68 イメチェン
2時間後、純は慣れないワックスに違和感を覚えながら店を出た。隣には満足そうに純と腕を組んでいる千夏がいる。
――慣れないなぁ。
店はあらかじめ予約していたのか、ほかの客を待つことなくすんなり席へと案内された。そこで千夏が馴染みの年配の女美容師にあれこれ指示を出し、純の髪にメスを入れる。
純の自分で切っていた適当な野暮ったい髪を整えつつ、あまり切りすぎないようにと千夏は美容師にリクエストを出している間も、純から目を離すことは無かった。
「あの、俺髪切りたくはないんですけど」
「わかってる。だから整えるだけだって。大体何、その髪」
「いいじゃないですか、楽なんですよ」
「はぁ……あ、カットはこの程度で。仕上げお願いします」
オーケーと女美容師は千夏に親指を立てると、手際よくヘアアイロンや整髪剤で形を整えていく。野暮ったいだけだった純の長髪にふわりとウェーブをかけ、カーテンの様に目を隠していた前髪を少し流すことで光をのぞかせ、カジュアル感を演出させる。
美容師は純の傷みのない髪質を褒めるとともに、今日は時間がないからこれ以上できないが、この次会うときはもっと似合う髪型が出来る。とやや興奮気味に純に伝える。なれないヘアスタイルに困惑した純は、ホストみたいだなと苦笑する。けれど千夏がセットしたばかりの頭を叩くと、「オタ臭いよりましよ」と突っ込みを入れる。叩かれた場所はすぐに再セットされ、改めて純の姿を美容師たちは評価する。
「これなら今のシンプルな格好でも似あうんじゃないかな:
「まあね、ねえねえ、アドレス交換しない?」
「あ、待って。今度カットの練習になって欲しいんだけど、あ、家この近くで」
アシスタントをしていたり、ほかの客のカットを終えて手持無沙汰で純のカットを眺めていた女性アシスタントが、少し黄色い声で純に近寄って名刺を渡そうとする。けれどそれを純のヘアスタイルを担当した年配の美容師が制し、またのお越しを。と腰を深く折って頭を下げる。慌てて部下の美容師たちも頭を下げて純たちを見送ったのだ。
「ま、これで平均点かな」
「じゃあ十分じゃないですか、大学なら単位がもらえますよ」
馬鹿言うんじゃないの、千夏は今度は服屋へ行こうと純の腕を引っ張った。抵抗しても目立つだけか、髪を切ってからやたらと見られているような気がしてならない純は、渋々彼女の買い物に付き合った。
女性の買い物はなぜこうも長いのか、純はデパートの中に設けられたセレクトショップにいた。そして彼女の着せ替え人形となった自分の姿を哀れに思いつつ、もう12時か。と昼を告げる腹の音を鳴らした。
「もう」
水を差すんじゃないの、と千夏はいくつかコーディネイトして気に入った服を純に着せたまま、レジへと向かう。今着ている純の服、シャツ、パンツ、靴。会計は彼女の一括払い。純はトップスだけでも諭吉が一枚では足りない事に驚き、こんなに高い服はいらないと彼女に耳打ちする。
「私が買いたいからいいの。あ、領収書ください。宛名は、……で」
何故かテレビ局の名で領収書を切った彼女に疑問を持ちつつも、純は千夏に買ってもらった服をまじまじと見る。千夏は高い買い物にもかかわらずためらいを見せることなく、江戸っ子のような快活な買い物を終える。去り際に店員が良いデートを、と祝福するが、純は千夏との今回のデート? はむしろ小さいころに母親に連れられチェーンの服屋へと行き、着たくもない服を試着させられたことを思い出していた。けれど隣に立つ千夏を見ればようやくこれで一人の男って感じね、と評され少しうれしくなってしまう。
昼食をどうするか千夏に聞けば、最近この近くで良い店があるのと純とデパートの外へ出た。そして歩いて十分程度の所に、小さなカフェがあった。またカフェか。正直堅苦しいなんちゃってファッションショーを終えたばかりの純は、ジャンク感のあるものを食べたかった。
「じゃあそうしようか」と千夏は純が一言も発していないのに、彼の意を汲んだように、カフェに入るのをやめた。そして二人でまた少し歩いた先にある町の中華屋さんと思しき店へと彼を連れていく。暖簾をくぐると、古びた外観とは裏腹に、なかなかに賑わっていた。スーツ姿のサラリーマンのグループや、作業服姿で新聞片手にラーメンをすする中年、家族連れなどで賑わっていた。二人は開いているテーブル席に腰かけると、古びたメニュー表を二人で眺めた。




