82 蜜の味
メラメラと燃やし尽くせ、愛を燃料に、泥を産め。
愛を燃料に、泥を産め。醜く汚いこの泥を、その細指で固めてしまえ。
白濁に濁った少量の愛の滴で、それを磨け。輝石よりも美しく、珠のように美しく、野に咲く花のように儚い泥人形を、作りだせ。触れば欠ける、眺めるだけでは物足りぬ、偽者の愚者を、その手で掴め。生身に劣らず、創造者として責任を果たせ。
尽きぬ欲望を子宮に孕み、泥より美しい人形を孕め。
「ユルサナイ」
この子供を、愛を、生み出す邪魔はさせない。
ほら見てごらん。
偽りの愛からでも、二人の鎖は千切れない。
ネットの海で、製作工程の一部が明かされる。一匙の真実と、瓶一杯の泥。
反響、共鳴、絶叫。
初めてのデートは美しく、時に地に落ち、泥にまみれた。それも当然、まだ製作途中。汚れ仕事も致し方ない。だがしかし、完成された泥人形の姿を夢想する。それだけで彼女は誰もいない、不可侵の個室にて、彼のくれた愛を思い出し、愛に果てた。
――はぁ、物足りない。
濡れた蜜の残る指をぼぅっと眺めながら、彼女は水あめを舐めるように、指をくわえた。
仕事に戻らなければとやりきれない体を残して、備え付けのトイレットペーパーで手についた蜜を軽くふき取り、彼女は個室を出る。洗面所にて彼女は自身の体より生まれた愛が水に流れるのを寂しげに眺める。けれど彼女は後悔はしない。ハイリスクハイリターン。テレビとは、視聴率とは、人生とはこうでなくては面白くない。障害が多ければ多いほど、面白い。それにその上には、金も名誉も存在する。けれどその道のりは遠い。ゴールは見えない、ゲームのようにセーブをすることもできない。
独りで登るには難しく、誰かと一緒だと易きに流れてしまいそうなその細い道を、彼女は登るプランを見つけ出す。その武器を今、手に入れたのだ。思わず笑みがこぼれる。うつむき笑う彼女の姿を、新人にしては、その容姿と正反対の不気味なオーラに道を譲る者も多い。そんな中、能天気な太ったディレクターが声をかける。
「あらあら、どしたのちなっちゃん、ご機嫌じゃなーい」
男に声をかけられ、大槻千夏は立ち止まる。そして嬉しそうに男に声をかけた。
「お疲れ様です、甘木ディレクター」
笑みの中に鋭いナイフのような殺気を感じた甘木ディレクターは、嬉しそうに彼女の言葉に耳を傾けた。
「やりたい番組があるんですが、特番一本。甘木ディレクターの力でいけませんか?」
千夏の上昇志向が強いことを知っていた甘木であるが、その突然の申し出に一瞬言葉を詰まらせるも、野心に満ちた彼女の言葉に興味を見せた。
「新人なのに、もう番組制作側に回りたいなんてすごいねー」
「いえ、私がやりたいのは、その番組だけです。試作段階で構いません、まずこの書類を見てください」
2種類のクリアファイルに挟まれた書類。赤いクリアファイルには要点のみを伝えた簡易的なものを。青いクリアファイルにはその詳細を綴った数十枚の書類、写真、隠し撮りした肉声。
「どうですか? 特番として、またこの企画、構成費は安く済むと思いますが」
「いや、これって……」
写真に写る男のビフォーアフターに、甘木は驚きを隠せない。
そしてそのビフォーの写真が、依然見たあの青年であることを教えてくれた。彼を、素人を特番のメインに据えるつもりなのか、この子は。
彼女の瞳に灯るうえた獣のようなハングリーさに冷や汗を流しつつも、甘木は詳しい話を聞こうかと、空いている会議室へと入っていく。
「ありがとうございます」
機械的に頭を下げる千夏に、天木は背を見せ、面白いことになりそうだと笑った。
「にしてもこれ、茜ちゃん怒るだろうなぁ、怒るよなぁ」
口ではやめた方がいいと思いつつも、甘木は嬉しそうににやけていた。彼女の罵倒と、高視聴率番組として張り出される未来が見えるのだ。ちょっと間違えれば炎上間違いなしの案件、だからこそ楽しい。甘木は笑うと本人曰く夢と欲望が詰まった大きな腹を撫でる。
「でも悪いね、悲しいけど俺も制作者側なんだよね」
目の前のえさに食いつかないほど馬鹿ではない。コスト的には大したことない番組だが、上手くいけば若年層や中年層の支持を一気にとれる。いや、たった一夜の特番だからこそ、番組として成り立つのか?
甘木は近くにあった自販機で砂糖たっぷりのコーヒーを購入しながら、鼻歌交じりに皮算用を始めた。
「うーん甘い、このコーヒーみたいに、現実にも甘味あれ」
乾杯とプルタブの開いたコーヒー缶を掲げ一人乾杯をすると、自身を船に見立てて進水式を行う様に、浴びるように、一気にコーヒーを飲み干した。さあ出航だと、天木は窓から空を見上げて笑う。




