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55 振出しに戻ろう

「でも、忘れません」

「私も」

 気が付けば沙織は立ち上がり、純の頭を抱きしめた。優しい匂い。香水を一切使っていない落ち着く匂いだ。気が付けば純は沙織を抱きしめ返していた。年上を好きになるなんてもしかして自分はマザコンなのではないだろうかと、純は思う。

――まあどうでもいいや。

 俺は沙織さんが好きだ。これだけは変わらない。

 どんなひどい目にあっても嫌いになれない時点で、負けているのかもしれない。好きなアイドルに想われて嫌な人なんていない。だから考えなくていいや、いいんだ、きっと。惜しむように抱きしめあう二人を茜は嬉しそうにそっと見守った。


 翌朝、純は玄関にて彼女らに別れの挨拶を交わす。

「じゃあ、今までお世話になりました」

「住む家は以前のアパート、って訳にはいかないですけど」

 茜は以前住んでいたアパートと再契約した書面の数々を純に手渡した。家具は既に用意した。以前と同じように、しかし白物家電は最新式のを用意した。それでいて少し増えた服が入るよう運びやすいプラスチックの衣装ケースを数個。

「あれ、以前住んでた部屋と違うんですね」

「ええ、入居者が既に入ってしまったので。ですがその隣室が空いていたので、そちらと契約しました」

「助かります」

 純はボストンバッグを片手に茜にお辞儀をする。そして二人にこれ以上いると別れがつらくなるからと判断した純は、これ以上の挨拶をせずに沙織家を去った。

「あっ……」

 伸ばした手を茜に制される。寂しさを茜に見せる沙織だが、茜は首を横に振りそれはダメだとジェスチャーを送る。ただ二人は見送るのみ。純が見えなくなってから沙織は口を開いた。

「茜ちゃん寂しくないの?」

「ええ、別に」

「冷たいの、氷の女王再びってやつ?」

「いえ、いつも通りですが?」

 メガネのツルをくいっと持ち上げながら、茜は子供っぽく舌を出して笑った。それを見て沙織は嬉しそうな笑みを向ける。

「さぁ仕事行こうか」

「ええ、車に乗ってください」

「よっし、今日も一日がんばろー! エイエイオー!」

 彼の事を忘れるためにも、いや、胸の奥にしまって大切な宝箱へ。そしてカギをかけたら彼女はアイドルモードへ変身する。茜も仕事人モードとなり気合を入れる。二人は拳を高く上げて気合注入、けれどその拳は震えていた。空を見上げる二人の瞳に雨雲が宿る。

「あ、雨降ってきたね」

「ええ、そうですね」

「空は晴れてるのにね」

「ええ、そうですね」

「茜ちゃんそればっかり」

「ええ、そうですね」

「でも声震えてる、やっぱりかわいいなあ、茜ちゃんも」

「それは沙織さんもですよ、ほら、雨が降ってきたんですから車の中へ」

「でも無駄じゃないかな、雨もりしちゃうよ?」

「それでもいいじゃないですか、人目を気にしなくていいんですから」

「それもそうだね、こんな顔、……見せれないもんね」

「ええ、……そうですね」

「茜ちゃんは強いなあ」

「え…え、そうです……ね」

「でも、今日だけは雨宿りしていいよ」

 仕事まで時間はあるからと沙織は茜を家に連れていく。今日だけは、今だけは年上として、彼女の姉同然の沙織は崩れ落ちる茜を抱きしめる。力なく氷解した彼女を慰められるのは、優しい太陽だけである。

「雨、やまないなぁ」

 茜を抱きしめながら天井を見上げた沙織は寂しそうにつぶやいた。


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