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「俺たちの女」
チンピラの言葉に、その仲間たちから笑い声が上がる。しかし純の怒りの刃が、男たちの喉に突きつけられる。
「あ゛?」
見下し、長い前髪から覗く冷たい視線に、三下のような千夏を捕らえるチンピラの体がこわばった。その隙に千夏が後頭部でヘッドバッドを交わし、男からの拘束を離れることに成功した。
「純君!」
助けに来てくれた男の名を嬉しそうに呼ぶと、千夏は純の陰に隠れた。か弱い乙女の様に、映画のヒロインの様に怖かったと震えながら、けれどどこか嬉しそうに。その光景を面白くないと感じたチンピラが、先ほど千夏の攻撃で受けた自分の鼻を抑えながら、純に近づいていく。
「てめえ、ただで帰れると思うなよ。その女は俺らが唾つけてんだ!」
「言いたいことはそれだけか?」
「女の前だからって格好つけてんじゃねーぞ!」
殴りかかったチンピラに対し、純は躊躇いなく鳩尾に蹴りを入れた。腹をけられ呻き、よろめいたチンピラの後頭部を掴むと、純はそのまま相手の鼻と自分の膝をキスさせた。
「ほら、お前らの好きなキスだぞ。相手は千夏じゃなくて俺の膝だけどな」
躊躇いなく機械の様に、純はチンピラに対し、再度キスを強要した。
その度に悲鳴を上げるチンピラに対し、千夏は思わず視線をそらした。けれど純は相手が泣いても攻撃をやめない。千夏の買った服に返り血が付いても、純は笑みを浮かべて蹴り続けた。
「その辺にしとけや」
リーダー格の男が純とチンピラの間に割って入ると、純を睨みつけた。
「兄ちゃんつええなあ、名前は? タッパあるなあ、俺と同じくらいか?」
「名乗る必要があるのか?」
「ねえなあ、けど、今度はお前がキスする番だぜ」
気安く話しかけながら男は純のセットされた長い髪を掴み、不意打ちを放つ。純が仲間のチンピラに仕掛けた攻撃を再現しようとした。
「だと思ったよ」
「なっ」
純が動揺せず、逆にリーダー格の男の膝蹴りを両手で受けた。そして片足を掴まれバランスを崩した男に対し、タックルをしかける。バランスもとれず受け身もとれなかった男がうめき声をあげると同時に、純が立ち上がる。息を整えようとせき込んでいる男に対し、純は男の喉にギロチンをかける様に足を乗せた。
「お、おまえ」
ギロチンの刃とも言える純の足に力が入ったことで、男から見てもとれる動揺が伝わった。刃を避けようと両手でつかむも、純は力を急速に強め、処刑を早めようとした。
「ま、まい、ぐえっ」
男の敗北宣言を妨げる様に、純は冷たい刃を足だけでなく、視線からも振り下ろす。
「旗色が悪くなれば命乞いか、あ?」
男の顔を覗き込むように純は言うと、たばこの吸い殻をつぶすように足を動かす。
「す、すま」
リーダーのやられっぷりに、意識を戻した男たちの血色が変わる。逃げようとした男たちに対し、純が視線を男たちの方に向けて言葉を放つ。
「おい」
たったその一言で、男たちの動きが凍る。千夏も阿修羅のような純の怒りに、思わず体をすくませてしまう。
「だから何逃げようとしてんだ?」
仲間がここで苦しんでるだろと、純は足元を見た。けれど男の仲間の一人が勇気を出して逃げ出すのを合図に、リーダー格の男を残して蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。仲間が逃げるのを確認した純は、悲しそうにため息をつくと、処刑中止を告げる様に男の首から足をどけた。
「くそが」
負けたことや仲間から捨てられたことに男は天を見ながら、悪態をついた。けれどその姿を見た純が再度、男の首にギロチンをかける。
「な、なにするんだ」
まさかの純の行動に、男は焦りを見せる。仲間も賛同者もいない状況で、純から逃げることも出来ず、男は再度焦りの色を見せる。
「自分の境遇を嘆く前に、言うことがあるだろ」
がっかりだという様に純はため息をつくと、「もうしゃべるな」と言って男の首にかけたギロチンの刃にゆっくりと力をこめる。
「待って」
それを止めたのは、男の仲間ではなく千夏だった。純の背中に抱き着き、純の行動に待ったをかける。
「なんで?」
「私は大丈夫だから」
「大丈夫じゃないだろ」
乱れた髪、アスファルトで擦れて汚れたブランド物の服や、赤くなった頬、擦り傷などを見ながら純は言う。言葉は優しいけれど、今の純は燃え盛る炎のような、だれにも止められない雰囲気を持ち合わせていた。
「純君が来てくれたから、来てくれたから」
だから大丈夫だと千夏は何度も言う。
「それに今の純君、この人の事殺しそう」
千夏の眼は、そんな純を見たくないと切に訴えていた。
「……いいのか?」
また襲われるかもしれないと純は千夏に問う。けれどそれでも千夏は純に「大丈夫」と心配をかけまいと作り笑いにも似た笑みを浮かべた。その笑みを見た純は、あきれた様子で男の首にかけた足をどけた。それと同時に男は這うようにして、子供の手から離れたトンボの様に逃げ去っていく。
「また襲われても知らねえぞ」
不完全燃焼な純は、心配しながらもやりきれない怒りをぶつける様に、千夏に言葉を投げつける。けれど千夏は純の手を握り、嬉しそうに微笑んだ。それは作り笑いでも何でもない、本心からの笑みだった。
手はまだ震え、純を見る眼は今にも涙を滲ませるように、窮地を救った男に対し、千夏の思いは膨れ上がる。
「その時は守ってくれるんでしょ? 私のダーリン」
千夏の一言、そして感謝の証という様に注がれる愛に、純は言葉を紡ぐことができなかった。千夏の柔らかいものがあてられ、先ほどチンピラに行った野蛮なキスではない、正真正銘の口づけを、ヒロインともいえる千夏から注がれる。




