63 沈黙は金?
「知ってます? 純さん、ある種の人物から人気なんですよ」
沙織同様純に好意を抱いている茜は、忠告という意味で彼の魅力に気が付いている人物がいると、沙織を脅す。それも同業者の中で。はたまた彼の周囲にて、彼を狙う人物がいることを、ぼかして伝える。
「どこで気づいたのかは知りませんが、局内では水面下で彼を地上波デビューさせる動きもあるとか。ああ、そうなると自由恋愛は厳しいですね、純さん」
くるりと純の方を向いた茜はなお饒舌になる。
「なにせテレビに一度出てしまえば、皆が純さんを知るってことですから、最悪ストーカーが出来上がることもあります。怖いですね、怖いですね。その顔が、その魅力的な低い声も全部晒されますよ」
淡々と告げるあんたが怖いよと言いたかった順だが、その言葉をぐっと飲みこむ。
「だから純さん、興味本位で芸能界に足を踏み入れるのはやめた方がいいですよ、怖いですよ」
茜の言葉を純は今後のアドバイスだと認識し、黙って聞く。なんだかんだ心配してくれているのだろう、と心で感謝? しながら。けれどそんな純の考えもあっさり棄却される。
「だから乗り換えるなら素人の私にしてくださいね」
ぽっ、と顔を朱に染めながら茜は純に言う。思わず肩透かしを食らってしまったように純はあっけにとられる。どうですか? と沙織より劣るバストを順に押し付け、彼女は言う。しかしそれを遮るように沙織が活火山の様に怒りを見せる。
「ふ、ざ、け、る、なー!」
噴火した怒りは両者に降り注ぐ。
「ダーリンは私のモノ! 私の彼氏なの!」
「決めた、ダーリン。いまから私と一緒にテレビ局行くよ」
純の腕をぐいっと抱き寄せて沙織は純を車の方へ連れていく。茜の話を聞いていたのか疑問点が出てくる沙織の行動だが、彼女は「見せつけてやる」と何やら張り切った様子で彼と一緒に車に乗り込んだ。
「テレビ局行かない方がいいんじゃ……それに俺、あそこあんまり好きじゃないし」
「何言ってるの! みんなに見せつけないと意味ないでしょ! 私とダーリンが付き合ってるって見せつけるの!」
「それに何の意味が……というかリスキーじゃ」
「ダーリンは私のなの! 私はダーリンのモノなの!」
あくまで我を通そうとする彼女に対し、純は折れる。観念したように背もたれに背中を預け、焦った様子の沙織と手をつなぐ。他の人のモノになるなんて嫌、と駄々をこねる沙織の頭をポンポンと叩くと、純は笑った。
「俺が好きなのは貴女だけですよ、知ってるでしょ?」
「……うん!」
後部座席にて手をつないだ二人を茜はバックミラーで眺めながら、くすりと笑う。そしてそんな二人の仲を棒で突いて反応が見たくなった彼女は、おもむろに彼の本心を探り始める。
「では私は嫌いと?」
寂しいです、ととげも抜け落ちて今にも散りそうなバラの様に呟く茜に、純が慌ててフォローに走る。そしてそれを見た沙織が嫉妬する。いつも通り、歪な三角形を描いた仲の良い光景が戻ってきた。姦しく車内で口論を交わす2人の女性と、その二人に翻弄される一人の優男。
星と星が絡み合い、愛し合う。向かうベクトルはどこを向いているのか、彼女たちにはわからない。そしてその捻じれた愛を邪魔する狂星が現れるのも時間の問題である。
「ダーリンは私のモノなの!」
「存じていますが何か?」
「だったらちょっかいだすなー!」
ダーリンは渡さないと宣言するかのように、沙織は純の腕にユーカリの木に抱き着くコアラの様に力強く抱きしめる。茜が一言一言発するたびにその力は徐々に徐々に増していく。
そして愛を確認するために、彼女は純の方を涙を浮かべた上目遣いで見つめながら、訴えかける。
――私のこと好き?
純もその視線の意図を察しているため、タイムラグを生じながらも彼女に寄り添うことで返事をする。
――す、好きですよ。
すると沙織の中の天気は快晴方向へあっという間に向かっていく。先ほどの降水確率は外れたようだが、まだ油断は出来ない。彼女は純の一瞬のラグを見逃さなかった。
「どのくらい好き?」
にこりと致死量99%の男殺しの笑顔で彼女は問いかける。茜は助け舟を出すつもりで、口づけしたいくらい好きですよと沙織に答える。愛を示された沙織はそれを邪険にすることなく笑顔で茜に私も好きだよ。と返事をする。その屈託のない笑みに茜はきゅんと胸に矢を放たれた。それを隠すように口元を手で押さえて表情を隠しつつも、体は嬉しそうに悶えている。
茜の嬉しそうな姿を確認した沙織はうんうんと嬉しそうにうなづくと、ぎょろりと首を90度急回転し、純の方へ首だけ向き直る。そして瞳孔の開いた瞳で純に問いかける。
「で、純君は?」
その言葉に裏はない。あるのはさらに研ぎ澄まされた質問のみ。
――まさか、茜ちゃん程度の愛じゃないよね?
そして再度紡がれる質問。
「沙織、知りたいなあ」
知りたいというのは、答えなければいけない答えはたった一つの言葉。細い細い出口より垂らされた救いの糸。しかしそれはあまりにも儚い。顔を背ければその糸は解れ、足元に絡んでいく。天地がさかさまになり、その糸が連れていく先が変わっていく。
「好きですよ」
「えー、ありきたり」
不正解。ミス1。
それだけじゃわからないと、はぐらかされたと沙織は主張し、純の答えに対し表情を変えずにもっと違う答えが欲しいと求める。
「あ、茜さんより沙織さんの事が好きです」
「一瞬言い淀んだ。それじゃあだーめ。仏の顔も何たらだよ、純君」
それはすなわち、仏が閻魔に変わることを意味していた。
極楽浄土を目指していたはずが、いつの間にか背後から絶対零度の風が吹いてくる。そしてその風は男の心を荒ませるには十分だった。
「めんどくさいなあ……」
ぼそりと漏れた言葉を沙織は逃さない。
一瞬笑顔が崩れ、上目遣いがメンチを切る様へと変わったのだ。そんな沙織の顎を純は指でつまむと、もう黙っていろと唇を塞いだ。やられっぱなしじゃないぞと純は反撃の狼煙を上げる。ゆっくりと唇を離してにらみつける純の瞳に、沙織はきらきらと真っ赤なルビーの様に輝く愛を送る。
「これってつまり、黙って俺についてこい……関白宣言ってやつだよね」
素敵、ととろりとした瞳で純の腕によりかかる。
違うと答えようと沙織を振り払おうとするも、狭い車内。振り払おうとするどころか沙織はまるで彼と一つになるかのように、純に体を預けていく。
「やっぱりダーリン、私の運命の人」
頬を染めながら愛してると沙織は告白する。そして沙織は純に抱き着きながら器用にシートベルトを片手で外すと、純と向かい合う様に彼の腰にまたがった。そして再度情熱的に唇を彼に落としていく。
逃れられない愛を彼は反論することもできずに享受する。そして悟った。先ほどの狼煙は戦の開始を告げる音でもなければ、終焉を告げるモノでもない。それは祝言を告げる祝砲だったのだ。
赤い糸が垂らされるたびに、純の体は彼女に支配される。天使のような悪魔のリミッターを解除してしまった彼に、拒否権は無い。あるのは罰のみ。自らがしでかした責任を取らなければいけない、たった一つのシンプルな罰。
ただしそのパズルはシンプルではあるものの、簡単なものではない。
なぜならそのパズルのピースは増えていくから。そして完成に近づくにつれ、それを破壊していく、蹴り飛ばしていく悪鬼が現れるのだ。その鬼は泣いても許してくれることは無い。むしろその涙を見てはもっと流せ、もっと流せと棍棒を振り下ろす。
乾いた笑いを浮かべる彼に対し、彼女は自分の愛を綴っていく。シンプルな3文字。
好き、好き、好き。
唇を合わせれば彼の愛が分かる。彼の体の変化で彼が喜んでいることを知っていく。
すき、すき、すき。
唇を離しても二人はやっぱり糸でつながっている。
スキ、スキ、スキ。
だから、だから、だから。
圧倒的支配者として、彼の女としての義務を果たすため、彼女は今日も呪いを欠かさない。
「ダーリンも私の事、たっぷり愛してね」
愛してくれる純君、いや、ダーリン、いや、向坂純君。
「私もたっぷり愛してあげる」
だってダーリンは私を愛しているといったから、責任を取る義務を自ら課したのだから、こちらも応えなければならない。姉さん女房として、それが私の務めだと沙織はにたりと笑う。
そんな彼女の口元は、視線は彼をロックオンして逃がさない。
「だからさ、ダーリン」
純の耳元で囁くように、沙織は言う。
「私以外に甘い言葉、囁かないでね」
純の頬に口づけをしてなお沙織は囁く。
だってダーリンは私を愛しているといったから、責任を取る義務を自ら課したのだから、こちらも応えなければならない。姉さん女房として、それが私の務めだと沙織はにたりと笑う。
そんな彼女の口元は、視線は彼をロックオンして逃がさない。
「だからさ、ダーリン」
純の耳元で囁くように、沙織は言う。
「私以外に甘い言葉、囁かないでね」
その代わりにと、沙織は純に親愛の証を頬につける。
「その分私が貴方を愛してるから、誰にも負けないくらい、私はあなたが大好き」
そして彼女は情熱的に彼に痣を残す。まるで自らの所有物とでも言うかのように、彼女は彼の人生の手綱を握る。代わりに極上の愛を、彼に注ぐ。しかしその愛は少し歪んでいた。
そんな彼女の愛に対し、純は何も答えることが出来なかった。
第一章はここで終いです。




