですから、飽きるまでその世界を謳歌するといいでしょう」
「力を悪用するとか思わないのか?」
「構いません。貴方がダメでも、私は誰も恨みません。というより、貴方を送ったら私は多分消えてますから」
ぱらぱらと何かが落ちる。棒切れを持つ女神様の手から、粉末のようになものが零れ落ちていった。
「……よくわかんないけど、あんた、もしかして――」
よくよく見れば。女神様の足先が見えない。
スカートに隠れていると思ったが、そもそも足の形がスカートの上から感じられなかった。
長い髪に隠れた左目が動いてるようには見えなかった。髪の先端も、どこか不自然に切れていた。
「ただ、それで『もういい』と思ったら、その世界で最初に貴方が目を醒ましたその場所に横になり、『もういいや』と呟いてください。それで、この世界に戻れます」
女神様は構わずに話を進める。
今、必死だった理由がようやくわかった。
「いいのかよ、俺で」
この人は、多分、俺が最後なんだ。
次なんて、この人には最初から無かったのだろう。
選択肢が無いのは俺じゃない。女神様自身だったのだ。
こんな短時間、ちょっと話しただけでそんな確信が持てるわけじゃない。何の根拠も無い事だ。
こんなのはただの勘だ。そうなんじゃないかって感じてしまっただけだ。
だけど、違ってるようには思えない。
今も女神様の手はぱらぱらと砕けていっている。
急がないといけない。早く行かないと。
早く異世界に行かないと、この人は――
「早く送れよ!! 間に合わなくなったらどうするんだ!!」
この人が掲げた条件。人助け。きっとこの人は、それだけをかなえたかったんだ。
もしかしたら女神様でもなんでもなかったのかもしれない。だけど解る。
この人は、自分の願いをかなえるために努力して、努力して、その努力の為に、今消えようとしてる。
かなえてやらなきゃいけない気がした。どっちが神様なのかわかりゃしない。
「――カオル。ありがとう」
俺の言葉に安堵したのか。女神様はにっこりと微笑む。髪がばさりと崩れていく。何もない左目の穴が、笑っているように見えた。
「どうか、お願いしますね。あの子は私の大切な――」
止まっていた時が動いた気がした。
俺の手が、確かに女神様の持っている棒に触れた。その感触があった。
次の瞬間どうなったのかは思い出せない。
全てが吹き飛んだからだ。何も解らなかった。
ただ、そのときの女神様の顔だけは、一生忘れられそうに無かった。
すごく悲しそうな、やせ我慢したような笑い泣きだったからだ。