71 誑んそれは愛
笑いながら言う純に、千夏は行儀悪いぞと叱った。汚れを払う様に、強く。そしてお返しとばかりに純の口元に付いたクリームを純と同様に自分の指ですくうと、その細指を純の口に運んだ。赤子のように千夏の指をしゃぶる形になり、純は少し唖然とした様子見せる。
どうだと心でしたり顔をする千夏だが、純の行動でその表情は一瞬にして崩された。千夏の指に付いたクリームを無意識になめとった純の舌に、千夏はクレープにも似た甘い声を発した。人差し指の腹をなぞる彼の舌が、彼女の心や毛細血管を開いていく。
イチゴのように赤くなる千夏の指を居間だ咥えたばかりの純を、千夏はじっと見つめる。真っ赤になった心を体を、千夏は心の中で抱きしめる。そしてはっと冷静を取り戻した振りをして、千夏は純の頬をひっぱたいた。
「いつまで咥えてんのよ、変態!」
すぽりと純の口から抜けた自分の指を大事そうに抱えると、千夏は顔を再び顔を真っ赤にさせる。
「まったく……食い意地這ってるんだから」
その口調は穏やかな凪そのもので、むしろクリームが二人の仲を後押しするアイテムと化した。年が近いこともあるが、千夏は自分好みに彼を変えられたためか、純も当初は慣れなかったが視界が明るくなったことで心も晴れたのか、笑顔を多く見せるようになった。それに姿勢もよくなり、まっすぐ見据える純の視線に、じっと見つめられた千夏が目をそらすことが多くなった。
――心がうずく。
流行の最先端を行くは、美女としての使命。メイクもネイルもお手の物。
――喉が渇く。
大学ではカーストトップの実力者。流行りの店を、流行りそうな店を自分の嗅覚のみで探し当てる。時には外れるが、探索を続けるにしたがって成功率は拡大していった。そんな彼女のセンスに、彼女は自分の地位を確たるものにする。
――満たされない。
言い寄る男のセンスの無さ、自身の美貌を鼻にかけた男たち。外見目当てで将来性の無い男たちに、彼女は辟易としていた。そしてそんな彼女は自分とお前らは違うと言う様に、ミスコンに参加。この時は粒ぞろいのミスコンだったからか票は割れるも、それでも優勝した彼女の評価はウナギのぼりだった。
――どうして?
勝利の要因は、彼女の培ってきた土台だった。同グループからの支持もあるが、流行を抑えていた彼女の容姿は男も女も魅了した。計算された笑みも、最も小顔に見える計算された角度で撮られた写真。飾りっ気のないボブに見せた、それでも美しいと自負する自分の容姿。
いや、飾り気がないからこそ、彼女の下地、素材、土台が他の盛られた女性陣と違うことをアピールできた。結局は地力の差である。いや、彼女と同等以上の下地を持った女性も中にはいただろう。けれど戦略が未熟。慢心した者たちが、千夏に勝てるわけがない。
――なのに……。
どうして彼は、彼は……。
悔しそうに、物欲しそうに千夏は気が付けば指をくわえていた。子供っぽく、それでいて蕩けた表情は男を解かす、硫酸のように危険を孕んでいた。純に言われるまで、彼女は自分が加えていた人差し指に気が付かなかった。
一緒に歩いていて、千夏は純がけして道路側を歩かせないことを知った。また前から集団が歩いてくれば、純は千夏の手を握り傍に寄せ、トラブルを避ける。千夏の男の目を引く姿に、隣に純が立っていようと声をかけてくるナンパ男も時折現れた。けれど千夏はそんなナンパ男をあしらい慣れている。いつもの様に適当にあしらおうとした矢先、千夏は思いとどまった。今日は、今日だけはと砂糖菓子が心を支配する。
目の前の現状に、胸の砂糖菓子が形を成していく。純が矢面に立ち、ナンパ男と対峙したのだ。体格に似合わずに気弱そうだった純だが、イメチェンをしたからか、その姿には自信が現れていた。
純に構わず千夏に触れようとするナンパ男の手首を純がつかむと、まるでペンチで締め上げるかのように、その力を強める。苦悶の表情を浮かべるナンパ男に顔を近づけ、耳元で囁くように、地の底まで響きそうな低い声で、純は言った。
「人の女に手を出すな」
何気ない、ありきたりな言葉に千夏の心は甘くコーティングされた。
真っ赤になった手首を抑えつつ、ナンパ男は恥をかかされたと逆上し、純に食らいつこうとする。けれどその程度の怒気、沙織に襲われ慣れた純にとって、たとえ暴漢と化した男など何も怖くなかった。
はいはいとあしらう様に男の手を払いのけると純は、これ以上相手をしていられないと足払いをかけて転ばせた。そしてその隙に千夏と共にタクシーに乗ってその場を離れた。行先はテレビ局、もともと午前中だけという約束からだいぶ時間をオーバーしてしまったことを純は千夏に謝罪する。急に頭を下げられたことで千夏はあっけにとられるものの、別に気にしなくていいのにまじめだなぁと笑っている。
「約束は約束だから」
あっさり言う純に、千夏は純に顔を上げるよう言うと、一つだけお願いを聞いてほしいと言った。その願いとは、「また時間があったら会ってほしい」それだけだった。純はそんなことでいいならと即答する。すると千夏はぱぁっと雨上がりのような笑顔を見せると、タクシードライバーがいるにもかかわらず純に抱き着いた。
「嬉しい」
その言葉は本心だろうか、いや、きっと心より出た言葉だろう。理由として千夏は純の体に、心音に心地よさを感じる。徐々に徐々に速くなる純の鼓動に、彼女は自分が女として認識されていることを喜んだ。




