90
にまにまとたくらんだような表情で千夏は純の腕を引っ張った。
「走って汗かいたのは純君も一緒だよね?」
だから何も問題がないと、千夏は言う。
無論問題はありまくりだ。男女、性別が違う以上、一緒に入るのはおかしい。沙織とともに入浴したことのある純だが、沙織と千夏では状況が違う。
彼女と友達? ではやっていいことと悪いことがある。
「え、いや……」
困る純を置いていくように、千夏は純にバスタオルがどこにあるかを尋ねた。純はタンスの一番下にあると言うと、千夏は一枚借りるねと勝手に持っていく。そして家主の意見に耳を貸すことなく、脱衣所に向かうとそのまま服を脱いでシャワーを浴びに浴室へと入っていく。
困る。純はその3文字を千夏に進言しなければと口を開きかけ脱衣所まで赴き、脱衣所と居間のを仕切るドアをノックした。くぐもった声でどうぞと言う声を聞き、純は注意しながらゆっくりとドアを開けた。そしてメデューサににらまれたように、ぴたりと固まった。そう、メデューサの眼ならぬ、まるで猫除けの様に置かれた彼女の下着に目がいったからだ。
どうぞと言うからには着替え前だと思っていた彼は、すでに入浴を開始していると思わなかった。驚き声を上げかけた純に気づいたのか、それとも本題どころか要件を離さない純を不思議に思った千夏がガラガラとスライド式の浴室と脱衣所をつなげるドアを開けた。
「もぉー、なぁに?」
気持ちよくシャワーを浴びていたのにと千夏は純に艶めかしく小言を垂れる。胸を片腕で隠し、少し上目遣いで純を見ながら。シャワーを浴びていたからだろうか、純は千夏の瞳のどこかに沙織にはない色っぽさを感じ取っていた。まるで何かを求め、飢えているような瞳。
「あ、純君も入る?」
改めて千夏は純に一緒にシャワーを浴びるよう提案する。その瞳は妙に輝いており、なまじ女性的な魅力的な体のライン、滴り落ちる水滴が千夏の魅力を増幅していく。波の男だったらここで襲ってしまうだろう。
千夏はそんな危険性を気にもかけずに、お互い汗をかいてるのだから一緒に入ろうと純の腕を引っ張った。
「胸、胸見えてますから!」
純は自分の手で見ないように視界を隠し、千夏に胸を隠すよう願った。けれど千夏は一瞬純の腕を手放したかと思いきや、獲物を見つけたハンターの様に不敵に笑った。そしてデートの時にもしたような、純の腕を胸の谷間に抱き寄せたのだ。
「えー、せっかくだから洗いっこしようよ。純君彼女いるんだから、裸なんて見慣れてるでしょ」
「それとこれとは話が違いますから!」
いくらなんでもこう直球的に下の話をされては、下ネタに慣れていない純にとって混乱を招く一因となった。はぐらかそうにもその点のスキルは千夏の方が格上だ。純に隙が生じたことを逃すほど千夏は甘くない。
「そういえば純君、前に私に失礼なことをしたよね?」
「な、何もしてませんから!」
だからさっさと服を着ろと、純は千夏に背を見せて反論する。しかし純は気が付いていない。今の行動がすべて悪手だと言う事に。そもそも本来の純の目的は、千夏にシャワーを使うのを待ったをかけると言う事だ。待ったをかけれなかった時点で、千夏がシャワーを浴びている以上、純の最適解は脱衣所を出る事だった。自分が脱衣所を出て、出てから話をするという選択肢が残念ながら焦った純の脳にはまだ浮かんでこない。
「えー、したよぉ」
同性から見たらぶりっ子と嫌われるような、甘ったるい猫なで声で千夏は濡れた体で純の背後から抱き付いた。柔らかな二つのふくらみ、細くしなやかな二本の腕に絡まれた純の心臓は今にも飛び出しそうだった。
「私を袖にした、でしょ?」
艶めかしく迫る千夏は、純の耳をあまがみする。
氷を首筋にあてられた時の様に、純は悲鳴を上げる。けれどその口を千夏は両手で塞いだ。その手は誘拐犯の様に強く押さえつけるようなものではない。柔らかな羽毛に筒前れたと錯覚するような、柔らかな手つきだった。
「近所迷惑、ダゾ」
耳元に息を吹きかける様に、優しくこそばゆくささやく千夏に、純の背中に何かが走った。そして純の反応を愉しむように、千夏はさらに純の背に体を預ける。
「ねえ、純」
「ち、ちなつさんわるふざけは」
「悪ふざけでこんなに迫ると思う?」
嘘と真実が混ざったカクテルを、純は飲まされる。しどろもどろになる純に、千夏は下手をすれば素面に戻る可能性のある女性の名前を出した。
「さおりんさんの事は忘れて、ね?」
そんなことはできない。そう言おうとした純に、そっと耳打ちする。
「安心して、ほら、見てよ」
誰も見てない、ここには二人だけしかいないと、千夏は純を誘惑する。
「好きにして、いいよ。この前のお礼」
純の首筋にキスをしながら、千夏が笑う。
首に手を回し、逃がさないと微笑する。こっちを向いて純。向いてくれないなら私が貴方の前にと千夏は次に純と向かい合う様に抱き付くと、キスを求める様に純の顔を上目遣いにうるんだ瞳でじっと見つめる。




