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61 はっぴいえんど

 そっかぁと沙織は納得しつつもちょっとがっかりと、純にジト目をプレゼントする。拗ねた様子の沙織を見て、純はバツの悪そうに困った表情を見せている。いつも通り、沙織に振り回される純。けれど少し違う。

「でも許してあげる」

 純の胸に身を預けながら、彼女は嬉しそうに眠るように目をつぶった。何かを喋ろうとする純の口を手でふさぐ。静かに、今聞きたいのはあなたの言葉じゃない。速くなる純の心臓の鼓動を聞くことで、沙織は純がいかに自分を想ってくれているかを妄想する。

「ダーリンのハート、必ず射止めてあげるから」

だからその時は結婚しようねと、沙織は純の胸を掴んだ。爪を立てる彼女の手はまるで死神の手だ。嬉しそうに結婚式で流れるメロディーをハミングする彼女に対し、純は思わず本音を漏らす。

「――やっぱ怖いな、この人」

 純の言葉に彼女はギラリと目を光らせる。慌てて口を塞ぐ純に対し、沙織はにこりと笑った。

「でも好きなんだよね?」

「……はい」

「嬉しい!」

 観念したように返事をする純の首を、沙織はギュッと抱きしめる。首を絞められたことで純はギブ、ギブアップとプロレスラーの様に手で沙織の腕を叩いた。けれど徐々に青ざめる純に対し、彼女はにたぁっと口角を上げただけで腕の力は弱めない。うれしい、幸せと力を抜くことはしない。そして彼の耳に顔を近づけて囁いた。

「愛にギブアップはないぞ、ダーリン」

 ゆっくりと砂時計の落ちる砂の様に腕に力を強めながら、彼女は震える彼の唇に照準を合わせる。そしてゆっくりと彼の顔と自身の顔を近づけ、艶やかな女の声で言う。純は苦しそうに彼女の腕を離そうとした。けれど彼女はそれより先にストップの魔法をかける。

「責任とってね」

 彼女の言葉で純の思考は一瞬停止する。薄れゆく意識の中、彼は彼女の柔らかな笑みと唇を堪能した。そして聞こえてくるのは愛のささやき。

 好き

 好き、好き

 好き、好き、好き。

 だから

 だから、だから、

 だから、だから、だから。

「責任とってね」

 再三にかけられたまじないのような彼女の言葉は、薄れゆく純の意識に深く深く刻み込まれる。そうして意識を失いかけた純から彼女は離れ立ち上がる。そして呼吸ができるようになった純はせき込みながら目じりに涙を浮かべて沙織を見上げる。小さな体なのに、見上げた時には何十倍にも大きな巨人に見えてしまう。冷めた瞳は恐怖を植え付ける。怪物ともいえる彼女の威圧感に気おされながら、純は彼女の言葉を聞く。

「だってあなたは私のーー」

「あ、あなたは?」

「ダーリンだから」

 嬉しそうに語尾をあげながら、これはプレゼントと懐から一枚の書類をプレゼントする。半分をびっしり記入されたその書類を見て、純は青ざめ……、なかった。ためらいなくそれを破いたのだ。あーんと口惜しそうに声を上げる彼女に対し、純は毅然とした態度で沙織に告げる。

「結婚は出来ないって言ってるでしょ」

そっぽを向きながら純は小さく呟いた。えー、聞こえない。と言うように、沙織は耳を澄ませる。破られたのに嬉しそうな沙織に対し、純はもやもやとした気分をぶつける様にはっきり告げる。

「女一人養える力もないのに、気安くできるわけないだろ!」

 純の叫びに、沙織は嬉しそうに笑った。

「それってつまり、……んふふ」

 満足そうに沙織は先の言葉を胸で反芻して笑っている。

 ――養える力が付けば、してくれるってことだよね?

「じゃあこれからよろしくね、ダーリン」

「ああ、よろしく沙織さん」

 拗ねた様子で少しぶっきらぼうに返事をする純は、ぶっきらぼうに沙織の腕を引き抱きしめた。

「後悔しても知りませんよ」

「しないよ」

 彼氏彼女の関係としては妙に重い二人の絆が結ばれる。

「好きです」

「私も大好きだよ」

 かくして無事に結ばれた二人は幸せそうに抱擁を交わす。しかし後から家にやって来た茜が、べとべとになった床を二人がほったらかしにして仲睦まじそうにするのを見て怒ったのは言うまでもない。けれど怒られながらも二人の顔には笑みが張り付いていた。

「まったく、私がいるのを忘れないでくださいよ」

「ごめんごめん、茜ちゃん」

「悪いと思うのなら、早く準備をしてください」

「え、もうそんな時間!?」

「ええ、そんな時間です」

「じゃあ俺はそろそろ」

 お暇すると純は立ち上がる。すると茜が純の方を見るや、頬をほころばした。

「純さん」

「なんでしょうか」

「沙織さんをよろしくお願いします」

 純の肩を掴みながら茜が言う。

「これから大変だとは思いますが、そこはまあ男として頑張ることです」

 純の肩に爪が食い込むほど強く、今後の事を予想し茜はアドバイスを出す。そして彼女背伸びをして純と口づけを交わした。キスをされた純と、ふわふわとした髪をゆらゆら燃える炎の様に逆立てた沙織が、茜の行動に驚き声を上げる。

「あーかーねー」

「沙織さん落ち着いてください」

「これが落ち着いていられるか―!!」

 何してくれているんだと沙織は茜の胸を両手でぽかぽかと叩く。そんな茜を黙らせるように、茜は先ほどキスしたばかりの少し赤みが薄れた唇で沙織の唇を塞ぐ。唇を奪われて驚く沙織と、急に人の彼女に何をしているんだと純は少し遅れた文句を放つ。

 純の彼女というワードに沙織は幸せそうな様子を見せ、純はよ、喜び過ぎではと焦りの色を見せる。そんな二人の出来立てほやほやのカップルを見て、茜はハイハイ、お疲れ様ですと溜息をついた。

「どうぞお幸せに」

 吐き捨てる様に呟かれた彼女の祝福に、沙織や純は笑顔で答える。職場へと発進された車内で、後部座席で彼女たちは愛を確認する。その姿によどみは無い。あるのは充足していく二人だけのアルカディア。

 そんな二人は茜の存在を無視し、呼吸をするのと同様に自然な流れでさ唇を重ねた。彼らは赤いバラが敷き詰められた二人だけの世界で一瞬の永久を感じながら、愛を享受する。その幸せが永久に続きますようにと願をかける様に、二人は愛を分け与え続ける。

 そんな二人を眺めながら茜はいつもと違う、ちょっと遠回りのルートで職場へと向かうことにした。ついでに渋滞でも起きてくれればなぁと考えながら、彼女はハンドルを切っていく。

 二人の愛の営みは職場に続くまで終わらなかった、いや、職場についても二人の愛は静まることは無かったという。



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