98
『家族』
茜は純の放った言葉を噛みしめるように、胸に手を当てて瞳を閉じている。一方千夏の背には先ほど茜が称した野良猫というワードが重くのしかかる。
「仮初めの家族ごっこがそんなにいいわけ?」続けて放とうとした言葉に、千夏はストップをかけた。
『鎖につながれたふりして、――』
ふりでも鎖は鎖、繋がれたことに違いはない。だからこそ純の『家族』という言葉を恨めしく感じ取ってしまう。
野良猫は野良猫、敷居をまたぐことは許されない。許されるのは、一瞬の気まぐれ。そう思ってしまうと、純の今日の優しさが全て気まぐれに見えてしまう。自己嫌悪と同時に純に対する恨みが募る。逆恨みにせよなんにせよ、女の恨みは恐ろしい。
千夏は茜と笑いあっている純の背後に立つと、そのまま抱き付いた。振り向いた純に退廃的に微笑んだ千夏はそのまま「今日は帰る。スウェット借りてくね」とだけ言うと、純の首筋にかぶりついた。正確にはキスをしたのだが、その妖艶なふるまいはあの女吸血鬼の様だった。純の視線はくぎ付けになった。歯を立てられた際は一瞬痛さに声を上げるも、そのキスは長くはなかった。数度の甘噛みを加えた所で、茜の拳が純の首筋にかぶりつく千夏に飛んできたからだ。だが千夏もそれに気が付かないほど愚かではない。いち早く察した千夏は拳を避ける様に純から離れると純の背中を押して、茜に押し付ける。茜は純を受け止めながらも、アパートから去る千夏を睨みつけていた。
「じゃね、純君。また一緒に遊ぼうね」
そうして千夏は萌え袖のまま玄関先から手を振り、姿を消した。
「まったく……玄関にペットボトルを置く必要がありますね」
抱き寄せた純の首筋にある痣を手で覆いながら、忌々しく茜はぼやいた。
「やっぱり消えるわけないですよね」
覆っただけで消えるような痕なら浮気なんてバレない。残るからこそ効果があるのだ。千夏のマーキングを茜は上書きした。純が驚く声を上げてもお構いなしに、躊躇いなく。そして千夏を忘れさせるように、茜は強く強く、タコの吸盤の様に強く純の首元に口づけをし、離さなかった。
すこししてやっと純の首元から離れた茜はどこか惜しそうな表情で純に訴えかけるも、自身の口元に人差し指を縦に当てて「内緒ですよ」と微笑んだ。




