57 ラブソング
「なあ、今日俺歌っていいかな」
「珍しいじゃん」
ベーシストがスラップのまねごとをしながら答える。
「いんじゃね? たまには」
今日も自分が歌うと思っていたぜとギターボーカルが純の方を振り向き、場所を譲る。
「ああ、でもいっつもギター専門なのに珍しいな、どした?」
「選曲もなんかしんみりしてるしさ、どったの純ちゃん」
「いいだろ、別に」
悪いなとマイクスタンドを自分の高さに調節しつつ、純はさっさとやろうぜと仲間を急かす。けれど仲間はそれに対し嫌な気持ちを持つことは無い。それにこれ以上言及することも無く、むしろ笑いながら「今日は純の日だな」と純に従った。
純はいい仲間を持ったと思いながら、リズムをとる。そして純が歌いながらリズムギターを奏でる。それに合わせてベースやリードギターが追従する。そして次第にベースがリズムマシンと共にリズム隊を結成し、二人のペースが速くも遅くもならないよう注意する。それに耳を貸しながら、純が歌う。ギターを弾く。
1曲目が終われば2曲目、これも
2番目も終わり、ギターソロも終わったあたりで仲間が純の異変に気付いた。思わず弾く手を止めてしまう。そして慌ててピックやスティックを握りなおし、純についていく。けれど純はそんな仲間の様子に気づく様子もなくギターをかき鳴らし、熱を放つ。涙を流しながら弾く純の姿を、たまたま部室の前を通った女子大生がスマホのカメラで撮影する。
今日の純の低く艶のある声が、歌にマッチしていく。歌詞の情景を皆にイメージさせる。
熱唱、感情の込められたパワーソングに思わずあっけにとられ、その女子大生ともども聞き入ってしまう。あっけにとられて扉を完全に閉めることをしなかった彼女のせいか、徐々に徐々に客は増えていく。飛び切りうまいわけではないが力強くエレキギターを弾く純の姿は見モノだった。1曲目が終わると純は友人らが用意したアコースティックギターに持ち替え引き続き熱唱した。たった数畳の小さな部室に数名の客が入ったココは、ちょっとしたライブハウスになっていた。
焦ってばかりでミスをしていた自分、いら立ちを隠せず八つ当たりをしていた自分の心、裸の心をさらしてくれ、ミスを恐れず傷つくことを恐れず前へ、前へ進んでくれ。
走り出したら止まらない、恋は止まらない。乾いた愛。尽きぬ欲望、愛におぼれて死んでしまってもいい。
彼女との夢、狂おしい愛は美しい。罪をください、罰をください。ジェラシーの鎖で俺を縛り付ける、アンバランスな血で染まった愛と夢を俺に見せてくれ。貴女と一緒に堕ちていきたい。
涙を流して歌う歌はやけに聞く者の胸に響いた。気が付けば部屋から漏れ出た音からか、少しだけだがギャラリーが出来ていた。部室へ入った数人の女子大生やそれにつられて入ってきた彼女の友人、別サークルに所属する純の友人らが深夜路上で歌うアーティストの曲に聞き入るように純の曲に耳を寄せる。観客の純の友人と彼女らが何やら話をしている。そして4曲ほど歌い終わったあたりで純はゆっくりと息を吐くと、純はアコギをギタースタンドに置くと、マラソンを完走した時の様に息を切らしながら天を見上げた。
そして友人らの拍手や指笛すら耳に入らず、感想を告げようと近づいてくる女性陣と接することもなく、走り出してしまった。何かあったの? と女子に問いかけられたバンドメンバーは、たぶん失恋でもしたんだろうと適当な理由を説明する。それに対して女性陣はふーん、と適当な相槌を打つと、走り去る純の事を気にかけることなく、そのバンドメンバーや客の男性陣と歓談を始めた。
ただ一人の女子は聞き終わるや否や、部室を出ていった。走り去る純の背中に胸からこみ上げた想いを視線に乗せて送信。姿が見えなくなると、彼女は満足そうにスマホを眺めて笑った。新たな思い出が増えたと笑っている。
スマホをハンドバッグにしまうと、今度は手帳を取り出した彼女は、今日の思い出を綴り始める。新しめのまだあまり記入されていないその手帳に彼女は赤字で「彼のソロライブ参加♡ ファンクラブ第1号」と記入した。
彼女の虚ろな瞳に、彼以外の演者は映っていなかった。
よし、と満足げに手帳の最後を開くと、最新の彼の写真にキスをする。引っ越しのあいさつで来た彼を、ボールペンタイプのカメラで撮った最新の生写真にキスをする。幾度も、幾度も。いずれは来る彼との実戦のために。そして彼女は後を追う。




